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第7話

7・ひとりのバターロール

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俺に横領疑惑があるという噂は、ほんの数日でバイト仲間たちの間にも広がったらしい。
ほとんどのヤツらは「あり得ない」「大丈夫か?」と気を遣ってくれた。けれど、一部の連中からは下世話な目を向けられるようになった。
川野ちゃんからはめちゃくちゃ頭を下げられた。

「すみません、私のせいですよね」
「違うって。川野ちゃんは関係ないから」

そう答えたものの、聡い彼女が鵜呑みにするはずがない。
なので、なおさら俺は「気にしていません」という態度を取らざるを得なかった。そうしなければ、川野ちゃんのほうがぽっきり折れてしまいそうだった。

(大丈夫。こんな噂、どうせすぐに消える)

なにより、くだらない嫌がらせに屈したくない。俺がここで負けたら、坂沼は味を占めて、他のヤツらにも同じことをしはじめるだろう。

(そんなの、冗談じゃねぇ)

なのに、おかしなことが起こりはじめた。
店長に呼びだされた翌週くらいから、閉店時の釣り銭が合わなくなりはじめたのだ。それも、俺がバイトリーダーを任された日限定で。

「若井っち、ごめん。ちょっと一緒に確認して」

今日もレジ担当に呼ばれて、俺は釣り銭を確認する。

「いくら合わないんっすか」
「120円。今日現金払いだった人、そんなに多くなかったんだけどなぁ」

実は、電子マネー普及のおかげで、釣り銭が合わないなんてことはそうそう多くはない。
なのに、俺がバイトリーダーのときだけいつも不足金が発生する。
金額そのものは100円前後だが、1杯250円でブレンドコーヒーを提供している店としてはなかなか厳しい金額だ。なによりこうしたことが繰り返し続くと精神的にキツくなる。
せめてもの救いは、俺がレジ担当をしていないことだ。

(俺がレジだったら、絶対「横領だ」って言われていたな)

特に、坂沼はここぞとばかりに大騒ぎしただろう。容易にできてしまう想像にうんざりしながら、俺はこの日も違算報告を済ませて店を閉めた。
最終電車にはなんとか乗ることができた。
駅前のスーパーは閉店15分前で、残っていた惣菜や弁当には「半額」のシールがベタベタと貼られていた。
なのに、そのどれにも手がのびない。すごく疲れていて、めちゃくちゃ腹も減っているはずなのに。
結局5個入りのバターロールを買って、帰宅後ひとつだけ口にした。
──あれ、こんな味だったっけ。
バターがやけに油っぽくて、パンも妙にパサパサだ。

(ああ……あたためていないからか)

けど、足が重い。
わざわざ台所に行こうという気になれない。
口のなかのものを咀嚼しながら、俺はテーブルに頭を寄せた。
ふと、どこぞのモフモフ野郎の尻尾を思いだした。レンジであたためたバターロールを分けてやったとき、パタパタ揺らしていたあの尻尾。

(あいつ、何やってんのかな)

料理、続けてんのかな。
ああ、でもエプロンもキッチンばさみもうちに置いていったんだっけ。
じゃあ、何をやってんだろう。
神様としての修行か?
それだけで毎日楽しいのか?

(料理は……けっこう楽しそうにやってたんだけどな)
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