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第五章 聖なる夜をいとし子と

習うより慣れよ

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 ロブはセーラの解いた問題用紙をチェックしながら微笑んでいた。

「へぇ~、思ったよりもよくできてる。しかし社会と理科は面白い回答が多いな。」

エミリーもロブの手元を覗き込んで、笑った。

「面白いでしょ。私もそれをもらった時に吹き出しそうになった。セーラってユーモアのセンスがあるよね。」

「これはこれでいいが正解も知っとかなくちゃな。午前中に一時間だけ僕が教えるから、エムは図書館の仕事がない月曜日と火曜日を頼むよ。週末はたぶんデビッドが来るよな。」

「うん。さっき電話があってセーラと話してた。デビ兄ったら社長を止めて田舎で暮らしたいんですって。セーラがうろたえてたから、私が代わりに事情を聴いたの。」

「…クレイボーン伯爵領か。さすがデビッド、打つ手が早いな。んー、こっちが考えてることをデビッドに話しておいた方が良さそうだ。これから電話しとくよ。」


ロブが電話をしている横でエミリーは寝転んで本を読んでいたが、ロブが大声を出したので何事かと目を上げた。

「なんてことをっ!もったいないよー、あれはシャーモデルだったのにぃ。」

「どうしたの?」

「デビッドがあのスポーツカーを売っちゃったんだって。」

「え?!」

何を急に?! 
もしかしてファミリーカーに乗り換えるつもりかな? デイビーを乗せられるように…だろうね。

ロブとデビ兄は何やら話し込んでいるようだ。

デビ兄の説得はこういうことが慣れてるロブに任しとけばいいけど…社長をやめて、あの毎日磨いてた愛車を売ったとなるとこれは相当セーラに本気なようだ。
んー、あのデビ兄のことだから結婚を一年もなんて待たない気がする。しばらく図書館を休んでセーラにかかりっきりになった方がいいかも。
ハァ~、もう世話が焼けるなぁ。

デビ兄のお嫁さんがセーラのような人だとは想像したこともなかった。まぁ下手につんけんしたつき合いにくいご令嬢よりいいかもね。
でもまた父様たちの説得が必要だね。
うちの兄弟って予想通りにいったのは私ぐらいじゃない? 
デビ兄もブリーのことを言えないじゃん。みんな即断即決なんだから。あ、でもキャスは悩んでたか。王太子妃じゃ悩むのも仕方がないけど…。

父様たちは何とかするとして、あとはセーラの強い意志があればやっていけると思う。
今のところ諦めて逃げる方に強い意志を発揮しちゃってるけどね。ロブと私が頑張るしかないっていうことか…。


 エミリーがそんなことを考えている時に、セーラは自室で声に出して絵本を読んでいた。

読み聞かせていたデイビーはスヤスヤと眠ってしまっているが、今後の仕事のことを考えるとこういう作業に慣れておいた方がいいと思ったのだ。

「…そうしてシンデルラは王子様と一緒にいつまでも幸せに暮らしました。…どうしてここで終わるのかしら? これからが大変じゃないの。」

セーラもこのお話は知っていたが、今までは疑問に思わなかった。しかしよく考えると掃除や洗濯ばかりしていたシンデルラが、王宮できらびやかな貴族たちと上手くやっていけるのかはなはだ疑問だ。王子様もシンデルラを最初は物珍しく思っていても、すぐに飽きてしまうのではないだろうか?

幸せな家庭というものをあまり見てこなかったセーラにとって、どうしても結婚後の二人の様子が思い浮かべられない。


夕食の前にデビッドから電話があったのには驚いた。

「8人乗りの車を買ったよ。デイビーのベビーシートも。」

そう言われた時には、パンを買ったよというような気軽な感じで車を買えるなんて…と呆れた。

「君やデイビーと長い時間一緒に過ごしたいから、社長を止めて田舎に住もうと思ってるんだ。いいよね。」

けれどさすがにこれにはギョッとした。

自分やデイビーの存在がデビッドの人生を大きく変えようとしていることに恐れを感じたのだ。

成就しない結婚のためにデビッドにそんなことをさせてはいけない。
セーラがどうやってデビッドを止めればいいのかとうろたえていると、エミリーが電話を変わってお兄さんを諭してくれた。

デビッドって、どういう人なんだろ?
出会ったばかりのよく知らない女のために、仕事まで変えてしまうなんて…。

そこまでする価値が私にあるの?

