そして夜は華散らす

緑谷

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肆章

其の六

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 会議を終えた天明は、荒々しく足音を響かせながらも帰路に就いていた。

 腹立たしいことに、革新派がじわじわと数を増やしている。

『血筋や家柄ですべてが決まる、旧時代の古びた制度を一度見直し、地位も性別も階級も関係なく、優秀な軍人を集める制度を作るべきだ』

 ――そんなことを言いながら、着々とその手を保守派こちらへと伸ばしている。加えてここ最近、仲間である保守派連中の不自然な意見転向が目立っていた。今日だって、ついこの間まで保守派にいた人間が、今日の会議では「軍の規約を見直すべきでは」などと言い出していた。

 すべてがあの男の差し金のように思えてならない。連中が言っていることは、八年前にあの男がうたっていたこととまるで同じなのだ。

 奴が、入相深時いりあい・しんじが裏から手を回したのか、あるいは何かが原因で考え方が変わったか。いずれにせよ、由々しき事態である。このままでは、古の伝統を重んじる軍の制度が覆り、これまで先達が守り続けてきたものがすべて崩れ去ってしまう。それだけは避けねばならない。下賤な者たちを、この神聖な軍部へ踏み入れさせることだけはあってはならない。

 世見坂の言う「彼」が奴であるなら、邪魔な天明の排除が目的であることは間違いない。今や天明は保守派の中核、目を付けられるのは百も承知である。

 世見坂を捕らえることでいったんは安全を確保できた。だが奴のことだ、もうすでに次の手を打っている可能性は十分考えられる。

 身の毛がよだつほど、反吐が出るほどおぞましい話だが、世見坂は天明に好意的だ。ならばそれを利用しない手はない。このまま躾け直して入相のもとに戻してやれば、うまく始末をしてくれるだろう。

 すれ違う部下たちが敬礼する。それに軽く手を挙げて応じる天明の歩幅は、徐々に徐々に早くなっていく。背後から天明少佐が挨拶した、と妙に声を潜めた言葉が聞こえてきたが、今回は聞こえないふりをしてやった。……後ほど痛い目を見せてやるからな、と胸中で吐き捨てながら、だが。

 さて。今後はどうすべきだろうか。確かにアレは天明に好意的だが、始末させようとしている相手は元上司、さすがに渋るに違いない。しかしアレはこちらに散々恥をかかせ、屈辱を与え、みじめな思いをさせてきた男である。抵抗する意志も、逆らう気力もなくなるぐらいに、徹底的に痛めつけて覚えさせるしかないのではないか? いやしかし、それでは逆に怯えて萎縮してしまう。そうして使えなくなった女たちは山ほどいた。快楽に弱いことは薄々理解できている。手っ取り早く女でもくれてやればいいだろうか。

 そう考えたところで、過去の記憶がよみがえる。別の階層に女を買いにいこうと、不夜城ふやしろと自分が誘ったことがあった。しかしアレは決して首を縦に振らなかった。


 ――こんなに飢えた状態では、不要に女を殺してしまうから。


 毎度そんなことを言っていた気がする。

 ……不要にだろうが必要だろうが、血を見なければ気が済まないのか。思うに、それはアレがいかに異常であるかを知る、端的な出来事だった。まるで飢えた獣のような、ぎらつく赫い瞳が目に浮かび、天明は眉間にしわを寄せた。

 それからふと、思いつく。極限まで飢えさせて始末を命じ、褒美として“生餌”をくれてやる。こちらに尻尾を振っているのだから、むしろ喜んでむしゃぶりつき、涙を流して感謝されるはずだ。それを繰り返してやれば、アレを思うままに操ることができるのではないか?

 そう、今まさに、アレは飢えた状態にある。もう少し飢えさせてかわいがって褒美をちらつかせれば、極限に飢えたアレは入相の喉笛を食いちぎってくるだろう。

 思い付きの割にはなかなかにいい考えだ。だがもう少し細部を詰める必要がある。バレてしまえば意味はないのだ。とりあえず今日はこのまま戻ることにしよう。せっかくだ、多少はアレに何かしてやってもいいかもしれない。一発だけ蹴る回数を減らしてやるか。

 静謐の灰色に沈んだ階層は、常に奇妙な冷たさをもってそこに横たわっている。それを眺めながら、天明は己の自宅へたどり着いた。

 鍵を開ける。中に入る。そこで天明はふと、違和感を覚えた。

 灯りが玄関だけにしかついていない。窓掛も開いたままだった。夜に食われかけた無色の光が、硝子の向こうから無音の部屋を染めている。部屋のふすまはどこも中途半端に開いたままで、つい先ほどまで誰かがいたような気配が残っている。

