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肆章
其の四
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*
腹の奥底から湧いていた衝動が一度引いたころ、世見坂は意識を失った。腕を戒められ暴行の痕を貼りつけた格好は、吐き気がするほど扇情的で、天明のどす黒い負の感情と嗜虐、そこに絡みつく歪んだ支配欲をわずかに満たした。
とはいえ、この胸中に巣食う憎しみと怒りは収まる気配を見せない。しばらくの間は、憂さ晴らしのはけ口になってもらおうではないか。
後始末を耀に任せ、自身はあらかじめ用意されていた風呂に入る。ああ、久方ぶりに気分がいい。こんなに気分がいいことなんて、いったいいつぶりのことだろう。
湯を浴びてから浴衣をまとい、天明は寝室に一番よい酒を持ち込んだ。机に安置された洋灯に触れると、中に置かれた燃料代わりの石が光を放つ。黒塗りの文机に置かれている、濡れた光沢を放つ硝子の器が透明な影を落とした。
腰を下ろし、天明はようやっと酒に口をつける。北雪京の酒造で作られた特別なものだ。冷で飲むのがまたうまい。口に含めば、清酒の甘さが舌と鼻を通り抜ける。後味もすっきりと切れがよく、果物のように香りながら喉へと流れ込んでいく。
味も舌触りも申し分ない。惜しむらくは、世見坂の鼻を麻痺させるために使った麝香の甘ったるいにおいが、まだ部屋に残っていることくらいだった。
特上の酒を楽しんでいると、薄衣だけをまとった耀が部屋に入り込んできた。後始末を終え、言いつけ通り風呂を済ませてきたらしい。手招きすればひとつ微笑み、使用人は情婦の顔になる。
美しいものはよい。それが己に従順ならばなおさらだ。細い腰を抱いて引き寄せれば、アレとは違う、柔らかい感触が肌になじむ。耀はくすりと笑って天明の膝に乗り上げ、徳利を手にして酌をする。
「旦那様、あの男とはいったいどんなご関係なのです?」
しばし酒と肌の味を楽しんでいた天明に、耀が無邪気に尋ねてきた。猪口を運ぶ手が止まるが、耀は勝気に笑んで言葉を続ける。
「親し気というよりは、ずいぶんと――怯えていらっしゃるようでしたから。少し気になってしまいまして」
普段の天明だったならば、苛立って思わず殴りつけていたかもしれないほど、無遠慮でぶしつけな質問である。しかし今は違う。憎んでいた相手を力でねじ伏せ、屈服させたという歪んだ優越感が、天明を常より寛容にしていた。
情婦の短い髪を撫で、天明は口の端を持ち上げ喉で笑う。
「ただの好奇心で知りたいというのか? まったく大した女だよ……まあいい。今は気分がいいから教えてやろう」
杯を置く。それと同時に、女はしなやかに天明の首へと腕を絡ませる。湯の気配をまとった女の肌は、男にとってすれば極上の馳走だった。
「八年前の侵略戦争のことは知っているな?」
「ええ。一か月だけでありながら、非常に激しい戦争だったと。……外套の色から察するに、あの男は旦那様の、軍における同期ですね?」
ずいぶんと察しのいい女だ。もっとも、そうでなければ、この天明浄楽の使用人になどするわけもない。天明は、褒める代わりに耀のはだけた胸元に顔を埋め、背を撫でた。もどかし気にくねる肢体、悩まし気な吐息に満足しつつ、座らせた耀の脚に指を添わせる。
「私はとある男の部下だったが、アレはその男が連れてきた、地上の出身者だ。ちょっと剣の腕が立つぐらいで、ろくに躾もされていない。そんな輩と同期だなど――虫唾が走る」
世見坂終宵を排そうとしたその最たる理由を、詳しく事情も知らぬ愚か者たちは、嫉妬だ恐れだと謗ることだろう。
だが、そんな底の浅い事情だけで行動するほど、天明浄楽は馬鹿ではない。軍の将来を想い、己だけでなく軍の将来を脅かされる前に、危険と断じたものを排除したがゆえである。
「今思えば、あの男は軍の基盤すら揺るがす危険思想に傾倒していたよ。狂人に刃物は持たせてはならない。私がそれに気が付かなければ、今頃ここにはいなかったろうよ」
独り言ちる天明の顔に手を這わせ、耀はおかしそうに笑った。
「旦那様がそこまでおっしゃるなんて。よっぽどとんでもない人だったのですね」
天明はふと、記憶の中にある上司を思い返す。中肉中背で目立たないくせに、物言いはずいぶんと辛辣で、他者を見下げていることを隠そうともしなかった。天明もずいぶんとその悪意の矛先を向けられたものだ。
「……ふん。あいつもアレも、ずいぶんと軍を引っ掻き回してくれたからな。あいつらは危険すぎた。私が手を打って排除したからこそ、軍は成り立っていると言ってもいい」
本来ならば表彰されてしかるべきことだろうが、天明はこうして今もそれを胸に留めたままでいる。そう語らう天明の頬を、情婦の指が艶やかになぞる。
「旦那様は、優秀なお人ですから」
耀は微笑みながら、乱れた天明の胸元を、布地越しの足の付け根を撫でてくる。それ以上は詮索するつもりもないのだろう。天明はそれに気を良くしながら、刺激に蕩けて上気し始めた女の柔肌を丹念に愛でた。
