そして夜は華散らす

緑谷

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外伝2【紅玉の眸の獣】

其の二

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「――さん、お客さん、到着しましたよ」

 肩を叩かれ、白陽きよはるはふと顔を上げた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。窓から差し込んでくる光は明るく、かけられた看板には『西月京』と書かれている。慌てて周囲を見回せば、すでに誰も中にはいない。残っているのは白陽だけのようだった。

「す、すいません! 爆睡しちゃって」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。緊急整備をしなければならないので、皆さんにはいったんここで降りていただいているんです」

 車掌が申し訳なさそうに頭を下げる。なるほど。先ほど【獣】の急襲を受けてしまったから、故障した箇所がないかを調べないといけないのか。この先の鳳翼宮ほうよくぐう、南風京への道のりは長い。安全に運行するためにはどうしても必要なのだろう。

「出発は明日の十時頃を予定しています。十時までには列車にご乗車ください」

 幸い、ここで降りるつもりではあったから、明日の時間は気にしなくてもよさそうだ。立ち上がる白陽に、車掌が名刺くらいの大きさの紙片を渡してくる。

「もしもご予定などなければ、宿泊施設はこちらをご利用ください。話を通してありますので」
「どうも、助かります」

 宿泊所の名前と案内が記載されたそれを懐にしまい、礼を言って荷物に手をかける。さて、これからどうしようか。西月京にはあまり詳しくないから、まずは宿を借りて荷を置いてぶらぶらしてもよいかもしれない。

 そんなことを考えていると、車掌が「それと」と言葉を継ぎ足した。

くたちさんから言伝を預かっています。その裏面をご覧いただけますか」
「俺に? 何だろ」

 白陽は目を瞬かせ、紙片を受け取り目を通す。紙面には割と綺麗な字で、


『第六階層 橋の外 胡蝶舞という店にいる 駅からさほど遠くない 気が向いたら来るといい おごってやる』


 そう綴られていた。女性が書いた逢引の言付け、なんて言っても通りそうなほど、繊細な線で文字が形作られている。ガラの悪そうなあの外見からは想像ができなかった。

 もちろん、いかないという選択肢はない。話を聞く絶好の機会だ、これを逃すわけにはいかない。

「あの、この胡蝶舞って店、何か目印とかないんすか?」
「暖簾に蝶々と扇を掲げていますから、すぐにわかると思いますよ」

 丁寧に降り口まで教えてもらい、白陽は今度こそ席を立つ。忘れ物がないかを確認し、鞄をひとつ肩にかける。もうひとつはわざわざ車掌が持ってくれた。列車を降りる白陽に荷物を手渡し、車掌が深々と礼をする。

「この度は本当に、ありがとうございました」
「いえいえ、お役に立てたのなら何よりっす! それじゃ、どうも!」

 白陽は朗らかに笑ってひとつ手を振り、教えられたとおりに駅を進む。駅の西側にある階段を上り、改札で駅員に切符を渡してから外に出た。

 階層の天井高くにまで建て増しされ、鮮やかな色付けが施された美しい楼閣。空中に渡された長い橋や吊り廊下。あちらこちらに薄紫の燈篭がともされ、金、銀、玉のきらびやかな飾りがいくつも涼やかな音を立てて揺れている。

 葦原国随一の歓楽街、西月京。人々の笑い声や嬌声がさざ波のように打ち寄せる街。ここのどこかに、蒼い切符を持った彼らもいるのだろうか。それとも、もう既に先に行っているのだろうか。

 いずれにせよ、彼らを追う前に、飛次から話を聞きだしておきたい。元軍人なら、飛次も何かを知っている可能性がある。話を聞くことは、決して無駄ではないはず。

 白陽は行き交う人々に道を尋ねながら、『胡蝶舞』という店を目指す。途中で表通りにある茶店の娘に袖を引かれ、あるいは団子屋の娘に引き留められ、上の妓楼から覗く妓女たちの誘いを断りながら、白陽はやっとひとつ向こうの路地にある『胡蝶舞』の文字を発見した。

 そっと暖簾をくぐれば、蝶と扇の紋が入った行燈が辺りを照らしている。綺麗に磨かれた木製の廊下が続き、すぐ手前の勘定場の傍らには簡素な待合所が設けられていた。上り口には美しい花が生けられ、伏せた粗い目の籠からは優しい甘さの香りが立ち上っている。中に香炉が入っているらしく、淡く煙が湧き出しては空気に溶けていっている。母が昔つけていた練り香のにおいによく似ていた。

