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第3話
8・自己嫌悪(その3)
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あれは高校1年生の初夏だったか。
練習前、部室でスポーツバッグを開けた大賀が、しばらく動かなくなったことがあった。
「どうしたの、尊くん」
隣にいた神森が、一緒にバッグを覗き込む。
「うわ、なにこれ」
ヤツが引っ張り出したのは、大賀の練習用ユニフォーム。そこには油性マジックやスプレーでひどい落書きが施されてあった。
「え、ヤバくね?」
「いじめじゃん、アレ」
周囲にいた同学年の連中が、ドン引きしたようにユニフォームを見ている。
けれども、咎めるような声は決して大きくはない。皆、なんとなく誰がやったのか想像がついていたからだ。
(絶対、先輩たちのうちの誰かだ)
週末の練習試合、大賀は初めて先発投手を務めることになっていた。
まさに大抜擢、さすが「神童」。けれども、それを面白く思わない人間は、当然いる。特に2・3年生の投手陣、あるいは彼らと親しい人間はそうだったに違いない。
「なぁ、大丈夫か?」
そう声をかけたのは、俺自身、中学時代にそうしたやっかみを受けたことがあったからだ。
「とりあえず写真撮っておけ。で、あとで監督に相談しようぜ」
「そうだねぇ。あとスポーツバッグをどこに置いておいたかで、犯人を割り出せるかもしれないし……」
「いや、必要ない」
大賀は短く答えると、淡々と着替えはじめた。
目の前の、ひどい落書きを施されたユニフォームに。
「えっ、尊くん!?」
「お前、換えのユニフォームは……」
「洗濯が済んでいない。今日はこれしかない」
「いや、だからってなにもそれを着なくても……」
誰か貸してやれよ、と声をかけたけど、あいにく1年生で大賀と同じサイズの者は数えるほどしかいない。しかも、そいつらも自分が着る分しか洗濯が済んでいないらしい。
どうするんだ、と戸惑っているうちに、大賀は着替えを終えてあっさりグラウンドに行ってしまった。
そして、先輩たちの目などまるで気にすることなく、淡々とその日の練習を終えてしまった。
もちろん、週末の練習試合も1ー0の完封勝ち。最終回までずっと安定したピッチングで、バッテリーを組んだ正捕手の先輩は「すごいな、お前」と感心しきりだった。
それでも俺は、大賀の心情が気になっていた。
だって、かつて同じようなめにあった俺は、表向きは「これくらいどうってことないって」と笑い飛ばしつつも、先輩たちが引退するまでずっと胃が痛い思いをしてきたから。
それで、寮にいるとき、こっそり声をかけたんだ。「お前、本当に大丈夫か」って。
大賀は、不思議そうに首を傾げた。
「なんのことだ?」
「だから、ほら……この間のユニフォームのこととか」
大賀は「ああ」とうなずいた。
「問題ない。新しいユニフォームを買ってもらえることになった」
「いや、そうじゃなくて」
「洗濯も済ませた。今度からはもう少しマメに洗濯機をまわそうと思う」
あいかわらずの淡々とした口調。強がっている様子は、まるで見受けられない。
(ああ、そうか)
ようやく、納得した。
こいつは俺とは違う。くだらない嫌がらせなんかに、心を惑わされたりしないやつなのだ、と。
(すごいな、神様に選ばれたヤツは)
身体能力だけじゃない、精神面も俺とはあまりにも違いすぎる。
その事実は、当時高校1年生だった俺の心をバキバキに折った。それでも、なけなしのプライドをかき集めて「卑屈な態度だけは取らないようにしよう」と当時は必死だったわけだけど。
(まさか、卒業してまでこんな思いをするなんてな)
でも、大賀と接しているとどうしても感じてしまうのだ。
自分のちっぽけさを。みじめさを。
あるいは考えてしまうのだ。たとえば、バイト先で俺が坂沼さんから受けていることを、大賀が受けたとしたらどうするんだろう、と。
(たぶん、気にしないよな)
あいつなら、まったく相手にすることなく、淡々と自分の業務をこなしそうだ。それこそ、あのいたずら書きされたユニフォームを、平然と身につけていたように。
俺だって、そういうふうになりたかった。そんな強心臓な人間になりたかった。そうすれば、きっともっと楽に生きられた。こんなみじめな思いをすることもなかったのに。
こたつテーブルに顔をうずめたまま、背中を丸めたそのときだ。
バァンッ、とものすごい音が台所から聞こえてきた。
練習前、部室でスポーツバッグを開けた大賀が、しばらく動かなくなったことがあった。
「どうしたの、尊くん」
隣にいた神森が、一緒にバッグを覗き込む。
「うわ、なにこれ」
ヤツが引っ張り出したのは、大賀の練習用ユニフォーム。そこには油性マジックやスプレーでひどい落書きが施されてあった。
「え、ヤバくね?」
「いじめじゃん、アレ」
周囲にいた同学年の連中が、ドン引きしたようにユニフォームを見ている。
けれども、咎めるような声は決して大きくはない。皆、なんとなく誰がやったのか想像がついていたからだ。
(絶対、先輩たちのうちの誰かだ)
週末の練習試合、大賀は初めて先発投手を務めることになっていた。
まさに大抜擢、さすが「神童」。けれども、それを面白く思わない人間は、当然いる。特に2・3年生の投手陣、あるいは彼らと親しい人間はそうだったに違いない。
「なぁ、大丈夫か?」
そう声をかけたのは、俺自身、中学時代にそうしたやっかみを受けたことがあったからだ。
「とりあえず写真撮っておけ。で、あとで監督に相談しようぜ」
「そうだねぇ。あとスポーツバッグをどこに置いておいたかで、犯人を割り出せるかもしれないし……」
「いや、必要ない」
大賀は短く答えると、淡々と着替えはじめた。
目の前の、ひどい落書きを施されたユニフォームに。
「えっ、尊くん!?」
「お前、換えのユニフォームは……」
「洗濯が済んでいない。今日はこれしかない」
「いや、だからってなにもそれを着なくても……」
誰か貸してやれよ、と声をかけたけど、あいにく1年生で大賀と同じサイズの者は数えるほどしかいない。しかも、そいつらも自分が着る分しか洗濯が済んでいないらしい。
どうするんだ、と戸惑っているうちに、大賀は着替えを終えてあっさりグラウンドに行ってしまった。
そして、先輩たちの目などまるで気にすることなく、淡々とその日の練習を終えてしまった。
もちろん、週末の練習試合も1ー0の完封勝ち。最終回までずっと安定したピッチングで、バッテリーを組んだ正捕手の先輩は「すごいな、お前」と感心しきりだった。
それでも俺は、大賀の心情が気になっていた。
だって、かつて同じようなめにあった俺は、表向きは「これくらいどうってことないって」と笑い飛ばしつつも、先輩たちが引退するまでずっと胃が痛い思いをしてきたから。
それで、寮にいるとき、こっそり声をかけたんだ。「お前、本当に大丈夫か」って。
大賀は、不思議そうに首を傾げた。
「なんのことだ?」
「だから、ほら……この間のユニフォームのこととか」
大賀は「ああ」とうなずいた。
「問題ない。新しいユニフォームを買ってもらえることになった」
「いや、そうじゃなくて」
「洗濯も済ませた。今度からはもう少しマメに洗濯機をまわそうと思う」
あいかわらずの淡々とした口調。強がっている様子は、まるで見受けられない。
(ああ、そうか)
ようやく、納得した。
こいつは俺とは違う。くだらない嫌がらせなんかに、心を惑わされたりしないやつなのだ、と。
(すごいな、神様に選ばれたヤツは)
身体能力だけじゃない、精神面も俺とはあまりにも違いすぎる。
その事実は、当時高校1年生だった俺の心をバキバキに折った。それでも、なけなしのプライドをかき集めて「卑屈な態度だけは取らないようにしよう」と当時は必死だったわけだけど。
(まさか、卒業してまでこんな思いをするなんてな)
でも、大賀と接しているとどうしても感じてしまうのだ。
自分のちっぽけさを。みじめさを。
あるいは考えてしまうのだ。たとえば、バイト先で俺が坂沼さんから受けていることを、大賀が受けたとしたらどうするんだろう、と。
(たぶん、気にしないよな)
あいつなら、まったく相手にすることなく、淡々と自分の業務をこなしそうだ。それこそ、あのいたずら書きされたユニフォームを、平然と身につけていたように。
俺だって、そういうふうになりたかった。そんな強心臓な人間になりたかった。そうすれば、きっともっと楽に生きられた。こんなみじめな思いをすることもなかったのに。
こたつテーブルに顔をうずめたまま、背中を丸めたそのときだ。
バァンッ、とものすごい音が台所から聞こえてきた。
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