疾風バタフライ

霜月かずひこ

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第5話

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「ここらへんでいいですわ」



 古びた体育倉庫に俺を連れ込むと、今宮は俺を掴んでいた手を離した。



「――っいててて」



 乱暴なんだよな、全く。

 中には使われなくなった道具が散乱していて、とても埃っぽい。

 密室に女の子と二人きりなんて京介なら喜びそうなシチュエーションだが、こんなんではムードもへったくれもない。

 それにしてもなんで空いてるんですかね?

 訝しむ俺に今宮はポケットから鍵を取り出して見せつけてくる。



「ちゃんと許可は得ていますわ。安心してくださいまし」



 なるほど、どうやら前もって開けておいたらしい。

 よほど他の人に聞かれたくない話でもするのだろうか。

 それともここで俺を処刑してえのか。

 どっちにしろ嫌な予感がすんだよな。



「単刀直入に聞きますわ、あなた寧々とどういう関係で?」

「えっと質問の意味がわからないんですが……」



 予想していた内容とあまりにもかけ離れていたので、つい敬語で聞き返してしまった。しかしそれがよくなかったのか、今宮は女の子がしてはいけない形相で詰め寄って来る。



「だ、か、ら! 寧々とどういう関係だって聞いてんですのよ。このスケコマシ!」

「す、すけ?」

「そうですわ、まったく昨日から練習中に寧々と楽しそうにイチャイチャと」

「い、いやー別にイチャイチャなんて……」



 そもそも、いつだ?

 いつあいつと俺がイチャイチャしたことになってんだ?



「しらばっくれるのもたいがいにしなさいな。さっき水筒がどうって自慢してたのはどういうことですの?」



 やっぱり聞かれてたー!

 ていうか思いっきり気にしてんじゃねえか!

 死ぬほど恥ずかしいけど、なんとか誤解を解かなければ!



「そ、それはだな、朝倉が俺の水筒を勝手に飲んだってだけで」

「間接キス⁉ 間接キスまで」

「だぁもう! 間接なんてしてねえよ! まだ俺が飲んでなかったお茶を朝倉が飲み干したってだけだ。ついでに言えば俺は朝倉に興味はねえ!」



 たまらず声を荒げてしまった。

 誰があんな性悪女を好きになるかよ。

 俺の理想は凛としてる大人びた女性だっつーの。

 ……まぁ、それはたった今崩れ去ったけど。



「本当に?」

「ああ、本当だって」

「ふん、まあいいですわ。信じましょう」

「そうかい、よかっ――」

「だったら今すぐ卓球部をやめてくださいまし」

「え?」



 一瞬、幻聴が聞こえたのだと思った。

 まさかそんなことを言われるとは全く考えていなかったから。

 しかし、彼女の様子からして、すぐに現実だと理解させられた。



「卓球部をやめろといったのですわ。やる気もない、かといって寧々のために貢献しようとする気概も感じられない。そんな人にいられても不愉快ですもの」

「っ!」



 あからさまな罵倒に少しイラっとしたが、確かに、今宮の言葉は的を得ている。

 俺は朝倉に押し切られる形で入部したが、それを知らない今宮が俺に対してそう思うのもよくわかる。

 よく考えなくともこないだの練習での俺の言動はとても褒められたものじゃなかったからな。



「……すまねえ。悪かったよ。俺としては別にいいぜ。やりたくてやってるわけじゃあねえし」

「だ、か、ら! そういう所が気にくわないんですの! あなただって寧々がそれを許さないのくらいわかっているでしょう? なのにどうしてあなたはそんな態度なんですの? せめて私が納得する理由を話してくださいましっ!」



 ――今宮は真剣だった。

 その目が真実を話せと俺に強く訴えかけている。

 別にだからといって馬鹿正直に付き合う必要はない。

 適当に嘘をついて誤魔化せばいいだけのことだ。

 だがそれをしたら最後、今宮は決して俺を仲間だと認めてはくれないだろう。

 …………さすがにもう潮時か。

 俺は深く深呼吸をした後、今まで隠してきた秘密を明かした。



「…………あーその……イップスなんだよ俺」

「――イップスってあの?」



 恐る恐る確認するような今宮にきっぱりと答える。



「ああ、そのイップスだ」



 イップス。

 精神的な原因などによって、思い通りの動きができなくなる症状を指す。

 俺の場合、勝てないことから生じる焦りと周りからの期待に苦しんでいた矢先に中学最後の公式戦で屈辱的な敗北をしたことをきっかけとしてイップスになった。

 そしてそれ以降、ずっと本来の調子を取り戻せずにいる。

 特に――



「得意だったサーブはまず打てねえ。入るとしても30球に1球ってところだな。それに加えてドライブも死んじまってるときた。もうまともに卓球なんてできねえんだよ」

「――そう……だったんですの」



 理由が理由だけに申し訳なさそうに顔を下げる今宮。

 こういうのが嫌だから、話したくなかったんだよな。 

 俺としては重い空気になるのだけは避けたかった。



「ま、別にどうってことねえよ。できたところで万年県大会止まりだったからな。そんな俺がイップスだっていうのもおこがましいんだけどよ」

「だからあなたは………………なら私もあなたに言わなければなりませんわね」



 しかしそんな俺に対し、今宮はいつにない真剣さで正視してくる。

 あまり力強さに俺は思わずうろたえてしまう。

 そのわずかな空白の後、俺よりも先に今宮が口を開いた。



「――私、寧々のことが好きなんですの。……それも恋愛対象として」

「っ!?」 



 平静を装ってはいるが、今宮の声は震えていた。

 言葉にするのに相当の葛藤があったのだろう。 

 付き合いが浅い俺でもそれがわかってしまうほどだ。

 俺は居た堪れなくなって問いを投げかける。



「……おい、そんな大事な秘密、俺なんかに話していいのか?」

「あなただって秘密を打ち明けたのだから私も言わなければフェアじゃないでしょう?」

「だからって俺のはいずれ知られることだったし、今宮が言う必要は……」

「あなたが良くても私が気に食わないんですわ、そういうの! 別にこれは私の自己満ですから気にしなくてくださいまし。……やっぱりこういうの迷惑でした?」

「いいや、全然構わねえけどよ」



 手を振って否定して見せると、今宮は表情を少しだけ柔らかくした。

 

「そう。多少の反発はあると思ってましたから拍子抜けですわ」

「俺バカだからな、そんなことまで考えねえよ。ともかくこれでお互いチャラな。今後は変な気遣いはなしだぜ」

「ええ、それはもちろん」



 今宮は強い奴だと思う。

 最近そういう恋愛に対する理解は広まりつつあるが、それでも現実はきびしいものだ。それをよく知りもしない男に言うなんて本当ならしたくなかったはずだ。

 トラウマを恐れて言い出せなかった俺よりもずっと男らしい。

 ……なんか自分で言ってて情けねえな。



「せっかくですし聞いてくれませんか? 私と寧々のことについて」

「ああ、いいぜ」



 俺だって言ったしな。

 ここで聞かないのはフェアじゃねえ。

 ただそれ以上に彼女たちの過去が気になるというのもある。

 俺は大人しく今宮の話を待った。



「私が寧々と初めて出会ったのは小学校5年生の秋にあった大会でしたわ」

「へえ、もっと早くから出会ってたと思ってたわ」



 お互い幼い頃からやっている同士、大会で対戦する機会は多かったはず。

 ましてや、全国区クラスとなればなおさらだ。



「まあそうですわね、私はどちらかというと遅咲きでしたから。今はこうでも寧々と出会うまでは実力は地区レベルでしたのよ」



 意外だった。

 中学時代の強さを知っているだけに自然と昔からそうだとばかり。

 天才と呼ばれる連中でもそういう時期があるとは。

 驚きを隠せない俺に対し、今宮は懐かしむように言葉を紡いでいく。



「だからそんな私が小さい頃から神童と呼ばれていた天才の寧々と対戦できるなんて夢みたいでした」



 しかし彼女たちの初対決は周囲の予想に反してフルセットにもつれ込む大接戦となった。もちろん、勝ったのは朝倉だったがそれを機に今宮も全国区の選手へと成長していったらしい。



「それからは対戦する機会も増えてどんどん仲良くなっていきましたわ。二人で遊びに行ったり、好きになるのに時間はかからなかった。全国の決勝で戦った時なんかは本当に幸せで、これからもずっとそれが続くと思ってたんですの」

「……でもそんな時に事件が起こったんだな?」

「あら? ご存知でしたのね?」

「まあ、有名だからな」



 中学2年の2月、朝倉は利き腕の左腕を故障した。練習が終わった後、グランドで活動していた野球部から飛んできた鋭い打球が肘に衝突したと聞く。ただでさえオーバーワークで故障していたのにさらに悪化。完治する見込みは薄く、また治療にはかなりの時間が必要だったらしい。いくら朝倉が天才だとはいっても、何年も練習しないで頂点に立てるほど卓球は甘くない。その怪我は朝倉にとって選手生命の死を意味していた。



「寧々が怪我したと聞いて私もちょっとしたスランプに陥ってましたの。あなたには及ばないでしょうけど」



 事実、今宮はその年の全中ではベスト4。

 俺からしたら十分な成績だが、前年の圧倒的な力と比べると確かに不調と言えるかもしれない。対等なライバルの不在がかえってスランプを引き起こすこともあるのだろう。



「けど寧々はまた戻ってきた」



 そう朝倉は戻ってきた。右利きに転向することによって。

 かつて左利きから右利きに矯正しようとした経験が役に立ったとインタビュー記事では語っていたが、その裏には血のにじむような努力があったに違いない。

 そして朝倉は怪我から数か月後には大会に出場し、ベスト16に入るという漫画の主人公みたいな成績を残した。



「すげえ奴だよな、あんなに腹黒いのに」

「ええ、それで一層好きに……って腹黒い?」

「い、いえ何でもないです」



 つい漏れそうになった本音を慌てて引っ込める。

 危ない、危ない。

 次はないと目が語っていた。



「そもそも、この学校に来たのだって寧々がきっかけなんですわよ」

「あーそういやこの前もそう言ってたな」



 あの時は完全に意味不明☆だったが今なら理解できる。

 いや、そんな不純な動機で学校を選ぶのはどうかとも思うが。



「……それなのに見知らぬ男と仲良くしてるから嫉妬してしまって」

「あいつのはただ俺をからかってるだけじゃねえの?」

「じゃあそんな仲良くもない人相手にからかったりします?」

「言われてみれば確かにな。……つまり俺はあいつに好かれてるって痛!?」



 強烈なボディブローが直撃。



「どう考えたらそんなお花畑な答えにたどり着くのか、ぜひ教えてもらいたいですわね」

「……す、すいませんでした」



 くそ痛え、やっぱこいつゴリラの子孫だろ。

 殴られたわき腹をさすっていると、5時間目の開始を告げるチャイムが聞こえてきた。



「やべっ、もうこんな時間かよ、俺行くわ」

「待ちなさい! 話はまだ終わってませんわ」



 体育倉庫から出ていこうとする俺を今宮が引き留める。



「なんだよ、話って授業遅れちまうぞ」

「あなた大会はどうする気ですの」

「大会?」

「インターハイ予選もうすぐですわよ」

「あっ」



 そういえばそうだった。

 地区予選は4月の下旬に行われる。

  暦の関係で一週間遅くなったがシングルスは来週末。

 だからぎりぎり出ることは出来るはずだ。 



「だけど俺出る気ねえぞ。今のままじゃ地区予選だって1回戦敗退が良いところだぜ?」

「それでも私は出た方がいいと思いますわ。試合で治るということもあるでしょうし、それにあなただってイップスは治したいでしょう?」



 確かに今宮の言うことにも一理あるかもしれない。

 俺だって治せるのなら治してえ。

 

「…………わかった。形だけでも出るか」

「いい返事ですわ。よし、さっそく出かけますわよ」

「おいおい。出かけるって今からか? お前学校はどうすんだよ?」

「適当に体調不良を訴えて早退しますわ」



 暗にサボると宣言する今宮に躊躇など微塵もない。

 かえって清々しくすら感じるまである。

 って呑気に感心してる場合じゃねえだろ!



「いやいやいやいや授業は? ただでさえ現在進行形ですっぽかしてんのに」

「授業を2つくらいサボったって何とでもなりますわよ、それにこういうの一度やってみたかったんですの。……相手が寧々だったら文句はないんですけどね」



 少しだけ照れた様子で話す今宮は普通の女の子のようで可愛らしかった。

 ……ほんと、最後の一言がなければ完璧だったのにな。



「では鍵を返してくるので私はこれで。あなたは先に早退して待っててくださいまし」

「おう」



 さすがに同時に仮病は怪しまれるので時間差で行くとのこと。

 どっちにしたって変わらないとは思うが、逆らうと後が怖い。

 俺は大人しく今宮の指示に従って、保健室へと向かった。 
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