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第一部
カレッジ子爵邸
しおりを挟む丘に、風が駆け抜ける。
その日は春にふさわしい爽やかな日だった。
「一番手前にあるのが、ここではない家族の希望の墓地に埋葬された使用人たちの慰霊碑、そして使用人たちの墓地になります」
昨日よりも少しだけ低い声のケイが花に彩られた庭園の中にある墓地の入り口で振り返った。
カレッジ領に到着した翌日、フレドリックはケイと数人の使用人の先導で、カレッジ子爵邸へと向かった。
代行官屋敷から丘の上へは十五分ほど歩けばすぐに到着してしまった。緩やかな登り坂は目的がなければピクニックにちょうど良い場所だろう。そんなことを思いつつ、フレドリックはのどかで美しい景色を眺めながらその坂を上った。
到着したカレッジ子爵邸は館の外から見てみればあんな凄惨な事件があったとは思えないほど綺麗な屋敷だった。古くはあるがきちんと手入れされた美しい貴族の館だった。そこに住んでいた人たちの思いがにじみだしていた。
しかしそんなきれいな館の南側にある庭園に一歩入れば、そこには墓地が広がっていた。整然と並ぶ墓石と慰霊碑に刻まれた名前の数に、改めて大変な事件だったのだとフレドリックは姿勢を正す。
フレドリックたっての希望で、ケイはその一人一人を紹介してくれた。その説明を聞きながら、フレドリックは侍従長と共に持ってきた花束をその一つずつに備えていく。その墓群にはまだ新しい花がいくつも供えられていた。昨日見かけた少年の様に、街の人たちもよく足を運んでいるのだろう。
そして一番奥にはひときわ大きな墓石が並んでいた。カレッジ子爵とその家族たちだ。
「……話には聞いていたが、やっぱりレオンの墓はないのだな……」
「――はい。レオン様はロイド伯爵たっての希望であちらの領に。ご家族の墓碑に名前だけ刻みました」
「そうか……」
寂しくないのか、と思った。あの子は家族と一緒ではなくていいのか。
フレドリックは五人の墓に花を供えて、冥福を祈るために膝をつき、そして目を閉じた。
彼らとて、レオンを置いて逝くのは心残りだっただろう。けれども彼らの奮闘がレオンを生かしたのを、フレドリックは知っている。そして、散ってしまったことも。
惨劇に散ったカレッジ家の冥福を祈った後、その生き残りだったあの子に理不尽にぶつけてしまった事実無き悪意を墓前に懺悔し、謝罪する。
墓前に参ることが許されていないレオンの分も、フレドリックはただ謝罪し、祈ることしかできなかった。
カレッジ一族への墓参を終えたフレドリックは改めて庭園を見回す。
外観から与えられた手印象と違わず、こちらも空き家とは思えないくらい綺麗に手入れされていた。庭園は春ということもあり花盛りだ。あんな惨劇がなければ庭師が手入れをし、カレッジ家の子供たちが走り回ったのだろう庭は、今は亡者の安らかな眠りの場となっていた。
ケイが美しい庭を眺めながら、こちらも代行官がしっかりと管理をしているが、それ以外にも街の住人がボランティアで手入れをしているのだということを教えてくれた。公爵である父が紹介した代行官が慕われていることに他人事ながらほっとしてしまった。
「ボランティアの方々は屋敷周りや墓地の清掃など、こちらの目が行き届かないところにも細やかに心を砕いてくださいます。カレッジ子爵は領民にも慕われていましたのでそれは生前からではありましたが。現在のハント代行官も子爵のやり方を踏襲してくださっているのでとても慕われていらっしゃいますよ」
ケイは少しだけ笑みを浮かべる。領主とその補佐をしていた執事長やその補佐たち、そして実務を学んでいた跡取りが一気にいなくなったことでカレッジ子爵領は運営が滞ることが予想された。ウォルターズ公爵も王もそれを心配していた。けれども生き残ったケイが若干十八にもかかわらず随分と実務を仕込まれていたため、大変助かったのだと代行官の書いた報告書を読んだことを思い出す。当時の彼の年齢は今の自分と同じだった。
当時屋敷の大多数が亡くなり、領の運営方法の補助を託されてしまった執事見習いの青年だった男は、その時孤児院に預けられていた弟も引き取っている。
いま同じ年でそれだけのことが出来るだろうか、と思ってしまう、跡取りを拒否した身だというのに。
「君も、代行官をよく支えていると聞いている。――今は奥方と弟さんと三人で代行官屋敷に暮らしているのだったな」
「ええ、あの時の事件を機に弟を呼び寄せました。妻は一緒にレオン様のお世話をしていたメイドのアニーです。今は代行官屋敷のメイド長をしています。さあ、屋敷の中をご案内いたしましょう」
さらりと説明されて、フレドリックは屋敷の庭側の出入り口に案内された。防犯上客を迎える玄関ホールの大きな扉は閉鎖されているのでこちらから入ることになるのだと前もって聞いていた。
初めて入るカレッジ子爵邸は、何もなかった。
あの事件の後現場検証が終わり、国の許可を経て国から派遣された者が立会い片付けたのだという。襲撃で駄目になったものは処分したが使える家具は代行官邸で使用し、財産になるようなものは相続者保留で別所で保管しているとケイは言っていた。
玄関ホール、執務室、廊下など、乱闘が発生した場所を順番に案内される。すべてが撤去され、襲撃の跡は荒れた壁や床に残る染み、柱への傷からしかわからない。空気も澱んでおらず、すぐに誰かが引っ越してきそうな雰囲気だった。
そして最後に案内されたのが、一階の一番東側の日当たりのよい部屋だった。
「こちらが体調を崩されたレオン様が襲撃の一年ほど前から使われていたお部屋です」
ここでようやくレオンの名前が出てきた。
体調を崩していたレオンは屋敷内をほとんど歩くことがなかったからか思い出の場所が少ないということだろう。
「レオン様がすぐにベッドに横になれるように、室内で過ごしても少しでも楽しめるように、との采配でした。こちらの一部屋にベッドも机も応接セットも全部入れておりました」
「レオンは、そんなに具合が悪かったんですか」
「頭痛を患っておりましたので、元気でも突然頭痛に襲われて伏せることが多かったですね。事件のあったあたりはそれでもだいぶ頻度が減ってきてはいたんですが……。あの日も第一報を受けたときはベッドにいました」
ケイはしゃがみ込むと床をたたく。何か所かをこぶしでたたくと床がわずかに持ち上がった。
「ここが……」
「ええ、隠し部屋です。この屋敷にも何か所かございますが、あの日使用したのはここだけですね」
ケイが持ち上がった床を開くと、そこには階段とともに空間が広がっていた。おおよそ貴族が使うようなベッドが二つほど入る程度の広さの隠し部屋が現れたのだ。ご丁寧にしばらくここで暮らせるようにトイレや簡易的なキッチンも用意されていた。
「こちらのドアを開けると丘の中腹にある非常口へと続く地下道になります。レオン様、私とアニーはここでおおよそ十四時間ほどおりました。ウォルターズ公爵にはここがレオン様のお部屋であること、このお部屋に隠し部屋があることを旦那様がお伝えしていたらしく、公爵自らこちらの扉をお開けくださいました」
貴族の屋敷にはこういった隠し部屋・隠し通路がそれなりに存在する。
それらは極秘のものである。万が一の場合、自分の命を守るためのものだからだ。けれどもカレッジ子爵とその長男は自分の父である公爵にそれを伝えていた。
きっと彼らはレオンだけでも助けたかったのだろう。
「レオン様はよく臥せってはおられましたが、基本はやんちゃなお子様でした。こちらからウォルターズ公爵の侍従の方とそちらの領に旅立つ時が最後でしたが、それでもとても気丈でおられました」
確かにあの子は屋敷に到着したときに挨拶した時も気丈に立っていた。まだ五歳だったというのに、泣きわめきもせずじっと見つめられたのを思い出す。
フレドリックはただ静かにケイの思い出話に耳を傾けた。
十二歳から屋敷で働いていたケイはいろいろなことを知っていた。熱心だし、カレッジ子爵家の人たちにとても可愛がられたのだろう。執事見習いにもかかわらず体調を崩したレオンの側仕えを命じられたことからもそれが感じられた。彼もいまだにカレッジ子爵を慕っている。
そうして屋敷の隅から隅まで案内されて代行官邸に帰ってきたころにはすでに昼下がりといってもいい時間になっていた。
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