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第3章 時震後1年が経過した

50.1493年4月、中米ユカタン半島

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 ジーロ・オンザルは、4月始め漸くできあがったアカプルコの庁舎を外から見て大きく息をついて言った。
「ようやくここまで来たな。6か月か、長かったような短かったような」

 それに対して横に立っている妻の葉子が応じる。
「短いと言うべきでしょう。これだけの期間で頑張った方だと思うわ。それにしても大使館の役に立たない事と言ったら、どうしようもないわね」

 確かに、熱帯のこの地で頑張っている我々に対して、帝国の首都に行ったホセ・ドンゴロス駐日大使は最近では全くというほど音沙汰がない。
 ジーロ・オンザルは42歳で貿易商であり、日本から様々なものを仕入れてメキシコで売っている。日本から輸入してメキシコで売れるものはたくさんあるが、逆がないことが残念だが、片道を空で航海するのは困るので、割は良くないがカカオを細々と日本に持ってきている。

 彼は、この商売を日本に留学している時に思い立ち始めたもので、立ち上げたアステカ交易の年商も100億円を超えていた。時震時には、彼はちょうどに日本に商談で居たが、運のよい事にメキシコに帰化はしているが、日本人の妻の葉子と3人の子供たちも里帰りで帰っており、一家離散の悲運に見舞われることもなかった。
 時震の事態を知ると、彼は直ちに様々な調査を行った。そして腹を決めると、妻葉子と15歳の息子のアダン、13歳の娘のユラ、10歳の息子のカケルの説得にかかった。

「葉子、アダン、ユラ、カケル。俺はメキシコへ帰るぞ。メキシコは、汚職だらけのどうしようもないところもあるけど、皆陽気で楽しい人々の国だ。今の1492年は、50年もしないうちにスペインに滅ぼされ、大部分の住民をスペインの持ち込んだ疫病で殺されたアステカ帝国の国だが、これを何とかしてみせる。もっと良いメキシコにしてやるぞ!」

 葉子の実家の応接室で、真剣な顔で言うジーロの身長は180cmを超える長身で、最近は腹が出てはきたがスポーツマン体形の浅黒い肌の熱い男である。アステカ帝国の皇帝の血を引くと密かに伝わっている名門の出身で、彼が貿易で成功できたのは、資本に一族の金を使えたことが大きい。

 彼がその大きな目で家族に訴えると、長男のアダンが熱狂的に立ち上がって賛同する。
「そうだよ。父さん。あの悲惨なアステカの歴史を繰り返しちゃだめだ。帰ろうよ、帰って国作りだ」

 そこに、妻葉子の冷静な突っ込みが入る。
「でもね、承知しておいてほしいのは、日本政府はコロンブスの航行を止めるつもりよ。この時代のスペイン大使の一行がこの時代の本国に行くのは決まっています。大使自身は、コロンブス以後のスペインの中南米での所業を恥ずべきものと思っているようですよ。だから、大使の帰国を日本政府が援助しています。
 それに、そちらがうまくいかなかったとしたら、政府はコロンブスの航行に合わせて監視団を派遣するつもりです。だから、スペインの所業を繰り返す恐れはないと思うわよ。ただ、行く先のアステカ帝国の政治体制が問題の恐れありですよね。多分に推測ではありますが、かなり征服しようとする地域の抵抗もひどかったし、征服してからもそうだったようだから、碌でもない政治体制であることは事実のようよ。

 その点はキチンを考えておく必要があるわよ。また、コロンブスの航行の結果、主としてスペインのためにカリブ海、中米、南米の先住民がひどい目にあって、人口が大幅に減ったことは事実です。でも人口が減ったのは主として天然痘などの疫病のせいですよ。日本政府もそこらは考えているようだから、検疫に関してはガイダンスにきちんと従うようにしないとね」

 葉子は、メキシコから日本語・英語のブログを発信しており、そのフォロワーの他に、学生時代の伝手で幅広い人脈を持っており、地震後の日本政府の動きについてもきちんと情報を持っている。また、夫の意向も概ねは聞いており、そのこともあって関連する情報は集めているのだ。

