幽々として誘う

舞台譲

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第二十五夜 因縁

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 廃ビルの屋上へ出ると、一条はおにぎりやサンドイッチといった侘しい夕食を終え、ポケットから煙草の箱を出した。神祇省からの追手を振り切ったあと、ここに来る途中で買ったものだ。ひとりで食事を取ることにしたのは、圧倒的に煙草を吸う目的の方が大きい。

 すでに破っているとはいえ、一応、今は禁煙中だ。下手に灯籠堂の面々の前で煙草を吸って余計なことは言われたくない。いまは心ゆくまでモクモクしたいのだ。

 煙を味わうため、一条は煙草を口に咥えようとする。

「隙ありっ」

 だが横合いから伸びた手が、唇に触れるより先に煙草を奪い取った。

 煙草をかすめ取った誘は、勝ち誇ったかのような顔で言った。

「ふふーん。まーた煙草吸おうとしたんですね。禁煙中なのに駄目ですよー。箱ごと買うなんてやる気あるんですか。没収です、没収」買ったばかりの箱まで誘は取り上げた。

「お前っ、ひとの楽しみを奪うのがそんなに楽しいか! 局の連中から逃げてる間、どれだけ
楽しみにしたと思ってんだ! 頑張ったんだから少しはモクモクさせろよな!」

「と、逃亡中にそんなこと考えてたんですか。一条さんもわりと余裕ありますね。まぁ、今生最後の煙草になるかもしれないですし? 一本だけなら許してあげましょう」

「不吉なこと言うなっての。つか、なんでお前の許可もらわなきゃなんねぇんだよ」

「そこはノリです。あ、わたしにも火お願いします。吸ってみたいです」

 一条は親指と人差し指を擦り合わせ、誘にもらった煙草に呪術で火をつけた。誘が取り上げた煙草を咥えるのを見ると、一条はしょうがないという顔で火をつけてやった。彼女は満足気な顔をしたが、すぐに怪訝な表情になった。初の煙草のためか吸い方がわからないらしい。煙草の先端についた火が少しずつ萎んでいく。一条はもう一度火をつけてやった。

「細く息を吸ってみろ。それで火が灯る。それと一気に吸い込むと……」

 むせるぞ、と言おうとした所で、誘は大きくむせた。話を全部聞く前に実行したからだ。

「どうだ。美味いか?」

「んーまだなんとも言いがたいですねー」

 そのあとはなにも話さず、屋上の縁に寄りかかりながら静かに煙草を吸い続けた。すでに陽は沈み掛け、空のキャンバスは橙色と青紫色に染まっている。街は仕事帰りのヒトで溢れ、路上には街灯が灯り始めていた。

 三分の一ほど煙草が炭に変わったところで、誘が聞いてきた。

「一条さんと秋水、それに和泉ちゃんも大教院の同輩なんですよね。大教院での秋水はどんな生徒だったんですか」

「俺とは正反対の奴だったよ。何処に出しても恥ずかしくない優等生。人当たりも良い、友達も多い、講師からの評判も上々、女子からもモテるわと、非の打ち所がない完璧な生徒だったな。対して俺は学内でも、悪名高い問題児。偏りのありすぎる成績、道を歩けばトラブルに巻き込まれ、風評被害で何故か周囲に恐れられ、友達は多いが問題児ぞろいでそのせいで講師からはさらに眼をつけられたときた。いやほんと、なんであんなんなったのかね、俺の学生生活」

「……よく神祇省の職員になれましたね。一応公務員ですよね、あれ」

「家柄が良かったからな。それに外法対策局は大人しい良い子ちゃんよりも、それなりに賢い武闘派の方を求めてたから、俺くらいの悪ガキはちょうど良かったんだろ」

 一息つくように煙草の煙を吐き出す。吹いた風にさらわれ煙はすぐにかき消えた。

「俺と秋水はそれほど縁の深い間柄じゃなかったんだ。所属するグループが違ったからな。ただお互いに意識はしてた。二人とも名家の生まれ出し、在り方が真逆だったから。だからかもな。周囲のあいつ評価と、俺が抱いたあいつの印象に齟齬を感じたのは」

「齟齬って、どんな?」

「傍から見たら秋水は充実した学生生活をしているように見えたらしいが、俺には酷く退屈しているように見えた。ダチに向ける笑みは作り笑い、どんなことに挑戦しても、こんなの出来て当たり前って感じでな。学生生活をしてるのも、仕方なくっていう風に思えた。紫堂家の次期当主ってのは、普通、自分たちの里のなかで呪術の研鑽をするって聞いてたから、あいつは何か特別な事情があって里を出たと思ってたが、どうなんだ? その辺りは」

 誘は煙草の火を屋上の縁で消すと、首を横に振った。

「知りません。一条さんも知っての通り、わたしはあの里の土地神でしたから、個人よりも土地の管理のことに集中していたんです。わたしにとって、秋水は過去にも大勢いた次期当主のひとりでしかありません。彼がなんで大教院に行こうと思ったかなんて、知ろうともしなかった。もし彼を理解しようとしてれば、いまとは違う状況になっていたんでしょうか」

「もしもの話なんてしても仕方ないだろ。それに、お前の仕事は中々難儀なもんだろ。身内の一人一人に感情を向けてたらもたねえんじゃねえか」

「別にそんなに大変なものではありませんよ。地脈の調整も、屋敷の屍鬼たちを処断するのことも、もうルーチンワークになってましたから。こっちに来る前のわたしは、感情らしい感情もなかったですからね。誰が死のうが、心は少しも痛くはありませんでした」

 自嘲するように笑うと、誘は街の景色へと体を向けた。

「この一年、里の外で過ごしてわかりました。紫堂家は異常です」

 屋敷を訪れたときは、一条も少なからず寒気を感じたものだ。あの生気のない屋敷には。

 紫堂家や秋水の生家である柳家は、一般でいうところの本家分家の関係とは異なる。彼らが自分たちの関係を本家と分家と呼んでいるのは、昔そうだった時の名残に過ぎない。

「死者しかいない屋敷。月を写す湖面に枯れることのない彼岸花。静かで穏やかな場所ではあるけれど、外界から隔絶され、迎え入れた人間を死者に変えるあの場所は、ある意味地上に生まれた小さな死の国なのかもしれません」

 紫堂家とは、分家から集めた人間を屍鬼化して、呪術の探求のために自らを紫堂家というシステムの歯車に置き換えた者たちの集団だ。あの屋敷に、およそ真っ当に人間と呼べるものはひとりもいない。感情を切り取り、食事を必要とせず、霊力のみで生存を可能にし、研究以外のあらゆる無駄を彼らは省かれた。だが人間的な要素を削り取り、不死者となった彼らにも活動の限界は存在する。生き続ければ触れた情報は蓄積し、やがては繰り返す生に飽きてしまう。

 その生への倦怠を終わらせるのが、初代当主が造った最高傑作の屍鬼、紫堂誘の役割だ。

 彼女が初代当主に与えられた役割は、土地神として土地の霊脈を管理すること、そして不死者である屍鬼の生を終わらせ、新たに屋敷に来る人間を屍鬼として迎え入れることだ。

 彼女は千年近くもの間、神木として紫堂家の屍鬼たちを見守り、彼らの人生を終わらせてきた。いまも誘の本体は里に残り、初代当主から与えられた使命を果たし続けている。

 いま隣で街の景色へと視線を向ける誘を見ていると、紫堂家にいる彼女の神体との差に驚く。

 本体の神木は、意識はあっても人間性など欠片もない機械的な人格をしていた。

 だが事件の解決のため、自分の分霊を一条に寄越し、約一年過ごしたことで、少なくとも隣にいる誘はずいぶんと人間らしくなったように思う。

「その屍鬼しかいない環境に、唯一いる人間が次期当主なんだよな」

「はい。迎え入れられてから数年は、彼らは人間のままでいるんです。当主としての自覚とそれに見合う能力の完成、そして先代からの記憶を引き継ぐために」

「記憶の引き継ぎ?」初めて聞くことだった。

「初代から今の代になるまで、紫堂家の当主はすべての記憶を引き継いでいるんです。過去の失敗と成功を予め記憶
しておいた方が、研究には都合が良いですからね」

 初代から今代までの記憶。その意味がわかって、一条はぞっとした。

「なら、秋水の頭のなかには、千年近くの当主たちの記憶があるってのか」

 千年分の記憶。自分が体験したことのない記憶とはいえ、そんなものを植えつけられればいったいどんな人格を持った人間が生まれるのだろう。大教院時代、秋水があらゆる物事に退屈していたのも納得だ。彼の頭のなかには、すでにそれと類似した記憶が幾つもあったからだ。

 秋水にとって、大教院でしていたことは、他人の経験と、自分の体験を比較し、どうすればより効率よく人生を進められるかの確認作業に過ぎなかったのだろう。こうなると、大教院にいたときから秋水は曼荼羅の改変を考えていたとしてもおかしくない。呪術師の家は、ひとつの事柄を妄信的に研究する者たちも多い。だがそのなかでも紫堂家の異常性は特に際立っている。

「お前の家の連中は、ほんとうにそんなことを千年も続けてたのか」

 誘は悔いるように一度目蓋を降ろすと、頷いた。

「秋水がこんな事件を起こしたのは、わたしたちの責任です。だから一条さん、改めてお願いします。この事件の解決を。秋水に会う機会をわたしに下さい。わたしには、彼を裁く義務があります」

 やり切れない思いだ。解決したあと、誘は紫堂家へと帰る。そうなった時の彼女の安否は未だにわかっていない。だがすでに、解決しなければ、自分たちが助からない状況に来ている。

 一条はやり切れないという思いで、大きくため息を吐いた。

「やるに決まってんだろ。もうそういう状況に来てんだから。けど、こっちも随分待たせちまったからな、正樹の時みたいに、途中で機能停止、みたいなことにはならないでくれよ」

「はい、わかりました」

 引き受けるという答えに感謝するように、誘は笑みを浮かべた。
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