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第3章 時震後1年が経過した

61. 地震2年4月、北京

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「可静、ここらあたりの食堂も随分変わってきたなあ」
 唐翔太は、北京の街を歩きながら妻に言った。17歳の彼女は、彼に並んで恥ずかしそうに肘を曲げている彼の腕に手をかけながら夫の言葉に応じる。

「ええ、そうですよ。この辺りは元々食堂街だったのだけど、殆どの店が綺麗にして、随分種類も増えました。あなたには申し訳ないけれど、私もお友達と時々スイーツの店に行っていますよ」

「いいんだよ。俺は忙しいから俺がいない時には自由にすればいいよ。うーん、そのスイーツの店もそうだけど、日本料理の店も結構あるな。南京料理とか、北京料理とか名前の店もな」

 唐翔太は、日中のハーフで今年22歳であるが、宋栄達 元人民解放軍中佐に率いられて1年半前に北京入りした。その後、彼は明日(みんにち)商会という商社を立ち上げた高浩然に誘われて、1年前に高の会社の社員になっている。なお、宋はその経歴を買われて今では北京総軍の将軍になって着々と地歩を固めている。

 宋が、北京に連れて来た200名強の兵士たちは、人民解放軍上がりの者が半数であり、他は体力に自信がある一般人であったが、商人の高がスカウトの食指を伸ばしたのは部隊の行動においても、気の利いた動きをする翔太と他に2名であった。

 高に採用された後、翔太は才能を発揮した。数字に強い上に、巧みに人に取り入り、営業とその管理に、企画と生産管理にと若さに似合わない活躍を見せている。これは、一つには殆ど地盤がないところで、新しい仕事をするという点で若い彼に向いていたのだろう。

 会社は南京を本拠として、ここでは主として日本向けの食品や繊維関係の生産を行っている。また、人口がどんどん伸びている北京は、南京及び日本からの産物の消費地と位置づけており、彼は商会の北京支社を支える幹部の一人になっている。

 高は能力のある幹部には報酬で報いた。だから、彼は今のところ全体としては所得水準の低い明では破格の収入を得ている。その彼を見て、取引先では優良な婿候補として見るものも多く、明最大の商会を経営する梁家の一族である梁可静を嫁候補として紹介された。

 彼女は、南京で翔太も会った梁美麗のいとこであったが、美麗のような気の強さは見えず、その美しさと優しげな風貌もあって翔太は一目で気に入った。そこで、彼は21世紀人の積極性を発揮して、本人及び両親に積極的に働きかけてすぐに婚約にこぎつけ、彼女が16歳になるのを待って結婚したのだ。

 彼女の身長は150cmで、栄養状態の悪いこの時代の女性としてはやや高めのであり、ふっくらとしてはいるが、太りすぎということはなくスタイルは良い。姿勢もしぐさも深窓の令嬢だけのことはあって優雅で、背まで伸びた柔らかい黒髪に彩られた顔は、少し垂れた目と相まって優し気で美しい。

 翔太は彼女を日本に伴って大きな料理店を経営する両親に会わせた。1年前のその時点で、北京からは車で天津行き、そこから週に一便の定期貨客船使うのが普通であったが、これは全部で3日の行程である。この船は、彼らが日本に行った時には、楽々船室が取れたが、時震後2年を過ぎた今では、毎日出ているこの船の日本から天津便は常時満席で、反対もしばしば満席である。

 これは、日本に居住する中国人が、明の求めと先に帰った人々の求めに応じて続々と『帰国』しており、最終的には、帰国者総数は今後1年以内に30万人を超えると見られている。
 現在、北京、南京郊外には飛行場の建設が行われており、これが完成すると北京から3日、南京から4日を要する日本への旅程も数時間になることになる。ただ、明の場合には日本までは、所詮3日から4日の行程なので飛行場建設のモチベーションはやや低く、完成までにはなお1年を要する予定である。

 可静は、日本への旅に大興奮だった。天津までの120kmの乗用車の旅は、翔太がそれまでにしばしば乗用車に乗せていたのでそれほどでもなかったが、白く塗られた排水量15000トンの貨客船を見て興奮し、乗り込んで興奮した。2人部屋でベッド2つの特等船室は、豪奢な家に住んでいた彼女にとっては逆に狭い部屋を効率的に使っている点に驚いた。なにしろ、この時代には水道・電気すらないのだ。

 しかし、彼女の真の興奮は日本の神戸に着いてからであった。神戸で船をおりて、出迎えた翔太の姉が乗用車で高速道路を通って宝塚の実家に送る間、終始窓から外を見て感嘆していた。やはり巨大な神戸港、ビルの間を空中で縫って走る高速道路、巨大なビル群、タワー、タンク群、工場街と通って郊外の住宅地の自宅に着く。

 翔太の両親の料理店は会社組織になっており、神戸中心部の料理店と自宅は別になっている。おしとやかで優しい可静は、翔太の両親と姉に大いに気に入られた。翔太の自宅での2日間は可静にとっても、翔太の両親にとっても楽しい2日間になった。結婚式は、その後北京で行われたが両親と姉夫婦も出席している。

 翔太新夫婦の最初の新居は広い梁家の持ち家であったので、2人の家政婦を置いていた。だが、彼らは半年前に日本からの帰国者向けの新築住宅に引っ越している。この住宅は翔太の会社が手掛けたもので、21世紀風の設備を備えた庭付きの150㎡ほどの家である。

 これは21世紀の文明になじんだものが、水道、ガス、電気や水洗トイレもない家に住むことはできないということで、日本からの帰国者向けの分譲住宅である。可静は、ここでは使用人を使うことなく翔太と2人で暮らすと言い始めた。翔太は、お嬢様育ちの彼女に一人で家事が出来るかと危ぶんだ。

 しかし、彼女は言った。
「大丈夫よ、だって、水道も電気も来ていて、ガスレンジ・洗濯機・掃除機もあるのよ。料理は、趣味でやっていたし、随分レシピも手に入れたし、材料もあなたの会社でやっている日式スーパ―マーケットで買えるわ。あなたのお姉様なんかは仕事をしながらお子様を育てているのでしょう?」

「ああ、だけど、姉の由紀は子供のころからそうしつけられていたからね。母も自分でやっていたし、可静はそうではないだろう?」

「すこしは失敗して貴方に迷惑をかけるかもしれないけど、やらしてほしいわ。2軒隣にあなたの会社の陳さんがいるから、いざというときは、助けをお願いするから。陳さんも何時でも助けると言ってくれています」
 エプロンをして、身長180cmの彼を見あげて言う彼女に翔太が勝てる訳がない。

 その後、2人きりの生活に入ったが、自宅に帰った時何回か失敗して焦がした臭いなどがしたが、概ねは問題なく生活できており、彼女は生き生きしている。

「私は、お嬢様と言われて育ちました。もちろん、教育は受けましたし、上流階級としてしての教養やしぐさも身に着けました。だけど、私は常々誰かよい人に巡り合って子を産むことが幸せと言われてきました。つまり私は嫁いで子を産むことだけが役割りだということを言われてきたのよ。
 いとこの美麗ちゃんは、それに反発して自分で商売をやると言っていますし、その能力もあると思います。だけど、彼女は出来ても私には同じようにはできないと思ますが、私には私に向いた能力があります。私は、自分の家庭を使用人でなく私が動いて作っていきたいと思うのです。だから、掃除も洗濯も食事の用意も、そしてあなたの世話も全て自分でしたい。そのことで、貴方を幸せにしたい」
 拳を握りしめて言う彼女を翔太は思わず抱きしめたものだった。

 ちなみに、明の開発は急速に進んでいる。何と言っても、全員が明に帰国する訳でないが、中国国籍70万人という人材の厚みが欧州などとは桁違いである。その内で、商売や事業を目論んで『帰国』したものが、現時点ですでに15万人を超えている。さらに、明帝国は7千万の人口を抱える文字通り世界一の大国である。