 父は、母は、元気だろうか。勝手に警察を辞めて飛び出して、ずいぶん心配させてしまっていると思う。それでも、白陽きよはるは止まることはできなかった。世見坂の口から答えを得るまでは、家に戻ることはできない。

 やがて廊下側から軽い足音が近づいてくる。臙脂に梅の模様の着物をまとう女給が、盆を片手に出迎えてくれた。

「どうも、お待たせしました。おひとりでよろしゅうございますか」

 柔らかめの西月訛りが新鮮だ。東花京でもたまに聞くことはあったが、やはりここが地元なのだと妙な実感がわいてくる。

「あ、えっと。くたちって人、います? 長い赤毛で、左の目元に黒子がふたつある」
「ああ! 飛次ひつぎさんのお知り合いね。ほな案内したげます」

 女給は人の好さそうな笑みでそういうと、履物を脱ぐよう手で示した。言われるままに靴を脱ぎ、導かれるままに廊下を進んでいく。客室にはそれぞれ丸い格子窓があり、薄い障子紙を通して人影があちこちに浮かび上がっていた。

 その途中にある一部屋に通される。開けられた障子の扉の奥に、薄明りにも鮮やかな紅い色が見えた。外套は無造作に着物掛けに投げられ、刀は男の傍らに置かれている。背の低い机には徳利が何本も並んでいた。猪口と揃いのものなのか、どれも陶器の深い蒼が美しい。広げられているのはつまみだろうか。焼いた魚や野菜、卵焼きや煮物なんかが乗せられている。机の隅にはなみなみと満たされた猪口がひとつ。もうひとつは飛次が口元に運んでいる。

 降飛次はこちらへ紅い視線を投げると、人懐こく笑って手招きした。女給に頭を下げてから、白陽は飛次の向かいへと足を進める。

「よォ、本当に来てくれるたァな。まァ座りな。目は覚めたかい」
「いやあ、おかげさまでぐっすりっすよ」
「ははは! そりゃそうだ、あれだけ命がけだったんだからな。ほら、好きなモン食えよ。おごってやるから」

 品書きを渡されてからやっと、白陽は自分が空腹であることを自覚した。言われた通りに腰を下ろし、筆で書かれた文字を眺める。けっこう種類は多そうだ。

「いいんすか? 俺けっこう食いますよ」
「若ェんだから食え食え。食うやつには慣れてるんだよ」

 赤毛の男はからからと笑ってそういった。白陽の前にも猪口が据えられ、酒が注がれる。飛次はそのまま手酌で自分の持っている猪口に酒を満たした。もうひとつにはやはり、手を付けた様子はない。

 豚カツとか唐揚げとか、がつんと腹がいっぱいになるようなものが食べたい。ここは流行りものなんかもよくあるから、そういうものも置いてるかもしれない。そんなことを考える白陽の脳裏に、唐突に散らばっていた【獣】どもの肉片がよぎっていく。……何も今思い出さなくてもいいだろうに。

 肉はちょっと厳しいかもしれない。無造作に品書きをめくりつつ、白陽は蕎麦とうどんに目を止める。

「天麩羅うどん……」

 一瞬だけ、瞼の裏にあの人の――東雲の姿がよみがえる。天麩羅うどんは彼の好物だった。財布をわざと忘れては、よくおごってもらっていたのに、もうそんな他愛もないやりとりすらできない。彼は今、どこにいるのだろう。傷は大丈夫だったろうか。

 あの人を斬ったときの、肉を裂いて骨に当たる、あの感覚が忘れられない。手のひらに時折よみがえるそれは、あの人を斬り殺すというひどい悪夢を見せ続けている。どうしようもなかったとはいえ、自分の尊敬するひとを、この手で――あんな感覚はもう二度と味わいたくない。

 だからこそ、思う。なぜ、人斬りは人を斬るのか。こんなおぞましい感覚を欲するのはなぜなのか。いったい何があの人を変えてしまったのか。何が彼らを突き動かすのか。世見坂に会えば、もう一度話をすれば、もしかしたら何かがわかるのかもしれない。確証も、根拠もない。何もわからないかもしれない。それでも、ただの気狂いと切り捨ててしまうのは、あまりにも早計のような気がしてならなかったから。

