31 / 86
第4話
2・手抜きの朝
しおりを挟む
嫌な気分で、布団から起き出した。
顔を洗って台所に立ったけれど、いまいち頭が働かない。
原因はわかっている。今週から、また坂沼さんが店に顔を出すようになったからだ。
(しかも、今日はクローズまでいるはずだし)
考えただけで、胃のあたりがもったりと重くなる。
ダメだ、とりあえず手を動かそう。今日は目玉焼きだ。冷蔵庫から玉子をふたつ取り出した。まずはフライパンに油──いや、その前に玉子を器に割り入れておかないと。
ぼた、と鈍い音がした。器に落としたはずの玉子が、なぜかシンクの上に落ちていた。
「……」
え、なんで?
なんで、シンクに玉子が落ちてんだ?
(……ああ)
そうか、割った玉子を器じゃなくてシンクの上に落としたのか。
まいったな、うっかりしているなぁ、俺。
アハハ、と洩れた声にはどうしたって力がこもらない。
無駄にした玉子を素手で掴んで、廃棄用のビニール袋に入れる。ぐちゃぐちゃになった黄身を眺めているうちに、どうしようもない罪悪感が湧いてきた。だって、食べ物を無駄にするなんて最悪だ。俺がつまらないミスさえしなければ、この玉子は目玉焼きとして、俺か大賀の腹におさまったのに。
そのまま、しばらく動けなかった。顔を洗い終えた大賀に「どうした?」と声をかけられるまで、俺はぼんやりと立ち尽くしていた。
結局、この日の朝食はトーストしたパンと目玉焼きだけになった。
「ごめんな、手抜きごはんで」
「そうは思わないが」
「いや、どう考えたって手抜きだろ」
野菜も果物も、スープ類も何もない。こんなの、お客さんに出すなんて申し訳ない。
けれど、大賀は気にすることなく大口でトーストにかじりついている。
俺は、トーストに目玉焼きをのっけて食うのが好きだけど、大賀は絶対別々に食う。もちろん、皿の上にこぼれた黄身をパンの耳で拭うなんてこともしない。俺は、そういう「行儀の悪い食い方」が好きなんだけど、大賀は違うんだろうな。うん、さすがは神様だ。
ふと、今朝みた夢のことが脳裏をよぎった。懐かしい面子で、パンケーキを頬張っていた夢。
「なぁ、高校んとき、皆でパンケーキを食いに行ったの覚えてるか?」
「パンケーキ……」
「3年の春に行っただろ、野球部員5~6人で」
「ああ、覚えている」
大賀の尻尾が、パタパタと揺れた。
「不思議な食べ物だった。ホットケーキともまた違う」
「な、あれ、あまりにもトロトロでほぼ飲み物だったよなぁ」
「……? 飲み物ではないと思うが」
「バカ、比喩として言ってんだろ」
大賀の尻尾は、あいかわらず揺れている。
そうか、パンケーキ、気に入っていたのか。
だったら、朝ごはんに取り入れるのも有りだよな。あんなフワフワなやつはさすがに無理だけど、オーソドックスなやつなら俺でも作れるし、休日に多めに作って冷凍保存しておけば、朝食作りの時短にもなるし。
そんなことを考えながらトーストにかじりつくと、乗せていた目玉焼きがもろくも崩れた。
くそ、食べるとこ間違えた。指先が、崩れた黄身でベタベタになっている。これまたお行儀悪く舌で舐めとっていると、大賀がウエットティッシュをよこしてくれた。
「唇にもついているぞ」
「マジで? どこ?」
右とか左とか答えるかと思いきや、当たり前のように大賀の手がのびてきた。
「いや、子供じゃないんだから」
ヤツの指先から逃げるように身体を退いて「どこだよ?」と訊きなおす。
「そこだ。唇の端」
なるほど、右端か。
ひとまず、ウエットティッシュで丁寧に拭う。大賀に見せると無言でうなずいたから、どうやらちゃんととれたようだ。
「お前、誰にでもそういうことすんの?」
「誰にでも、とは?」
「汚れてるとこ、指で拭ってやったりとか」
そういうことをされて喜ぶの、お前のことを好きな女子だけじゃねーの?
