幽々として誘う

舞台譲

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第二十六夜 突入

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 深夜の上野公園は、昼間の喧噪を忘れてしまうほどに静まり返っていた。

 公園の南端、名所のひとつである不忍池では、水面の上に佇むようにして蓮の花が月光を浴びている。その公園に三人分の足跡が鳴り響く。一条と誘、そして和泉の足音だった。

 不忍池の前にまで来ると、一条は呆れた顔でその場にしゃがみ込み、手を池に浸した。

「馬鹿と天才は紙一重って言うけど、秋水の奴、わりと馬鹿寄りなんじゃねえかな」

「まさか都心のど真ん中、しかも池のなかに隠れ家を造ってたなんてね。普通、思いついてもやらないでしょ。だからこそ、皆気づかなかったのかもしれないけど」

 正樹が調べ上げた情報から、秋水の隠れ家は上野公園にある不忍池のなかだとわかった。彼は池のなかに異界を造り上げ、数年の間、そこで曼荼羅の調整と管理を行っていたのだ。

 隠れ家の造り方こそ斜め上だが、霊地選びに関してはかなり理に叶っている。

 上野は都内でも指折りの霊地だ。元々、この場所は江戸城の鬼門に当たり、そのために徳川家康の側近にして、江戸の都市計画に深く関わっていた天台宗の僧侶・天海は、徳川幕府の安泰と民の幸福を祈願して、上野の台地に寛永寺を建立した。

 江戸城の北東から南西にかけて、寛永寺、神田明神、日枝神社、芝増上寺があるのも、この鬼門封じが関係している。天海は、不吉とされる鬼門を寺院や神社で封じようとしたのだ。

 東京都内に張り巡らされた五法曼荼羅も、この手の霊地とは深い関わりを持っている。

 曼荼羅に手を出すには、この上野はまさに打ってつけの場所と言えた。

 あとはどう異界に侵入するかだが、それを考えた所で、池が硝子のように澄みだし、その奥底が視えた。一条たちのいる場所を中心にして、此岸と彼岸の境界が薄くなり始めた。

「誘ってるみたいですね。罠でしょうか」

「罠だろうが何だろうが、どっちにしても入るんだ。行くぞ」

「真夏に水浴びは良いんだけど、せめてもう少し綺麗な水が良かったわね」

 一条は水避けの術をかけて、不忍池なかへと飛び込んだ。

 水しぶきを上げた直後、深く、深くへと潜っていく。驚くべき深さだ。本来、不忍池の水深は八十センチを越える程度。入れば足が突く深さしかない。それが何十メートルもの深くまで空間が拡張されている。現世ではない幽世よりの場所とはいえ、驚異的な異界構築力だった。

 澄んだ水のなかには骨だけの魚が何匹も泳いでいる。あれらも秋水が作製した屍鬼なのだろう。十数秒ほど潜り続けると、やがて、木造の階段が見えてきた。階段の両端には幾つもの灯籠が灯っており、それが目印となり、先にある巨大な屋敷の姿が見ることが出来た。

 階段に近づくと、急に浮力が消え、地上と同じような要領で木組みの階段へと着地する。

「凄いわね。まだ水のなかだっていうのに、会話も出来るし、呼吸もできるなんて」

「だいぶ物理法則が入り交じってんな。秋水の奴、無茶苦茶やりやがって」

「ほんと凄いよね。ぼくも授業で先生の異界構築は見たけど、比べ物にならないよ」

「ええ、これが紫堂家の知識と技術を使って作った……あれ、綾人くん?」

 一条は慌てて振り向いた。いつの間に付いて来たのか、一向の最後尾には綾人がいた。

「来ちゃった」

「来ちゃった、じゃねえっ! 留守番してろって言っただろうがぁ!」

 照れ隠しするように髪をかく綾人の頭部を、一条は鷲掴みにした。

「痛い痛い痛いっ! ごめんなさい、謝るから頭を締めるのは止めてっ!」

「じゃあいますぐ帰れ! それで解除してやる!」

「それはやだ! 蓮司君を見つけるまで帰らないよ、ぼくは!」

 幾ら頭を締め上げても根をあげず、瞳に宿る意志は固い。もうここまで来てしまえば、ひとりで戻るのは逆に危険だ。一条は諦めて、綾人の頭から手を離すことにした。ここまでバレずに隠形をしてきたのだ。その努力は認めてやるべきか。

「死ぬな。後遺症が残るような怪我もするな。それが出来るんなら一緒に来い」

「りょーかーい。やっぱ一条さん、なんだかんだ言って認めてくれるよね」

 調子に乗る綾人の額を一条は小突いた。

 そんなやり取りをしていたからか、周囲の骨の魚たちが一斉に一条たちへ顔を向けた。深海魚めいた顎の大きなものから、数メートルもの巨体を誇るものまでいる。数は百や二百では納まらない。そのうちの一匹が巨大な顎を開いて突っ込んできた。

