異世界でも働きたくないので、辺境貴族の末っ子としてもふもふと昼寝します

第4部：ゆるふわスローライフに最大の危機！？ ～公爵夫人の『天使様』お持ち帰り計画と、王都からの刺客（美食家ぞろい）～

第71話：『女帝』の影、忍び寄る…王都では公爵夫人の『アスターテ行き』が憶測を呼ぶ！？

　クライネル邸が、来るべき『女帝』の来訪に向けて、静かな熱気に包まれている頃。
　遠く離れた王都では、エルムガルド公爵夫人イザベラの「辺境の地アスターテ領への長期静養」というニュースが、様々な憶測と共に、貴族社会や魔法アカデミーの間を駆け巡っていた。

「まさか、あのイザベラ様が、ご自身から辺境へ？ 何かの間違いではないのか？」

「いや、確かな筋の情報らしい。なんでも、最近ひどくお疲れのご様子で、王都の喧騒を離れて心身を癒やされたいのだとか……」

「ふん、静養などというのは表向きだろう。あの『鉄の女帝』が、何の目的もなしに動くはずがない。アスターテ領に、何か公爵夫人を引きつけるほどの『価値あるもの』が存在するに違いない」

　王都のサロンや夜会では、そんな噂話に花が咲いていた。
　ある者は、アスターテ領に未知の鉱脈や古代遺跡が発見されたのではないかと囁き、またある者は、クライネル子爵家が何か国家を揺るがすような秘密を握っているのではないかと憶測した。

　魔法アカデミーでも、この話題は注目の的だった。
　特に、以前アスターテ領から「特異現象に関する報告書」を提出したエリオット・アシュフォードは、同僚たちから質問攻めに合う毎日だった。

「おい、エリオット！ イザベラ公爵夫人がアスターテへ行かれるというのは本当か！？ 君の報告書にあった『祝福の力を持つ少年』とやらに、ご興味を持たれたという噂だが……！」

「まさか、公爵夫人が、あんな子供の力を本気で信じているとでも？ それとも、何か別の政治的な思惑が……？」

　エリオットは、そんな周囲の喧騒に内心でため息をつきながらも、決してルークやクライネル家のことを悪く言われることのないよう、慎重に言葉を選んで対応していた。
　しかし、彼の胸の内には、イザベラ公爵夫人の真意を測りかねる不安と、そしてほんの少しの期待が渦巻いていた。

（公爵夫人が、ルーク様に……一体、何をお求めになっているのだろうか……。あの御方の慧眼ならば、ルーク様の力の『本質』を見抜かれるやもしれない。それが、ルーク様とアスターテ領にとって、吉と出るか、凶と出るか……）

　エリオットは、以前ルークからもらった『天使のクッキー』（最後の一枚を大切に保存している）をそっと取り出し、その甘い香りを嗅いだ。
　あの穏やかで、幸福に満ちた日々。それが、王都の権力によって乱されることのないよう、ただただ祈るばかりだった。

　そんな中、王都の、とある貴族の屋敷の奥深く。
　一人の若い貴婦人が、侍女から最新の情報を聞き、扇の影でくすりと笑みを漏らしていた。
　彼女は、王都の社交界でも指折りの情報通であり、そして、エリオットの姉でもあるソフィア・アシュフォード（現在はとある伯爵家に嫁いでいる）だった。

「まあ、イザベラ様が、あのエリオットが大絶賛していた『天使みたいな男の子』に会いに、わざわざアスターテまでですって？ うふふ、あの子ったら、とうとう公爵夫人まで虜にしてしまったのかしら。もしかして……イザベラ様、恋……だったりして？ なんて、そんなまさかねぇ」

　ソフィアは、冗談めかしてそう言ったが、その瞳の奥には、弟が関わるこの奇妙な出来事に対する、鋭い好奇の色が浮かんでいた。
　彼女のような情報通の女性たちの間では、イザベラ公爵夫人の「アスターテ行き」は、もはや「世紀のロマンスの始まりか！？」といった、とんでもない噂レベルにまで発展しつつあったのだ。もちろん、そんな噂が公爵夫人本人の耳に入れば、どうなるかは誰も想像したくなかったが。

　一方、イザベラ公爵夫人の執務室では。
　彼女の腹心であるゲルハルトが、アスターテ領に関する追加情報を報告していた。

「……さらに、クライネル子爵家の三男ルーク・クライネル様の周囲では、極めて稀少な『シルヴァン・ウルフ』の幼体が保護されているとの情報もございます。その仔狼、何やら特別な血統を引いている可能性も……」

「ほう……シルヴァン・ウルフ、ね。しかも特別な血統……。面白いわ。ますます、あの子に会うのが楽しみになってきたわね」

　イザベラは、指先で長い銀髪を弄びながら、その美しい唇に深紅の笑みを浮かべる。
　彼女の頭の中では、アスターテ領への「静養」という名の「視察旅行」の計画が、着々と、そして緻密に練り上げられていた。
　その訪問が、アスターテ領だけでなく、王国の勢力図、そしてあるいは世界の理（ことわり）にまで、ほんの少しの影響を与えることになるかもしれないなどとは、この時の彼女ですら、まだ完全には予測できていなかった。

　『女帝』の影は、確実に、アスターテ領へと忍び寄りつつあった。
　そして、その中心にいる『天使』は、今日も今日とて、モルとクロと一緒に、暖かい暖炉の前で、幸せそうにうたた寝をしているのだった。