そして夜は華散らす

緑谷

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参章

其の一

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※※ 死体の詳細な描写があります 苦手なかたはご注意ください ※※


 そうして、娘は死んでいた。


 第九階層・暮邸における殺人は、暮輝彦くれ・てるひこ氏の一人娘である小夜音さよねを含めた、二十人の犠牲者を出した。

 犯人は不明。凶器はおそらく刃物。暮氏は刀剣の収集もしてはいたし、現場にも数本西洋の刀が落ちてはいたものの、それらが凶器であるかと問われれば疑問である。

 館の扉は閉ざされていた。そして中にいた者たちはみな死亡し、目撃者は誰ひとり存在していない。周囲に聞き込みをしてはいるが、成果は芳しくない。いかんせん第九階層は住居の敷地が広く、隣の建物の異変を感知することが難しい立地であった。

「……ひどいな」

 東雲暁しののめ・さとる一等巡査は、現場の検証を行いながら眉を寄せる。豪奢な絨毯は赤黒く変色した血で染まり、踏みしめるだけで長い毛足から未だに血が湧き出てくる。

 濃い鉄錆の臭いが立ち込める中、新人が数人口を押えて外に逃げるのが見えた。まあ、こんな状況では無理もあるまい。

 東雲は小さく嘆息する。本来は第六階層の第二外殻が担当区域で、こんな凄惨な殺人事件などめったに起きないようなところである。彼らもつい数か月前に就任したばかりで、まさかこんな現場を目にするなんて思わなかったろう。東雲は内心で同情しながら、帽子のつばを持ち上げた。

 ここ最近、あちこちの階層で事件が多発している。そのせいか、違う場所に勤務する人員が応援として駆り出されていた。

 東雲たち第六階層第二外殻東方総合駐在所の面々も、他の警官たちの例に漏れず、小さな班に別れて各階層に派遣されている。空いた場所には、普段ならば決して降りてこない警察本部からが人材が派遣され、現状を維持していた。

 要するに、末端が危険なほうへ出向かされている状態なのだが――まあそれも仕方があるまい。治安維持を担当する警察のひとりとして所属する以上、誰かがそれをやらなければならないのだから。

 改めて意識を惨劇の舞台へ戻し、東雲は並べられた遺体をすべて検分する。館の主である暮氏に報告をしようとしたが、一人娘を失った彼の憔悴ぶりがあまりにも痛々しく、それもはばかられた。

「東雲先輩」

 と、よく響く声が背後から投げられ、東雲は肩越しに振り返る。館の別室の現場検証をしていた部下、一日白陽ひとひ・きよはる三等巡査が、大股にこちらへ向かってくる。身長がひときわ高いせいもあって、ひどく目立っていた。

「とんでもないっすよ。あっちこっち、出入り口になるとこ全部鍵かけられてます。それに電話線。廊下だけじゃなくて、この館のどこもかしこも切られてました」

 東雲は、眉間のしわをさらに深めた。

「……逃がさんように、か」
「この状況から考えると、その可能性が高いっすね」

 一日ひとひは疲れた様子で帽子を脱ぐと、茶色の髪をぐしゃぐしゃと指でかき混ぜた。整った甘い顔立ちも、今はどことなく憂いを帯びている。

「……こんなとこに閉じ込めて、逃げるのを追いかけて斬殺なんて。まるで遊んでるみたいに殺して……俺には、理解できねえっす」

 そうつぶやくと、一日は強く拳を握りしめた。

 普段はちゃらちゃらとふざけた態度が目につく男だが、こう見えて正義感が強く、熱い心を持っている。東雲は一日のそういう部分を高く買っていた。

「……同感だ」

 ゆえに、東雲もそれに同意する。それからうつむく彼の、力が入りすぎて震える腕をなだめるように叩いた。

「……すんません。ここのお嬢さんに、何かがあったら連絡しろって、連絡先渡してて。……もっと気を向けてやればよかった」

 暮氏より連絡を受け、一度挨拶に行ったときのことを言っているのだろう。遅れて出てきたのはそのためだったのか。

 こちらとて、一般市民からの要請を受けた以上、何もしていないわけではない。周辺の巡回を強化してはいたのだ。

 だが、事件は起きた。警察と言えど、緊急事態でなければ私有地に入ることはできない。ましてやこの館は密室だった。内部の人間による犯行ならば、通報がない限りは動くことができない。

 ――否。未然に事件を防げなければ、皆同じこと。東雲は緩やかに首を振り、

「それは我々も同じだ。もっと注意を向けていれば。……お前だけの責任ではない」

 静かに言葉を投げかける。一日は一瞬だけくしゃりと表情をゆがめたが、すぐに目をこすって頬を張った。

「……はい。すんません。……一刻も早く、犯人捕まえないと、っすね」

 そうだ。嘆いているだけでは何も解決しない。失態を犯したとしても、すぐに挽回するほうへと向かっていける。それがこの男の強みである。

 東雲もまたひとつ首肯し、すぐに意識を切り替える。

 遺体はすべて一様に、急所――喉首の太い血管を刃物で切り裂かれている。武器を握りしめて死んでいた者もいたというのに、すべて、すべからく、どんな例外もなく、である。

 小夜音もまた他と同じように、頸部の動脈を断ち切られて死んでいた。黒く波打つ豊かな髪の残骸が、赤にいくつも貼りついている。血が流れ切っているせいか、肌は蒼白でどこか作り物めいていた。首筋に刻まれた傷は大きく口を開き、赤黒い肉の断面を生々しく覗かせている。

 肉の断たれた面は滑らかで、不自然なほどに綺麗だった。非常に鋭利な刃物による一撃。致命傷であることは一目瞭然である。他の死体も同様だった。大多数は一太刀、多くても二度の斬撃でことが済んでいる。

 そこまで考えた東雲の脳裏に、ふと違和が芽生えた。この傷跡、どこかで見たことがある気がしたのだ。でも、どこで?

 しばし記憶を探り、よりはっきりと思い出す。そう、ここ二か月で起きた殺人の、被害者たちの傷だ。

 一月半ほど前に、第六階層で起きた殺人事件の被害者と、さらにその半月前、第一階層で死んだ娼婦。他にも何件か傷害事件や殺傷事件はあったが、彼らの傷はあまりにも綺麗すぎて、東雲も違和感を抱いていた。

 あまりにも似ていやしないか。ここに並べられた彼らのものと、記憶の中にあるそれらと。

「連続殺人事件……」
「え? 連続殺人って」

 東雲が思わずこぼした言葉に、一日ひとひが不審げな顔をする。

「そんなことを書き立てていた記者がいたことを思い出してな。もしかしたら、あながち間違いではないかもしれん」
「それって、どういうことっすか?」
「遺体の検証をしていて、気になっていたことがあってな。見ろ」

 痛ましげに眉を寄せつつも、一日は身をかがめて東雲の隣に陣取る。その傷口を示しながら、東雲は淡々と考察を重ねた。

「凶器はおそらく、非常に鋭利な刃物。それを用いて、犠牲者の急所……首、頸動脈を狙って的確に斬っている。ひとりの例外もなくだ」

 一日は小さく「そういえば、そうっすね」と肯定する。東雲はそれにうなずいて応え、考察を続ける。

「第六階層で起きた通り魔殺人と記者殺し。それからお前と行った第一階層の娼婦殺し。……被害者たちは皆、首の動脈を掻き切られて殺されていた」

 沈黙の向こう側で、せわしなく動く警官たちの足音が響いている。すすり泣いているのは暮氏だろうか。

「そのときの傷跡と、彼らの傷跡の形状。似ていないか?」

 一日は今一度並べられた遺体を眺めやり、困惑したような、少々ひきつったような表情で首を振った。

「い、いや、そこまで覚えてねえっすよ……ってか、なんでそこまでわかるんすか」

 まあ、それも当然と言えば当然か。東雲は軽く嘆息して帽子を直す。

「自分とて、確証を得たわけではない。ただそう思っただけだ」

 できることならば、それが同じものであるという確たる証拠を得たいところだが。この状態ではどこまで情報を拾い切れるかわからない。

 東雲たちをあざ笑うかのように、血の海はどこまでも続いている。東雲は再び視線を落とし、被害者たちの傷を観察する。

 固まった血で汚れてはいるが、滑らかな断面なのは目にしただけで分かる。こと、小夜音嬢の傷跡は、華奢な首の半ばにまで到達していた。相当刃が奥まで食い込んだのだろう。逆に言えば、それだけ刃が鋭く薄いということの証明でもある。

 それにしても、と東雲は思う。使用人たちの中には、武器を握っていた者もいた。おもに男たち、特に応接室で見かけた者たちは、燭台や洋刀を手に倒れていたのである。

 抵抗の意志を示す相手を一撃で仕留める難しさは、かつて戦に駆り出されたこともある東雲もよく知っている。特に敵意、殺意をあらわにした相手ならばなおさらだ。

 敵対の意志を持っている者を相手にして、たった一撃で殺すなど。――あのとき、自分にもその力があったなら。

「……犯人は相当な手練れだな」
「え? 何でですか?」

 薄暗く翳る過去に迷い込みかけていた東雲は、一日の声でふと我に返った。そうだ。今は過去に浸っている場合ではないのだ。

「ああ、いや……何でもない。あとで話す」

 そう答える東雲に、一日ひとひは何かを感じ取ったのだろうか。片眉を持ち上げ訝しげな顔をしたが、それ以上は追求してはこなかった。

「そうっすか……って、あれ、そういや……」

 と、突然短く声を上げ、きょろきょろと周囲を見回し始める。誰かを探すようなそぶりにつられて東雲も首を巡らせるが、部下と死体と暮氏以外には誰もいない。

「どうした?」
「いや……そういえば、護衛の旦那だけいないなと思って」

 予想もしないところから転がり込んできた情報に、東雲が目を剥く。

「なに? 護衛だと?」
「ああほら、第六階層の……って、そういや先輩見てないんだったな。記者殺しの前、通り魔事件の現場をうろついてた、長い髪の御仁っすよ。どうも腕が立つらしくて、ここのお嬢さんが雇ったって」
「何だと、本当か!?」
「ええ、お嬢さんの後ろに控えてましたから、間違いないかと」

 護衛の男。護衛というのならば、この家の娘にずっと付き従っていたはず。そして今その男はここにはいない。死体は二十、使用人と娘以外は存在しない。

 考えられることはふたつ。逃げ出してどこかに隠れているのか――あるいは、そいつ自体が犯人か。

 思わず身を乗り出した東雲に、一日が両手を突き出し待ったをかける。それから帽子を軽く持ち上げ、申し訳なさそうに続けた。

「あの御仁、目が見えないんすよ。手がかりにはならないかなあ……」

 盲目。ならば犯人を見た可能性も、犯人である可能性も必然的に低くなる。不自由な身体で逃げるのには限界があるし、逃げ惑う使用人を追って殺すことも難しい。殺されている可能性のほうがずっと高くなる。

 万が一生きていたとしても、犯人の特徴を聞き出すことは困難だろう。混乱の中で特定の声を聞き分けることなど、不可能に近い。

 東雲はわずかに肩を落とし、ふと引っかかりを覚えて顔を上げる。

「……目が見えないのに、その男、護衛を務めていたのか?」
「ええ。お嬢さんがずいぶん入れ込んでましたね。腰には刀もありましたし、ずいぶん使い込まれてましたよ」

 刀を持った、盲目の護衛。聞けば聞くほど想像ができない。武器の携帯には許可が必要になる。盲目ながらに武器を持ち、護衛などをしているとなると、相当の手練れなのだろう。しかし、果たして目が不自由なのに、自在に館を動き回ることが可能だろうか?

 いずれにせよ、話を聞いてみなければなるまい。……彼が生きていれば、の話だが。

「で、どういう人物だった?」
「えーっと……」

 一日はしばらくの間うなっていたが、頭をかいて肩をすくめた。

「あー、すんません。俺、女の子以外の顔ってあんま覚えてなくて」
「こんな状況でふざけてる場合か? 一日三等巡査」

 思わず後輩の胸倉をつかみ上げる東雲に、一日ひとひは両手を挙げて降参を示す。

「い、今思い出しますから、そんなカリカリしないでくださいよ!」

 普段のふざけた調子が戻ってきたようだ。内心で安堵しつつ、東雲は手を放して腕を組んだ。

「えーと、髪が長くて……そう、目が赤いんすよ。腰に刀提げてて、今どき流行らねえ着流しとか着てました。肩に外套羽織ってましたけど、あれは確か……軍の外套だったような?」

 一日が必死で特徴を並べ立てるのをしばし聞いていた東雲だったが、やがて頭の片隅にあったとある人物の特徴に合致し、息をのむ。

 紅い瞳の、刀を持った軍人。思い当たる人物がひとり、いた。八年前、軍に所属し前線にいたとき、遠目で一度だけ見たことがある。

 長い夜闇の髪を血風にあそばせ、こちらに向けた視線の、禍々しいまでの紅。その紅色がついと細まり、笑みの形を取ったことを、東雲は今でもはっきりと覚えていた。

「まさか……いや、そんなことは……」

 思わず漏れた東雲の台詞に、一日が今度は詰め寄った。

「先輩、心当たりとかあるんすか?」
「あ、ああ……自分が軍にいた頃に、ずいぶんと噂になっていた人がいたのだ。確か先だっての戦で身体的損傷が著しく、退役したと聞いているが……」

 敵陣で孤立し、毒の散布で視力を奪われ、さらに左足を切断されたという。かろうじて命を取り留めはしたものの、退役後は行方不明になっており、現在は生死不明とされていた。

 まさか。いや、そんな人物がここにいるわけがない。東雲は小さく首を振り、

「偶然にしてはできすぎている。ありえん」

 と会話を打ち切った。

「いずれにせよ、その護衛とやらを探し、話を聞きださねばならんな。一日、でかしたぞ」
「犠牲者が報われるってんなら、第一階層から第十八階層ぐらいまでなら、どこへだって行ってやりますよ」

 珍しく真面目な顔で言う後輩の肩を、東雲はぽんと叩いてねぎらう。

「期待しているぞ。……さあ、もう少し現場を調べよう。できる限り、遺されたものから情報を拾い出さねば」
「はい!」

 視線を交わし、うなずきあう。それからふたりは肩を並べ、再び惨劇の痕跡を調べ始めた。
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