「おい、耀あかる。灯りを付けろ!」

 天明は苛立ち、声を荒げる。返事はない。天明の声だけが無機質に反響し、ただひたすらに静まり返った自宅に砕け散っていく。

 舌打ちをひとつ落としてから、天明は乱暴に靴を脱ぎ捨てた。灯りを付けて回りながら、徐々に強くなる違和に眉を寄せる。

 客間に飾ってある刀が一振り、足りない。鞘に螺鈿と金で蝶のあしらいが施された、短刀と太刀の一組だ。そのうちの短刀だけがなくなっている。

 おそらく耀が持ち出したのだろう。以前から時折隠れて何かをしているとは思っていたが、まあ、おおむね予想通りである。ほどほどに見逃してやってはいたものの、いい加減こちらを見下すような態度が目立ってきた。あいつにはあとできつく躾をしてやらなければ。

 天明は鼻を鳴らし、家中を歩き回る。こんなに主が呼ばわっているというのに、出てこないとはどういうことか。いよいよ舐めた態度を取り始めたのかと、天明はさらに表情を険しくして声を荒げた。

「おい、耀! 仕事を放置して何をしている!! さっさとせんか!!」

 怒鳴っても、畳を蹴りつけても、返事はない。ひとつひとつ部屋を調べてみるが、耀はどこにもいなかった。ただ彼女の気配の残滓ばかりが空中を漂い、冷たい闇に沈黙している。

 耀は天明の寝室にもおらず、客間にもいなかった。厨にもいない。今の時間ならば夕食の支度で厨にいるはずだというのに。買い物に出たかとも思ったが、買い出しのために用意した財布も買い物袋も、すべて置きっぱなしになっていた。

 やがて煮えていた天明の怒りは、徐々に別の感情へと塗り替わっていく。彼女の靴が玄関にある以上、耀は間違いなくこの家にいる。しかし、いつもいる場所のどこにもいない。無機質に提示されるその事実が、天明を恐怖という形で飲み込み始めていた。

 耀の部屋にも姿はない。この家で残された部屋はあとひとつ。
 天明は暗く閉ざされた奥の間へと目を向ける。心臓の音がやかましい。不自然に力が入って手足が震えた。

 一歩一歩、軋む足を動かして近づく。ふすまにかけられていた錠前は、外れて畳に落ちていた。ふすまの向こう側に気配がある。掃除でもしていたのだろうか。

 本能が警鐘を鳴らしている。ここを開けてはならない。逃げねばならない。だが、耀は間違いなくこの先にいる。血のにおいがするのはなぜなのか。鉄錆に脂と生臭さを混ぜ込んだような、ねばついたにおい。開けてはならない。しかしここを開けなければ、耀が何をしているのかを知ることはできない。開けてはならない。確かめなければならない。開けてはならない。だが、そう、これは必要なことなのだ。

 拒絶する本能とは裏腹に、強張る手はそのままふすまを引き開けていた。

「う、っ」

 視界に飛び込んできたその様に、天明は思わずうめき声を漏らして立ち尽くした。

 八畳ほどの部屋は、柱のあたりを中心に、黒ずみ始めた紅に染め抜かれていた。いたるところをべったりと塗りつぶす、紅と赫と緋い色。

 灯りがちらちらと揺れている。床に置かれたそれもまた紅玉の光を放っている――いや、違う。洋灯らんぷの硝子についた液体の色を、内側の光が透かしているのだ。

 全身の血が引いていく。呼吸が浅くなる。速くなる。手足が冷たい。口の中も喉もからからになっている。震えが止まらない。耳鳴りがしている。頭がふらつく。足元がおぼつかない。一歩後ろに下がることすらままならない。

 瑞々しい肉付きの、女の身体が倒れている。真っ赤な断面が、血の気のない白い肉に無数に刻まれていた。細い首筋の先には何もない。短い黒髪の小さな頭が、少し離れた奥のほうに無造作に転がっている。顔は暗がりでよく見えない。見えなくてよかったと、心底思った。

 部屋の中央に、男がひとり。たたずんでいる。弾む呼吸に熱をともして、乱れた髪もそのままにして。

「――……ああ、天明……」

 声がする。夜のような声が。深く沈み、暗くよどみ、それでいて恍惚に濡れた吐息交じりの、声がする。

 灯りが照らす、血化粧の男。あまりに鮮やかすぎる緋色を宿した、血と殺戮に酔った獣がひとり。こちらを見ている。見えてはいないはずなのに。こちらを〝視て〟いる。

 手首には縄の痕が刻まれている。手には小刀が握られている。螺鈿と金の細工がされた、あの小刀だ。鋼の光沢と刃紋が見事な一品で、天明が惚れこんで買い付けたものだった。斬れるかどうかなど知らずにいた。飾り物にそこまでを求めてはいなかった。求めてはいなかったというのに、今芸術品以上の価値を出なかったソレは、血をまとわせて鈍く光っている。


 ――なあ、次は何人斬ればいい? 


 記憶の中に刻まれた、橋の上に折り重なる死体と、それを作った男の姿が重なる。あのときとまったく同じ顔をしている。男を求める娼婦のような、あの、顔。

 胃が痙攣する。むせかえるほどの血の臭気に吐き気がこみあげる。おかしい。ありえない。馬鹿な。こんなことはありえない。ありえない。腕を戒め吊るしていた。どうしてこんなことになっている。あいつは、ここから動けないはず。なぜだ。どうして。ありえない。そんな短いもので、いったいどうやって耀の首を刎ねたというのか? そもそもどうやって抜け出した? ありえない。なんだこいつは。何なんだ、こいつは!

 天明は必死で一歩あとじさる。世見坂が一歩、距離を詰める。

「き、貴様……なにを、した?」

 どうにか絞り出した一言に、世見坂が小さく首をかしげる。喉の奥が締まって痛む。呼吸が乱れて散っては落ちる。

 それからふと、世見坂が嗤った。口が、三日月の形に弧を描く。ぎらついた双眸が細くなる。

「彼女が刀をくれたのだよ」

 世見坂は恍惚の吐息を声に混ぜ、しとどに濡れた髪をかきあげる。その先にある答えはもう、この惨状だけで十分だった。

 赤黒い血が、白い肌を舐めていく。板張りの床に緋色が溜まる。香など焚いてはいないはずなのに、なぜか甘いにおいがする。体内に熱を帯びさせるような、麝香にも似た香り。それが目の前から流れてくる。たらふく血を浴びただろうソレが、血の生臭さを妙に官能的に昇華させているのだ。

「……ああ、でも、やはり到底足りはせぬな」

 ぎしり。ソレの作り物の脚が軋む。手中の小刀がくるりと回る。

 捕まったら終わりだ。鳴り響く警鐘が結論を導く。天明はまた一歩後ろへ退がると、腰に帯びた刀へと手をかけ――引き抜いた。

 その瞬間、世見坂の見えぬ眼差しが獣に変わった。そのまま足を強く踏みこんでくる。盲目とは思えぬ身のこなしに恐怖が爆ぜる。躍りかかる身体めがけ、天明は無我夢中で刀を振るった。引き締まった肉体に一筋紅が刻まれる。手ごたえはない。舞うように小刀が翻る。銀が躍る。頬に風、そして裂ける。痛み。熱。ひ、と喉から短い悲鳴が漏れた。

 殺される。殺されてしまう。こんなところで。こんなモノに。虫けらのように。他愛もなく。橋の上の連中と同じように。無造作に。なんの価値もなく。嫌だ。そんなのは嫌だ。嫌だ。嫌だ、嫌だ!

「やっ、やめろ、来るなッ、来るなぁぁ!!」

 追いすがる獣に向けて叫びながら、天明はめちゃくちゃに腕を振り回した。刃と刃が火花を散らす。世見坂の口の端がつりあがる。獰猛な笑みに怖気が走る。人間のする顔ではない。獲物をなぶって“狩り”を楽しむ、残忍なケダモノの表情だ。狂っている。こんなのはおかしい。なぜ私が。なぜ。

 後退り、何度もひらめく軌跡から、天明は必死で逃げ出した。なぜこんなことになった。どうしてこんな目に合わねばならないのか。なぜ。どうして。自分が何をしたというのか。どうしてこんなことをされなければならないのだ!

 息をつく間もなくふすまが蹴破られ、天明は再度短い悲鳴を上げた。転がるように走りながら、なんとか応接室を抜けて先を目指す。追いすがられるたびに刀を振るい、世見坂の身体に浅く傷を刻んだ。

 ――玄関だ。外に出てしまえば助けが呼べる。やつらの目論見もここで潰える。天明がかすれた呼吸を漏らしながら、玄関からすぐの欧風客室へと駆け込んだその、刹那。

 突如背後から右肩の肉に、骨に、激しい痛みがねじ込まれた。穿たれたそれは血に濡れた鋼、艶やかな黒い柄、先ほどの小刀だ。

 もんどりうって倒れる天明の視界を、夜の絹糸がざらりと覆う。不気味なほどに透明な、赤い紅い瞳だけが爛々と、闇の中に浮いて見えた。

 血濡れた手には一振りの刀。いつの間にかその腰に、隔離していたはずの白い鞘が佩かれている。

 世見坂が嗤う。三日月に嗤う。滴るほどに甘く潤む、真紅の眼。重たく濡れた髪をかき上げ、膝をついて天明の身体に乗り上げる。それから突然、まるで我に返ったかのように、笑みを消してうつむいた。

「すまぬ、天明……やつがれも少し、加減がきかなくなっていて」

 無色の光を浴びたその面差しを、真っ赤な血が彩っている。甘い匂いがする。血の臭いだ。

 おぞましさに背筋が凍る。軍服を指でなぞり、触れてくるのに肌が粟立つ。やめろ。触るな。汚い。汚い。汚い。なぜこんな目に合わねばならないのだ。なぜ。なぜ。なぜ。

「わ、私のしたことが、そんなに気に入らないのか!?」

 天明は身をよじって声を張った。こんなモノに触れられるなど、ああ、ああ、なんという屈辱だろうか。汚い。汚い。汚らわしい!

「この軍の未来を想うがゆえに! 貴様の脚を奪ったことが、貴様の視界を奪ったことが!! あいつの計画をこの手で壊したのがそんなにも憎らしいのか!! あいつも!! 貴様も!!  私がそんなに憎いのか!!」

 世見坂の手が止まり、顔を上げてこちらを向いた。見えてなどいないはずなのに、注がれる赤い視線が天明に突き刺さる。ああ、気持ち悪い。血のような目じゃないか。ケダモノの目だ。汚らわしい。

 世見坂はふたつ呼吸をすると――淡く笑った。不気味なほどに静かに、吐き気がするほど穏やかに。こんなことをしておいて、こんな風にしておいて、ソレはただただ嗤っていた。

「天明。やつがれは君を憎んだことなど、一度だってありはしない」

 嘘だ。恨まないなどありえない。そんなはずはない。いい子ぶりやがって。昔からそうだった。謙虚で控えめなふりをして目をかけられていた。ひとりだけ定められた轍から外れているくせに、たかだか剣が少しうまいだけでお気に入りになりやがった。目上の天明にも敬語ひとつ使わないろくでなしだというのに、たったそれだけでもてはやされていた。当てつけているようにしか思えなかった。

 だからつぶした。コレに目を付けていた上司にありとあらゆることを耳打ちした。同僚にも吹聴した。因縁を付けられているのを見てざまあみろと思った。こんなゴミはさっさとつぶして二度と這い上がれないようにしようとした。それなのに、コレはずっとここにいた。だから物理的に何もできなくしてやったのだ。コレがいる限り天明は永遠に評価されることはなかったからだ。ひいては軍の転覆すら危ぶまれる状態になったのは、まさに天の采配だった。

 自分を脅かすものをあらかじめ排除して何が悪い。こちらは正しいことをしたにすぎない。軍の未来を守るばかりでなく、それを壊そうとするものをあらかじめつぶした。こいつは皆が思うほど綺麗でもない。正義感が強いわけでもない。こいつは気が狂っているんだ。こいつはおかしいんだ。私は間違っていない。私のほうが正しい。私が正義なのだ。それを証明したに過ぎない。こいつは悪だ。大衆に迎合せず歯向かう悪である。悪だから憎んで当然だ、憎しみのために復讐を企て、そして己を亡き者にしようとここにきた。それですべてが片が付く。それでいいんだ。それなのになぜいつもいつも思い通りにならない!

