幽々として誘う

舞台譲

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第二十七夜 偽りの死者

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 地面に着地したとき、一条は鍾乳洞めいた広い空間にいた。異様な霊力に満ちた空間だった。

 周囲は岩壁に囲まれ、まるで硝子の上に立っているかのように、透明な足場があり、その下には幾つもの蓮華の花が咲いている。壁際に置かれた灯籠と、天井に描かれた巨大な曼荼羅の光が、この場所に薄明かりをもたらしていた。曼荼羅の力か、今しがた一条が空けた穴は、傷を縫合するように岩壁同士が重なることで塞がった。それを見たあと、一条は洞の奥へと進んだ。

 洞の奥には、木組みで造られた巨大な祭壇めいた場所があった。灯籠と幾つもの蝋燭の火がそれを照らしている。その祭壇の縁に、紫堂秋水は腰掛けながら本を読んでいた。

 本のタイトルには『壁』と書かれている。その書物を一ページめくると秋水は言った。

「あぁすまない。来てもらったところ悪いんだが、あと五ページほど待ってくれないか。いま良いところなんだ」ページ数を示すように、秋水は五本指を立てた。

 一条は呆れたが、相手がわざわざ時間をくれるなら丁度良いと思い、煙草に火をつけ一服することにした。煙を吸い、一息吐いたあと、落ち着いた気持ちになる。

 その直後、本を読むのを待たずして、一条は刀身に火を宿し、秋水へとぶん投げた。

 刀は車輪のようにくるくると回転しながら秋水へと向かう。だがその刃は、彼の足下の硝子の壁から突如突き出した、肋骨を重ね合わせたような盾に遮られた。

 刀が突き立ち、骨の壁が灰になった先で、秋水は呆れた顔で読書を止めていた。

「一条、ひとが本を読んでいる時に刀を投げるなんて、非常識だと思わないのか」

「いま日本で一番非常識な奴が常識を問うなよ」

 それもそうかと呟き、秋水は本を側に置いたあと、祭壇を降りた。

「久しぶりだね、一条。歓迎するよ。どうだい僕の造った異界は。中々のものだろ」

「趣味が悪い。構造が馬鹿げてる。何よりはた迷惑。文句のつけ所しかねえな」

「くくっ。相変わらずだな。君を見てると、学生時代を思い出すよ。活気に溢れる学び舎。友人たちと互いに研鑽し、時には街に繰り出して遊び歩くこともあった。あぁ、ほんとうに……」

 秋水の声が、虚飾が剥ぎ取られたかのように冷たくなる。

「つまらなかった。誰も彼もレベルが低い。連中、もう少し実力があっても良かったんじゃないか? だからこんなことになるまで気づかないんだ」

 寒気がするほどに感情のない声だった。冷たい表情に、すべてを諦観したような眼差し。 

 実に数年の間を開けて、一条のイメージと実際の秋水の姿が一致した。

「その口ぶりだと、やっぱ大教院にいた頃から動いてたな。幾ら千年分の知識があるお前でも、ひとりで日本全土の曼荼羅を改変するのは不可能だ。いったいどれくらいの呪術師に、あの寄生型の屍鬼を植えつけた」

「よく出来てただろう、あの蟲は。脊髄に寄生・同化することで対象を自由自在に操れる。あれ自体が神経の集合体みたいなものだから、予め、知識や記憶を定着させれば、寄生対象が本来学んでいない能力まで発揮出来る。寄生対象の霊圧と同化することも出来るから、周囲にバレることもない。我ながら改心の出来だと思うよ。大教院においては、僕の取り巻きのほとんどに。神祇省では、隙あらば、と言ったところだ。一応言っとくが、相川君には大教院時代に寄生させてはいないよ。彼は呪術師としては欠陥だらけだったからね」

「はっ笑えるぜ。お前が未熟と見なした奴に目論みが暴かれたなんてな」

「……あれは僕自身ミスだと思ったよ。正直に言えば、彼は途中で呪術師を止めるとすら思っていたんだ。それが今では、捜し物に関しては指折りの呪術師ときてる。素直に驚いたよ。彼の縁視の天眼。そこまで優れものだったなんてね」

「だからか。蓮司の家に手を出したのは」一条は咎める口調で言った。

「そうだ。幾つかあの手の超能力者の例を見てね、このままではマズいと思い、異能保護課の資料から曼荼羅の改変に気づきそうな超能力者をピックアップした。そのなかのひとりが蓮司君だ。彼の眼には本当に驚かされたよ。心王曼荼羅で認識阻害もかけているのに、彼は容易く、神祇省の管理下にない死相持ちを見破った。能力の制御こそ出来ていないが、物さえ見えれば、対象の何処までも見通せる。過去予測に寄らない本物の過去視。やや型落ちではあるが、まるで神や仏の天眼だ。とはいえ、蓮司君の件は、僕だけの一存じゃないよ。君も知ってるだろ。彼の家にいた赤児。本名は沙夜という。彼女は元はかなり不幸な人間でね、貧しい家で親に愛されることなく育ち、貧乏なせいで周囲からも蔑みと嘲笑の眼を向けられた。二十歳になるまでに彼女が培ったのは、周囲への怒りや憎悪、嫉妬心。そして幸福になろうとする執念だ」

