そして夜は華散らす

緑谷

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弐章

其の四

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 最近わかったことがある。

 終宵よすがらは小夜音が「寂しい」というと、どうにも強く断れなくなるようだ。小夜音はそれを無邪気に喜び、児戯に夢中になる子ども同様、底なしに終宵を求めた。終宵は依然、自分から小夜音に触れようとはしなかったが、小夜音にはもはやそんなことはどうでもよかった。

 これでもう、終宵は小夜音のモノなのだ。小夜音を拒絶することも、小夜音を受け入れないことも、選択肢として用意されていない。なぜなら小夜音は終宵の主人こいびとなのだから。

 気が向けば、小夜音は終宵の首の鎖を引き、腕を戒め、褥での逢瀬を貪欲に重ねた。終宵も小夜音を受け入れてくれている。そうでなければならないから、当然といえば当然なのだが。小夜音はやっと手に入れた美しい生き物を、まんべんなく愛で、施しを与えた。

 ひとつ気になることといえば、小夜音の用意した“籠”を、あれ以降使ってくれないことだったが――逆にそれは小夜音の求めに応じている証でもある。

 つまり、小夜音以外の誰かを見、誰かに触れていないということ。ゆえに小夜音は、自由に使っていいと再度伝え、終宵を愛でることに没頭した。


 終宵を手に入れてから、一か月。季節は春から初夏に差し掛かろうとしていた。庭に植えられた木々も若葉の緑に透き通り、午後の金色の光を跳ね返して鮮やかに揺れている。

 父はこれから三日間、第八階層へ出張なのだという。支度を終え、口髭の角度を気にしていた父が小夜音を呼び、お茶の時間を共有しているところであった。

 終宵は小夜音の隣、椅子の背もたれに腰掛けて目を閉じている。小夜音はお気に入りの小花の茶碗を両手で包んで、父の仕事の愚痴や自慢を笑顔で聞いていた。

 傍らには外国製の旅行鞄。洋装の上着は父の使用人が腕にかけている。新しく入った使用人が、先ほどお茶をこぼしてしまったから、しぶしぶ新しいのに交換をしていた。

「そういえば、このあたりでも殺人があったそうだぞ。最近多いなあ」

 世間話にしてはあまりに物騒な話題だ。むろん、小夜音にはもう父が何を言いたいのかわかっている。

「まあ……怖いわ。お父様はこれからお出かけなさるのに、大丈夫ですの?」
「私のことはいいんだよ。護衛はもう別に雇ってあるからね、何も心配しなくていい」

 父は髭の角度を調整しながら、顔をしかめてみせた。少し窮屈そうだ。また太ったのかもしれない。

「それよりも小夜音。お前はあまり外を出歩くことはやめなさいね。外を出歩く稽古の予定は外しておいたから」

 ほら、きた。小夜音は内心で嘆息し、お茶を一口含んで飲む。
 結局のところ、父は小夜音を心配したがっているだけなのだ。以前はそれも嬉しかったが、最近は少しばかりそれが鬱陶しい。

「もう……お父様ったらそればっかり。わたくしは大丈夫ですのに、ね、終宵さま」

 肩越しに振り向いて見上げるも、終宵は黙ったまま微笑むばかりである。

 父の前にいるときの彼はいつもこうだ。契約とはいえ、それが小夜音には寂しくもある。だが、逆にこうして父からの言いつけを守ることで、小夜音が怒られないようにしてくれているのだろう。小夜音は、終宵のこいびと、だから。

 思わず笑みがこぼれる小夜音に、父の眉間に盛大にしわが寄った。

「……世見坂中尉」

「元、ですよ、暮殿。何でしょう」
「そ、そんなことはどうでもいいんですよっ」

 責めるような、咎めるような父の眼差しにも動じず、夜更けの笑みで終宵は応える。父はしどろもどろになりながら、咳ばらいをして言葉を続ける。

「いいですか、小夜音は私のかわいい一人娘。もしも小夜音に何かあったら……そう! たとえば不純異性交遊とか、それに近しいこととか……も、もしそんなことがあれば、ちょっと、ほら、ね、しかるべき対策をせねばなりませんから、ね」

