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6章 逢魔が時

6章ー19:神樹邸での診察と、標的確定

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 邸宅の広い敷地内を歩いていると、道の先に関所内の微小機械粒子除菌門と同じ設備があった。
「そう言えば、微小機械粒子の散布を受けんの忘れてたわ」
「神樹邸に入るには必ずここを通るんだし、関所の方はいいでしょ?」
「無駄口は不要です、さっさと通りますよ」
 ミサヤ達が霧状の微小機械粒子を散布され、先に進むと、ようやく母屋が見えた。
 神樹邸の母屋の前では4人の女性が待っており、そのうちの1人がこちらを見付けて絶叫し、爆走して来る。
「まぁぁーひぃーこぉおおおぉぉーっっ!」
 ミサヤが抱き締める命彦をむしり取り、自らの手で抱き締める命絃であった。
 魔法具制作時の着の身着のままで、急ぎ神樹邸へと空間転移したのだろう。
 部屋着の浴衣の上から白衣と見まがう作業用割烹着を着込み、裸足に草履を履いている、洒落っ気に欠ける姿であった。
 ミサヤが、命彦を抱き締めて必死に呼びかける命絃を見て、やれやれといった表情で肩を落とす。
 そのミサヤに、残り3人の女性のうちの1人、魅絃が話しかけた。
「ミサヤちゃん、ごめんね?」
 魅絃も命絃と同じ割烹着姿であるが、それでも凛として見えるあたり、年の功を感じさせる。
 その魅絃へ横に首を振って答えつつ、ミサヤは魅絃の横に立つもう1人の女性、梢に言った。
「いえ、構いません。それよりコズエ、早く診察を。マヒコが心配です」
「分かってるわ。紅葉もみじさん、命彦を担架へ。ついでだからメイア達も診察しましょう。さあ、ウチへ入って」
「承知しました、お嬢様。命絃さん、命彦さんをこちらへ」
 梢の後ろに控えていた最後の1人の女性、神樹家に仕える家令が一礼して、横にあった自走式の電動担架に命彦を乗せる。
 命絃とミサヤ、魅絃が、担架と共に女性家令に続いて神樹邸の母屋に入り、その後にメイア達を連れた梢が入って行った。
 神霊魔法の使い手である梓は、自分の体調に突発的異常が生じた場合を考慮して、自宅に最先端の医療設備を有しており、家の一切を取り仕切る家令には、〔魔法医師〕学科を修了した神樹家の分家筋の者を登用していた。
 神樹家と関わりの深い魂斬家も、この医療設備を借りることが多く、命彦も幼い頃から女性家令に診察を受けていたのである。

 命彦が診察を受けている様子を、硝子の壁を隔てた別室で見守る舞子。
 勇子と空太は、魔力消費が限界に近かったらしく、梢に頼んで隣室で眠っていた。
 この場にいるのは、命絃、魅絃、ミサヤ、梢、メイア、舞子の6人のみである。
 寝台に横たわる命彦に手を当て、魔力で診察していた女性家令が、別室に現れた。
 開口一番に命絃が問う。
「紅葉さん、命彦の具合はどう?」
「心配いりません。魂の消耗も随分回復しています。このまま魔力回復を続ければ、あと2、3日で目を覚まされるでしょう」
「そう、良かったわ。いつもありがとね、紅葉ちゃん。ミサヤちゃんもありがとう、命彦を救ってくれて」
「いえ、私は……」
 診察結果を聞いて安心した魅絃が、女性家令と人化したミサヤに頭を下げて感謝すると、命絃が怒り出した。
「母さん! 紅葉さんへの感謝はともかく、ミサヤに感謝するのは止めてよ! そもそもミサヤが命彦を止めていれば、命彦は源伝魔法を使わずに済んだのよ? あんたの役割は命彦の守護でしょうがっ! 命彦を無傷で家に帰すのが、ミサヤの役割だった筈よね!」
「いやいや、魔竜種魔獣と戦闘してた魔法士を無傷で家に帰らせるって、どんだけ無茶言ってるのか、自覚あるの命絃?」
 梢が呆れ顔でミサヤの代わりに言葉を返すと、命絃は確信を持つように言った。
「どこが無茶よ! ミサヤが全力を出せば、魔竜種魔獣の幼竜くらい、1対1で討つことは十分可能だわ。そうすれば、命彦はここまで消耗せずに済んだ筈よ!」
 別室の空気が突然重く、ピリリと緊迫して舞子が息を呑む。
 命絃の視線をまともに受け止めたミサヤが、即座に言い返した。
「確かに私1人でミズチを討つこと自体は可能だったかもしれませんが、私が全力を出していた場合、マヒコはともかく、ユウコ達は死んでいたと思いますよ? 捕縛系の結界魔法に捕らわれていましたので」
「そうね。半径200mほどの円形範囲に高位魔獣が2体いて、全力で魔法攻撃を打ち合ったら、その範囲内にいる人間の魔法士は、魔法攻撃に巻き込まれて普通は死ぬわ。原形が残れば良い方でしょう」
「コズエの言うとおりです。短期決戦でどうにかできるほど弱い敵ではありませんでした。必然持久戦にもつれ込む。そこにいる2人や隣室のユウコ達に死ねと言うのですか、マイトは? そういう発言はマヒコが悲しみますよ?」
 ミサヤが冷めた目でメイアと舞子を見ると、命絃が言葉に詰まった。
「ぐっ! 私が一番気にしていることを……」
 命絃の気勢きせいが削がれたことを好機と捉え、ミサヤが畳みかける。
「そもそもマヒコは私が傷付くことを好みません。私がボロボロの姿で戦うことを許しません。これは自慢ですが、マイトと同程度には、私もマヒコに愛されているのです。この命を粗末にせぬよう、厳命されています。マヒコが死にそうであれば私も全力を出しますが、今回はそこまでに至らぬと判断しました。無茶したマヒコをすぐに回復させられる自信がありました。よって全力を出しませんでした。文句がありますか?」
 ミサヤの発言に言い返すことができず、命絃がむくれる。
「くぬぬっ! ……ふん!」
 十数秒間、バチバチッと視線が交わり、命絃とミサヤが揃って顔を背けて、別室を出た。
 診察室で眠る命彦の横へと移動した命絃とミサヤは、眠る命彦の手をそれぞれ取って、自分の頬にあて、心配そうに見守る。
 そして2人は、自分の魔力を命彦に送り、魔力回復を始めた。
 さっきまで別室で一触即発の空気を作っていた両者とは到底思えず、命彦を見守るその慈愛に満ちた2人の姿は、まるで別人のようである。
 2人の姿を見守り、苦笑した魅絃が言った。
「メイアちゃんに舞子ちゃん、あの子達のさっきの発言は忘れてね? 命絃も本当は分かってるのよ。それでも、苛立ちを誰かにぶつけたかったんでしょう。すぐに回復すると言われても、どうしても心配してしまうのね? あの子にとって命彦は全てだから……それはミサヤちゃんにとっても同じでしょうけど」
「ええ。まあだから、ああして命彦のためには手を組めるんですよ、あの2人は」
 梢もそう言って楽しそうにくすくす笑った。
「いつものことですから、気にしていませんよ」
「私も気にしてません。自分の家族や親友がこういう状態だったら、私も誰かに当たり散らすと思いますから」
 メイアと舞子も苦笑する。別室内のピリピリした空気は、すでに霧散していた。

 家族だけにしてあげようと気遣い、命彦の診察室が見える別室を出た舞子とメイアは、梢に付き添われて、勇子と空太が眠る隣室で女性家令の診察を受けていた。
 寝台の上で、医療機器による自動診察を受けつつ、寝こける勇子と空太。
 その2人を背景の一部にしつつ、メイアと舞子も、医療機器による自動診察を受け、女性家令による診察を重ねて受けた。
 メイアの診察はすぐに済んだのだが、舞子の診察には少し時間がかった。
 というのも、舞子には記憶の欠落があったからである。
 女性家令は舞子を軽く問診し、この日に経験した出来事や心情を舞子の口から注意深く聞いて、切り出した。
「ふむ。確かに一部分、記憶の欠落があるようですね」
「ええ。〈転移結晶〉を使った瞬間から、【迷宮外壁】頂上へ転移して私が声をかけるまでの数分間ですが、本当に記憶を失ってる様子です」
 メイアが心配そうに言うと、女性家令が付け足した。
「あと、ミズチという単語を言ったり聞いたりする度に、動悸が激しさを増し、瞳孔が少し開いています。ミズチとの戦闘で心的外傷を抱え込んだ疑いがありますね? もしかしたら記憶の欠落は、心因性のモノかもしれません」
「っ! へ、平気です! 私、元気ですから!」
「でも舞子、記憶が一部飛んでいるのは事実でしょ?」
 慌てて心的外傷を否定する舞子へ、梢の言葉が突き刺さり、舞子が言い淀んだ。
「うぐっ! そ、それはそうですが……」
「先ほど行った医療機器による診察でも、特段身体器官に異常は見られませんでした。それでも記憶の欠落があるのであれば、考えられるのは心因性の健忘けんぼうか、魔法性の健忘のどちらかです。そして、魔法性の健忘の場合は、魔獣に憑依されているか、外部からの魔法的干渉によって起こる記憶の欠落がほとんどですから、魔力をこうして感じればすぐに分かります」
 女性家令が舞子の額に手を当て、自分の手から発した魔力を介して、舞子の身体を流動する魔力を感知し、口を開いた。
「舞子さんの魔力に、魔獣憑依や外部の魔法的干渉に特有の淀みは感じられません。もしこれが本当に魔法性の健忘であれば、相当魔法に長けた使い手に、記憶を改竄かいざんされたということです。関西迷宮に生息する高位魔獣でも、これほど自然に記憶を改竄できるのは2、3種でしょう。他に同じことができると考えられるのは眷霊種魔獣くらいですが、だとすれば、皆さんが生きて迷宮から戻って来られたこと自体に、矛盾が生じます」
「そうですね。ミズチとの戦闘で疲労困憊の、弱ってる餌として捕食しやすい私達が、魔獣側に見逃されたということですから。普通はありえませんよ」
「ええ。現状を見る限り、魔法性の健忘である可能性は低いと言わざるを得ません。ということは、必然的に心因性の健忘であると診断できます。その判断を補足するように、特定条件下において動悸や瞳孔に一定の乱れが生じている。心的外傷による身体機能不全の疑いが、可能性として最も高いのです」
 女性家令の言葉に、舞子は押し黙った。
 心的外傷は、脳機能の海馬、記憶を司る器官を萎縮させて、本来の機能を妨げるために、心的外傷を負ったすぐ後の記憶に混乱や忘却が生じる事例が多々ある。
 舞子の場合も、症状だけ見れば、完全に心因性の身体機能不全であった。
 心的外傷による身体機能不全と結論付ける材料は揃っていたため、女性家令の判断も、現状の舞子から得られる情報だけで見ると、的を射ていたのである。

「で、でも私は……」
「舞子、無理をし過ぎたのよ。少し休みましょ? たった3日のうちに、サツマイモから始まって、ツルメにドリアード、リッチにミズチと、立て続けに戦闘してるのよ? 特にドリアードとミズチは、新人魔法士が遭遇するには早過ぎる相手だわ。私の時でさえ、もう少し緩やかに討伐経験を増やしたものよ? 心労も相当蓄積してる筈。今は休みましょう?」
「相手が相手だしね? 心的外傷の一つや二つ、負ってるのが普通よ、舞子」
「……はい」
 メイアと梢に諭され、舞子は俯いた。
 その舞子を気の毒そうに見詰め、女性家令は言う。
「心的外傷がどの程度かは、日常生活を送ってみて初めて分かるモノです。軽度の心的外傷も、外傷要因を毎夜夢に見て、身体機能に著しい負荷をかけ、重症化する場合があります。早期に心理療法を受けるべきでしょう」
 この女性家令の言葉で、舞子はツルメに襲撃され、その時のことを思い出し、今も苦しんでいる親友達のことを思い出した。
 そして、決然とした表情で女性家令に頭を下げる。
「その心理療法、ここで受けることはできませんか? 治療代は必ず返しますから!」
「舞子、無理を言っちゃ駄目よ」
 メイアが慌てるが、舞子は頭を下げ続ける。
「お願いします。普通の病院で心理療法を受けたら、両親にまた心配をかけてしまいます。今同じ症状で戦ってる親友達にも知られる可能性があるんです。あの子達には絶対に心配をかけたくありません。私は、先に進んで待ってるって約束したんです! どうか、どうかお願いしますっ!」
 深々と頭を下げる舞子。
 がんとした舞子の意志を感じ取り、梢がため息をついて、女性家令に問うた。
「紅葉さんは、その心理療法ができるの?」
「そうですね。専門外ではありますが、相応に治療経験はあります」
「……じゃあこうしましょ? 1カ月、ここに来て紅葉さんに治療してもらい、様子を見る。心的外傷の改善が見られれば、そのまま治療を続ける。改善が見られず、舞子の容態が重症化しそうである場合、専門科のある病院を受診して、ご両親にも事情を話す。親友達に話すかどうかも舞子に任せる。これでどう?」
「あ、ありがとうございます!」
 舞子が救われたようにパッと顔を輝かせた。1カ月の猶予が舞子に与えられた期限だが、今すぐ両親や親友達に現状を知られるより、よっぽどマシだと舞子は思ったらしい。