 一条は「走るぞ」と命じて階段を下り出す。階段を移動した直後、一瞬前までいた場所に骨の巨大魚が突っ込んで来た。階段は強靭な顎と牙によって容易く砕かれる。

 一条は数珠を黒い刀剣に変えて武装する。外界と法則が違うとはいえここは水のなか。火を扱うのは難しい。近くまできた骨魚をひと振りで斬り捨てる。

「この水、単に物理法則を乱してるだけじゃないわね。呪術の発動を阻害してる」

 和泉の言葉通りだった。この水のなかにいるせいか、刀の切れ味は鈍いし、身体強化もしにくいので戦い辛くて仕方がない。だがそんな環境下でも変わらず能力を発揮する者がいた。

 水のなかを赤い蝶が飛び交い、向かってくる魚たちの生命力を次々に奪っていく。

「紫堂家の術式ですからね。わたしは問題ありません」

 さらに水中には、全身が黒い魚が新たに加わった。綾人がメモ帳から出した墨絵の魚だ。

「うん。うん。なるほど。こういう仕組みか。中々面白いね。紫堂家の術式も」

 綾人が造り出した墨絵の魚は、自らを構成する墨をほどきながら泳いでいく。だが水の邪魔を受けているわけではない。意図してやったものだ。魚から糸のようにほどける墨は、触れる骨魚たちを次々と切断していく。環境に合わせて、自身の術式の方を変えたのだ。

 その手腕に一条は舌を巻く。やはり綾人は優秀だ。術式の構築と解析力、そして運用の繊細さはすでに一条を上回っている。実際の戦闘では一生負ける気はないが、大したものだった。

 階段を下へ下へと降り、やがて物理法則の乱れた水中から、通常の法則に近い屋敷付近にまで来た。大気の外に水。水のなかに大気。アクアリウムとテラリウムを混ぜたかのような構造だ。飼育されているのが水生生物なら良いが、骨の化け物というのだから笑えない。

 そしてその飼育対象は水の外でも襲ってくる。屋敷へと向かう一条たちに、さらに多くの骨魚たちが襲いかかる。その群れに紅揚羽と墨獣が対抗する。だが物量の暴力には敵わない。骨の魚たちは、誘たちの攻勢を乗り越え、一条たちへと襲い掛かった。

 すでに水の外。一条は刀身に炎を宿らせた。一瞬にして、骨の魚たちが灰へと変わる。だが
数が多すぎる。即席の火力では削り切れない。骨魚たちは炎の壁を越えて、彼らの天敵である誘へと降り注いだ。そのなかには、一時彼女の動きを封じた藤蔓を纏うものもいた。

 彼女を助けようと再び刀身に火を宿す。だがそれより速く、一条たちの方へも骨魚は向かってきた。一条は舌打ちし、和泉と綾人の服を掴んで、屋敷へと落下した。

 木組みの階段は砕かれ、一条たちは屋敷へと侵入する。階段から縁側の部屋へ飛び込んだ途端、一条は襖を閉じ、火で畳みを灰化させ、その灰を呪術で格子状の形に変えて襖を強化する骨組み代わりにした。さらにその上から呪符を張り付けて完成だ。直後、凄まじい音を立てて、次々と骨魚たちが襖の外にぶつかる音が聞こえた。

「一条さん、どうしようっ! 誘ちゃんが!」綾人が慌てて言った。

「落ち着け。あいつなら大丈夫だ。単純なスペックなら、この異界にいる誰より上なんだ」

 人造とはいえ、仮にも土地神の分霊だ。機能を一時的に止めることは出来ても、完全に殺し切ることは秋水でも難しい筈だ。

「和泉と綾人は、蓮司とその家族を捜してくれ。見つけ次第、すぐにこの異界を出ろ」

「わかったわ。一条くんは?」

「俺は秋水を見つけてぶちのめす。ついでに誘の救出もな。じゃあ和泉、綾人のお守り、頼んだぞ。無茶しないよう見張っててくれよ」

 和泉の返事を聞いたあと、一条はすぐに駆け出した。上着の胸ポケットから、正樹から貰った呪符を取り出す。ほんとうに僅かではあるが、正樹が繫ぎ続けた秋水の縁だ。異界の外にいる時は感じられなかったが、この屋敷に来た途端、呪符に結びつけられた縁は強さを増した。これならば、秋水の居場所を見つけ出すことも可能だ。

 幾つもの座敷を越えて、縁の先を目指す。その途中、数え切るのも馬鹿らしくなるほどの人骨の兵たちが現れた。彼らは壁を這い、天井から飛びかかり、あるいは正面から襲ってくる。その雑魚どもを、一条は斬り、蹴り、焼き払うことで蹴散らした。

 似たような座敷を走り続け、敵を斬り続け、一条は最も縁が近いと感じた場所に辿り着く。他の座敷となんら変わることのない場所だが、正樹の呪符は、はっきりと部屋の真下を示している。行く道は他にあるだろうが、ここから行くのが一番早い。

 一条は刀の刀身に赤黒い火を灯した。概念供犠による無常の炎。それを周りを囲む人骨の群れではなく、自身の足下へと突き刺した。炎は畳みを突き破り、それより先にある壁も呪術的防御も焼き払った。足場が消え、一条は下方へと自由落下した。
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