*
欲の名残と夜闇に浸る静かな部屋に、障子を通して灰色の光がにじんでいる。外国から仕入れた紙巻き煙草をくゆらせながら、天明は薄暗がりの奥にある、錠をおろしたふすまを眺めた。
世見坂を地上より連れてきた上司、入相深時元大尉は、危険な思想を持つ野心家であった。他国の力を借りなければ、互角に敵国と戦うことすらできぬ現状を憂いていた。そしてあの男は、己が軍の頂点に立ち、軍に改革をもたらそうとしたのである。
性別、立場、家柄、階層。そういったものを一切無視し、実力だけを見て優秀な人材を集め、軍の武力向上を図ろうとしていたのだ。兵学校を出た者、あるいは厳しい徴用試験に合格した第五階層までの男だけが所属できる、誇り高き軍隊に、下層や地上のヒト未満や弱い女などを混ぜようとするなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある――だが、そんな破天荒かつ非現実的なことを、あの男は力業で成そうとしていた。
入相は、自身に賛同しない相手を戦いに乗じて“消して”いった。いつ誰が命を落とすかわからないこの状況下は、まさに物理的な排除を行うための絶好の舞台だったというわけだ。そうして空いた場所には賛同者を送り込み、あるいは自らが駒を進めることにより、彼は破竹の勢いで中佐にまで昇進していた。
己の野望のためならば、どんな手段とて厭わない。入相はそういう男であった。利用されることを恐れて逃げようにも、天明にとっては直属の上司。入相は、まるで当然のように天明を計画に引き入れ、組み込み、こき使っていた。
こみあげてくる苛立ちに拳を握りしめる。天明の手中にあった紙巻き煙草は、いともあっけなくへし折れた。刻まれた葉がもろもろとこぼれ、敷布を汚す。舌打ちをひとつ落としてから、天明はそれを畳へと払いのけた。
新しい煙草に火をつけ、一口吸っては紫煙を吐く。隣で寝息を立てている女を見下ろし、語らうことのなかった過去へと意識を向ける。
天明は、入相のそうした考え方を危惧していた。急激な改革はやがて軋轢を生み、組織を内側より瓦解させる。他国と戦争をしているまさに今、内部崩壊を起こそうとするなど――ましてや下層や地上の、人とも呼べぬ下賤な者たちを軍に入れようなど、正気の沙汰ではない。男に従い子を産み育てる、それだけしか価値のない女どもを戦線に加えることも同様、言語道断。
しかし天明をはじめ、誰もそれを入相に進言することはできなかった。入相の有無を言わせぬ計画の遂行は、時に進言した部下にすら及んだからである。
入相は、自身に協力する者に役割を与えて指示を出していた。天明の役割は、それぞれ敵と味方を〝選別〟し、その考え方や人となりを入相へ〝密告〟すること。報告を受けたのち、入相やその側近が被疑者に接触し、確認と裏付けを行う。そこでもしも【敵】だと判断されたならば――文字通り、この世から消し去られる。
『これもすべては国のため。君もその未来を支える大事な人材だ。できることなら、こんなくだらないところで失いたくはないのだよ』
そんなことをしたり顔で語っていたが、天明はその物言いが嘘と方便であることを見抜いていた。天明を見るその眼差しには明らかに、伝統の価値を重んずる者への侮蔑と嘲笑が含まれていたからだ。
三本目に火をつけ、煙で肺を満たす。喉の奥が焼けるような感覚は嫌いではない。そうしてまたひとつ紫煙を吐き、天明は薄らと入り込んでくる無色の光を眺めた。
血筋が上のものは、下のものを統べる。それが上に立つ者の使命であり、義務である。そして家柄を、血筋を重んずるからこそ、軍の意思は統率されている。それが覆されるということは、連綿と受け継がれてきた軍の歴史と血筋の重みごと崩すということだ。これは血のにじむ努力や工夫を織り上げて今日にまでつないできた先達への裏切りである。
今、この時機においてそれを崩せば、軍はたちどころに分解する。それだけは何としてでも避けねばならない。だからこそ天明はひとり、それを阻止するべく行動に出た。
まず、葦原国でのみ使われる資材をあえて同盟国へと流した。葦原国で使用される刀は骨董品としての価値が高く、外国で高値で取引される。天明はそれを知っていた。
金銭はいざというときの交渉の手段にも使える。取引で得た金銭は秘密裡に貯蓄され、使われる時を待っていた。だが――何かを嗅ぎ取ったか、入相はある日天明にこう尋ねてきた。
『武器の納品数と、武器庫へ収納された数が合わんと報告があったが、何か知らないか?』
当時、武器の調達などは各部隊で行われており、入相の管理していた部隊では、少尉になったばかりの天明と、その部下数名が担当していた。天明らは手違いがあったことを素直に謝罪した。入相もそれ以上は詮索してこなかったが、疑惑の眼差しを向けているのは明確であった。
疑われているとわかった以上、必ず向こうも何やら手を打ってくるはず。ゆえに天明は、作戦の早期決行を決断した。すべては愛する国のため、所属する軍の存続のためだった。