あまり評価されたことのないセーラにとって、デビッドのすることなすことが信じられない思いだった。
けれど…心の底のどこか意識しないところでは、嬉しさも感じていた。


 翌日からセーラの体調に合わせながら少しずつロブとエミリーの講義が始まった。

テーブルマナーなどは実戦で教えてもらった。その過程でミセスコナーとも仲良くなれたのはありがたかった。ティータイムのケーキの切れが大きくなったのだ。
食事のメニューもセーラが食べやすい物から始まって、徐々に難易度を上げてくれているようだった。木曜日の夕食に魚の料理を上手く食べられた時には、ミセスコナーは厨房から出てきて大げさに褒めてくれた。

「これで一通りの食べ方が覚えられたじゃないですか。セーラさまは気持ちよくたっぷり食べてくれるから作り甲斐がありますよ。突き回すだけでスズメの涙しか食べない女はロクなもんじゃないからね。」

「ミセスコナー、それはあなたの考えでしょ。食べられない人もいるんだから…。」

エミリーがたしなめてもミセス・コナーはどこ吹く風だ。

「奥様はそう仰いますが、スガル侯爵さまんとこのあの娘ときたら…。」

「ミセスコナー!」

「すいません。いらぬことを申しました。」

ミセスコナーが部屋を出て行ってからエミリーもクスクス笑っていたので、このやり取りはいつもしていることなのだろう。


ここ何日かビギンガム邸で暮らしてきて、貴族というのも自分たちとそう変わらない感情を持って生活をしているんだなということが、セーラにも徐々にわかってきた。

そして贅沢な生活にも慣れてくると、かつては今の自室のトイレほどの広さの部屋に住んでいたことも忘れてしまいそうだった。
そして子ども達、子どもをこんなに可愛く思ったことはない。これも自分が母親になったということなのだろうか?

「セーラっ!今日もここで遊んでいい?」

「ええどうぞ。宿題はすませたの?」

「あんなの簡単すぎるわ。すぐできちゃった。」

二人の弟たちを従えて、午後に必ずやって来るエミリーの長女のセラフィナ。
デイビーを可愛がってくれていて、オシメまで変えてくれる。お人形の代わりにしているのかもしれないが、兄弟や従妹が多いので赤ちゃんの扱いにも慣れている。オモチャのことなどは、セーラはセラフィナから教えを受けていた。目がハッキリ見えるようになるまではこれがいいと言われた小さなガラガラを、デイビーが起きている時に使って話しかけている。

しばらく一緒に遊んで、エミリーがセーラを迎えに来ると、後をメアリとミズ・ブラウンに任せて勉強に行くというのがここのところの日課だ。
ミズ・ブラウンというのはもう一人の子守さんだ。セラフィナが小学校に行っているので家庭教師の役割もしているようだ。


 「セーラの歩きっぷりも良くなったから、今日から貴族年鑑を使って貴族社会のことを勉強していくわね。」

エミリーにそう言われてページを開いたセーラは、最初に載っている王族の写真をマジマジと見た。

「へぇ~、この方がお姉さま?」

「そう。次女のキャサリンよ。昔から頭が良かったから大学にもいったの。うちの兄弟の中じゃ一番優秀ね。でも手先は一番不器用なの。キャスが作った応援団の服をあなたにも見せたかったわ。ゾーキンのほうがマシってしろものよ。」

エミリーが話してくれる貴族のエピソードは、たいていが面白い小話がついていて興味を持って覚えていくことが出来た。

しかしまさか、この本の中から飛び出してきた人にこの後すぐに会うことになろうとは、セーラは思ってもいなかった。
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