 自分で言って想像して動揺しているのだろう。父が持っている蒼い陶器の茶碗が、否、父の手がガタガタと震えている。よく見れば冷や汗もすごい。

「お父様ったら、疑いすぎですわ。終宵さまはそんなかたじゃありません」
「ああいや、その、小夜音、まあね、うん、わかる、わかるよ」

 父は使用人からはんけちを受け取り、滝のような汗をぬぐった。それからふうと一息ついて、表情を改める。
「ともあれ、私が出張している間は変なことをしないように。警察にも話を通しておいたからね。では世見坂中尉、あとは任せましたよ」

 終宵は答えず、静かに笑むだけだった。

「旦那様、お時間です」

 使用人の言葉に、父はあわただしく立ち上がる。玄関まで見送りに立つ小夜音の一歩後ろを、終宵が危なげない足取りで続いた。

 両開きの扉を開いた先には、見覚えのある制服の男がひとり立っている。背は高い。父よりも高い。ひょっとしたら終宵よりも高いかもしれない。父は背中を丸める男に早口で何やらを伝えると、門前に停めていた馬車に乗り込んだ。

 開いたままの扉から、制服の男が入ってくる。小夜音は思わず後ろにいる終宵と、若い警察官を見比べた。

 やはりとても背が大きい。痩せてひょろりとした印象を受けるが、それは手足が長いからか。よく見れば体格はしっかりとしている。右の目元にほくろがあった。優し気な垂れ目の甘い顔立ちで、女の子が騒ぎそうな外見である。帽子から覗く髪は茶色っぽいが、おそらく地毛なのだろう。へらへらとした笑顔がいかにも女慣れしていて軽薄そうだった。

 黒い詰襟に金のぼたんがついている。よく詰所などで見かける一般的な制服だ。肩章はついていない。袖には目にも鮮やかな翡翠の縁取りが二本ある。腰には細身の洋刀と銃。帽子の額のところには、葦葉と陽光を花のように組み合わせた地光紋ちこうもん――警察の印が誇らしげに掲げられていた。

 翡翠の色は、この国の名前である葦原国あしはらのくにを示し、転じて葦原国を守る軍や警官、役人などが身につける色でもある……と、以前学校で教わった。終宵の外套は軍にいたころのものらしいから、翡翠色を惜しげもなく使われているのだろう。

「こんにちは、お嬢さん。俺、一日ひとひっていいます。よろしくどうぞ」

 小夜音は軽薄でおしゃべりな男は好きではない。愛想笑いを浮かべて軽く会釈し、

「護衛がおりますので、わたくしのことはお構いなく」

 と小さく言うにとどめた。

「護衛かあ、そりゃ心強い。そこにいる御仁っすかね?」

 妙に砕けた軽い口調で、警官は小夜音の背後へ視線を投げる。それから目を丸くして、あれ、と小さく声を上げた。

「あんた確か、第六階層の事件現場で会った御仁じゃないすか!」 
「その声は……警官の?」

 どうやらふたりは知り合いらしい。小夜音は、自分の知らないことがある事実にムッとした。

 一日が近寄るよりも先に終宵よすがらのところへ足を向け、隣に立って裾を握る。終宵は特に何かを気にするようなこともなく、静かに笑みをたたえて警官と向き合っていた。

「そうっすよ、第六階層で会った新人です。よろしく、旦那」

 警官は軽く帽子を持ち上げて挨拶すると、外を見やって言葉を続ける。

「最近どこの階層も物騒なもんで、警察もあちこち出動してるんすよね。先輩も何人か来てるんすけど、自分は新人なもんで。ま、使いっぱしりのおまけみたいなもんです」

「そうか。新人はどこでも大変なのだな。君もほどほどに頑張るとよい」

 苦笑して肩をすくめる青年に、終宵が笑みを深くする。小夜音はそれも気に入らず、終宵の右腕に自分の腕を巻き付けてくっついた。

 引き剥がそうとしているのか、終宵が小夜音に左手を伸べる。と同時に、庭のほうから誰かを呼ばわる男の怒鳴り声が飛び込んできた。

 警官がそちらへ視線を向け、頭をかいて「やべ、先輩だ」と独り言ちる。

「それじゃあ、また。怪しいやつを見たら、最寄の詰所に連絡してください」

 差し出された名刺を受け取り、小夜音は再び愛想笑いで会釈を返す。大股で出ていく警官の背をにらんで見送り、門を出たあたりですぐに扉を閉めさせた。

 気に入らない。気に入らない。許せない。小夜音は不機嫌のままに終宵の首の鎖を引く。急なことで体勢を崩し、絨毯へと膝をつく終宵を見下ろした。

「終宵さま。あなたはわたくしのモノなんですから、わたくしがいいと言った人以外としゃべるのはやめてくださいまし」

 小夜音だけのモノが、小夜音以外に優しい顔をするのは我慢ならない。許せない。小夜音のモノになったのだから、小夜音がまず一番最初に優先されるべきなのに。

 座り込んだままの終宵が、目を伏せ小さく息を吐く。それから困ったように笑って手をさまよわせ、小夜音の頭をぽんと撫でた。

「お嬢さん、寂しかったのですか。それは失礼しました」

 穏やかな夜半の笑み。たったそれだけのことでも、小夜音の単純な心臓は早鐘を打ち、全身が火照る。それがどうにも悔しくて、小夜音は唇を尖らせた。

「……わたくしのこと、子ども扱いしてらっしゃるでしょう」
「お嬢さんは子どもですよ。やつがれなどと比べれば、ね」

 これまでずっと同じ調子で、同じ微笑で語られる言葉は、どこか夜のひんやりと冷たい空気をまとっている。名前のとおり、まるで夜のようなひとだ。だから“狩り”のときは夜を選ぶのだろうか。だから声や仕草にも宵を感じるのだろうか。

 だから――もうすでに小夜音のモノだというのに、こいびとだというのに。こんなにも不安になるのだろうか。

 小夜音は終宵の整った横顔を黙って眺める。終宵は何も変わらないまま、ただひそと穏やかにそこにある。

 いいや、きっと気のせいだ。小夜音は胸中にある小さな違和に蓋をする。それから終宵の、骨ばった大きな手に自分の手を重ねた。小さく跳ねる手を握り、自分の温度と彼の温度が混じっていくほうへと意識を向ける。

 少なくとも今は、この綺麗な生き物は間違いなく小夜音のモノだ。寂しいと訴えれば撫でてくれる。優しく微笑んでくれる。触れれば反応を返してくれる。小夜音がこいびとにしているのだから、彼はそれ以外に成り得ない。それ以外のものになることは、決して許さない。

 小夜音は終宵の肩から滑り落ちる、青みを帯びた黒髪をつかまえる。指に絡めて唇をあて、呪詛のようにささやいた。

「あなたはわたくしのモノですわ、終宵さま」
 終宵はやはり、笑んだままで答えなかった。


 
 外に出る習い事はすべて取りやめになり、小夜音は終宵やたくさんの使用人たちとともに、屋敷で時間を過ごすこととなった。

 父が出張に出て二日目の夜。小夜音は早々に留守番に飽いていた――どころか、胸が焦げ付かんばかりの苛立ちと怒りで大いに荒れていた。

 小夜音の気に入っていた紅茶用の茶碗を、新入りの女使用人が割ったのだ。それだけではない。小夜音のモノだと知った上で、終宵よすがらに触れたのである。不注意でつまづいたとはいえ、たかが使用人が小夜音のモノに、それもお気に入りのモノに触るなんて言語道断である。