天明は、入相が地上から連れてきた世見坂終宵の腕を買っていることを、嫌になるほど知っていた。入相に命じられるがまま、もっとも多くの敵を、そして不必要と断じた味方を屠ってきた化け物――ソレこそが、奴の計画の中核を担っているとわかっていた。
世見坂さえつぶしてしまえば、入相の計画は根幹から瓦解する。そうでなくとも、劇的に改革の速度は遅くなるだろう。この戦争の間は、馬鹿げた改革が行われずに済むに違いない。ゆえに告発すべきは今だと、天明はそう断じたのである。
天明は慎重に慎重を重ねたうえで、敵陣の末端へ接触を試みた。準備した金銭の額は想定よりわずかに足りなかったが、敵軍の一部隊が接触に応じたのは幸いであった。
世見坂はこちら側だけでなく、敵軍にとっても脅威と恐怖の象徴であったようだ。こちらでもアレを持て余している、そちらを全滅させたあとに何をしてくるかわからない――そんな言葉をちらつかせれば、相手側の部隊長は大いに共感を示し、すぐさま手はずが整えられた。
僥倖だったのは、試験段階ではあれど、強力な毒を手に入れられたことだ。さらには単身で交渉をしたことへの勇気を称され、敵国軍での身柄の保障、および高い地位へ取り立てるよう口添えもなされるという。
どうやらこの分隊を率いていたのは、敵国のそれなりの地位にいる者だったらしい。万が一の保険としては上々であった。仮に入相らに邪魔されたとしても、見限り離れればよいだけ。
誰にも言うことはない、これまでの間で天明だけが知る手柄である。
煙草をもみ消し、水差しに手を伸ばす。硝子の器に水を注ぐと、ぼんやりとした光に照らされた透明な影が曖昧に揺れた。まだ酒が残っていたらしく、ほのかに酒の香りがする。
閉ざされたふすまの奥から、かすかに物音が聞こえてくる。外に出たいのか。斬りたいのか。あるいはその両方か。天明は鼻でせせら笑い、渇く喉を潤した。
そして翌日、決行の機会が訪れた。世見坂は小部隊を率いて斬り込み、次々と屍の山を築きながら前線へと躍り出たのである。その戦いの癖を知っていたからこそできた、罠であった。
追おうとする世見坂の部下たちを天明が誘導して引き離し、一発空へ射撃する。その間に、橋の下にあらかじめ隠れていた敵部隊が、背後より挟み撃ちを仕掛ける作戦だった。裏切りを覚悟してはいたものの、多少前金を支払っていたこと、残りは計画実行後の支払いと伝えたためか、先方は素直に合図に応じた。これも天明の交渉技術のなせた業であろう。
そうして孤立した世見坂は、敵の返り血を浴びて真っ赤に染まりながらも、その赤い眼を見開いて獣のように笑っていた。今思い出しても背筋が粟立つ。
あの、ヒトとは思えぬ眼差しの色。あの、ヒトとは思えぬたたずまい。アレは魔性だ。すべてを暴力と血に染めて食らいつくす、化け物だ。殺さねばならない。今、ここで。天明はそう、強く感じたのだ。
ここからのことは鮮明に記憶している。敵影を確認し、さらに敵へ斬りかかろうとした世見坂を、天明は背後より高らかに呼んだのだ。
『世見坂!』
世見坂はほんの一瞬だけ気を引かれ、肩越しにこちらを振り返った。それと同時、天明は敵陣に紛れながら世見坂めがけて発砲した。
銃弾は硝子の割れるに似た音とともに爆ぜて砕け、薬の混ざる煙幕が世見坂へ襲い掛かり、その全身を飲み込んだ。それを合図に、周囲から一斉に銃弾が撃ち込まれたのである。
薬で紅く色づいた霧が立ち込める中、世見坂は手で口と鼻を隠し、最初の銃弾の撃ち込まれたほう――天明を探していた。凍るような殺気を浴びながら、天明は身を伏せて敵軍に紛れていた。熱と殺意にぎらついた目は、おおよそ人とも思えぬほどに鮮やかな、魔性の真紅を宿していたのを覚えている。
世見坂はしばらくの間、片腕で敵を屠りながらも薬の霧を突き進んでいた。しかし、途中で膝から崩れ落ち、その場で横倒しに昏倒した。神経を麻痺させ、蝕んでいく薬ゆえ、それが全身を回ったのだろう。時折身体の末端を痙攣させて、世見坂は無様に悶えていた。
天明は銃を投げ捨て、近くにいた者から鉈に似た形の大刀を借り受けた。あくまでも、敵の攻撃を受けて死んだことにしなければならない。激しい銃撃戦が行われているように見せるため、周囲が空撃ちや的外れな方角に撃ちこむ中、天明は刀を思い切り振りあげた。
その、瞬間――世見坂が、動いた。自由の利かぬだろう身体が跳ね上がる。半ば意識もない状態で、世見坂は投げ出されていた己の刀を左手でつかみ、天明の喉を狙ったのである。世見坂は左利き。忌々しくも、世見坂はあのとき本気で天明を殺そうとしていたのだ。
しかし、やはり天の采配は天明にあった。世見坂の刀が天明の喉を裂く前に、無骨な刃は全体重をかけて踏み出していた世見坂の左足を切断したのである。
ああ、今考えてもこの瞬間は爽快だ。天明は再度水をあおり、目を閉じて過去の快感に浸る。
面白いほどに噴き出ししぶく血潮、モノのように転がった世見坂の左足。大腿部の半ばからずっぱりと斬り落とされ、体勢を保てず肩から倒れ込んだ世見坂の、あの間抜けな呆け顔!
