後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi

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26. 波乱を招く蘇の朱莉姫(四)

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 雲雀を親許に届けた後、冬籟が衛士の詰所の客庁きゃくまを借りきった。

「姫。まずは計画の全容をお聞きしたい。いったい後宮入りを嫌がって逃げたところでうまくいくとお思いだったのか?」

 冬籟の質問ももっともだ。

「私は父王にも周囲にも董の気候が合わぬゆえ体調が悪いと言っている。私が失踪しても替え玉の娘がいれば、父王は、王女は引き続き病で引き籠っていると取り繕うでしょう」

「それでも蘇王は本物の娘を探すはず。逃げおおせる自信がおありだったのか?」

 これには璋伶が答えた。

「ここは蘇ではなく董です。蘇王とて真相を隠したまま姫様を探すのは困難でしょう。それに私たちは華都からすぐに北域か西域に逃れるつもりでした」

 白蘭が金勘定に生きる商人としての疑問を口にする。

「どうやって食べていくつもりだったの?」

「傭兵でも医師でも。姫様と生きる為ならなんでもします。そのために武芸の腕を磨き、医術を学びましたから」

 どちらも食いはぐれない職業ではある。医術の心得があるから雲雀を麻酔で眠らせられたのか。それにしても璋伶はやけに多方面に能力がある男だ。

 朱莉姫がつんと顔を上げる。

「璋伶は顔がいいだけじゃない。頭だって凄くいい。だから蘇の科挙にも合格したのよ」

 冬籟が素直に「それは凄いな」と感嘆してから「だが今は官僚じゃない。なぜだ?」と聞いた。

「姫様も最初から私と駆け落ちしようとしていたわけじゃありません。まずは、私が立身出世をとげれば、蘇王にご降嫁を願えるのではないかと考えたのです。けれど私は見てのとおり南の少数民族出身、科挙を目指せる生まれではない。そこで姫様が私に受験できる環境を与えて下さいました」

 白蘭は首をかしげる。

「目指せる生まれじゃない? 誰でも受けられるのが科挙ではないの?」

 朱莉姫が鼻で笑う。

「白蘭は世間知らずだこと。必要な書物を買い整えて、働かずに勉学に専念できるのは富裕層の子弟ばかりよ」

 璋伶は非常に優秀にもかかわらず実質的に科挙を受けられない。それに義憤を感じた姫は、彼のために環境を整えて科挙に臨ませ、堂々と彼に嫁げるよう取りはからった。

 だが、合格しても官僚たちの世界は彼を受け入れない。

「高級官僚は実務を胥吏任せにして、自分達は抽象的な話ばかり。教養の高さを誇りとするが、評価の基準が主観的でしょせんは内輪受けなのだからどうとでも言える」

 科挙合格だけでは本物の教養とは言えないと彼らは璋伶を侮り続けた。単なる学力ではなく、人としての徳が大事だという彼らは、璋伶の言葉の端々や文章の持ち味、振舞い、身のこなしなどに品性が欠けていると蔑む。

 白蘭もその状況は分かる気がする。

「あー。しょせんはガリ勉秀才なだけだって璋伶さんを否定したいわけね……」

 せっかく合格しても、彼らの貴族趣味に合わなければ、持っている能力も認められることなく無視されてしまうのだ。

 璋伶がこれまでにないほろ苦い顔をする。

「姫様が白蘭嬢を世間知らずとおっしゃいましたが、我々も認識が甘かった……」

 一方、朱莉姫も父王に「私、好きな男性と結婚できないかしら?」とできるだけ可愛い娘の顔でおねだりしてみたのだという。

 王はそれを一笑に付した。

「父王は『我ら蘇王家こそが帝位に相応しい血筋なのだから、董の皇帝に娘を入内させて皇子を産ませ、その子を皇帝にせねばならぬ』と言う」

 この辺までは白蘭たちも想像していたが、次の言葉に度肝を抜かれる。

「父王は娘の私にその先も明かしたわ。『お前が御子さえ産めば、別に今の皇帝と夫婦でいなくともよい。今上帝にはさっさと死んでもらうのだから』と」

「その後でなら愛人でも囲うなり好きにしていい」と続けたそうだが、もちろん姫達の飲める話ではない。

 冬籟が「皇帝を暗殺する気か?」と確かめるのに、姫はあっさり「蘇王朝の血をひく子さえ生まれれば、今上帝は不要、むしろ邪魔だもの」と答える。

「私は遅くにできた子だから、父王はもう初老の域よ。そして孫の代まで待てるほど頑健な身体はしていない。だから元気なうちに今上帝を排除し、自分の価値観で天下を動かそうとしている」

 その蘇王の伝統的な価値観では四神国はあくまで蛮族の国だ。姫が白蘭に顔を向ける。

「父王は四神国を遠ざけて、弱らせようとしているわ。琥王は今、西の帝国の女を寵愛しているのよね? それも父の蘇王が仕組んだことよ」

「なんですって! じゃあ、琥の民の中に蘇との内通者がいるということ?」

「違うわ。海よ。大陸の南の大洋をずっと西に行けば、内陸の琥を通らずに西の帝国と行き来ができるの」

「海で繋がっているとは聞いたことあるけど……」

「そう、繋がってる。だから両国は船で連絡を取り合っているの。東西の海路がだんだんと整い、交易も増えているのよ」

 それでは琥は西の帝国の属国になるうえ、東西交易を海運に奪われてしまう。琥商人の行く末はどうなってしまうのか。

「そして、蘇は東の漣も手なずけている」

「漣国を?」

「そうよ。蘇が琥商人から買い上げた西域の金銀製品を漣国に流しているわ。漣国の船がやって来ては蘇の港からそれらを山積みにして帰っていく。今はわずかな羊の干し肉と毛織物との交換で金銀の財宝を渡しているけれど、いずれ対価を釣り上げて彼らの富を吸い上げるつもりよ」

 それは……妙だ。冬籟もその話に引っかかるものを感じ取ったらしい。

「東妃からそんな話を聞いたことがない。そもそも漣から蘇までの距離は董よりも遠い。比較的近い漣と董とだって海を渡るのは危険だ。自然の海難だけじゃない。董の沿岸には海賊だって多いからな」

 だから漣国の使節も生存をかけて四隻の船に分乗するのだし、藍可は友人を失ったのだ。 そうだ。それに……。白蘭は早口で叫んだ。

「漣に羊はいないわ!」

 羊がいるのは西域と北方だ。蘇にも漣にもいない。だから藍可は今も羊料理が苦手なのだ。白蘭もここは確認しておかなくてはならないと思う。

「ねえ、その人たちは漣国の人間だってはっきり言ったの?」

「そう言われれば……確かにはっきりと漣国と聞いた記憶はない。どこから来たのかと問うた時に『漣の方』とか

『海路の果て』とか曖昧に答えるばかりだった……」

「それ、毅国の人なんじゃないの?」

 少し待ってくれ、と冬籟が白蘭に片手を上げた。その顔には困惑の色が浮かんでいる。

「確かに毅国から東に行き、立ちはだかる山脈を越えれば海に出る。その海の東南の果てに漣国があり、南下すれば董の海岸線に沿って蘇まで船で行けるとも言われている。だが、俺たちは伝統的に内陸部を馬で移動はしても、船で航海するなんてやったことがない」

 白蘭は小さく首を振った。

「山を越えてでも蘇から入手したいものがあれば話は別です。毅国の反乱時に大量の金銀製品が毅にわたっていたそうですが、琥と毅との間にそれほど大規模な取引があったと私は聞いたことがありません。でも、蘇と毅が董の目を盗んで海路で行き来していたなら合点がいきます」

 冬籟がうめいた。

「沿岸の海賊も彼らだとしたらつじつまがあうな。蘇王の天下への野望は本物だ……」
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