そして夜は華散らす

緑谷

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外伝2【紅玉の眸の獣】

其の五

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※※※ 流血描写、同性同士の恋愛描写があります ※※※


 透かし彫りの衝立をよけてみれば、やはり六畳ほどの部屋があった。男物の着物が数枚放り投げられ、いくつかの酒瓶が部屋の端に寄せられている。押し入れの傍らには葛籠の代わりに文机がある。刀は持ち歩いているのか、ここには置いていなかった。

 香りが濃い。甘くて、官能的な。否。違う。違う、そんなものではない。屍が重なり、緋色が海と化していたあの場所と同じにおいだ。粘つい濃くて胸が悪くなりそうなほどの、鉄錆のにおい――いのちのにおいが、満ちている。
「う、」

 思わず呻いて、鼻を覆う。この部屋はどうしてこんなに血の臭いがするのだろう。使われていると思しきものは、どれも最低限綺麗にしてあるというのに。

 視線を、動かす。文机の上には何かが散らばっている。紙きれだろうか。……暗くてよく見えない。ひとつ、ふたつ、近づいて、そして白陽きよはるは喉から溢れそうになった悲鳴を必死で飲み込んだ。

 薄暗がりのわずかな光を反射する、それはひとつの髑髏だった。くぼんだ眼窩には虚ろな闇が溜まっている。滑らかな象牙色のそれは、物言わぬままそこにある。何もかもに埃が積もる中、髑髏だけが不気味に黙りこくったままそこにいる。

「な、んだ、これ……」

 思わず漏れたうめき声が、冷えた空気を震わせる。いったいこれは何なのだろう。飛次はどうして、こんなものを。

 髑髏のそばに散らばっているのは、どうやら写影のようだった。乱れる呼吸を整えて、白陽はゆっくりと手を伸ばす。闇に慣れた目が、写影に刻まれた姿をなぞっていく。

 色褪せてもなお鮮やかな赤毛の男と、彼より少し体格のいい、くすんだ赤茶の髪の男が並んでいた。どちらも軍服をまとっている。ひとりは髪を首の後ろでまとめ、顎に髭を生やした、優し気な垂れ目の男であった。隣にいるのは飛次だ。今よりも若く、背中半ばまでの髪を後頭部で雑に結っている。飛次は楽し気に笑いながら、部下の腕に腕を絡めている。絡まれている男も目を細め、くすぐったそうに笑っていた。

 ほかの写真も似たようなもので、部隊の仲間らしき数人と花札をしている最中のものや、行軍中の食事の風景など、他愛もないものばかり。しかし、そのどれもに飛次と“彼”が写っている。

 飛次が戻る少し前に積まれた、十一人の首なし死体。血の海。こんなにも濃い、血のにおい。生首。髑髏。斬り飛ばされたそれら。紅い色。つながっていく。嫌なほうへ。

 なぜ警察が知らない他の階層の事件のことを知っていた。なぜ被害者が皆首なしだったことを、何も言わずとも知っていたのか。廊下に滴る血の色は、【獣】のそれより鮮やかだった。全部ただの偶然だと言うこともできる。だが、果たして本当に偶然なのだろうか。偶然にしてはあまりにも、ここは血のにおいがしすぎている。

 ――確かめなくては。すべてを。

 白陽は動揺と混乱とに喘ぎながらも、ふらつく脚で階段を下りる。飛次はもうすでに出てしまったのか、障子は開けっ放しになっていた。床に続くのは水の痕。滴った水滴が点々と、今度は外へ続いている。

 微睡みの中で聴いた「足りない」という言葉。あれがもしも現実のことだとしたならば、飛次は【獣】を駆除してもなお、殺し足りなかったというのか。

 戦っていなければ、殺していなければ、生きていることがわからなくなる。誰かの血を浴びなければ、断末魔を聞かなければ、自分が自分であることも、本当にここにいるのか、本当に生きているのかも曖昧になる。飛次はそう言っていた。

 扉を開ける。人気がない。今の時間がわからない。薄暗い中を人工の光だけが無機質に照らしている。先ほどまでの人々の喧騒が嘘のように、辺り一帯が静まり返っている。鎧戸だけをかろうじて閉めて、白陽はうっすらと地面を濡らす水滴の後を追った。

 走る。駆ける。つんのめりながらも、前へ進む。あの通りは封鎖されていた。迂回して、また走る。警察官と幾人もすれ違い、時に声をかけられる。だが、白陽きよはるはそれらも背後に置き去りにして走り続けた。

 どこにいった。どこに。道を往く人に尋ねながら、白陽はひたすらに走る。走る。走る。走る。紅い影を探して、無我夢中で道を曲がり、時に戻り、駆けた。

 第二外殻の外れ、だろうか。人影もいつの間にか消え、廃墟の数が急激に増したこのあたり。ふと鼻先を生臭い鉄の臭いがかすめていった。すぐさま悲鳴が耳を打つ。命乞いが聞こえてくる。それもすぐに断末魔に塗りつぶされ、代わりに乾いた笑い声が小さく弾けた。

 歪に増やされた建物の林、その隙間にかろうじて存在する路地へと飛び込む。肺が空気を求めて軋む。どろりと血に澱んだ生ぬるいそれを何度も取り込み、吐き出していく。心臓が破れそうだ。それでも白陽きよはるの眼差しは、目の前の光景を捉え続けた。

 大人がふたり通るのがやっとの狭い路地で、息も絶え絶えな人工の光がちかちかと点滅し続けている。死にかけの光に照らされたそこは、見渡す限り紅い河と化していた。ところどころに浮かんでいるのは、首をもがれた哀れな死体。無残に切り離された頭部は、本来の持ち主とは別の場所に転がされている。

「……飛次、さん」

 そんな地獄絵図の、中央に。真っ赤な血に染まりながら、陶然と虚空を見やる飛次がいた。折れた刀の先からとめどなく、いのちの赫が滴り落ちている。生乾きの髪が血を吸って、さらにその色を濃く、深く沈めていた。

「……よォ」

 獣が笑んだ。陶然と、瞳の緋を潤ませて。

「何を、してたんすか」
「さァてな。何だと思う?」

 飛次はくつくつと喉の奥で笑っている。こんな問いに意味はない。この光景を見れば、何がどうなっているなんて一目瞭然なのだから。

「十一人、斬りましたね」
「オレなんかに絡んじまったのが運の尽きだよ、かわいそうなほど馬鹿なやつらだ」

 ため息交じりに飛次が語る。長い髪をかきあげれば、白い手に赤黒い雫が筋を作った。吐き気がするほど甘い臭い。それはどうしてか、血を浴びた飛次から強く香っていた。

「……自分が生きてることを、確かめるため、ですか」
「ちゃァんと覚えてたのかィ。感心、感心」

 飛次は燃え上がる紅い眼を細める。それからひどく優し気に、そしてどこか苦し気に、眉を寄せて微笑んだ。

「でもなァ。ホントはあんなもん、建前でしかねェんだよ。結局のところオレはただ、殺してェだけなのさ。殺して、殺して、殺して、殺して、満たされる。それがものすごくきもちよくて、だからもっとほしくなって、だから殺すだけなんだよ」

 本当は、理由なんてどうでもいい。ただ斬る理由がほしいだけ。殺してしまう理由がほしいだけ。少しでも、己の持つこの異常さを正当化したいのかもしれない。少しでも、ニンゲンでありたいと思っているのかもしれない。そうでなかったら、こんな苦しそうに笑ったりなんてしない。このひとも、――あの男も。

「あの、髑髏。……あんたの部下も、首を刎ねたんすか」
「見たのか。他人の部屋に断りなく入るのは感心しねェな?」

 飛次はおどけるように両手を広げ、肩をすくめてみせる。白陽はあえて答えることなく、続く言葉もないままで、視線をまっすぐに飛次に注いだ。

 小さな嘆息が空気を伝う。

「なァ、お兄ちゃん。こんなに壊れてイカれたオレは、死んだほうがマシだよなァ?」

 問いかけられて一瞬だけ、なんと返答すべきかためらった。それをどのようにとらえたのだろう、飛次は自嘲気味に笑って首を振る。

「わかってる。そうだよな。わかってるんだ。生きてたいって思うだけで、存在していたいと願うだけで――罪なんだ、ってことはな」

 そんなことはない、と言いたかった。あなたは生きていてもいいのだと、言ってあげたかった。なのに目の前の光景が、白陽きよはるの喉から出かかる声をすべて凍り付かせてしまう。何の罪もない人を手にかけて、生きていたいと望むなんて、おこがましくはないのかと、心のどこかが彼をなじるのだ。

