上 下
53 / 61
第二章

2-36 お約束の処理

しおりを挟む
 俺の脳裏で様々な考えが走馬燈のように浮かんでいく。
 まず第一にやるべきとしたらアトレールさんの体を受け止める事だろう。

 だが。

 小さな体とはいえ俺よりも大きな身体。
 覇導廻廊が通っている俺なら多分受け止めることができると思うが絶対ではない。
 といっても、見逃すという選択肢はない。

 しかし。

  俺に向かって大量に降ってくる本。
 その中には分厚いハードカバーで覆われた高級そうな本も含まれている。
 いくら俺でも当たれば痛いのは確定的。
 身を守らなければ頭に傷を負ってしまうかもしれない。

 もっともこの二つから選択するとなれば、アトレールさんを受け止める方を俺は優先したい。

 当然だ。

 感情の少ない女の子とはいえ、ピンチの女の子を見捨てるだなんて騎士の名家の生まれとしてあるまじき行為。
 勿論、フランシスは除外している。
 第一印象が悪すぎるのだ!
 いや、そうはいっても何だかんだ言って助けてるけど。
 だんだん落ち着いてきているような気もするし。

 そんな俺の思いが刹那ほどの時間で交差し体を動かそうと思ったのだが……。
 俺は忘れてはいけないことを度外視していた。

 つまりジョカの存在。

 刹那とも言える時間で選択し、それを選ぼうとした俺よりも早くジョカは現界に顕著していた。
 おそらくは俺の感情の揺れを瞬時に把握したのだろう。
 というより全て見えているのだ。本による俺への攻撃と判断したのかもしれない。

束縛する泡沫の夢シャックルバインド

 ジョカの言葉と同時にアトレールさんと大量の本は、別々にうすらと虹色に輝く泡で包まれた。
 そのまま動きは完全に止まって空中で固定されている。
 アトレールさんは瞳孔を開いたまま瞬き一つしていない。

「ちょ、ちょっと……これ、何したの?」

「主殿への攻撃とみなしたので消し去るか迷いましたが、そこなるおなごは先ほど親し気に話していたようでしたので留め置くことにしたのでありまする」

 ジョカは射貫くように冷たい目線を本に向けている。
 おそらくは攻撃対象とみなしているのだろう。

「ええと……アトレールさんだけとりあえず降ろしてくれる? あ、俺が受け止めるからさ」

「ククっ。主殿の種の存続欲求も中々に盛んな物でありまするな」

「ちっがー! そんなんじゃないって! 助けてあげないと落ちちゃうじゃん! …………いいよ、降ろしてくれて」

 ジョカは再度妖艶に笑うと指をちょいと動かした。
 それだけで泡は消え、アトレールさんを綺麗なお姫様抱っこの要領で受け止めることができた。
 キョトンとした表情を浮かべて謝った後、ジョカに視線を向ける。

「……ありがと。ごめんなさい。ええと……その人は?」

「ああ。俺の仲間なん――」

 俺がそう言いかけてアトレールさんを下ろそうかと思った時であった。
 大量の本を包み込んでいた泡が突如、奇妙に揺れ動き縮小しながら虚空へと消えていった。
 勿論、大量の本も一緒に飲み込まれていったのだ。高級そうな本たちが綺麗さっぱり消え去ったのだ。

「のわああああああ! 消えちゃったじゃん! 本が! 全部!」

「時間経過で常世の狭間に消し去る魔法故に。おなごがぶじで良かったでありまする」

「いやいや、待ってよ! ま、待ってよ……」

 俺は一緒にその光景を見ていたアトレールさんに目を向けた。
 ゆっくりと目が細まっていく。

「弁償。助けてくれたのはありがとうだけど、弁償」

 穏やかに微笑む顔から放たれる悲しい言葉。
 確かに落ちかけたのを助けたし、ジョカの攻撃から命を救った。
 けれど、前者は本を消し去る意味はない。
 後者は完全に俺が巻き起こした種。
 
 しかも。

 仲間と口走ってしまった以上もうどうすることもできない。
 俺はアトレールさんの体を抱いたまま大きく項垂れるしかなかった。

「はい。弁償させていただきます……。おいくらですか……?」

「主殿、妾はまた何か……」

「あーいや、いいよ! アトレールさんを無事に受け止めることができたし。ええと……じゃあ……」

「ほ、本当でありまするか? 妾は嬉しい故に。では、また何かありましたら」

 ジョカが消えるのを確認してから俺はアトレールさんを降ろしてあげた。
 やはりというか筋力も上がっているためか、まるで重いとは感じられなかった。
 確かフォーカス兄さんが、女の子に重いとかそういうことを言っちゃだめって言っていたのを覚えている。
 今後そういう事態がなくなったのはありがたい。ありがたいんだけど……。

 しかし。

 俺はジョカに甘いのだろうか?
 正直な話、怒りの感情よりも嬉しさの方が勝っている俺がいる。
 ただただその力が強いと言うだけで、俺のためを思って瞬時に行動してくれているのだ。

 嬉しくないはずがない。

 ならば。

 借金が多少増えることくらい気にする必要でもないのかもしれない。

 そうは言ってもリンガルさんに先立つ物云々の話をして出てきたというのに、この展開は少し目が滲んでしまうけれど。

「さっきの人。人間じゃない?」

 ジョカは何もないところで出たり消えたりしている。
 不思議に思わないはずがない。

「あーうん。仲間、人間じゃないけど仲間だよ」

 白銀のローブで隠すように身を包んでいるとはいえ、チラとその下に除く装備は明らかに常軌を逸したもの。
 どういったものなのか尋ねてみたい気もするが、なんとなく恐ろしくて聞けていない。
 そんなレベルの物を装備していて出たり消えたりしていれば、そりゃ人間じゃないと思うのは当然だ。

「ふぅん。ディル、優しい。気に入った。これはあげるよ」

 すっと差し出してくれたのは調合書だと思われるうすい冊子。
 これだけは守ってくれていて本当にありがたいものだと思う。

「ありがとう。で……弁償は……?」

 本棚の抜けてしまったスペースをじっと見つめた後、店のカウンターの奥へと入り計算しだす。
 全部覚えているのかな? と思いながら魔算盤を動かし算出した額は……。

「22万と8200ティルだね。まいど」

「まいどって……俺はその本のタイトルすら知らないというのに……。い、いや、でも仕方がないか。それってツケとかきく? 俺、お金持ってなくて」

「お金持ってないのに本買いに来たの? まさか……どろ――」

「あー違う違う! そんなに持ち合わせがないってことだよ! ただ、持ってるお金を渡すと生活できなくなるから……ちょっと待って欲しいです」

 アトレールさんはふんっと小さく鼻を鳴らすとジト目で俺を見つめてくる。
 ちくちく刺さる視線。間の取りかた。俺の胃袋キリキリ言ってます!

「いいよ。けど住んでる場所教えてもらう。じゃないとおばあちゃんに怒られる」

「あ、はい、勿論。アトレールさんが怒ってないのが唯一の救いかな……?」

「だって、助けてくれた。怒ってやる気削いでも意味がない。ならお尻叩いて頑張らす」

 なんだか台無しなような気がしたけれど、最初よりも機嫌がよさげになってるのでよしとすることにした。
 そのまま小用で出て行っているとかのおばあちゃんの戻りを待ち、全力で謝ってから――お金を払うなら良いと言ってくれた――アトレールさんと共に古書店を後にした。
しおりを挟む

処理中です...