 この娘、歳が近いという理由で小夜音の身辺の世話をしていたが、仕事ができないくせに周りに媚びを売ることばかりがうまかった。

 それが小夜音はずっと気に入らなかった。かわいらしく謝って、おねがいすればいいと思っている。それが透けて見えるのがとにかく鼻につく娘だった。

 だが、もっとも許しがたい最大の理由は――娘が終宵の肌に触れ、髪に触れていたこと。これが小夜音の怒りの決定打となった。

 小夜音の一番のお気に入りに手を触れようなんて、なんとおこがましい娘なのだろう。ましてや小夜音ですらめったに触れさせてもらえないというのに、主を差し置いて何てことを!

 面白くないといえば、あの新入りの少年もそうだ。隙あらばじろじろと無遠慮に終宵を眺め、小夜音のいないところで勝手に話をしていることもある。まるで一番最初に彼に“食わせた”男のようではないか。このままではあの少年も、またあの男のようになるかもしれない。

 そんなことは許せない。許されない。彼が美しくあるために、こうして気を配り手入れし余すことなく愛でているのに、使用人たちは何もわかっていない。終宵は小夜音のモノ、その意味をちょっと考えればすぐにわかるはずなのに。

 小夜音はただ、美しいものがもっと美しくあれるよう、手元に置いて世話していたいだけなのに。無遠慮でどうしようもない有象無象どもが、小夜音をことごとく邪魔しにくる。ああ、本当に腹立たしい!

 小夜音は綺麗に磨かれた爪を噛み、いらいらと周囲を見回した。終宵は少し離れた壁際に座り、静かに目を閉じている。使用人が窓掛を引く、硝子の向こう側は昼の残り香と夜の気配が溶け合い、絡まり、紺紫に染まりつつあった。外に人の気配はない。ただ、夜とともにやってくる静寂が打ち寄せるばかり。

 そもそもこの辺りは、私有地を広く持つ貴族が多く、門外の喧騒はほとんど聞こえないようになっている。ゆえに今この広い館には、小夜音と、たくさんの有象無象たちと、小夜音のお気に入りの美しい獣しかいない。

 ――そう、今ここには、それだけしかいない。

 小夜音は唐突に気づいた事実に面を上げた。窓の外、ひたひたと夜が、静けさが満ちてくる。人の気配を拭い去りながら。夜が来る。彼を初めて見たときと同じ、夜が。

 こちらから呼ばない限り、他の人間は誰も来ない、閉ざされた場所。異なる点を挙げるのならば、ここはもっとずっと広いし、もっとたくさんの“餌”がある。

 このささやかで、かつ素敵な思い付きは、小夜音の苛立ちを吹き飛ばすには十分すぎた。もしもこれを実行したなら、小夜音の苛立ちをぬぐいとるどころか、より近いところで終宵の一番美しいさまを見られるに違いない。

 そう考えた途端、小夜音はいてもたってもいられなくなった。そうと決まれば、すぐに準備が必要だ。
 ひとりで風呂に行く、と言いおいて、小夜音はうきうきと席を立つ。軽やかに廊下を駆け、弾む足取りで〝準備〟を始めた。

 この“籠”の中にいるモノは誰も、逃げることは許されない。出口という出口に鍵をかけ、手の届く窓という窓に施錠をする。目についた使用人たちへは「ご褒美がある」とささやきかけ、広間へと呼び寄せる。もちろん、あの娘や少年にも忘れずに。

 先ほどまでの苛立ちは、すっかりどこかへ吹き飛んでしまった。窓掛を閉める際にふと見上げた空には、偽物の月が浮かんでいる。蒼みを帯びた銀のそれは、これから始まる宴をあでやかに染めるだろう。

 小夜音は口元に笑みを乗せ、再び館の廊下を小走りで進んでいった。
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