『あ……うそ、だ、こんな、……まだ、僕は、斬りたい、のに――……こん、な……』
這いずる身体、白蝋のごとき呪術の橋を汚す血の轍、うわごとをつぶやくその白い面の、絶望と嘆きに塗りつぶされた様が忘れられない。それを眺める天明の胸中に、せりあがる感覚や感情が色鮮やかによみがえる。
確かこの直後、敵陣が想定外の速さで撤退を開始したんだったか。予定では、天明が世見坂を仕留めたあとに撤退をするはずだったのだが、想定外の場所から銃声がしたことで納得せざるを得なかったのだ。
邪魔者、否、援軍である。引き上げる男のひとりに大刀を押し付けたことは覚えている。そうだ。確かそのとき、天明は乱入者の一団を見ていた。
『世見坂!! 天明!! 無事か!!』
欠けた身体のままもがいている世見坂を抱き上げた、男。ああそうだ、確かにあいつだ。遠目からでも派手な赤毛の、背の高い男。黒ばかりの軍服の中、白い腕章が目立っていた。白は救護隊の印である。
天明らと同じ時期に救護隊へ入隊した特殊入隊者、不夜城燈。確かあいつも、もう軍にはいないはずだ。残念極まりない。今も残っているなら、同じように復讐してやったものを。
ともあれ、天明は怪しまれないよう救護班を手伝いながら、その場を引き上げた。その後すぐに世見坂の失態を挽回すべく前線へと戻り、代わりに指揮を執って戦いを継続したのである。
想定外の邪魔が入ったことで、天明は予定を大きく変更せざるを得なくなった。世見坂が死ぬのは時間の問題だ。だが、クソ忌々しい不夜城に犯行を見られた可能性も捨てきれない。もしもそれを入相に密告されたならば、次に消されるのは自分である。
ならばさっさと入相のたくらみを告発し、危険の種をつぶすべきだろう。天明はそう判断し、入相と対立していた保守派の中佐へと報告すべく、前線の司令部へと赴いた。
だが――天明が司令部で見たものは、救護班によって担ぎ出される入相の姿と、何やらをわめき散らす別の上司だった。
【保守派の××中佐は、軍の内部で起きていた暗殺事件の主犯である】
【それを突き止めた入相中佐は告発を行おうとしたが、××中佐がそれに逆上。入相中佐を攻撃し重傷を負わせたものである】
その場にいた天明に知らされたのは、以上の事実であった。
どのような思惑があり、どのような駆け引きがあったのかは不明だが、いずれにせよこの事件は天明にとって好機でしかなかった。
この事件が起きたのと同じ頃、敵国の脱走者もかなりの数に膨れ上がっていたという。多大な被害を被り疲弊していた両国は、わずかな小競り合いを幾度か繰り返して後、和平交渉を締結した。戦争は終了したのである。
天明はその間、再度交渉した部隊と接触し、倍額を握らせることで真相を闇に葬った。そして世見坂も入相も、結局は戦場に復帰することもなく、軍を退役して行方知れずとなった。天明は、世見坂と入相の穴を埋めて奔走したことを評され昇進し、現在に至る。
予想外のことこそあれど、おおむね順調にここまでことは運んでこられたのだ。天明のしたことを知っているものは、もはや己の部下以外には存在しないはず。
しかし、世見坂終宵は今、ここに来た。世見坂を自由に動かすことができるのは――かつての上司である入相深時以外にいない。
ああ、忌々しい。そんなに自分が邪魔なのか。己が馬鹿にしてきたものが、優秀であったことを知って恐ろしくなったか。いずれにせよ、天明のやることは変わらない。
水を一息で飲み干してから、天明は再度奥へと目を向ける。いっそう濃い闇がわだかまる中、鎖につながれた南京錠が鈍い光を放って沈黙していた。
「排除する前に、聞き出す前に、これまでの恨みを吐き出させてもらおうか。……ふん。獣にはちょうどよい躾になるだろうさ」
天明の嘲笑が闇に溶ける。消え切っていなかった煙草の火は、かすかな断末魔とともに燃え尽き灰となって崩れ落ちた。
腹の奥底から湧いていた衝動が一度引いたころ、世見坂は意識を失った。腕を戒められ暴行の痕を貼りつけた格好は、吐き気がするほど扇情的で、天明のどす黒い負の感情と嗜虐、そこに絡みつく歪んだ支配欲をわずかに満たした。
とはいえ、この胸中に巣食う憎しみと怒りは収まる気配を見せない。しばらくの間は、憂さ晴らしのはけ口になってもらおうではないか。
後始末を耀に任せ、自身はあらかじめ用意されていた風呂に入る。ああ、久方ぶりに気分がいい。こんなに気分がいいことなんて、いったいいつぶりのことだろう。
湯を浴びてから浴衣をまとい、天明は寝室に一番よい酒を持ち込んだ。机に安置された洋灯に触れると、中に置かれた燃料代わりの石が光を放つ。黒塗りの文机に置かれている、濡れた光沢を放つ硝子の器が透明な影を落とした。
