45 / 49
【欧州編】第6章:オペラ座の怪人たち
しおりを挟む
ロンドンの空は、今日も分厚い雲に覆われていた。
ウェストエンドの劇場街。
優音は、久しぶりに再会した蓮の姿を見て、言葉を失った。
たった二週間。それだけしか経っていないのに、蓮の雰囲気は別人のように変わっていた。
整えられていた髪は乱れ、頬はこけ、目つきは獣のように鋭くなっている。ハイブランドのスーツの代わりに、古着屋で買ったような色あせたジャケットを羽織っていた。
「……驚いた?」
蓮の声もしわがれていた。
「ううん。……役作り、なんでしょ?」
優音は努めて明るく振る舞ったが、蓮が纏うピリピリとした緊張感に、触れることさえ躊躇われた。
今夜は、優音が手配したミュージカルを観劇することになっていた。
演目は古典悲劇。
華やかな舞台の上で、俳優たちが愛と死を情熱的に歌い上げる。
観客席の優音は、隣の蓮を盗み見た。彼は舞台を睨みつけるように見つめている。楽しんでいるのではない。舞台上の演技を分析し、解体し、自分に足りない何かを探している目だ。
「……くだらないな」
幕間に、蓮がポツリと漏らした。
「え?」
「あんな大袈裟な身振り手振りで、愛だの絶望だの。……嘘くさい」
その言葉は、優音の胸にも突き刺さった。
自分の歌も、彼にはそう聞こえるのだろうか?
劇場を出ると、冷たい雨が降っていた。
傘もなく、二人は無言でソーホーの街を歩く。
「蓮、ホテルに戻ろう? 風邪ひいちゃう」
「優音」
蓮が立ち止まり、雨に濡れた顔で優音を見下ろした。
「俺たち、何やってるんだろうな」
その声は、悲鳴のように聞こえた。
「綺麗な服着て、綺麗なデートして、『理想のカップル』を演じて。……でも中身は空っぽだ。ジャン・リュックの言う通りだ」
「そんなことない! 蓮の演技は素晴らしいし、私たちの関係だって……」
「関係? どんな?」
蓮は自嘲気味に笑った。
「互いに傷を舐め合ってるだけじゃないか? 俺はお前の歌を聴いて『癒された』気になってた。お前も俺の成功を見て安心してた。……それは『共鳴』じゃない。『依存』だ」
優音は平手打ちを食らったような衝撃を受けた。
東京の公園で、かつて二人が誓い合った言葉。「共依存だと言われればそれまでだ」。あの時はそれが強さだった。でも今は、それが足かせになっていると言うのか。
「……じゃあ、どうすればいいの? もう一度、別れればいいの?」
優音の声が震える。雨音に混じって、涙が溢れ出した。
蓮は優音の肩を掴もうとして、その手を空中で止めた。
触れてしまえば、また「優しい蓮」に戻ってしまう。甘えてしまう。今の彼には、その安らぎさえも恐怖だった。
「……分からない。でも、今のままじゃ、俺はこれ以上進めない」
「私も……私も、自分の歌が信じられなくなってる」
優音もまた、本音を吐き出した。
ロンドンの冷たい雨の中、二人は立ち尽くす。
華やかなエンドロールを迎えたはずの物語は、まだ終わっていなかった。
ハッピーエンドのその先にある、現実という名の荒野。
そこで生き残るために、二人は一度繋いだ手を、自らの意思で離さなければならないのかもしれない。
「……ベネチアへ行こう」
長い沈黙の後、蓮が唐突に言った。
「え?」
「全部捨てて、逃げるんだ。仕事も、世間体も、役作りも。……俺たちがただの男と女に戻れる場所へ」
それは、破局への序章なのか、それとも再生への賭けなのか。
今の二人には分からなかった。
(第6章 完)
ウェストエンドの劇場街。
優音は、久しぶりに再会した蓮の姿を見て、言葉を失った。
たった二週間。それだけしか経っていないのに、蓮の雰囲気は別人のように変わっていた。
整えられていた髪は乱れ、頬はこけ、目つきは獣のように鋭くなっている。ハイブランドのスーツの代わりに、古着屋で買ったような色あせたジャケットを羽織っていた。
「……驚いた?」
蓮の声もしわがれていた。
「ううん。……役作り、なんでしょ?」
優音は努めて明るく振る舞ったが、蓮が纏うピリピリとした緊張感に、触れることさえ躊躇われた。
今夜は、優音が手配したミュージカルを観劇することになっていた。
演目は古典悲劇。
華やかな舞台の上で、俳優たちが愛と死を情熱的に歌い上げる。
観客席の優音は、隣の蓮を盗み見た。彼は舞台を睨みつけるように見つめている。楽しんでいるのではない。舞台上の演技を分析し、解体し、自分に足りない何かを探している目だ。
「……くだらないな」
幕間に、蓮がポツリと漏らした。
「え?」
「あんな大袈裟な身振り手振りで、愛だの絶望だの。……嘘くさい」
その言葉は、優音の胸にも突き刺さった。
自分の歌も、彼にはそう聞こえるのだろうか?
劇場を出ると、冷たい雨が降っていた。
傘もなく、二人は無言でソーホーの街を歩く。
「蓮、ホテルに戻ろう? 風邪ひいちゃう」
「優音」
蓮が立ち止まり、雨に濡れた顔で優音を見下ろした。
「俺たち、何やってるんだろうな」
その声は、悲鳴のように聞こえた。
「綺麗な服着て、綺麗なデートして、『理想のカップル』を演じて。……でも中身は空っぽだ。ジャン・リュックの言う通りだ」
「そんなことない! 蓮の演技は素晴らしいし、私たちの関係だって……」
「関係? どんな?」
蓮は自嘲気味に笑った。
「互いに傷を舐め合ってるだけじゃないか? 俺はお前の歌を聴いて『癒された』気になってた。お前も俺の成功を見て安心してた。……それは『共鳴』じゃない。『依存』だ」
優音は平手打ちを食らったような衝撃を受けた。
東京の公園で、かつて二人が誓い合った言葉。「共依存だと言われればそれまでだ」。あの時はそれが強さだった。でも今は、それが足かせになっていると言うのか。
「……じゃあ、どうすればいいの? もう一度、別れればいいの?」
優音の声が震える。雨音に混じって、涙が溢れ出した。
蓮は優音の肩を掴もうとして、その手を空中で止めた。
触れてしまえば、また「優しい蓮」に戻ってしまう。甘えてしまう。今の彼には、その安らぎさえも恐怖だった。
「……分からない。でも、今のままじゃ、俺はこれ以上進めない」
「私も……私も、自分の歌が信じられなくなってる」
優音もまた、本音を吐き出した。
ロンドンの冷たい雨の中、二人は立ち尽くす。
華やかなエンドロールを迎えたはずの物語は、まだ終わっていなかった。
ハッピーエンドのその先にある、現実という名の荒野。
そこで生き残るために、二人は一度繋いだ手を、自らの意思で離さなければならないのかもしれない。
「……ベネチアへ行こう」
長い沈黙の後、蓮が唐突に言った。
「え?」
「全部捨てて、逃げるんだ。仕事も、世間体も、役作りも。……俺たちがただの男と女に戻れる場所へ」
それは、破局への序章なのか、それとも再生への賭けなのか。
今の二人には分からなかった。
(第6章 完)
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ
月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。
泣くのも違う。怒るのも違う。
ただ静かに消えよう。
そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。
画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。
相手に気付かれた? 見られた?
「未練ある」って思われる!?
恐怖でブロックボタンを連打した夜。
カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる