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第1話「最悪なクリスマスイヴ」

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 相楽千晃さがらちあきは、部屋の空気の冷たさを鼻頭に感じながら、目を覚ました。
 眠気まなこで部屋を見渡すと、遮光カーテンの隙間から、白白とした光が漏れていた。枕元に置いていたスマホで、時間を確認する。
 
(……もう昼過ぎか……)
 
 相楽は、二度寝したくなる欲求をなんとか振り切って、仕方なくベッドから身を起こした。空気が寒い。後ろ髪惹かれる思いで、布団を体から剥ぎ取り、ベッドから出ると、遮光カーテンに手を伸ばし窓の外を確認した。

(白い……)

 窓の外は真っ白だった。

 その上に、更に深々と雪が降っている。昨日の大袈裟とも思える、気象庁の大雪警報が本当になった。東京で大雪が降るというのは、本当に稀なのだ。

 出掛ける予定でもあれば、この情景を見て眉をしかめていたかもしれないと相楽は思った。
 だが今年のクリスマスイヴ、何の予定もない。大学のサークル内で行われる、クリスマスパーティーに誘われていたが、とても行く気になれなかった。本当なら数週間前、別れた彼女と出掛けていただろうと思うと、今更、多人数で騒ぐ事が虚しくなったのだ。

 そう……虚しい。

 どうして、こんな事になってしまったのかと、相楽はここ最近悩んでいた事を、ぶり返し考えてしまう。更に虚しさが募る。

 ただ、この全てを覆い尽くす雪を見ていると、不思議と自分の後悔や、虚しさや憤りにも降り積もって、なかった事にしてくれるんじゃないかと思えてくる。
 相楽はしばらく窓の外を黙って見つめていたが、やがて体が底冷えしてきて、慌ててエアコンをつけた。

***

 相楽は遅めの朝食をとりながら、テレビを黙って観ていた。どこの局も近年稀にみる、今日の大雪の事を報じている。
 加えて今日は、クリスマスイヴだ。話題に事欠かないだろう。コメンテーターたちは、大雪における、大都市の機能の麻痺状態を論じつつも、どこか興奮気味で、浮き足立っているようにも見える。

 皆この「非日常」をどこか楽しんでいるのかもしれない。更に自分は、特にどこにも出掛ける予定がないので、高みの見物だ。
 大雪の降る中、どこぞのカップルが街角インタビューを受けている。交通機関のダイヤが、乱れに乱れ大変らしい。
 
(ざまー、ねーな)

 相楽はそのカップル達の不幸を、フンと鼻で嘲笑った。

***

 朝食をとり終えて、胃に血が集まって眠くなってきた相楽は、再びうとうとし始めたが、ここでうたた寝しては、休日を無駄にして、完全なる敗北者になると、頭の片隅で感じていた。

 確かに、世の中の敗北者ではあるかもしれないが、そんな自分でも何か残したいと考えた。
 相楽は眠気を何とか振り切り「よし!」と体を起こした。

***

 相楽は、少し早めの大掃除をする事にした。

 こんな天気なので、布団やマットを干す事は出来ないが、普段やらないキッチンの換気扇や、コンロの掃除から始まり、冷蔵庫内の物を全て出し、掃除し、浴室の天井から床も、トイレ掃除も黙々とこなす。

 掃除に集中している間は無心になれて、嫌な事は不思議と忘れられた。

 何か嫌な事があった時、掃除をするという事は、無心になれるし、部屋も綺麗になるしで、一石二鳥なのではないかと相楽はふふっと力なく笑った。

 不要な物をゴミ袋に詰め終わって、一息付いた頃には、すっかり日が暮れていた。

 相楽は窓の外を見遣る。まだ雪は降り続けていた。

(腹減ったな……)

 気が付けば、夜の八時を回っていた。
 適当に食べられる物が何もない。だがこの雪の中、買い物に行くのは億劫だ。
 それにこの大雪の中、外に出る事は、自分が世間のリア充に、唯一勝っていた要素を、塗り潰す気がしたのだ。

(……めんどくせー)

 相楽は掃除で疲労した体を、ベッドに投げたし、そのまま瞼を閉じた。

 まさかこんな平凡で、侘しい今日という日が、「あんな事」になろうとは、この時の相楽は知る由もなかった。

***

 相楽が次に目を覚ました時、夜の十時を回っていた。スマホのホーム画面に着信がある。サークルのクリスマスパーティーの様子が、ご丁寧に写真と動画で送られてきていた。
 
 その楽しげな様子が、たとえ空虚なものであっても、今の相楽をイラつかせるには充分だった。どんなに虚しくても、やはり自分も参加すれば良かったかと、一瞬後悔したが、もう遅い。
 
 全ての事はやり直せないのだ。加えてぐぅーと自分の腹がなり、相楽の虚しさは更に募った。あまりの惨めさに、泣きそうになる。
 
 世の中の、なんたる不公平な事か。神様がいるとしたら、ロクでもない奴に違いないと、相楽はこの聖夜に神を呪った。

 カーテンをめくり外を見る。まだ相変わらず雪は降り続いている。何をしようとも、自分が敗北者には変わらないのだ。
 せめて腹くらいは満たそうかと、相楽は仕方なく掛けてあったコートを羽織ると、先程まとめたゴミ袋を持って、部屋を後にした。

***

 ゴミ袋を、アパート外のダストボックスに突っ込んで、そのまま相楽は雪の中を歩き出した。

 寒すぎる。足が雪に取られる。歩き難い。外に出た事を途端に後悔した。
 
 よくよく考えれば、出前でも取れば良かったのだ。そんな事に、今気が付くなんて、本当に今日の自分は付いてない。

 もう、戻る気にもなれず、相楽はヤケになって雪の中を進んで行った。

 しばらく歩くと広い道路に出た。流石都会、車道に雪は積もっていなかったが、歩道は雪がそこそこ積もっている。 

 今夜中に雪が止んだとしても、明日この雪は凍結して、今日以上の混乱をこの都心にもたらすだろう。それを考えると相楽はゾッとした。

 駅前に辿り着き、相楽は更にゾッとした。とんでもない人の行列だ。恐らく雪で完全に撃沈してしまった電車を見限り、バスやタクシーを待つ列だろう。

 こんな大雪の日に出掛けていたなんて、アホの連中としか思えない。自業自得だとその列を横目で見ながら通り過ぎようとした時、ある物が相楽の目に止まった。

 極彩色の模様が彩られた、赤く派手な傘――

 あの傘には見覚えがあった。梅雨時期に大学構内で見掛けて、度肝を抜かれたのを覚えてる。その持ち主に、何なんだその派手な傘は? と尋ねた事があった。どっかの国のお土産らしい。

 あんな派手な傘をさしてる奴は、日本に二人はいないだろうと、相楽は興味本意でその傘に近寄った。今思うと、そのささやかな好奇心は、悪魔の囁きだったのかもしれない。

「あ……やっぱ、神崎じゃん」

 そう声を掛けられて、神崎真琴かんざきまことは振り返った。

 
つづく
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