 これら帰国者は、規模の大小はあるが、多くの場合にグループを組んで日本から事業や商売に必要な機材を持ち込んでいる。彼らは明の全土で、農業、工業、資源採取、数々の商売や食堂やホテルの経営を始めている。一方で、明帝国政府として、世界開発銀行からすでに多大な借款をして、大規模開発を行っている。

 無論その前提として、世界開発銀行のガイドラインに沿って明帝国経済成長政策を策定されており、その中のインフラ・資源開発計画が現在優先的に実施されていることになる。インフラとしては、まず交通網の一環といて最優先の道路網として南京、北京、上海、天津、広州、杭州、開封等を結ぶ4車線の道路を建設されている。

 その結果、上海~南京、天津~北京の道路はすでに完成しているので、両港の港湾設備の完成と共に南京と北京の流通は完成している。この時代、南京、北京に加え、広州、杭州、開封などが大きな都市であるが、最大の人口の南京ですら100万人に満たず、北京が未だ20万に満たない等都市人口はそれほど大きくない。

 だから、鉄道も計画はされたが、広大な国土と集中に乏しい人口を考えて当面建設開始は凍結している。しかしそのために多数の車両と多量の燃料油が必要になるが、日本の中古車を数多く輸入して使うことと、山東省の勝利油田はすでに開発されて燃料油を賄うことにしている。このための石油精製工場は日本から中古の工場設備を移設することですでに完成して供給が始まっている。

 また、自家消費用に勝利油田の石油他に燃料と製鉄のための山東省の石炭、また日本から要求されているレアアース、タングステンなどの採掘を始めている。後者については日本も自らが必要なので、日本資本で会社を立ち上げてすでに採掘を始めており、日本に送られている。これらは、リンやカリウムなど肥料鉱物の開発と同じパターンである。

     ―*-*-*-*-*-*-
 明の10代皇帝である孝宗弘治帝は、宰相の徐結妙と忠臣の朱源勝それに日本から帰国者である宋将軍といつもの皇帝の私室で協議している。

「うむ。宋よ、現在のところ日本から帰って来た者達の数はもはや15万人にのぼるという。豊かな日本に比べると我が明はまだ遥かに貧しいが、なにゆえにそれほど多数のものが帰って来るのか?」
 皇帝が宋将軍に聞く。

「はい、陛下。日本にいる者の多くは、貧しさから逃れようと本国よりは稼げる日本に渡った者達です。そして基本的に、彼らは長期日本に滞在することは許されていません。また、稼ぐと言っても本国に比べればより多く稼ぎますが、日本人に比べると低い賃金で働いています。また、扱いも外国人として2級市民としての扱いになります。
 とはいえ、彼らはこの時代の人々に比べれば、より良く教育を受けていますし、21世紀の常識を知っており、自動車の運転位はできる技能を持っています。一方で、明帝国の人口は7千万人であり、これは日本を除けば知られている国の中で最大のもので、最大の経済力を持っています。

 そして、時震の時点で日本にいた中国人は、日本という存在があり、日本がその技術を世界に広げようとしている今、一般に明の人々に比べて優れた能力を持っていると言っても良いと思います。そういうことで、この明においてよりチャンスがあると思って、人々は帰って来るのだと思っています。
 実際に、私自身がそう思って帰ってきたのです。そして、現実にこのようにして、皇帝陛下に直にお話が出来る立場になることができたわけですから、目論見通りと言って良いかと思っています」

「ふむ、宋将軍の言われる通りであろうな。実際に我が政府内にも日本からの帰国者として貴重な知識と技能を持った者が活躍しておる。そして、間違いなくそのような者達が様々な産物を作り出し、日本への輸出を始めて大きな稼ぎを挙げつつある。しかしながら、行儀のよいもののみではないようだの。
 現住の者を侮って騙し、乱暴するものや、約束した賃金を払わぬと言った訴えが多く寄せられておるし、多くはないが。銃器をもって民を害する者もおる。なかなか頭が痛いところだが、今のところ、益の方が多いように思う。しかし、宋将軍にも頼んでいるが、何らかの取り締まりを行う必要がある」
 宰相の徐結妙が宋に応じると宋が言葉を付け足す。

「はい、陛下と宰相閣下の御指示にて、現在警察組織を立ち上げようとしております。今までの軍事上の大きな問題は北の遊牧民でした。しかし、1年ほどの活動の結果、北の遊牧民で攻めてくる可能性のある者どもは、ほぼ駆逐し終わっております。その中で彼らも、わがランドクルーザ及びバイク隊に小銃及び手榴弾と無反動砲の組み合わせに敵しえないことは学んだようです。
 それに、実質的にその遠征に乗り出した兵は、2000名にしか過ぎません。ですから、北京総軍の15万人の兵は実質的に彼等遊牧民に備えてのものですから、今後は5万人ほど残せばよいと考えています。ですから、10万の兵は治安維持のための警察組織に回せばよいということ、再編成を策定中です」

「うむ、実際に宋将軍が編成したわずか2000名の遊撃軍が、あらゆる蛮人を蹴散らすとはな。我らが15万の軍団を備えても十分とは言えなかったのにな」
 朱源勝が慨嘆すると、宋が再度応じる。

「結局、騎馬の強さは早さなのです。実際に、100騎の騎馬は、弓をうまく避けさえすれば1万の兵を引きずり回すことも可能です。その騎馬が強さを失ったのは、主として銃や大砲という射程100mを超える投射兵器が出現したことによります。
 さらには、我らは相当な荒れ地でも走れる馬より早い車両を駆使して、速さという彼らの長所を消すこともできています。また、我々の部隊は車両を盾に10倍以上の騎馬でも全滅させることもできます。こちらから攻め込み、戦場を選べる限りにおいて、彼らが数千以上の軍団を催すことはありませんから、輜重も入れて2千の部隊で十分に敵の領域に踏み込めたという訳です」

「ただ、その我らの強さも、遊牧民が我らと同じ、車両と武器を持たないという条件に限ってであるがな」
 口を挟んだ宰相の言葉に、宋がさらに答える。

「おっしゃる通りです。しかしながら、我々の持つ兵器と車両を所有するには工業基盤が必要です。わが明帝国は、すでに初歩的ですが化学工業の基盤を整え、石油精製、石炭のコークス化を行って、これらも原料にした窒素肥料を含む生産に入っています。これは、まさに日本に居住していた同胞の働きによるものです。
 このなかで、火薬の合成も行っていますので、銃器、弾薬、銃砲弾の生産も開始しています。車両については、エンジンは初歩的なものは生産を始めましたが、残念ながら未だ大量生産には遠い道のりです。しかし、日本以外でここまで到達している国は我が国のみであり、あの欧州でもまだ出来ていません。
 確かに遊牧民の者達でも、日本から彼らの国に帰っている者はいますが、わが同胞に比べると哀れなほどに少数です。だから、我が明帝国で作り上げた工業基盤を彼らが作り出すことは、今後数十年間はあり得ないでしょう。もちろん、定常的に監視は必要ですが」

「ふむ、なるほどわかった。それにしても、今我々の作りだしている兵器は、あの日本の物に比べてどれほどの差があるのかな?」
 宰相が聞くのに、再び宋が答える。

「火薬の性能に大差はありませんので、小火器の性能に大差はないでしょうが、問題はミサイルを含めた長距離兵器と戦闘用の航空機です。ミサイルはそれほどでもありませんが、彼らの水準の戦闘用の航空機を我々が作り出すのは多分50年から100年はかかるでしょう だから、軍事的に日本に対抗するのは2世代以上たってからで、当分は無理です」
 宋の言葉にしばらく沈黙が落ちた。

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