「うーん。そうか。でも、立派な国を作るというのは必要だと思う。僕もアステカ帝国の事は勉強したけど、あまり資料は残っていないようだよね。だけど、奴隷みたいなのはあったようだし、なにより生きた人の心臓をえぐり出したりの儀式は止めさせないとね。……父さんは、具体的にどういう風にする考えなの?」

「ああ、幸いわが社の貨物船が今日本にいて、積み込みを開始する前だ。だから、あれに重機や開発するための機材を積みこんで、さらにメキシコ人を集めて出航するよ。目的地はアカプルコだ。あそこはメキシコシティに近い天然の良港だからね。
 現在ではすでにアステカ帝国の領土になっているようだから、帝国の政府とは話を付ける必要はある。現状で当面考えているのは金山の開発だ。このアカプルコから100㎞のロスフェロス金山は21世紀になって見つかったものだ。埋蔵量は500トンと言われ、年間30トン位は取れるから、国土開発資金にはなるはずだ」

 ジーロは地図でその地点を示して、さらに地図を指しながら言う。
「それに、アカプルコがすでにアステカ帝国の領土ということは当然、ここにあるアステカの首都があるメキシコ盆地までの道路はあったわけだ。距離は300㎞足らずだから、相当な悪路でも大した時間はかからんよ。アステカ帝国の人口は1100万人といわれているが、多くは湖だらけのメキシコ盆地に住んでいるようだな。
何故かというと、この盆地ではチナンパ農業という、池の泥を盛り上げて作物を作る方法で高い農業生産を挙げてでたんだ」

 そこに、ユラが声を挙げる。
「あ、チナンパ農業のこと私習ったわ。すごく進んだ方法だって言われているんだって」

「ああ、泥の栄養分が有効に使えるからね。ただ、毎年泥を汲み上げる必要があるから大変な作業だよね。それに、いずれにしても、池の周辺でしか成り立たないので、あまり大規模にはできないな。
 だから、父さんは当面アカプルコ周辺で、主として換金作物としてカカオ、砂糖の栽培をやろうと思っている。ただ、主食としてコメ、トウモロコシとイモなんかは自分たちが食べるために栽培はするけどね。ただ、いずれにせよ、住居は最終的にはメキシコ盆地に置きたいね。何といっても高地で気候がいいからね」

「うーん、そうねえ。エアコンが使えてレジャーで行くのはいいけど、ずっと住むのにアカプルコはちょっとね。だけど、帰って開発をするのはいいけれど、燃料とか食料とか日本でもすぐに不足するはずよ。日本政府もそこらは考えているという話はあったけど、実際に手に入るかしら?」

 葉子が口を挟むのに、ジーロがニコリと笑って答える。
「うん、そこは僕も気にしたところだ。だから、大使館に何度も行ったよ。結局、日本政府は各国の開発に使うことをその大使館が担保すれば、特別枠で各種資材、燃料、建設資材とかそれに食料などについては政府調達価格で供給するということだよ。その量は開発のために帰る人数によって左右されるということだ。
 さらに、購入資金については、その国に対する貸付が可能だということだよ。これは、その対象になる国の現時点の人口とか資源によって枠が変わってくる。メキシコの場合には、資源もそこそこあるしアステカ帝国の人口が1100万人と推定されていて、さらにユカタン半島の人口もあるから、それほど悪くない。

 だから、かなりのものを持って行けるということだ。ただ、それはある意味でひも付きであり、国土開発のためということで、それで個人の商売をするのは駄目という原則になっている。だから、僕は会社の船に乗せて持って行くものは会社の枠で持って行くつもりだ。幸い、一族で日本国債を30億円ほど持っているからね。これを使うつもりだ」

「そうね。必要な資材が持って行けるなら安心だわ。確かに今投資するのはいい事だと思います。資産を持つのは悪い事でもないし、現地で資本主義のいい意味での見本にもなるわ。私もはっきり言って貧乏はしたくはないから、貴方にはうんと稼いでほしいと思っています。頑張ってね」
 葉子は言ってニッコリと夫に向けて笑顔を見せた。

 かくして、ジーロ・オンザルは必死で動き回った。彼は、日本社会にも留学生時代から商社経営を通じて多数の太いパイプを持っており、そのことを通じて在日大使館のみならず、メキシコ人社会にも大きな影響力を持っていた。
 まず、彼が着手したのは、大使館も交えてメキシコ近代化開発計画の策定に入ったことである。そのために、近代化開発策定委員会を立ち上げて2ヶ月ほどで計画を策定することにした。その際に彼が頼りにしたのは、M大学で中南米史を教えている同窓生のホセ・ミンダルである。

 ただ、ミンダルは文系であり、技術的な観点も絶対的に必要であることから、建設、化学、機械、電気・電子の留学生の院生をブレインとして付けている。日本は技術大国であることは間違いなので、工学系の留学生は多いのだ。
 ジーロ自身は人と物の手配に大部分の労力を注ぎこんでいるので、妻の葉子と息子のアダンが委員会に加わっている。ちなみに、葉子はメキシコ国籍を取得している。

 委員会は2週間の内に集中的に討議して以下のような最初のポリシーを定めた。
 ① 国家の体制は当面は立憲君主制とするが、民主主義の原則の下に君主の絶対性は認めない。
  すなわち法の下での平等の原則を貫く。
 ② 軍の指揮権は、民主的に選ばれた国会にあり、軍人は志望者の能力による選抜を行う。
 ③ 国家の名称はメキシコ王国として、そのエリアは21世紀のメキシコ合衆国の範囲とする。
 ④ 当面は21世紀の文明を取り戻すべく全力を挙げるが、環境に関しては最大限の配慮を払う。

 さらには、ポリシーのみでは不十分として、以下の緊急行動方針を定めた。
 1) 帰国開発団を結成し、在日メキシコ人のできるだけの参加を促す。
 2) 3年以内のアステカ帝国の解体と議会開催を目標とする。
 3) 食糧の自給体制を確保するために、当面の農業開発圏をメキシコ盆地、アカプルコ周辺の沿岸熱帯地域、
   ユカタン半島の低地・台地地域としてこれらを重点的に開発する。
 4) 鉱業については、ユカタン半島西部の石油、ロスフェロス金山他の金山、豊富な銅山開発等について、
   日系企業の投資を呼び込む。
 5) 道路、鉄道、飛行場、電力供給等の基本的なインフラ建設を早急に開始するが、その際に日系企業の参加を
   呼び掛ける。

 ジーロはこれらのポリシーと緊急行動指針を基に、1800人弱の在日メキシコ人に帰国開発団への参加の呼びかけを行った。さらに、世界の市場と供給元を失った日本企業に声をかけて、メキシコへの投資を呼びかける。
 無論、在日メキシコ大使館も協力はしたが、高級官僚としての立場に安住して碌な努力をしてこなかった彼らが、特段の成果を挙げられる訳はない。とは言え、彼らはジーロのみならず、策定委員会からもはっぱをかけられて彼らなりに努力はした。

 結果として、日本政府から約50億円の融資枠を取り付け、重機や建設資材の購入と運搬が可能になっている。ただそれも、開発策定委員会の策定した開発が具体的かつフィージブルあったが由であるが。
 1492年10月、漸くにして5隻の船が東京港から出向して、アカプルコに向かった。3隻が貨物船であり、総トン数3万5千トンで、1隻は内航タンカーで3000トンの油を積んでおり、最後の1隻は1万トンのフェリーである。彼らの船出は日本政府が実施したものほど迅速には進まなかったが、これは当然である。

 国がその生存のために自ら音頭を取って、採算など度外視して実施した食料生産開発、資源開発に比べれば、在日の人々の国の開発などはプライオリティが大きく劣ることは当然である。そうは言っても、日本も孤独なトップのままでは困るわけであり、あちこちに仲間を作ることは有益であることは事実である。だから自ら開発しようという動きには協力することに問題はない。

 そこで、政府も積極的に協力するほど余力はないが、ジーロから声の掛かった日本企業には政府としても協力する意思はあるという程度のアシストはしている。5隻の船のうち、積載量1万5千トンの1隻のみがジーロの会社であるアステカ交易所有のものであり、他は仮メキシコ政府が借り上げたものである。人員は、メキシコ国籍の者423人で、日本人が152人であるが、日本人の雇用費用は日本の無償援助である。

 なにしろ、道路、都市開発、上下水道、電力などのインフラ建設にしても、灌漑を含む農場造成と農業にしても素人の集まりではできないのだ。
 ちなみに、当然アステカ帝国という国の一部に、未来の子孫ですと言って乗り込んでそれで済むわけはない。だから、日本政府の職員がサービスの一環で、在日大使のマカルーノ・プルナ大使と共に、いきなり21世紀のメキシコシティの近くのアステカ帝国首都のテノチティトランに乗り込んだ。

 アカプルコの近傍まで、空母“ひゅうが”で行って、離陸したSH60K型5機で300kmを飛ぶ。この時代には残っているメキシコ盆地の数多くの湖のほとりの農地と首都の周りをゴウゴウと轟音を立てて飛びまわる。
 農地はこれらの浅い湖の周囲に、草と土を互層にしてその上に池の底から持ち上げた土を盛って作られている。泥には栄養分がたっぷり含まれているので、毎年泥が積まれるその農地、チナンパの生産性は極めて高い。だからこの周辺のみで、数百万の人口があるためにヘリコプターの轟音に驚き逃げ惑う人の数は多い。

「ちょっとやりすぎでしたねえ」
 小柄なぽっちゃりした日本政府の使節である梶田真紀外務省審議官が、横に座っている優男タイプの大使のプルナ大使に英語で言うと、大使が答える。

「ええ、でも仕方がないと思います。いまもアステカは武力で勢力を広げているところですから、武力を示さないと話を聞かないと思います」
 それに続けて、通訳のメリダ・トランポが言う。彼女は、日本に留学しているメキシコ人で古代ナワトル語を勉強している。ただ、どの程度の通訳ができるか怪しい面があるが、彼女以上の人材がいないのだ。

「大使の言われる通りです。今の皇帝陛下のアウィツオトルは武闘派ですから、穏やかに言ったのでは何も聞かないと思います。逃げている人々には気の毒ですが、仕方がないと思いますよ」

 ヘリは最終的にすでに宮殿と当りをつけていた、建物の前の広大な広場に編隊を組んで降りる。この場所は生き残っていた衛星で写真を撮って分析しているのだ。
 それから、小柄なメリダが恐る恐る10人ほども出て来た兵士に、10人の小銃を持った自衛隊員の護衛を従えて、上司を呼んで来いと言った。何度か押し問答をして、中に押し入ろうとすると、漸く少し偉そうなおやじがでてきたので、タブレットを見せて説明したのはこういうことだった。

「自分たちは、500年後の世界から来た者達で、この国に住んでいた。しかし、日本という国に居たために500年前のこの世界に来てしまった。それで、我々はこの世界を前に住んでいたような豊かな世界にしたい。そこで、まずは国内でいろんな開発をしたいので認めて欲しい」

 そう絵を見せながら説明して、自分たちの生活の映像を見せる。乗り物、メキシコシティのビル街、多種多様な食べもの、色鮮やかな服、電気製品であふれた家の中など、この時代には考えられないものを見せる。無論、交通ラッシュ、満員電車、大気汚染などは見せない。そして、この時代でも値打ちのあった100gほどの銀の塊を渡す。

 そのおやじが引っ込んだと思ったら、今度は将軍クラスだろう偉そうな軍人が200人位の兵士を従えてきて、槍を構えた者、弓をつがえようとするものもいる。まあ、漸く動員が出来たということだな。
 そこで、メリダの護衛の自衛隊員の半数が向きを変えて、傍の灌木森に向かって、5発ずつの連射による機銃掃射をする。さらに、別の5名の隊員がグレネード・ランチャーを樹木に向かって撃つと、直径30㎝ほどの樹木が2本メリメリと音を立てて倒れる。

 15名の隊員が薄く煙を吐いている小銃を兵達に向けると、半数ほどの兵はばらばらに逃げ出し、残りは地面にはいつくばっている。将軍らしき者は腰を抜かしてアワアワ言うのみで話にならない。そこで、最初に会ったおやじに再度話をして、ようやく宰相らしき人物に会うことができた。

 彼に同じような説明をした結果、嘘か本当か解らないが皇帝は留守ということで会えなかったが、アステカ帝国として、開発団の入国と、無人の場であれば開発する許可証を手に入れたのだ。
 このように、平和的とは言えない出会いであったために、開発団は自衛のための武器は持ち込んでいる。

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