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第3話

9・夜のミルクセーキと朝ごはんの準備

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「えっ、何!?」

 あまりにものすごい音に、俺はこたつから飛び出した。
 台所に駆け込むと、大賀が途方にくれたように立ち尽くしている。

「どうした?」
「爆発した」
「は!? なんで!?」
「わからん。牛乳を温めていただけなんだが」

 デカい図体をすぐさま押し退けて、電子レンジの扉を開ける。

「なんだよこれ、大惨事じゃねぇか!」

 中途半端に固まった牛乳が、レンジ中に飛び散っている。
 しかも、そのかたまりはすべて真っ白というわけではない。ところどころ黄色い。この茶碗蒸しみたいなヤツは、まさか──

「お前、玉子を入れただろ?」
「ミルクセーキにするつもりだった」
「なんで!?」
「腹持ちがいいんじゃないかと」
「いや、関係ないだろ。お前、朝飯だけで十分って……」

 そこまで言いかけて、はたと気づいた。

「もしかして俺のためか?」
「……」
「夕飯はいらないって言っただろ!?」
「だが、疲れているときの甘い物は別腹だ」
「……」
「──と、昔のお前はよく言っていた」

 大賀の言い分に、グッと言葉を詰まらせる。
 たしかに、そんなことを言った覚えはあった。寮生活だったころ、夕食後にどうしてもドーナツや菓子パンを食いたかったとき、そんな言い訳をしてよく夜のコンビニに駆け込んでいた。
 けど、あんなの昔の話だ。
 来年の3月で二十歳になる俺は、そこまで甘い物を欲したりはしていない。
 そうじゃなくても、最近は食欲が落ちているっていうのに。
 つい、ため息が洩れた。
 大賀は相変わらずの無表情だ。
 けれども、尻尾は力をなくしたように垂れている。
 いちおう反省してんのかな。ほんと感情が顔に出ないよな、こいつ。
 仕方なく、コーヒースプーンを手に取った。
 ミルクセーキというよりは、ゆるめの茶碗蒸しのようなできばえだ。

「……甘」

 これ、砂糖入れすぎだろ。
 そう指摘すると「3杯」との答えが返ってきた。

「そんなにいらねぇよ。あとミルクセーキは卵黄だけのほうがうまい」
「……そうなのか?」
「おう。今から作ってやるから飲んでみろ」
「いや、俺は……」
「いいから飲め。家主命令だ」

 冷蔵庫から玉子を取り出し、割れた殻を使って卵黄と卵白を分離させる。「すごいな」と大賀が目を丸くした。つられたように尻尾もパタパタと揺らめいた。

「これくらいふつうだろ。まあ、専用のグッズもあるし、なければペットボトルとか使えば分離できるらしいけど」

 説明しているうちに、少し気分があがってくる。
 なんだろう、これ。俺が、大賀よりも優位に立っているシチュエイションだからか?

「よし、お前も分けてみろ」
「……今か?」
「おう。玉子ふたつ分、きれいに卵黄と卵白に分けろよ」
「そんなに必要ないだろう」
「あるんだよ。お前が分けた分は、明日の朝ごはんにするんだから」

 卵黄は醤油漬けに、卵白は味噌汁に投入。予定していた「鶏そぼろ」は延期でいいよな。漬け卵黄の玉子かけご飯、絶対にうまいし。

(となると、あとは醤油と旨味調味料を用意して……)

 大賀の大きな手が、おっかなびっくり玉子を割っている。
 2年前まで剛速球を投げていた手。俺が歯ぎしりしたくなるほどうらやんだ「神童」の手。
 なのに今は、恐る恐る玉子と格闘している。

「白身が落ちきらないのだが」
「落ちるまで殻を往復させるんだよ……って、そこ! 殻のとがったところに当たると黄身が割れる!」
「うっ」

 まあ、崩れても見映えが悪くなるだけだから問題ないんだけどさ。
 しっかりしろ、と太ももを蹴飛ばすと、尻尾でバシンッと反撃された。
 おいおい、神様、意外と負けず嫌いだな。
 でも、やっぱり楽しい。なんだか大賀と対等になれたみたいで。
 しかも、なんとなくだけど少し腹が減ってきた。

(このミルクセーキのおかげだったりして)

 まあ、正確には「ミルクセーキの残骸」って感じだけど。
 お手本用のミルクセーキを作りつつ、大賀作「ミルクセーキ」をちまちまと口に運ぶ。甘ったるい牛乳とたまごのかたまりが、疲れている今の身体には「ご褒美」のように感じられた。
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