「お前……そんな人間を屍鬼にして自分の仕事を手伝わせたのか」

「そういうなよ。それに、最初に彼女を屍鬼にしたのは、僕じゃなくて神祇省だぜ。怪異事件に巻き込まれ、彼女は死相持ちの屍鬼となったんだ。だがある一点において、彼女は他の死相持ちとは違っていた。沙夜は自分の魂を保持したまま、死相持ちになったんだ。凄い才能だろ。彼女は環境には恵まれていなかったが、霊的な適正においては、そこらの呪術師なんかとは比べ物にならないほどに突出していた。けど、あくまで当時の彼女は神祇省製の屍鬼だ。このままでは自我を持ったまま、常識的な方法で社会に殺され、自身の異常な死を隠蔽することになる。それはあまりに可哀想だ。理不尽な死のあと、さらに自分には関わりのなかった理由で殺されるんだ。心ある人間なら助けたいと思うだろう。そして彼女は祇省の管理下にない屍鬼となり、以後、他に居場所もないから僕の仕事を手伝ってもらってるというわけだ」

「新たな人生という報酬を、目の前にぶら下げてか?」

 皮肉の入った言葉に、秋水は苦笑した。

「彼女が成瀬家にしたことは問題だが、呪術社会のシステムに比べれば可愛いものだろ。曼荼羅のお陰で、国内の怪異による被害件数は減ったかもしれないが、過度な認識阻害に被害者の死体を利用した怪異事件の隠蔽、おまけに一般市民は怪異や呪術については何も知らないときてる。幾ら怪異の発生を減らすためとはいえ、少しアンフェア過ぎると思うぜ」

「だからって、屍鬼化した一般人にそのまま人生を歩ませるのも短絡的だろうが。簡易的なものとはいえ、死者を屍鬼化し、生前通りの動きをさせるにはそれなりの霊力が必要だ。その霊力が何処から賄われてるかは、お前だって知ってるだろ」

 日本全土に敷かれた五法曼荼羅を運用するには、莫大な霊力が必要だ。国内の霊脈だけで負担するのは難しい。だから呪術師たちはまだ手をつけていない、確実な霊力を保有する者たちに手をつけた。

「国民だ。屍鬼の運用だけじゃない。結界の作製、無面の維持、土地の霊脈の調整、個々の呪術師の修祓印の管理、他にも多くの曼荼羅の機能を利用するために国民から収集した霊力が使用される。今だって日常生活に差し支えのないギリギリの範囲で収集してるんだぞ。これでもし、怪異事件の被害者全員の人生のために霊力を負担したらどうなる。破滅だ。彼らの人生を維持するために、年を追うごとに国民から収集する霊力は増え続け、やがては国民自身の生命を維持することすら不可能になる。それにお前の改変した曼荼羅で屍鬼になった被害者たち。彼らは生きた人間のように活動するが、実際には生きてはいない。死んだ肉体を屍魂の術で活性化させ、魂を付着させているだけだ。だから生殖能力もすでに機能していない。可哀想ではあるが、どうあがいたって彼らは社会の負担にしかならないんだ。死者は蘇らない。世界の法則を破ろうとすれば、必ずその分のしっぺ返しがくる。秋水、お前だって分かってる筈だろ。最初から、お前の目論みは破綻してるんだ。それでもまだこのチキンレースを続ける気か」

 明らかな失敗を突きつける。だがその糾弾に、秋水は不敵な笑みを返した。

「そう。死者を蘇らせてはいけない。それは世界の絶対の法則だ。けどもし、その法則自体が変わったらどうなる?」

 秋水の言葉に、あぶくのように嫌な想像が沸き上がった。

「……だから、全国にあの屍獣を発生させたのか。死者の秩序を現世に取り入れるために」

 怪異はその存在を認知するものがいなければ、発生しにくい性質がある。彼らを形作る法則が認識されないせいで、その法則が機能不全になるからだ。だが逆に言えば、認識されなくても、ある程度の力は持っているのだ。秋水は、例え力が弱くても、特定の法則を持つ怪異を増やすことで、その法則を強化しようとした。人々に認識させることで法則を強化するのではなく、環境に少しずつ馴染ませることで、屍魂の術の根源、死の国の法則を強めようとしている。

「さすがにそこまでする気はないさ。ただの墓地からすら死者が蘇るのは困るしね。あくまで、死の国の法の一部を現世に取り入れるだけだ。上手く調整し、活用することが出来れば、国民から霊力を負担することなく、被害者たちは人生を続けられる。なにせ黄泉帰り自体が世界の決まりになっちゃうわけだからね。怪異の発生件数は今よりも上がるだろうが、被害者たちがその後まともな人生を歩めれば問題ないだろう。さっき君が言った生殖機能の問題も後々は解決するつもりだしね」

 その方法なら、霊力の負担は避けられる。現世の裏側、幽世には過去地上に存在し、いまでは物理法則に排斥され
た秩序たちが混沌と渦巻いている。まだ生と死の区切りが曖昧だった頃、その時代の秩序を取り入れることが出来れば、確かに秋水の目論みは叶う。だが、

「バカっ! お前自分がなに言ってんのかわかってんのか! 例え生と死の境を曖昧に出来たとしても、それはあくまで五法曼荼羅のある日本だけの話だ。そんな事態になれば、他の国が黙っていない。必ず、この国から死の法を取り除こうとする」

「うん。だからさ、僕は他の国にも、五法曼荼羅を敷こうと思ってるんだ。そうすれば、曼荼
羅での行動規制も出来る。もちろん、それだけじゃ限界があるから、今よりもっと心王曼荼羅の干渉を強めるつもりだけどね」

 唖然とした。そんなものは不可能だ。日本全土に曼荼羅を敷くことですら、数十年の時間を費やしたのだ。世界中に曼荼羅を敷くとなれば、一体どれほどの時間と資金がいるのか。

 その疑問に答えるように、秋水は洞全体を見回した。

「君の足下にあるもの、何かわかるかい?」

 指摘されて気づいた。この異様な霊気は、足下の蓮華から発生しているのを。この花の花弁には見覚えがあった。新宿で屍獣を焼き払ったとき、その灰のなかに僅かに混じっていた筈だ。

「如意宝珠。龍王の頭蓋の中にあり、これを手に入れた者はあらゆる願いを叶えるなんていう曰く付きの代物さ。無論、ここに転がっているのは偽物だ。さすがにこれだけの数の龍王の頭なんて切り開いてられないからね」

 だが偽物であっても、この場に満ちる霊圧は本物だ。その事実に、一条は戦慄した。

「かつての当主に、屍魂の術を応用して、この宝珠を自力で造り出そうとした者がいた。この蓮華の花は、その技術を利用して量産した人造の如意宝珠だ。本物には遠く及ばない劣化品だが、数を揃えて、必要な霊力を満たせばそれなりの力を発揮する。幸い、模造品を造る時間もあったし、霊力も毎日曼荼羅から貯蓄させてもらっている。もう少し時間をかければ、それこそ一瞬で世界中に曼荼羅を敷くことだって出来る。この異界はそのための祭壇さ」

「……お前、本当に世界から死を取り除く気なのか」

「この秩序が組み込まれれば、やがて怪異だけでなく、本来病死や事故死する筈だった人間の人生も続けさせることが出来る。怪異の発生件数を減らすために、いま以上の精神干渉をしなければならないが、些細な問題だ。これで本当の意味で死は平等になる。望む死に方も、死のタイミングも、ひとは自ら選択出来るようになる。世の中に蔓延っていた不幸のもとのひとつが、その力を大きく減退させる。素晴らしいと思わないか」

「それは呪術でやるべきことじゃない。お前の身勝手な選択じゃなくて、文明の発展の過程で選ぶべきことだ」

「合理的じゃないな。目の前にその手段があるのに、なにを迷う必要があるんだ。そんなんだから人類はいつまで経っても悲劇を繰り返すんだぜ」

 この男は止まらない。掛けた時間、ただひとつの目的のために捧げた妄念の総量が違いすぎる。目の前にいるのは、紫堂秋水ひとりではない。紫堂家の千年分の妄執を背負った者だ。

 一条は確信した。この男は、いまここで必ず仕留めねばならない相手だと。

「さて問答もここまでだ。もう少しお喋りしたいところだが、生憎と仕事が立て込んでいてね、そこまでの暇はないんだ。だから、話の続きはまた今度にしよう」

 地面を砕いて、周囲に百を軽く上回る数の人骨の兵たちが現れた。その全員が骨を削って造り出したような刀や槍を手にしている。

「君にも蟲を植えつける。君は呪術師としての能力には偏りがあるが、戦闘力に関しては超がつくほどの一流だ。詳しい話も聞かせたし、他の奴よりも良い駒になってくれるだろう」

 秋水の足下の硝子がひび割れ、柄と鍔をつけた骨刀が現れた。彼はその骨刀を手にすると、指揮するように骨刀を一条へと向けた。瞬間、骨の群勢が一斉に襲い掛かってきた。

 一条は右手の数珠を繋ぐ紐を轢きちぎり、数珠玉を地面にバラまいた。地面に触れると、数珠は津波のように炎を広げ骨の兵たちを呑み込んだ。さらに魂魄を鬼種のものに偽装し、身体能力、霊的干渉力を劇的に高める。髪は赤色に変わり、足から首もとまでの肌色が赤黒く変色する。燃え盛る炎のなか、一条は黒槍を手にし骸羽織を羽織った。

「悪いが、あんな気色悪いもん植えられるなんてご免だね」

 一条は黒槍を風車のように回したあと、その穂先を秋水に向けた。

「その古くさい野望、この異界ごと焼き払ってやるよ」
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