 言葉も声も出ないまま、白陽は表情をくしゃりとゆがめる。人を殺したい、そんな衝動と欲望を抱いたものを放置はできない。けれど、飛次を悪人と断ずるには、あまりにも彼は優しかった。だけど。でも。どうしたらいいのかわからない。どうしたら。

 そんな白陽を慈しむように視線で撫でて、飛次はゆっくり言葉を継いだ。

「でもな。あいつ、そんなオレを見て、なんて言ったと思う? ――綺麗だ、って言いやがったんだ。死体の山を積み上げて、血と臓物にまみれてたオレのことを」

 どうかしてるだろ、と飛次は笑う。白陽は何も、応えられない。

「オレァこうやって殺してねェと生きてられねェってのに、オレのことをきれいだって、血と臓物にまみれたオレを、いきていてもいいって、だきしめて、なでて、くれたんだ」

 ここにいてもいいと、言ってくれた。

 自身の異常さを自覚して、自分の存在を否定していた男を、“彼”は唯一、肯定したのか。

「だから」

 刀を持ち上げ、飛次が血に染まる刀身に唇を寄せる。まるで恋しい者へとするように。紅に湿った髪がぱらりと、肩から落ちる。

「だから――斬ったんだ」

 熱と共に吐き出された声に、白陽は背筋を凍らせる。

「あいつの熱が、温度が、なにもかもがきもちよくて、もっと、もっとほしくてたまらなくて、斬りたくて仕方なくなって……そしたらあいつが、やっていい、っていってくれたから。死ぬ前に、綺麗なあんたを見ていたいから、って」

 とつとつと、言葉を口にする。彼への情を、音にする。愛おしそうに語る飛次の眼は、狂おしいほどの情で燃えている。暗い路地でも鮮やかに、その美しい色が浮かび上がる。

「今までで、一番きもちよかった。だからあいつの首、持ってかえってきたんだ」

 軍または警察官が殉職した場合、身内がいない遺体はそのまま共同墓地に埋葬される。碑に名前が刻まれて、他の無数の誰かと同じ場所で眠ることになる。本来ならば、回収を阻むことは許されないはずだ。……どこかに隠してから持ち帰ったのだろうか。血に染まりながら、“彼”を想いながら、自分が切って落とした首を。

「あいつのときみてェに、きもちよくなりたくて。何度も何度も斬ってみたけど、やっぱり足りねェんだ。胸に穴が開いたみてェに、何もかもが足りなくて」

 人間を殺さなければ、生きていけない。そんな男が、たったひとりの理解者を斬った。満たされるわけがない。殺して、殺して、それでも足りない何かを求めている。

「壊したくて、殺したくてたまらなくなって、生きてるって実感してェのに、きもちよくなりてェのに、満たされなくて、苦しいんだ」

 足りねェよ。もっと、欲しい。もっと。もっと。熱を帯びた潤んだ声で、飛次は小さくささやいた。

 白陽きよはるにはやはり、その衝動を、感情を、理解することはできはしない。きっとこれからもできないのだろう。だが、狂人と切り捨てるにはあまりにも、彼の姿は痛々しかった。

「飛次、さん」
「わかってるよ、わかってる。こんな身勝手な話、ねェよなァ。誰かのことを殺しておいて、自分のことばっか望むなんて」

 一歩、飛次が足を退く。血溜まりがぱしゃりと飛沫を上げる。

「……なァ、お兄ちゃん」

 そうして彼はまた、笑うのだ。何もかもを諦めたような、悲し気な顔で。

「こんなにイカれて壊れたクズはよ――普通の人間みてェにさ、誰かを、何かを、求めて生きようとするなんて、端からできねェんだよ」

 くつくつと、喉の奥で嗤っている。外套をかけた肩が揺れて、紅い髪が重たくこぼれる。

「最初っから、気づいてたのにな。馬鹿だなァ」

 かすれて震えた低い声が、狭い路地に小さく響く。路地の天井から、雫が落ちる。真っ赤に汚れた飛次の頬を伝い、紅く赤く濁っていく。

「意地汚く、生きていてェなんて、思わねェでさ」


「もっとはやく、きえちまえてたら、よかったのになァ……」


 ――それは、狂った獣がこぼすには、あまりにもかなしい言葉だった。

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