腰を下ろし、天明はようやっと酒に口をつける。北雪京の酒造で作られた特別なものだ。冷で飲むのがまたうまい。口に含めば、清酒の甘さが舌と鼻を通り抜ける。後味もすっきりと切れがよく、果物のように香りながら喉へと流れ込んでいく。
味も舌触りも申し分ない。惜しむらくは、世見坂の鼻を麻痺させるために使った麝香の甘ったるいにおいが、まだ部屋に残っていることくらいだった。
特上の酒を楽しんでいると、薄衣だけをまとった耀が部屋に入り込んできた。後始末を終え、言いつけ通り風呂を済ませてきたらしい。手招きすればひとつ微笑み、使用人は情婦の顔になる。
美しいものはよい。それが己に従順ならばなおさらだ。細い腰を抱いて引き寄せれば、アレとは違う、柔らかい感触が肌になじむ。耀はくすりと笑って天明の膝に乗り上げ、徳利を手にして酌をする。
「旦那様、あの男とはいったいどんなご関係なのです?」
しばし酒と肌の味を楽しんでいた天明に、耀が無邪気に尋ねてきた。猪口を運ぶ手が止まるが、耀は勝気に笑んで言葉を続ける。
「親し気というよりは、ずいぶんと――怯えていらっしゃるようでしたから。少し気になってしまいまして」
普段の天明だったならば、苛立って思わず殴りつけていたかもしれないほど、無遠慮でぶしつけな質問である。しかし今は違う。憎んでいた相手を力でねじ伏せ、屈服させたという歪んだ優越感が、天明を常より寛容にしていた。
情婦の短い髪を撫で、天明は口の端を持ち上げ喉で笑う。
「ただの好奇心で知りたいというのか? まったく大した女だよ……まあいい。今は気分がいいから教えてやろう」
杯を置く。それと同時に、女はしなやかに天明の首へと腕を絡ませる。湯の気配をまとった女の肌は、男にとってすれば極上の馳走だった。
「八年前の侵略戦争のことは知っているな?」
「ええ。一か月だけでありながら、非常に激しい戦争だったと。……外套の色から察するに、あの男は旦那様の、軍における同期ですね?」
ずいぶんと察しのいい女だ。もっとも、そうでなければ、この天明浄楽の使用人になどするわけもない。天明は、褒める代わりに耀のはだけた胸元に顔を埋め、背を撫でた。もどかし気にくねる肢体、悩まし気な吐息に満足しつつ、座らせた耀の脚に指を添わせる。
「私はとある男の部下だったが、アレはその男が連れてきた、地上の出身者だ。ちょっと剣の腕が立つぐらいで、ろくに躾もされていない。そんな輩と同期だなど――虫唾が走る」
世見坂終宵を排そうとしたその最たる理由を、詳しく事情も知らぬ愚か者たちは、嫉妬だ恐れだと謗ることだろう。
だが、そんな底の浅い事情だけで行動するほど、天明浄楽は馬鹿ではない。軍の将来を想い、己だけでなく軍の将来を脅かされる前に、危険と断じたものを排除したがゆえである。
「今思えば、あの男は軍の基盤すら揺るがす危険思想に傾倒していたよ。狂人に刃物は持たせてはならない。私がそれに気が付かなければ、今頃ここにはいなかったろうよ」
独り言ちる天明の顔に手を這わせ、耀はおかしそうに笑った。
「旦那様がそこまでおっしゃるなんて。よっぽどとんでもない人だったのですね」
天明はふと、記憶の中にある上司を思い返す。中肉中背で目立たないくせに、物言いはずいぶんと辛辣で、他者を見下げていることを隠そうともしなかった。天明もずいぶんとその悪意の矛先を向けられたものだ。
「……ふん。あいつもアレも、ずいぶんと軍を引っ掻き回してくれたからな。あいつらは危険すぎた。私が手を打って排除したからこそ、軍は成り立っていると言ってもいい」
本来ならば表彰されてしかるべきことだろうが、天明はこうして今もそれを胸に留めたままでいる。そう語らう天明の頬を、情婦の指が艶やかになぞる。
「旦那様は、優秀なお人ですから」
耀は微笑みながら、乱れた天明の胸元を、布地越しの足の付け根を撫でてくる。それ以上は詮索するつもりもないのだろう。天明はそれに気を良くしながら、刺激に蕩けて上気し始めた女の柔肌を丹念に愛でた。
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欲の名残と夜闇に浸る静かな部屋に、障子を通して灰色の光がにじんでいる。外国から仕入れた紙巻き煙草をくゆらせながら、天明は薄暗がりの奥にある、錠をおろしたふすまを眺めた。
世見坂を地上より連れてきた上司、入相深時元大尉は、危険な思想を持つ野心家であった。他国の力を借りなければ、互角に敵国と戦うことすらできぬ現状を憂いていた。そしてあの男は、己が軍の頂点に立ち、軍に改革をもたらそうとしたのである。