 飛次は世見坂によく似ている。彼ももしかしたら、近い感覚を持っているのかもしれない。人斬りと並べるのは失礼かもしれないが、あの戦いぶりを、あの獰猛な笑みを目の当たりにした以上、あながちこの直感は間違ってはいないと思う。彼のことを聞いたあとに、それを伏せて質問してもいいかもしれない。

 意識を戻し、部屋の入口にある鈴を鳴らして女給を呼ぶ。肉はどうしても捨てがたいが、やはり無理そうだ。大盛の天麩羅うどんを注文すると、女給は愛想よく笑って障子を閉め、足早に去っていった。

「はー……肉食いたかったのになー……」
「くくく、やっぱり無理そうかィ」

 何気なくこぼした言葉に、飛次がからかうように声を重ねる。どうして肉を避けたのか、理由もすっかりお見通しらしい。驚いた白陽きよはるが面を上げると、飛次は片目をすがめて楽し気に笑っていた。

「ああいう【獣】が出たときは、軍人さんに任せてたんで……掃除とかも向こう任せだったんすよ」
「じゃァ仕方ねェ。駆除は軍人の役目だし、間近でンなモン見ることもそうそうねェだろ。よっぽど慣れてなきゃ、肉見ただけできついしな。オレも慣れるのに時間がかかった」

 苦笑する白陽にそんなことを言いながら、飛次は綺麗な箸使いで魚の骨を取っていく。

 事件や事故で、人の遺体を目にすることはそれなりにはあったと思う。こと、連続殺人が起きている間は死体ばかり目にしていたから、それなりに耐性がついたとは思っていたのだが。やはり軍人と警察とじゃ、重ねる経験からして違うということなのだろう。

「【獣】と戦って肉食えなくなるの、わかるなあ~」
「オレの周りの同期は、あいつ以外はだいたいそうだったよ。軍人って言っても、大半は第八だの第九だの出身のお坊ちゃんだからなァ」

 あいつとは、誰のことなのだろう。

 問いを投げようとしたところで、天麩羅うどんが運ばれてくる。大盛の特典なのか、でかい海老天が二尾も乗っていた。大きめのかき揚げまでついている。東花京のものと違ってつゆの色は薄いが、たっぷりと出汁が使われているのか、食欲をそそる鰹節のいい香りがした。

「っていうかくたちさん、やっぱり軍人だったんすね」
「元、だよ。地位は最終的には中尉だった。八年前に退役して、今はここでしみったれた商売してんのさ」

 八年前。あの戦争が終わったあと、怪我の後遺症で退役したり、そのまま警察へと転身する者もいたという。

 そういえば、東雲も転身組のひとりだった。ずいぶん前に東雲と飲んだときに、そんなことを言っていたのを思い出す。苦い思い出があったのか、あまり詳しくは話してくれなかったが、自分があまりに無力であることに嫌気がさしたんだ、なんて話していたっけ。酒には強くない彼が、その日はずいぶんと飲んで潰れてしまって、寮に運ぶのが大変だった。数か月も前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出せる。

「ここのうどんは絶品だ。ほれ、のびちまうと勿体ないぜ」
「あ、はい、いただきます」

 飛次の言葉で我に返り、白陽は手を合わせて天麩羅を口に運ぶ。

 弾ける歯ざわりの海老の身に、さくりとした衣がよく合っている。揚げたてで、かじるだけでもう熱い。うどんはこしが強く、噛み応えも十分だ。鳳翼宮から仕入れているとあったが、確か東雲がよく連れて行ってくれたうどん屋もそうだった。海老天がうまかったな。東雲はいつもでかい海老を二尾頼んで、揚げたてを乗せてもらっていたのを覚えている。

 ……ずいぶんと、遠くに来てしまった。実際はそんなに時間も経っていないはずなのに。じわりと胸に痛いような、切ないような感情がこみあげてくる。それをごまかすため、白陽は無言でうどんを啜った。

 飛次は頬杖をつき、白陽きよはるの食事を眺めている。時折思い出したように酒を飲み、つまみを口に運んでいた。こちらを見る眼差しの奥には、懐かしそうな光がある。自分を通して、昔のことを思い出しているのかもしれない。

 そういえば、先ほど聞きそびれたことがあったんだった。人心地ついたところで白陽は再度、問いかける。

「あの、さっきの話の……あいつっていうのは?」
「あァ。オレの同期で、部下だったやつだよ。この刀の持ち主だ」

 飛次の手が、脇に置いていた刀を持ち上げる。やはり普通の刀よりも大振りだ。先端が折れていなければ、もっと重量があるに違いない。よく見れば、柄の一部が手の形にすり減っていた。飛次の手の大きさにも痕がついているが、それ以外にももうひとつ――飛次のそれよりわずかにずれた箇所に、前の持ち主の痕跡が確かに刻まれている。

「その刀、すごいっすねえ。先が折れてるのによく斬れるし」
「あいつが使ってたときからこの切れ味だ。あいつ、意外と几帳面だったからなァ。オレの刀も張り切って研いでたんだけどよ、最後の戦いで折れちまってなァ。……惜しいことをしたもんだ」

 痛みをこらえるように目をすがめ、飛次は語る。あいつ、と呼ぶたび瞳の紅がかすかに揺れる。過去に思いをはせるだけでは、そんな顔にはならない。

「ずいぶん慕われてたんすね、部下さんに」
「何がどうツボに入ったんだか知らねェがな。オレのあとをぴったりくっついてくるような、かわいいやつだったよ。図体はオレよかでかかったし、筋肉質で顎髭生やしてたから、威圧感しかなかったが。笑うと懐っこい犬みてェでなァ」

 白陽は葦原国じゃかなり珍しい長身だが、飛次もかなり体格がよい。とすると、自分と同じぐらいか、もしくは少し低いぐらいか。それで髭面で、笑うと人懐っこい雰囲気のする男――全然想像できない。かわいいやつ、と表現するようなものなのだろうか、それは。

 でも確かに、警察学校で懐いてくれていた後輩はかわいく思えたものだ。それと同じことなのかもしれない。白陽はひとつうなずいて、話の先を促した。

「あいつァ軍じゃ珍しい、下層からの志願兵でな。オレの同期で、同室だったんだよ。それで懐かれてたのかもしれねェがな」
「へぇ、志願兵! それは珍しいっすね」

 警察や軍では今もなお、血筋を尊重する風潮が強い。ゆえに、下層から志願して軍人になる者はかなり珍しい。よほどその人物が優秀でない限り、採用されることすら稀である。仮に試験を突破できたとしても、下っ端のまま出世できないなんて当たり前なのに、よく志願兵になったものだ。

「歳は俺より少し下、だったのかねェ。詳しくは知らねェって言ってたが。西月訛りでよくしゃべる、にぎやかなやつだった……」

 そこでふと、言葉が途切れる。蒼い徳利で手酌しながら、飛次はこぼれる髪をかきあげた。白陽から視線を外し、注がれた酒に目を落とす。紅い髪がまた、はらりと肩に滑り落ちた。

「……最期まで、オレのそばを離れなかったよ。……故郷に近い戦場で死なせてやることしか、オレにはできなかったがな」

 酒の水面に、波紋が落ちる。飛次は目を伏せたまま、透明な水面を見つめている。

 猪口がひとつ多かったのは、きっと弔いの酒も込めてだったのかもしれない。わずかにかすれた声音や沈んだ表情から、彼らが親しかったことがよくうかがえる。

「すいません、つらいこと思い出させちゃって……」
「いや、いいよ、気にすんなって。ははは、ちょっと感傷的になっちまったな」

 飛次はもう一杯を飲み干して、これまでと同じようにからりと笑う。白陽もそれ以上は言及を控え、天麩羅うどんを食べ進めることにした。

 そういえば、飛次の苗字についても気になっていたんだった。下層から上層へ上がった者がつけられる仮の名前。通常ならば引き取られた先で上書きされるはずのものが、いったいなぜそのままなのだろう。

「下層って言えば……降さんも下層の出なんすね?」
「飛次でいいぜ。堅っ苦しいのは苦手なんだ」

 先ほど覗かせたほの暗い表情はすっかり消え失せ、男は飄々と軽い口調で言う。だし巻き卵を口に運んで咀嚼しながら、「そうそう、よく知ってんなァ」と首肯した。

「ま、警察にいたんなら知ってるか。オレァ東花京の第一階層の出でなァ。美術商の親父がそこに住んでる訳ありの絵描きんとこに商談にいった、その帰りにオレを拾ったんだってよ」

 東花京、第一階層。かなり危険なところだ。管理など放棄されて久しい、無法地帯と言っても過言ではない。訳ありの人間は下層にあえてとどまっていることも多いというが――そんなところにあえて行こうとする上層の人間はほとんどいない。ましてやそんな場所にいる子どもを連れてこようとするなんて。

「ずいぶんその……変わってるんすねぇ、親父さん」
「嫁さんが長男亡くしてすぐだったからな。オレァその代わりってわけだよ」

 飛次は一瞬だけ、どこか自嘲めいた口調で皮肉げに笑った。柔らかな灯りが、飛次の精悍な顔立ちに柔らかな影を落としている。

「まァ、結局親父らとすったもんだあってよ。軍に入るときに縁切られてそれっきり、ってわけさ。あはは」

 冗談めかしているが、どうやらだいぶ繊細なところに突っ込んでしまったらしい。なんというか、いろいろと聞いちゃまずそうなことばかり聞いている気がする。正直、かなりいたたまれない。ちょっと突っ込んだことを聞きすぎた。

「な、なんかすんません、変なこと聞いちゃって」

 白陽きよはるは慌てて頭を下げる。飛次はきょとんとした顔をしてから、何がおかしいのか、けらけらと笑った。

「いいってェ。全然気にしてもねェし、もう済んだことだしよォ。でも……そこまで言うなら、詫び賃ってことでもらってくぜェ?」

 言うが早いか、白陽の丼に残っていた海老天が一尾、あっという間にさらわれていった。悪戯っぽくにやりとし、そのまま豪快にかじりつく。それから綺麗に尻尾までたいらげて、飛次は「にひひ」と妙な笑い声を漏らした。

 ずいぶん酔っているようだ。陽気に杯を重ね、徳利を傾けている。本人の言う通り、気にはしていないらしい。気分を害さなかったことに安堵し、白陽は内心ほっと胸をなでおろした。

 しかし、さて、ここからどうしよう。当たり障りない会話をしながら、白陽は思考を巡らせる。世見坂の――東花京の連続殺人鬼の話を、果たして人がいるところで振ってもいいものかどうか。かなり大きな事件だったから、西月京にも噂が聞こえている可能性がある。飛次が世見坂の知り合いだった場合、もしかしたら彼の立場が危うくなるかもしれない。

 そんなことを考えていると、飛次がニヤニヤしながら白陽の後ろを指さした。

「おいおいお兄ちゃん、ずいぶんモテるなァ? くくく、色男はつらいねェ」
「へ?」

 何を言われているのかわからず、白陽は示されたほうを肩越しに振り返る。戸口に何気なく目を向けると、そこにはこそこそと覗き込んでくる女性たちがいた。従業員だけでなく、通りかかった客と思しき女性も混じっている。

 目が合った。きゃあ、なんて黄色い声が聞こえる。白陽は思わず苦笑し、頭を掻いた。

 身長が高いから、というのもあるかもしれないが、どうも自分はそれなりにモテるほうではあるらしい。時々女の子が周りで騒いでいるのは知っていたが、こういうのはちょっと困る。

「ああ~……いやあ、参ったなあ~」

 白陽の様子をしばし眺めていた飛次だったが、やがて猪口を置いて机を指でひとつ、叩いた。

「ところでお兄ちゃん、どこか宿は取ってんのかい?」
「いやぁ、まだっすね。一応鉄道会社が宿を用意してくれてるらしいんすけど」

 飛次がそうかあ、と言いながら、またちらりと戸口を見やる。同じく再度肩越しに視線を向けると、先ほどと同様女性たちから黄色い声が上がった。さっきよりも数が増えている気がする。これじゃあ聞きたいことも聞けなさそうだ。本当に、どうしたものか。

 頭をひねる白陽に、さらに飛次が言葉を投げる。

「もし嫌じゃねェなら、オレんとこでも来るかい? 下層が嫌じゃなけりゃ、の話だが」

 もしかしたら飛次は、自分が困っていることを気にしてくれてるのかもしれない。飛次の顔を見つめると、飛次は唇に指をあててぱちりと片目をつむった。どうやら予想は当たりらしい。これはいろいろ聞くことができる、絶好の機会だ。

「え、いいんすか? ぜひ! 俺もっと飛次さんと話したいっす!」

 飛次は一瞬驚いたように目を瞬くと、楽し気に肩を揺らして笑った。右の目を隠すように流された長い髪をかきあげながら、紅い瞳を細めている。

「そいつァどうも、ありがとうよ。んじゃ、そろそろ移動しますかねェ。ついてきな」
「あ、は、はい!」

 刀を手に取り、飛次がゆらりと立ち上がる。それから酔っているとは思えないほどしっかりした足取りで、外套を肩にかけて歩いていく。白陽は慌てて鞄を持つと、そのたくましい背中を追いかけた。
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