 両親にせよ、親友達にせよ、すでに相応の心配をかけている自覚がある分、舞子の想いは切実であった。
「梢さん……私からも礼を言わせてください。舞子のために、ありがとうございます」
「いいのよ、メイア。その代わり、治療代はしっかりぼったくらせてもらうわ。心的外傷を克服したら、馬車馬の如く働かせて、依頼を達成してもらうからね?」
「はい!」
 梢の発言に元気よく返事した舞子。
 その舞子を見てくすくす笑い、女性家令が言った。
「では、今後のことも決まったところで、休息を取ってください。睡眠導入のために、エマボットに指圧按摩マッサージを行わせますので」
「「はい」」
「じゃあ、私は依頼所でまだ仕事あるから、一度戻るわね?」
 梢が部屋を出ようとすると、メイアが呼び止めた。
「あ、梢さん、できれば命彦の〈余次元の鞄〉から、採集物を回収してくれませんか? ソル姉や親方が待ってると思いますし、命彦も意識があったら絶対頼むと思うので」
「分かったわ。私が届けといてあげるから、しっかり休息をとっとくこと。いいわね? 紅葉さん、2時間くらいで皆を起こして、帰らせてあげて。……あ、命彦達は多分ウチに泊まるだろうから、この医療館から本館の客間に移してあげてね?」
「承知しました。行ってらっしゃいませ、お嬢様」
 梢が部屋から出るのを見送り、メイアと舞子はエマボットに全身の優しい指圧按摩を受けて、眠りに落ちて行った。

 メイアと舞子が眠りに落ちた頃。
 関西迷宮【魔竜の樹海】の第3迷宮域では、2体の眷霊種魔獣が揃って、思念で会話していた。
『で、どうであった? 我が駒が討たれたことはもう知れている。詳しい様子を教えよ』
『分かった。面白い見世物であったぞ? 見るがいい』
 灰髪の眷霊種魔獣サギリが淡く笑い、思念に自分の記憶をのせて、黒髪の眷霊種魔獣サラピネスに伝える。
 するとサラピネスが凄艶せいえんに笑った。
『くかかかかっ! あの小童、魔竜を魂魄も残さずに抹消したか! あれでは未練のひとかけらも残せまい。面白き魔法、面白き小童だ』
『ああ。空間を絶ち斬り、瞬間的ではあるが次元をも裂いて、その場にあった全てを斬り消していた。我らの母神にさえ届き得る魔法だ。源伝魔法と言うらしい』
『我が知らぬ魔法がまだあったとは、異世界を訪れた甲斐があるというモノだ。それで、小童の方は良いとして、本題の小娘の方はどうであった? 我が敵に足り得る者か?』
『神霊魔法の使い手としては少々未熟だが、貴様の頼みで我が魔竜のモノの上から展開した、結界魔法はきちんと突破し、限定的ではあるが神霊の魔力を結界内に呼び込んでいた。扱いは未熟だが地力はあろう。相応に神霊との親和性もある』
 そのサギリの思念に、サラピネスは嬉しそうに目を見開いた。
 メイアが感じたミズチの捕縛系結界魔法による抵抗感は、実はミズチの結界の上に展開していた、サギリの結界魔法に因るものであった。
 メイアの力を見定めるため、サラピネスに頼まれたサギリが、神霊の力を阻む精霊結界魔法を展開していたのである。
 サギリはミズチと命彦達の一連の戦闘を、ずっと空間の裏に隠れて見ていた。
 それこそ命彦達の精霊探査魔法にもサギリは引っかからず、ずっと命彦達のすぐ傍にいた。
 次空の精霊を使役するサギリは空間を偽装し、命彦達の探査魔法から巧妙に身を隠していたのである。
 それは端的に言うと、サギリの精霊魔法の腕が、命彦達より遥かに上だということを示していた。
 喜悦に染まった顔で、サラピネスが思念を返す。
『我の遊び相手として合格ということか。くくく、アハハハハ! 愉快愉快。同朋はらから達より出遅れたせいで楽しみは残されておらぬと諦め、異世界くんだりまで来て、早々に帰るつもりでいたが、どうしてどうして、残り物にも面白い玩具が転がっておったわ!』
 サラピネスの思念が【魔晶】の浮かぶ原野に響く。
 サラピネスが子どものように無邪気に笑顔を浮かべ、【魔晶】を見た。
『もう少しだ。もう少しで、我の調整も終わる。さすれば存分に命のやり取りも行えよう。待ち遠しいぞ小娘、そして小童よ』
 サラピネスの見詰める先に浮かぶ【魔晶】は、とても激しく明滅していた。
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