京都市左京区下鴨女子寮へようこそ!親が毒でも彼氏がクソでも仲間がいれば大丈夫!

washusatomi

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第29話 告白は三段論法で

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「偽装彼女を辞めたいと思います」

 下鴨女子寮の面会室で武田氏と二人きりになった美希はそう告げた。武田氏が来るまでに言いたいことは決めていた。

「私は、武田さんに清水さんみたいになって欲しくないんです」

 武田氏は机の真向かいで腕を組む。

「俺もいろんな意味で彼のような男になりたくないが、君が言わんとするのはどういう意味でだろう?」

「清水さんは信頼と尊敬を黒田さんに捧げつつ、恋人には扱いやすい『安くてチョロい』女性を求めます」

「うん。そうだな」

「黒田さんのような大人の女性はパートナーにするには扱いづらい。パートナーに手頃な相手は扱いやすい分どこか未熟。清水さんは、この二つのタイプの都合のいい所を利用するだけです」

「……」

「黒田さんに合わせる努力もしないし、面倒臭くなればパートナーと別れる。相手に合わせて自分を成長させようとする姿勢が見受けられません。これではいつまで経っても大人になれないのではないかと思います」

「彼についてはそれ以前の問題だろう。恋人に人格がないかのような無関心さはあまりに不実だ。彼が大人になりたかろうがそうでなかろうが、そんなことより、君に対してきちんと向き合うべきだったと俺は思う」

「そうですね……そうです。私、清水さんと喧嘩すらしませんでした」

 氏は片頬を緩めた。

「水でもぶっかけてやりたかった? 金田さんじゃなくて君自身が」

 美希も淡く、そして苦く笑って「そうですね」と頷いた。そうだ。自分はそうしたかった。だけど、あの当時はそんな発想すらなく、代わりに金田さんがやってくれたのだ。

「金田さんはいい人です。私は弱々しいだけだけど、金田さんは今まで生きてきた中で色んな苦しい思いを経てきて、それを乗り越えて、強さと優しさを兼ね備えたとても素敵な人です。武田さんが惹かれるのも無理ありません」

「別に俺は……」

「それはいいんです。だけど、武田さんは建築家になるという夢があるのでしょう?」

「……話が飛躍していると感じるが?」

「清水さんみたいなことはするべきじゃないという話です。武田さんは自分の個性を超えた新しいものを生み出したいっておっしゃいました。それには相手とのコミュニケーションが大事なのだと」

「あ、ああ」

「相手の都合のいい部分だけを良い所取りするお付き合いはするべきではありません。金田さんはとても頼もしいです。少し気が強くて男性には扱いにくく感じられても、それは男性の側の弱さです。その弱さを自覚し、そして乗り越えることがコミュニケーションの成果ではないでしょうか」

 氏は机に視線を落として黙り込んだ。美希は歯を食いしばる。泣きたいけど、泣くまい。自分は氏にとって重要なことを話しているはずだし、きちんと伝えきらなければ。泣くのは氏がこの部屋を出てからだ。

「君は……俺が金田さんと付き合えばいいと思うのか?」

「はい。一方的に信頼と尊敬を捧げるだけでなくて……。金田さんだってこれからも辛いことがあると思います。武田さんも金田さんを敬愛するだけでなくて、金田さんを受け止められるようになって欲しい。今の時点で私は二人とも器が大きい人間だと感心していますが、ここで武田さんがより大きな人間になれば、きっと素晴らしい建築家になれると思います」

 そう口にする自分の言葉を聞きながら、美希には腑に落ちるものがあった。

 美希は意外に黒田さんにさほど嫉妬をしていない。だって、黒田さんにも悩みや迷いがあるはずなのに、清水さんにはそれを受け止める度量などないからだ。黒田さんも、清水さんから慕われれば多少は気分がいいかもしれないが、ただそれだけの話だ。

 そう、他人ときちんと向き合わない清水さんは、他の人にとっても空虚な存在にすぎない。氏にはそんな風になって欲しくない。それでは氏の目指す建築家への道が遠のいてしまうと美希は思う。

 氏は首を振った。

「俺は金田さんに恋愛感情を抱いているわけじゃない」

「……」

「君が評価するようにいい人だと思うし、今後、彼女に恋する人間も現れるに違いない。だが、俺は既に好きな人がいる」

「……そうなんですか?」

「……そうだ」

「今まで話題に出ませんでしたね。建築学科の人ですか?」

 氏が天を仰いだ。面会室の外でも何か物音がした気がするが、これは気のせいだろう。

「なんでそうなる……」

「だって、建築学科は理系にしては女性が多くて、喋りやすい人も多いんでしょう?」

「君は、さっきから異質な相手とのコミュニケーションの重要性を説いていなかったか?」

「え、ええ……」

「俺は俺と異質な女性に心惹かれている。そしてその相手と深いお付き合いをしたいとも!」

 氏の声はぐっと力のこもったものだったが、そこから一転悄然としたものに変わる。

「その深いお付き合いをしようとして、俺はミスをしたようだ。君との付き合い方を金田さんに相談しているのを見たら、君が清水という男と重ね合わせてしまうのは仕方がない」

「……」

「金田さん抜きで、俺は君に直接言う」

 な、何を言うつもりなんだろう? 氏は美希に指を突きつける。

「シェヘラザードだ!」

「はああ?」

 面会室の外まで何かざわついているようだ。

「俺はシェヘラザードの話を君にしたよな?」

「はあ、伺いましたが?」

「話の上手い女性は魅力的だ。そして君は話が上手い。ゆえに君は魅力的だ」

「……」

 氏は頭を掻きむしって、半ば叫ぶように言う。

「三段論法だ。法学の基礎だろう! 君のことをよく知りたくて法学入門の本を何冊か読んだが冒頭部分に出てくるぞ? まさか知らないとは言わないだろうな?」

「それはもちろん三段論法は知っていますが?」

 氏は顔を紅潮させて美希の話の続きを待っている。だが、美希は何と言っていいのか分からない。三段論法を辿れば結論は分かる。自分は氏の中で「魅力的」というカテゴリーに属しているということならば。……で、それが何か?
 
 静まり返った面会室に、扉の外のコソコソした喋り声が聞こえてくる。

「ねえ、西都大の男子ってみんなこんなに理屈っぽいの?」

「私が彼氏に告られた時はもっとストレートだったけどねえ」

「うーん、これじゃ漫画に使えないなあ。もっとシンプルにグッとくる台詞を言ってくれなきゃ」

 氏がガタッと勢いよく立ち上がり、そしてドアを開けた。案の定、寮生たちが鈴なりだ。

「……」

「……」

 氏と寮生たちが無言で向き合うこと暫し。新市さんがシレッと言い抜けようとする。

「寮委員長として言いますと。ここは男子禁制の女子寮だから、面会室も密室という訳にはいかないんですよ」

「だからって、ドアの外で聞き耳を立てないでください! 俺はとても大事な話を北村さんとしているんです!」

 机の傍で立ち尽くす美希には、氏の背中しか見えない。その向こうに寮のメンバーたちがいる。炭川さんが腰を屈めて氏の背中の脇から顔をのぞかせた。両手をスピーカーのように丸めて口元に当てている。

「大事な話なんだって! 美希ちゃん」

 金田さんも踵を浮かせて背伸びをし、氏の肩越しに美希に語りかける。

「私だって別に武田さんに恋愛感情なんかないよ。直接話したこともあまりないし、話題は美希ちゃんのことだけだったし」

 氏が金田さんに顔を向ける。

「ですが、金田さんに話そうとしたのが誤解を招いたようです。僕は直接言います」

「うん、そうした方がいい」

 しかし、氏は美希に振り向く前に、皆に向かって真剣な声で宣言した。

「皆さん。ここから先の遣り取りを僕は誰ともシェアしたくありません。北村さんだけに聞いて貰いたい」

 由梨さんがいつものように考え深そうに応じた。

「そうね。それが仲間と恋人の違いでしょうね」

 新市さんが請け負う。

「じゃあ、私が責任もって寮生を食堂に連れて行きます」

 炭川さんが「思い出した!」と声を上げた。「何を?」と聞かれて「自分が副寮委員長だってことと、そろそろ来年度の新入生に向けて、ウチの寮のウェブサイトの内容を更新する必要があるってことの二つ!」と答える。

 寮生たちは「あー、そうだそうだ」「由梨さんを手伝わなきゃ」「食堂でそれやろう」と言いながら、ぞろぞろと階段を降りていく。
 
 氏はそのざわめきが聞こえなくなって、ようやくドアを閉めた。

「あの……」

 美希の傍まで氏は近づく。

「君は俺の偽装彼女を辞めたいと言ったが、俺も君の偽装彼氏を辞めたいと思う」

「……」

「偽装じゃなくて、本当の彼氏になりたい。つまり……ええと……一番ストレートでシンプルに言うならば……」

 氏の喉仏がごくりと動いた。

「君が好きです。付き合って下さい」

 美希が何か言う前に氏は続ける。

「俺の告白を聞いても受諾に至らないなら、その理由は二通りの可能性があると考えられる」

 ああ、理屈っぽい! だけど、美希は氏のこういう不器用でクソ真面目なところが大好きだ。

「一つ目の可能性は単純に俺という男に魅力がないからだ。これが理由なら俺はふられても構わん……。いや、かなり辛いが、それをどう耐え忍ぶかは俺の問題だ」

「……」

「二つ目の可能性は、君が自分に魅力がないと思って俺の好意を信じられない場合だ。あの毒母に育てられたせいで君は非常に自己肯定感が低い。だが、君は魅力的な女性だよ。この俺の言葉を信じられるかどうかは……君の問題だ」

「私の問題……」

 由梨さんの声が耳元で聞こえる。

「お母様ではなく、この下鴨寮生の評価を信じてみて」

 美希はゆっくりと、自分より背の高い氏を見上げた。

「信じます。この寮の人たちも私と話をするのが楽しいって言ってくれました。私のことを良い仲間だ、と。武田さんのことも、寮の人たちのことも、私は信じたい……信じます」

 それじゃあ、と氏は糸のように目を細めた。

「俺の本当の彼女になってくれますか」

 美希は黙る。

「あの……いい加減、俺は君からイエスという答えが欲しいのだが……。他にも何かクリアにすべき問題があるだろうか?」

「私、私から自分の気持ちを言いたいです。お付き合いを申し込まれて、それにイエスと答えるだけじゃなくて」

「……」

 いつまでも受け身でいるのはもう止めよう。女性の美希が武田氏に告げようとしていることは「物欲し気」でも「はしたない」ものでもない。自然に湧き出る感情なんだから。

「好きです。私も武田さんのことが。だから、武田さんが私のことを私じゃなくて金田さんと話しているのがとても悲しかった」

「それは……」
「さっき武田さんが皆に言った言葉が、私の気持ちを代弁していたと思います」

「俺のどの言葉が?」

「私は武田さんを他の誰ともシェアしたくありません」

 氏の細められた目の、その目じりが頬に溶けてしまいそうになる。

「もちろん俺は君だけの彼氏だとも。それが本当の彼氏というものだ。で、君は俺だけの彼女になってくれる……んだな?」

「はい!」
 
 氏は自分の手を美希のそれに近づけた。

「偽装じゃない彼氏と彼女というものは、実際に手を繋ぐなどすることになるわけだが……。構わないか?」

 美希は自分の手を氏の側に近づけることで返事とした。しばらくその美希の手を握っていた氏は、おずおずと顔を近づける。

「あの……その……、ええと……付き合い始めで随分厚かましいかもしれないが……」

 美希も氏の顔をまっすぐ見る。

「私も図々しい人間になったようです……」

「君はそれくらいの方がいい」

 氏はそっと美希の顎に手を添えた。

 同じフロアの階段を挟んだ隣にある娯楽室。そこで何度も目にした少女漫画のクライマックスシーン。それが、美希の三次元の世界でも起ころうとしていた。
 
 そして美希は思う。ここから先は自分の物語を生きるのだ。
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