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第4話

10・神様、ご来店(その3)

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「うわっ」

 出入口に目を向けた坂沼さんが、すっとんきょうな声をあげた。

「誰あれ!? お客さん!?」
「いえ……」

 俺はすぐさま駆けつけると、電源を切った自動ドアを手動で開けた。

「なにやってんだよ、お前!」
「待っていた」
「は?」
「お前と一緒に帰ろうと思って、ずっと待っていた」

 いやいや、俺たちそんな約束していないよな? お前が帰るとき、カウンター越しに「じゃあな」「ああ」と言葉をかわしただけだっただろ?

(まさか、あのあとずっと待っていたのか?)

 マジで? 3時間は経ってるよな?
 しかも、このあたりの飲食店はもうどこも閉まっているはずだ。時間をつぶせる場所なんて、コンビニくらいしか思い当たらない。
 混乱する俺を気に留める様子もなく、大賀はのっそりと店内に足を踏み入れた。

「彼を連れて帰ってもいいでしょうか」

 突然話しかけてきた大男に、坂沼さんは「へっ?」と間抜けな声をあげた。

「仕事は終わっているようですが。彼を連れて帰ってもいいですか」
「えっ……いや、まだ話が……」
「話、とは?」

 大賀は、問い詰めるようにさらに前に出た。

「今は業務時間外なのでは?」

 地を這うような、低い声。
 そのとたん、周囲の空気が一変した。
 例えるなら、サウナに入ったときの息苦しさとよく似ていた。密度の高い空気に覆われて、うまく息をすることができない。
 いつのまにか、てのひらにじっとりと汗が滲んでいた。大賀の目は坂沼さんだけに向けられているはずなのに、なぜか俺の喉まで震えるように小さく引きつった。

「ああ、ええと……」

 それでも、坂沼さんはなんとかモゴモゴと口を動かそうとした。この重苦しい空気のなかで、反論を試みるつもりらしい。
 でも、相手は大賀尊だ。
 とてつもないメンタル強者の「元神童」だ。
 ついでに言うと、今は「神様」だ。
 そんなヤツが、こんなちっぽけな人間に折れるはずがない。

「じゃあ、ええと……若井くん、おつかれさま」

 坂沼さんの取り繕うような言葉に、大賀は鷹揚にうなずいた。
 で、当たり前のように俺の左腕を引っ張った。

「帰るぞ」
「えっ」
「時間がない。今なら終電のひとつ前に乗れる」

 そんなわけで、俺は薄暗い店から連れ出された。勇敢な主人公に救出された、情けないモブキャラのように。
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