性別、立場、家柄、階層。そういったものを一切無視し、実力だけを見て優秀な人材を集め、軍の武力向上を図ろうとしていたのだ。兵学校を出た者、あるいは厳しい徴用試験に合格した第五階層までの男だけが所属できる、誇り高き軍隊に、下層や地上のヒト未満や弱い女などを混ぜようとするなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある――だが、そんな破天荒かつ非現実的なことを、あの男は力業で成そうとしていた。
入相は、自身に賛同しない相手を戦いに乗じて“消して”いった。いつ誰が命を落とすかわからないこの状況下は、まさに物理的な排除を行うための絶好の舞台だったというわけだ。そうして空いた場所には賛同者を送り込み、あるいは自らが駒を進めることにより、彼は破竹の勢いで中佐にまで昇進していた。
己の野望のためならば、どんな手段とて厭わない。入相はそういう男であった。利用されることを恐れて逃げようにも、天明にとっては直属の上司。入相は、まるで当然のように天明を計画に引き入れ、組み込み、こき使っていた。
こみあげてくる苛立ちに拳を握りしめる。天明の手中にあった紙巻き煙草は、いともあっけなくへし折れた。刻まれた葉がもろもろとこぼれ、敷布を汚す。舌打ちをひとつ落としてから、天明はそれを畳へと払いのけた。
新しい煙草に火をつけ、一口吸っては紫煙を吐く。隣で寝息を立てている女を見下ろし、語らうことのなかった過去へと意識を向ける。
天明は、入相のそうした考え方を危惧していた。急激な改革はやがて軋轢を生み、組織を内側より瓦解させる。他国と戦争をしているまさに今、内部崩壊を起こそうとするなど――ましてや下層や地上の、人とも呼べぬ下賤な者たちを軍に入れようなど、正気の沙汰ではない。男に従い子を産み育てる、それだけしか価値のない女どもを戦線に加えることも同様、言語道断。
しかし天明をはじめ、誰もそれを入相に進言することはできなかった。入相の有無を言わせぬ計画の遂行は、時に進言した部下にすら及んだからである。
入相は、自身に協力する者に役割を与えて指示を出していた。天明の役割は、それぞれ敵と味方を〝選別〟し、その考え方や人となりを入相へ〝密告〟すること。報告を受けたのち、入相やその側近が被疑者に接触し、確認と裏付けを行う。そこでもしも【敵】だと判断されたならば――文字通り、この世から消し去られる。
『これもすべては国のため。君もその未来を支える大事な人材だ。できることなら、こんなくだらないところで失いたくはないのだよ』
そんなことをしたり顔で語っていたが、天明はその物言いが嘘と方便であることを見抜いていた。天明を見るその眼差しには明らかに、伝統の価値を重んずる者への侮蔑と嘲笑が含まれていたからだ。
三本目に火をつけ、煙で肺を満たす。喉の奥が焼けるような感覚は嫌いではない。そうしてまたひとつ紫煙を吐き、天明は薄らと入り込んでくる無色の光を眺めた。
血筋が上のものは、下のものを統べる。それが上に立つ者の使命であり、義務である。そして家柄を、血筋を重んずるからこそ、軍の意思は統率されている。それが覆されるということは、連綿と受け継がれてきた軍の歴史と血筋の重みごと崩すということだ。これは血のにじむ努力や工夫を織り上げて今日にまでつないできた先達への裏切りである。
今、この時機においてそれを崩せば、軍はたちどころに分解する。それだけは何としてでも避けねばならない。だからこそ天明はひとり、それを阻止するべく行動に出た。
まず、葦原国でのみ使われる資材をあえて同盟国へと流した。葦原国で使用される刀は骨董品としての価値が高く、外国で高値で取引される。天明はそれを知っていた。
金銭はいざというときの交渉の手段にも使える。取引で得た金銭は秘密裡に貯蓄され、使われる時を待っていた。だが――何かを嗅ぎ取ったか、入相はある日天明にこう尋ねてきた。
『武器の納品数と、武器庫へ収納された数が合わんと報告があったが、何か知らないか?』
当時、武器の調達などは各部隊で行われており、入相の管理していた部隊では、少尉になったばかりの天明と、その部下数名が担当していた。天明らは手違いがあったことを素直に謝罪した。入相もそれ以上は詮索してこなかったが、疑惑の眼差しを向けているのは明確であった。
疑われているとわかった以上、必ず向こうも何やら手を打ってくるはず。ゆえに天明は、作戦の早期決行を決断した。すべては愛する国のため、所属する軍の存続のためだった。
天明は、入相が地上から連れてきた世見坂終宵の腕を買っていることを、嫌になるほど知っていた。入相に命じられるがまま、もっとも多くの敵を、そして不必要と断じた味方を屠ってきた化け物――ソレこそが、奴の計画の中核を担っているとわかっていた。
世見坂さえつぶしてしまえば、入相の計画は根幹から瓦解する。そうでなくとも、劇的に改革の速度は遅くなるだろう。この戦争の間は、馬鹿げた改革が行われずに済むに違いない。ゆえに告発すべきは今だと、天明はそう断じたのである。
天明は慎重に慎重を重ねたうえで、敵陣の末端へ接触を試みた。準備した金銭の額は想定よりわずかに足りなかったが、敵軍の一部隊が接触に応じたのは幸いであった。
世見坂はこちら側だけでなく、敵軍にとっても脅威と恐怖の象徴であったようだ。こちらでもアレを持て余している、そちらを全滅させたあとに何をしてくるかわからない――そんな言葉をちらつかせれば、相手側の部隊長は大いに共感を示し、すぐさま手はずが整えられた。
僥倖だったのは、試験段階ではあれど、強力な毒を手に入れられたことだ。さらには単身で交渉をしたことへの勇気を称され、敵国軍での身柄の保障、および高い地位へ取り立てるよう口添えもなされるという。
どうやらこの分隊を率いていたのは、敵国のそれなりの地位にいる者だったらしい。万が一の保険としては上々であった。仮に入相らに邪魔されたとしても、見限り離れればよいだけ。
誰にも言うことはない、これまでの間で天明だけが知る手柄である。
煙草をもみ消し、水差しに手を伸ばす。硝子の器に水を注ぐと、ぼんやりとした光に照らされた透明な影が曖昧に揺れた。まだ酒が残っていたらしく、ほのかに酒の香りがする。
閉ざされたふすまの奥から、かすかに物音が聞こえてくる。外に出たいのか。斬りたいのか。あるいはその両方か。天明は鼻でせせら笑い、渇く喉を潤した。
そして翌日、決行の機会が訪れた。世見坂は小部隊を率いて斬り込み、次々と屍の山を築きながら前線へと躍り出たのである。その戦いの癖を知っていたからこそできた、罠であった。
追おうとする世見坂の部下たちを天明が誘導して引き離し、一発空へ射撃する。その間に、橋の下にあらかじめ隠れていた敵部隊が、背後より挟み撃ちを仕掛ける作戦だった。裏切りを覚悟してはいたものの、多少前金を支払っていたこと、残りは計画実行後の支払いと伝えたためか、先方は素直に合図に応じた。これも天明の交渉技術のなせた業であろう。
そうして孤立した世見坂は、敵の返り血を浴びて真っ赤に染まりながらも、その赤い眼を見開いて獣のように笑っていた。今思い出しても背筋が粟立つ。
あの、ヒトとは思えぬ眼差しの色。あの、ヒトとは思えぬたたずまい。アレは魔性だ。すべてを暴力と血に染めて食らいつくす、化け物だ。殺さねばならない。今、ここで。天明はそう、強く感じたのだ。
ここからのことは鮮明に記憶している。敵影を確認し、さらに敵へ斬りかかろうとした世見坂を、天明は背後より高らかに呼んだのだ。
『世見坂!』
世見坂はほんの一瞬だけ気を引かれ、肩越しにこちらを振り返った。それと同時、天明は敵陣に紛れながら世見坂めがけて発砲した。
銃弾は硝子の割れるに似た音とともに爆ぜて砕け、薬の混ざる煙幕が世見坂へ襲い掛かり、その全身を飲み込んだ。それを合図に、周囲から一斉に銃弾が撃ち込まれたのである。
薬で紅く色づいた霧が立ち込める中、世見坂は手で口と鼻を隠し、最初の銃弾の撃ち込まれたほう――天明を探していた。凍るような殺気を浴びながら、天明は身を伏せて敵軍に紛れていた。熱と殺意にぎらついた目は、おおよそ人とも思えぬほどに鮮やかな、魔性の真紅を宿していたのを覚えている。
世見坂はしばらくの間、片腕で敵を屠りながらも薬の霧を突き進んでいた。しかし、途中で膝から崩れ落ち、その場で横倒しに昏倒した。神経を麻痺させ、蝕んでいく薬ゆえ、それが全身を回ったのだろう。時折身体の末端を痙攣させて、世見坂は無様に悶えていた。
天明は銃を投げ捨て、近くにいた者から鉈に似た形の大刀を借り受けた。あくまでも、敵の攻撃を受けて死んだことにしなければならない。激しい銃撃戦が行われているように見せるため、周囲が空撃ちや的外れな方角に撃ちこむ中、天明は刀を思い切り振りあげた。
その、瞬間――世見坂が、動いた。自由の利かぬだろう身体が跳ね上がる。半ば意識もない状態で、世見坂は投げ出されていた己の刀を左手でつかみ、天明の喉を狙ったのである。世見坂は左利き。忌々しくも、世見坂はあのとき本気で天明を殺そうとしていたのだ。
しかし、やはり天の采配は天明にあった。世見坂の刀が天明の喉を裂く前に、無骨な刃は全体重をかけて踏み出していた世見坂の左足を切断したのである。
ああ、今考えてもこの瞬間は爽快だ。天明は再度水をあおり、目を閉じて過去の快感に浸る。
面白いほどに噴き出ししぶく血潮、モノのように転がった世見坂の左足。大腿部の半ばからずっぱりと斬り落とされ、体勢を保てず肩から倒れ込んだ世見坂の、あの間抜けな呆け顔!
『あ……うそ、だ、こんな、……まだ、僕は、斬りたい、のに――……こん、な……』
這いずる身体、白蝋のごとき呪術の橋を汚す血の轍、うわごとをつぶやくその白い面の、絶望と嘆きに塗りつぶされた様が忘れられない。それを眺める天明の胸中に、せりあがる感覚や感情が色鮮やかによみがえる。
確かこの直後、敵陣が想定外の速さで撤退を開始したんだったか。予定では、天明が世見坂を仕留めたあとに撤退をするはずだったのだが、想定外の場所から銃声がしたことで納得せざるを得なかったのだ。
邪魔者、否、援軍である。引き上げる男のひとりに大刀を押し付けたことは覚えている。そうだ。確かそのとき、天明は乱入者の一団を見ていた。
『世見坂!! 天明!! 無事か!!』
欠けた身体のままもがいている世見坂を抱き上げた、男。ああそうだ、確かにあいつだ。遠目からでも派手な赤毛の、背の高い男。黒ばかりの軍服の中、白い腕章が目立っていた。白は救護隊の印である。
天明らと同じ時期に救護隊へ入隊した特殊入隊者、不夜城燈。確かあいつも、もう軍にはいないはずだ。残念極まりない。今も残っているなら、同じように復讐してやったものを。
ともあれ、天明は怪しまれないよう救護班を手伝いながら、その場を引き上げた。その後すぐに世見坂の失態を挽回すべく前線へと戻り、代わりに指揮を執って戦いを継続したのである。
想定外の邪魔が入ったことで、天明は予定を大きく変更せざるを得なくなった。世見坂が死ぬのは時間の問題だ。だが、クソ忌々しい不夜城に犯行を見られた可能性も捨てきれない。もしもそれを入相に密告されたならば、次に消されるのは自分である。
ならばさっさと入相のたくらみを告発し、危険の種をつぶすべきだろう。天明はそう判断し、入相と対立していた保守派の中佐へと報告すべく、前線の司令部へと赴いた。
だが――天明が司令部で見たものは、救護班によって担ぎ出される入相の姿と、何やらをわめき散らす別の上司だった。
【保守派の××中佐は、軍の内部で起きていた暗殺事件の主犯である】
【それを突き止めた入相中佐は告発を行おうとしたが、××中佐がそれに逆上。入相中佐を攻撃し重傷を負わせたものである】
その場にいた天明に知らされたのは、以上の事実であった。
どのような思惑があり、どのような駆け引きがあったのかは不明だが、いずれにせよこの事件は天明にとって好機でしかなかった。
この事件が起きたのと同じ頃、敵国の脱走者もかなりの数に膨れ上がっていたという。多大な被害を被り疲弊していた両国は、わずかな小競り合いを幾度か繰り返して後、和平交渉を締結した。戦争は終了したのである。
天明はその間、再度交渉した部隊と接触し、倍額を握らせることで真相を闇に葬った。そして世見坂も入相も、結局は戦場に復帰することもなく、軍を退役して行方知れずとなった。天明は、世見坂と入相の穴を埋めて奔走したことを評され昇進し、現在に至る。
予想外のことこそあれど、おおむね順調にここまでことは運んでこられたのだ。天明のしたことを知っているものは、もはや己の部下以外には存在しないはず。
しかし、世見坂終宵は今、ここに来た。世見坂を自由に動かすことができるのは――かつての上司である入相深時以外にいない。
ああ、忌々しい。そんなに自分が邪魔なのか。己が馬鹿にしてきたものが、優秀であったことを知って恐ろしくなったか。いずれにせよ、天明のやることは変わらない。
水を一息で飲み干してから、天明は再度奥へと目を向ける。いっそう濃い闇がわだかまる中、鎖につながれた南京錠が鈍い光を放って沈黙していた。
「排除する前に、聞き出す前に、これまでの恨みを吐き出させてもらおうか。……ふん。獣にはちょうどよい躾になるだろうさ」
天明の嘲笑が闇に溶ける。消え切っていなかった煙草の火は、かすかな断末魔とともに燃え尽き灰となって崩れ落ちた。
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