そう指摘すると、大賀は不思議そうに首を傾げた。
「女性は喜ぶのか?」
「お前のことが好きならな」
そういえば、神様って恋愛とかすんのかな。
つーか、大賀って恋愛したことあるのかな。
「お前さぁ……」
初恋っていつ、と訊ねようとしたところでスマホがブルルと震えた。
メッセージアプリからの通知──坂沼さんからだ。
──「今日1時間早く入って」
依頼ではなく、いきなりの命令形。
ああ、また胃のあたりが重くなってくる。
「どうした?」
「ああ、いや……バイト先から連絡。『1時間早く入って』って」
「ずいぶん突然だな」
大賀は、不愉快そうに顔をしかめた。
「そういうものは、まずお前の都合を聞いてから決めることじゃないのか?」
「まあ、そうなんだろうけど。普通は」
でも、あの人、普通じゃないし。
そんなことを思いながら、俺は残りのトーストにかじりつく。
なんだか味がしねぇ。さっきまで、まあまま美味しく食ってたのに。
大賀は、何か言いたげにこっちを見ている。俺は、それに気づかないふりをして、ただ黙々と朝食を口に運んだ。
顔を洗って台所に立ったけれど、いまいち頭が働かない。
原因はわかっている。今週から、また坂沼さんが店に顔を出すようになったからだ。
(しかも、今日はクローズまでいるはずだし)
考えただけで、胃のあたりがもったりと重くなる。
ダメだ、とりあえず手を動かそう。今日は目玉焼きだ。冷蔵庫から玉子をふたつ取り出した。まずはフライパンに油──いや、その前に玉子を器に割り入れておかないと。
ぼた、と鈍い音がした。器に落としたはずの玉子が、なぜかシンクの上に落ちていた。
「……」
え、なんで?
なんで、シンクに玉子が落ちてんだ?
(……ああ)
そうか、割った玉子を器じゃなくてシンクの上に落としたのか。
まいったな、うっかりしているなぁ、俺。
アハハ、と洩れた声にはどうしたって力がこもらない。
無駄にした玉子を素手で掴んで、廃棄用のビニール袋に入れる。ぐちゃぐちゃになった黄身を眺めているうちに、どうしようもない罪悪感が湧いてきた。だって、食べ物を無駄にするなんて最悪だ。俺がつまらないミスさえしなければ、この玉子は目玉焼きとして、俺か大賀の腹におさまったのに。
そのまま、しばらく動けなかった。顔を洗い終えた大賀に「どうした?」と声をかけられるまで、俺はぼんやりと立ち尽くしていた。
結局、この日の朝食はトーストしたパンと目玉焼きだけになった。
「ごめんな、手抜きごはんで」
「そうは思わないが」
「いや、どう考えたって手抜きだろ」
野菜も果物も、スープ類も何もない。こんなの、お客さんに出すなんて申し訳ない。
けれど、大賀は気にすることなく大口でトーストにかじりついている。
俺は、トーストに目玉焼きをのっけて食うのが好きだけど、大賀は絶対別々に食う。もちろん、皿の上にこぼれた黄身をパンの耳で拭うなんてこともしない。俺は、そういう「行儀の悪い食い方」が好きなんだけど、大賀は違うんだろうな。うん、さすがは神様だ。
ふと、今朝みた夢のことが脳裏をよぎった。懐かしい面子で、パンケーキを頬張っていた夢。
「なぁ、高校んとき、皆でパンケーキを食いに行ったの覚えてるか?」
「パンケーキ……」
「3年の春に行っただろ、野球部員5~6人で」
「ああ、覚えている」
大賀の尻尾が、パタパタと揺れた。
「不思議な食べ物だった。ホットケーキともまた違う」
「な、あれ、あまりにもトロトロでほぼ飲み物だったよなぁ」
「……? 飲み物ではないと思うが」
「バカ、比喩として言ってんだろ」
大賀の尻尾は、あいかわらず揺れている。
そうか、パンケーキ、気に入っていたのか。
だったら、朝ごはんに取り入れるのも有りだよな。あんなフワフワなやつはさすがに無理だけど、オーソドックスなやつなら俺でも作れるし、休日に多めに作って冷凍保存しておけば、朝食作りの時短にもなるし。
そんなことを考えながらトーストにかじりつくと、乗せていた目玉焼きがもろくも崩れた。
くそ、食べるとこ間違えた。指先が、崩れた黄身でベタベタになっている。これまたお行儀悪く舌で舐めとっていると、大賀がウエットティッシュをよこしてくれた。
「唇にもついているぞ」
「マジで? どこ?」
右とか左とか答えるかと思いきや、当たり前のように大賀の手がのびてきた。
「いや、子供じゃないんだから」
ヤツの指先から逃げるように身体を退いて「どこだよ?」と訊きなおす。
「そこだ。唇の端」
なるほど、右端か。
ひとまず、ウエットティッシュで丁寧に拭う。大賀に見せると無言でうなずいたから、どうやらちゃんととれたようだ。
「お前、誰にでもそういうことすんの?」
「誰にでも、とは?」
「汚れてるとこ、指で拭ってやったりとか」
そういうことをされて喜ぶの、お前のことを好きな女子だけじゃねーの?
そう指摘すると、大賀は不思議そうに首を傾げた。
「女性は喜ぶのか?」
「お前のことが好きならな」
そういえば、神様って恋愛とかすんのかな。
つーか、大賀って恋愛したことあるのかな。
「お前さぁ……」
初恋っていつ、と訊ねようとしたところでスマホがブルルと震えた。
メッセージアプリからの通知──坂沼さんからだ。
──「今日1時間早く入って」
依頼ではなく、いきなりの命令形。
ああ、また胃のあたりが重くなってくる。
「どうした?」
「ああ、いや……バイト先から連絡。『1時間早く入って』って」
「ずいぶん突然だな」
大賀は、不愉快そうに顔をしかめた。
「そういうものは、まずお前の都合を聞いてから決めることじゃないのか?」
「まあ、そうなんだろうけど。普通は」
でも、あの人、普通じゃないし。
そんなことを思いながら、俺は残りのトーストにかじりつく。
なんだか味がしねぇ。さっきまで、まあまま美味しく食ってたのに。
大賀は、何か言いたげにこっちを見ている。俺は、それに気づかないふりをして、ただ黙々と朝食を口に運んだ。
0
あなたにおすすめの小説
ユニークアイテムな女子(絶対的替えの効かない、唯一無二の彼女)「ゆにかの」
masuta
キャラ文芸
恋と友情、そして命を懸けた決断。青春は止まらない。
世界を股にかける財閥の御曹司・嘉位は、U-15日本代表として世界一を経験した天才投手。
しかし、ある理由で野球を捨て、超エリート進学校・和井田学園へ進学する。
入学式の日、偶然ぶつかった少女・香織。
彼女は、嘉位にとって“絶対的替えの効かない、唯一無二の存在”だった。
香織は、八重の親友。
そして八重は、時に未来を暗示する不思議な夢を見る少女。
その夢が、やがて物語を大きく動かしていく。
ゴールデンウィーク、八重の見た夢は、未曾有の大災害を告げていた。
偶然か、必然か……命を守るために立ち上がる。
「誰も欠けさせない」という信念を胸に走り続ける。
やがて災害を未然に防ぎ、再びグラウンドへと導く。
その中で、恋もまた静かに進んでいく。
「ずっと、君が好きだった」告白の言葉が、災害と勝負を越えた心を震わせる。
それぞれの想いが交錯し、群像劇は加速する。
一人ひとりが主人公。人生に脇役はいない。
現代ファンタジーとリアルが交錯する青春群像劇。
本作は小説家になろう、オリジナル作品のフルリメイク版です。
大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~
菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。
だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。
蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。
実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~
流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。
しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。
けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち
半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。
最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。
本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。
第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。
どうぞ、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる