上 下
38 / 86
第4話

9・神様、ご来店(その2)

しおりを挟む
 数時間後。この日の閉店業務をすべて終え、他のバイト仲間たちと店を出ようとしていたときだった。

「若井くーん、ちょっといい?」

 背後からかけられた、ねっとりとした声。
 ああ、これ絶対に面倒くさそうなヤツだ。薄い笑みを浮かべる坂沼さんを見て、俺はバイト仲間に「先に帰って」と伝えた。
 だって、長くなりそうだったし。この人にネチネチ言われているところ、あまり見られたくなかったし。
 「あ……じゃあ、お先」と皆が出て行ったのを確認して、俺は坂沼さんに向きなおった。

「なんっすか」
「これなんだけどさぁ」

 坂沼さんが突きつけてきたのは、備品の在庫表だ。

「見て。ここ。最近トイレットペーパーだけすごく減りが早いよね?」
「はぁ……」
「どう思う?」
「どうって……」

 そんなこと言われても「そうっすか」としか答えようがない。
 俺は大量にトイレットペーパーを使ったりはしないし、そもそも在庫管理を担当していない。
 なのに、坂沼さんは「えーわからない?」と芝居がかったように肩をすくめてみせた。

「俺、優しいから遠回しに訊いてあげてるんだけど」
「はぁ……何をっすか?」
「と・う・な・ん」

 かさついた唇が、わざとらしく動いた。

「あのさぁ、学生さんにはわからないかもしれないけど。お店の備品を持ち帰るの、盗難なんだよねぇ」
「いや、それくらいわかってますけど」
「え、じゃあ、認めるんだ? 自分が盗んだって」

 ──はぁっ!?

「いや、俺、持ち帰ったりしてませんけど!」
「でも、減りが早いのっていつも若井くんが出勤してる日なんだよねぇ」
「そんなの──」

 ただの偶然、もしくは確率の問題だ。ここのところ、俺は他のバイトよりも多めにシフトに入っている。ということは、トイレットペーパーの減りが早い日と重なることも多い。ただ単にそれだけのことじゃないか。
 俺の訴えに、坂沼さんはまたもや「うーん」と肩をすくめてみせた。

「そういう問題じゃないんだよねぇ」

 じゃあ、どういう問題だよ!
 そんな言葉が、喉元まででかかった。
 なのにギリギリのところで飲み込んだのは、この数ヶ月間、この人にさんざんなめに合わされてきたからだ。
 怒りをぶつけてやりたい。
 でも、ぶつけたらさらに面倒なことになる。
 俺は間違っていない。
 でも、そんなのこの人には通用しない。
 じゃあ、どうすればいい?
 どうすれば納得してもらえる?

(納得──してくれるのか?)

 この人が?
 こんなクソみたいな言い掛かりをつけてくるような人が?

(ダメだ、怯むな)

 ここで妥協したら、俺はやってもいない罪を着せられる。なんとか反論しなければ。そう心を奮いたたせて口を開きかけたそのとき、ドンドンッと鈍い音が割り込んできた。
 誰かが、クローズ札をかけられたガラス戸を叩いている。
 暗がりのなか、ぬっと立っていたその人物は──まさかの大賀尊だった。
しおりを挟む

処理中です...