そして夜は華散らす

緑谷

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伍章

其の二

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 黄昏はもとより、誰そ彼が語源だという。誰の顔も判別できぬ薄暗がり。それは転じて“あちら”と“こちら”の重なり合う時間であり、もっとも人ならざる者が現れる時間ともされている。

 世見坂はそんな、誰の顔も見えぬ夕方と夜の境目から、抜け出るようにして戻ってきた。

「おかえり」

 入相はペンを置き、椅子を回して振り向いた。卓上の洋灯らんぷの光の外、紅い瞳だけが夕闇に浮かび上がり、よりヒトから外れた気配をまとっている。この男は、入相の前でだけ薄笑みを浮かべない。そんなことをしても無意味だと、本能的に理解しているからだろう。

 それにしても、こんなに憔悴した状態は望ましくない。原因を解明しない限り、それを解決することは不可能である。不調によってこちらの想定通りに動かすことが困難になる、そんな事態だけはどうしても避けたい。

 入相は短く世見坂を呼びつけると、絨毯を引いた床を示した。世見坂はゆっくりと入相のそばに歩み寄り、入相の求めるままに膝をつく。

 軍にいた頃から変わらない、入相が世見坂に隠しごとを許さず洗いざらい吐かせるための、いわゆる儀式のようなものである。世見坂もそれを理解しているゆえに、表情は硬い。

「さて、世見坂。どうしてそんなひどい顔をしていたんだ? また派手に動いて警察沙汰になったわけではあるまい」

 弾かれたように顔を上げ、力なく首を振る世見坂を、入相はただ見下ろしている。

 世見坂が警察に拘留されることは、まったく想定されていなかった。ゆえに、独自のつてを用いて警察上部に掛け合い、迎えに行った入相はひどく気が立っていたのである。当たってしまったのは少々大人気なかったが、以降は必要以上のことをしないよう釘を刺していたはず。

 世見坂の冷たく整った顔がわずかに歪む。唇を震わせて黙り込んでいる。何も見えない目を、感情があふれるのを堪えるように細めている。コレもずいぶんとヒトのような顔をするようになったものだ。入相は少々感慨深く、それを眺めていた。

「……天明、を、……」

 やがて絞り出された声は、ずいぶんとかすれていた。

「何を気落ちしているのかと思えば、やはりあれを斬ったのか」

 予想通りの答えに、入相は淡々と声を漏らす。こちらが何も言わずとも、こいつは斬ってくると思っていた。もっとも――そうでなければ困るのだ。そうでなければ、コレを未だ手放さずここに置いている意味がない。

「まあ、どうせそんなことだろうと思ったよ。お前はそういうモノだからな」

 入相の落とした言葉に、世見坂の肩が跳ねた。髪が緩やかに肩から滑り落ち、顔が再び床へ向く。しかし入相はそれを許さず、足のつま先で世見坂の顎を持ち上げた。

 赫。何度見ても、この男の目は血のような色をしている。命を食い散らす血なまぐさい獣には似つかわしい色だと、入相は思った。

 瞳が揺れる。常に薄い笑みをたたえている面差しに、暗い影が落ちている。いったい何を今更、悲しむそぶりを見せるのか。入相には理解ができない。理解できないからこそ興味が尽きぬ。だからこそ、ここに置いている。だからこそ、こうして使っている。異物は所詮異物でしかないが、取り出してしかるべき場所に置いてやれば、良い具合に働くものだ。

「娼婦のときも、記者のときも。富豪の娘も、天明浄楽てんめい・じょうらくも、それ以外の有象無象も。お前の刃の下では何一つとして区別のない、お前の欲望に食わす餌だろうに」

 世見坂が口を開く前に、入相はふと足を外す。世見坂の髪がざらざらと流れる。入相は立ち上がり、世見坂の隣へとかがみこんだ。めしいた紅玉に映る己は、笑みのひとつもありはない。

 この男は、すべてを同じようにその手にかけてきた。差別もなく、殺し方に区別もつけず、すべてを平等に屠ってきた。そこに今更何の罪悪感を覚えてるというのか――否。それはありえまい。呼吸のように人を殺し、魂の渇き、すなわち己の快楽のために人を殺すモノに、そのようなものがあるとは考えられない。

 髪を払い、顎をすくい上げて面を上げさせる。ひそめられる眉は形がよい。

「どれを殺したときも、たまらなく気持ちがよかったろう? 吐き出さずに絶頂するほどに」

 その瞬間、世見坂の表情が明確にこわばった。さっと目元に朱がのぼる。飢えているときは娼婦のように誰かを求めるというのに、普段そういう冗談や戯言にほとんど耐性がないのも、まるで変わらない矛盾であった。

 入相は双眸をすがめてわずかに口の端をゆがめると、視力を持たぬ赫い双眸を正面から見据えた。そうして深く、深く、斬り込んでいく。

「理性の制止を振りほどき、命をむさぼることをどう感じている?」

 世見坂の口が薄く開き、閉じる。答えはない。当然だ。そこに快楽を見出しているモノに、今更すぎる。

「お前が殺してきた者たち。折り重ねてきた無数の屍にも、家族が、あるいは恋人がいたかもしれない。だというのに、それらをすべて斬ってつぶして命を啜る、それをお前はどう感じているのだ?」

 答えはない。四の五のと御託や言い訳を並べ立てたところで、コレの本質は水のように殺戮を求めてやまぬ獣でしかない。どうせ何をしても本質など変わりはしない。

「――それがキモチイイのだろう? 世見坂」

 肩がまた、震えた。反らせぬ視線は絡み合う。世見坂の目はもう見えていないというのに、不気味なほどこちらを捕捉している。

「お前にとっての断末魔は、さぞや心地よいだろう。血のしぶく感触が、命途切れるその様が、たまらない甘露なのだろう」

 返事はない。問いに見せかけた確認を肯定したくないのか、それとも別に理由があるのか。世見坂はただ貝のように口をつぐんでいる。

「気持ちよくて、気持ちよくてたまらないのだろう? 命を散らすその様に、強烈な快感を覚えているのだろう? 魚が水を求めるように、人が人を求めるように、命を貪欲に貪り食らうお前は、いったい何を考えている?」

 返答は、やはり皆無であった。もとより口数の多い男ではないが、質問にはすべて応答するよう、繰り返し教えたというのに。入相は嘆息し、手を外す。

「……なぜ、」

 と。深海のごとき静寂に、声が落ちた。たった一言だけの問いかけに、入相は意味を測り兼ねて首をかしげる。

「なぜ? なぜ、とは?」

 だが、いくら待っても続きはない。めしいた眼はただ、鏡のように入相の顔を映している。

 なぜそのようなことを聞くのか。なぜそのことを知っているのか。どちらの意味にも取れる。入相は少しの間頭を巡らせ、後者として返答することにした。

「自分の手駒の性質を正しく把握していなければ、それをうまく扱うことはできんだろう。お前が異常であることも最初から把握している。異質は異質でしかないが、使い方を間違えなければ有用だ」

 ほんのわずか、空気が動く。衣擦れと、世見坂が吐息だけで笑った音。それから入相の耳に届いた、感情の見えぬ不透明な音。

「……ああ、やはりか」

 入相は少々の感嘆に息をつき、立ち上がって再度椅子に腰かけた。物音に反応してか、終宵がこちらへと顔を向ける。

 正直に言えば意外であった。己の異常性を知らぬと思っていたが、どうやらある程度自覚していたようだ。ここへ連れてきたときに、それをあえて異常だと思わせないよう“教育”しているはずだが。

 いつから気が付いていたのだろうか――まあ、いい。自覚があろうがなかろうが、コレの扱いは何も変わりはしない。便利な手駒、それ以上でも以下でもない。

「入相さん。……やつがれは、狂うているのでしょうか」

 投げかけられた問いかけに、入相は思わず喉の奥で嗤った。そこにかすかに秘められた、一縷の望みにすがろうとする必死さが滑稽に思えたのだ。

 ああ、これはちょうどいい。何も知らぬまま退場するのも哀れというもの。それに、こうしたほうが都合がいい。そうでなければ、この計画は完全にはならないのだから。

 入相は机の引き出しから葉巻を取り出すと、先端を切って火をつけた。

「戦場でのお前がどんな風なのか、知っているか?」

 短い沈黙。それから、

「……いいえ」

 短い、否定。入相は血風のさなか、屍の山と血の河を築いた男のしていた表情を思い出す。

「まるで褥の中で乱れる娼婦のような顔をしている。わかるか? その異常性が。人が大量に死んでいる血なまぐさい場所で、人を大量に殺したあとだというのに、だ。通常の人間ならばあり得ない話だよ――異常だ。異質だ。明らかに気が狂っている。狂人だ」

 よどみなく言葉を放つ入相は、口の端をつりあげて片目をすがめた。

「否、ヒトですらないな、そんなモノは」

 世見坂は何も答えない。ただ沈黙したまま、静寂の闇に身を浸している。入相は煙で肺を焼きながら、言葉をつないでとうとうと語る。

「ヒトのふりをした魔性ほど、質の悪いモノはない――そして、だ。お前がそれに耽溺する様を見て、惑わされるものは惑わされる。正気を失うのだよ、お前に狂わされるのだ」

 世見坂は何も応えない。静かに見えぬ目を伏せて、入相の放つ言葉の刃を受け止めている。そういうところがひどく他者の加虐性を煽るのだと、果たして気が付いているのだろうか。

「そうしてお前が狂わせたものを、お前は斬り捨て、斬り捨て、斬り捨てる。そうして己の欲を満たしている。……おぞましいことだ。まさに魔性だな」

 魔性。あやかし。ヒトならざるモノ。ヒトの形に生まれ、ヒトの血肉を持っていながら、ヒトとは異なる化け物。今目の前にいるこの男は、まさにそうした存在である。だからこそ入相の書いた脚本の、〝この〟役にふさわしい。

「いいか、世見坂。そうして息をし、存在することこそが、それ自体が罪である種別のものがいる。それがお前だ」

「……やつがれは、……」

 何も映さぬ緋を虚ろに見開いたまま、薄く開いた唇から声がこぼれる。落ちた言葉はそれ以上継ぎ足されることもなく、ひたひたと迫る夜に飲み込まれて死んでいく。それを視界の隅に追いやりながら、入相は静かな笑みとともに、ゆっくり紡いだ言葉を刺した。

「魔性とは古来よりそういうモノだとされている。人を惑わせ、狂わせて食らう。……お前は魔性そのものだよ、世見坂――お前はやはり、化け物だ」

 吐き出した紫煙が、侵食してきた蒼い夜に溶けて消える。窓の外はもう暗い。ほの暗い闇にふたりだけ。

 世見坂の喉から、音になる前の空気が漏れている。何かを言おうとしているのか、しかしそれは形になることもなく砕けていく。

 やがて紅い視線は床へと投げられた。夜を含んだ黒髪が、白い面を隠していく。それをしばし眺めていた入相は、腕を伸ばして洋灯をつけた。かちん、と硬くかすかな金属音が響く。硝子の筒に入れられた夜光石が、火花を散らしながら徐々に光を増していく。

「魔性は所詮魔性でしかない。ヒトの真似をしたところで、ヒトの群れに入ったところで、お前は異物でしかないのだよ、世見坂。そこに手を伸ばしたところで、誰もその手を取ることはない」

 世見坂の手が、拳を作る。そんな姿すら、入相の目にはただただ哀れで滑稽に映る。

「たとえその手を取る者があったとて、お前はそれを斬って捨てるだろう。そうでなければ、お前は生きていられないのだから――もう、何も求めなければよかろうに」

 入相は葉巻をもう一口吸うと、灰皿へと押し付けた。紅い火の粉が散り飛び、やがて冷たい灰になる。

「求めて、失って、その繰り返しで疲れたろう。手を伸ばすことをやめればいい。それだけでずいぶんと楽になるぞ、世見坂」

 入相は無造作に手を伸ばし、頭を撫でた。世見坂はびくりと身体を震わせたあと、すがるように入相の手に己の手を重ねる。

 煩わしいが、それももうこれで終わる。最期の最期まで“化け物”であってもらわねば困るのだ。そうでなければ、何のためにコレを拾ったのかがわからなくなる。

「今日は早く休みなさい。……眠る前にこれを飲んでおくといい。よく眠れるようになる」

 引き出しの中を探り、薬の瓶を出して差し出す。人差し指ほどの大きさのそれを、世見坂は指を這わせてから受け取った。

 腕を引いて立ち上がらせる。甘い匂いがする。濃厚な血の臭い、他者を惑わせる香りをまとい、魔性は虚ろに微笑んだ。

「……ありがとう、ございます、入相さん……おやすみなさい」

 それから小さく頭を下げると、ふらふらと部屋から出ていった。

 扉が閉まるのを確認し、入相は机に向かって窓の向こうへ目を向ける。外は闇。あちらこちらに街灯の光が揺れている。

 第一階層の娼婦。第六階層の記者。第九階層の令嬢と使用人。警察官。かつての部下だった男。こうして目的は果たされた。あとは、最後の仕上げをするばかり。

 入相は電話の受話器を手に取った。くるりくるりと数字の輪が回る。呼び出し音が数度鳴り、やがて男の声がした。

『――はい』
「私だ、入相だ。例の件はどうだ?」
『はっ。いつでも軍へお戻りいただける準備はできております』

 これで手筈はすべて整った。かつて戦で数千の敵兵を屠った英雄は、平穏な世ではただの辻斬りと変貌した。

 好奇心で犠牲者にかかわり、いたずらに惑わせ、かどわかし、狂わせて殺す、悪質な殺戮者だったのだ。本質など何も変わりはしないけれども、それだけで十分すぎる理由になる。

「ここに連続殺人犯がいる。今は奴の目を盗んで連絡している。ただちに私の家に来てくれ」

 世見坂終宵よみさか・よすがらという化け物は、ここで舞台を降りねばならない。世間を騒がせた魔性、狂気の殺人鬼として――処刑されるのだ。
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