「嘘だ、嘘だ嘘だ!! 貴様は私が憎いのだ、そうだろう? あいつは私が恐ろしいのだ! そうでなければあいつは貴様をここには送り込まない、私を殺すために来たに決まっている!!」

「違う。天明、あいつというのが誰かは知らぬが、やつがれは君を嫌いだったことなんて一度もない。君を不快にさせたのなら謝る、でも、信じてくれ、やつがれは君が――」

 伸ばされた手が顔に触れる。向けられた感情に全身を嫌悪が突き抜けて駆け巡る。

「やめろ、やめろやめろ!! 私に触るなァ!!」 

 天明は渾身の力で声を張ると、世見坂を突き飛ばして剣を握った。こんな化け物が人間のようなことを言っているのが気持ち悪い。自分にそれを注いでいるのが気持ち悪い。存在そのものが気持ち悪い。血の臭い。気持ち悪い。吐き気がする。こんなに血の臭いをさせて、目をぎらつかせて、屍山血河を築いて娼婦みたいな顔をしている、穢らわしくてキチガイのケダモノのくせに、高貴な血筋である私に汚れた情を向けやがって、ヒトのような顔をしてヒトのふりをしてヒトの感情を模した得体の知れぬ化け物のくせに――たかがヒトの真似をしているだけのくせに!

「汚らわしい、気持ち悪い、おぞましい――化け物の分際で!!」

 赫い双眸が見開かれる。天明は、呆けた世見坂の首めがけて力いっぱいに刀を叩きつけた。
 血がしぶく。噴きあがる紅。世見坂の刀が近い。天明は腕を見る。皮を一枚だけ残して、刀を握ったままの手がぶらんとぶら下がっていた。

「ひ――ひっ、ひい、あああ、私の、わた、わたしの腕がぁぁ!!」

 痛い。痛い痛い痛い。引き攣れた喉からほとばしる悲鳴。熱い。熱い。痛い。痛い。熱い。腕が千切れそうになっている。世見坂は目を細めている。血を浴びて真っ赤になった顔、爛々と朱い目が光っている。緋色の命を浴びている。いつぞのときと同じように。狂っている。どうかしている。こんなのはおかしい。こんなのは。こんなのは。

「違う、違うんだ、すまない、手が、言うことをきかなくて」

 必死の形相が気持ち悪い。甘ったるい香りがする。脳の奥が痺れるほどの、官能的な香りがする。

「すまない、でもどうしてか我慢ができなくて、抑えられなくて――天明、天明……君が欲しい、やつがれは君が、」

「黙れぇぇ!!」

 全身を刺し貫く冷たい感触、嫌悪、憎悪。冗談じゃない。吐き気がする。屈辱だ。汚らわしい。汚らしい。化け物。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。もがく天明の頬を世見坂の手のひらがたどる。血なまぐさい。反吐が出る。腕を払う。そうしてニンゲンのふりをして、ニンゲンのようにふるまって、そうして混じって食らうのだ。これはヒトのふりをした、おぞましい化け物なのだ。

「黙れ、黙れ黙れ!! ヒトと同じように語るな、話すな、動くな、化け物め、化け物め、――ヒトのふりした、おぞましい、汚らわしい、化け物め!!」

 声を絞り、天明は叫ぶ。嫌悪を、憎悪を乗せて叩きつける。世見坂は放心したように天明を眺めている。その唇がかすかに動いた、気がした。

 突如、天明の視界に華が咲いた。鮮やかな花だ。散って、散って、散っていく。彼岸花のようなそれが、絶え間なく咲いて散っていく。ばらばらになっていく。意識が乱れていく。首が熱い。灼熱の杭が撃ち込まれたような。痛み。引き裂く熱。冷たい鋼が濡れている。もう何がなんだかわからない。

 花が絨毯を汚していく。天明の咲かせた赤い花が、化け物の身を染めていく。ああ、ああ、こんなにも汚い。こんなにもおぞましい。こんなにも気持ち悪い、吐き気を催すほど醜悪な化け物が。ヒトにしかないモノを語るなど――身の毛もよだつほどにおこがましい。

 世見坂は、笑っていた。散る花と同じ色の瞳をすがめ、唇に三日月の笑みを乗せて。血とは異なる雫がひとすじ、血と混じりながら伝って落ちる。そうまでしてなおもニンゲンの真似を繰り返す、その理由はわからない。

「汚らわしい、化け物、め」

 口から濁った赫い泡を吐き、天明は最期の呪詛をこぼす。

「……そうだな、天明」

 閉ざされて遠くなっていく世見坂の声は、まるでニンゲンのように悲し気で。


やつがれは――存在することすらおこがましい、汚らわしい、化け物だな」


 化け物のくせに。
 腹立たしいほど透明に響いた。
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