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96 君の名は

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「あ、魔導写真ってこれ?」
「は、はい。触ると動くんです。見てやってください」
「へえ~、はい、アレックス」
「え……」
「お前が先に見ないと。パパだろ」
「パッ……!」
「あとで見せてね」

 アレキサンダーは手渡された魔導写真を手に取り、その豆粒みたいな我が子の心臓のようなものがドクドクと力強く動いている様子を見て、またもくしゃっと熊みたいな顔を歪めて、そのウルトラマリンブルーの瞳からぼろぼろと大粒の涙を零していた。

 その間に「僕もお腹おさわりしたい~」とセクハラまがいのことを言うラリマールに、アレキサンダーが「触るな」と涙声で牽制する。仕方がないのでお腹より十センチほど離れた状態で手をかざしておもむろに言う。

「うん、間違いなくアレックスの子だね」
「あっ……当たり前じゃないですか! 意地悪ですわあ、もう殿下ったらほほほ」
「そうだぞ、ラリマール。いくら君でも失礼だ」
「ああごめん。そういう意味じゃなくて。オーラが同じだから」

 どうやらラリマールにはアビゲイルのお腹の子とアレキサンダーのオーラとやらが見えているらしい。
 魔導士の見る世界はそういう不思議なもので溢れているようで、同じ時代の前世を持つアビゲイルとしては、彼だけ恵まれていると嫉妬することもある。なんたって魔族は、寿命が長くいつまでも若々しいうえに、超自然的な物が見えて扱えてしまうなんてRPGのチートコードでも入ったような人物だから羨ましいことが多すぎる。
 まあ、彼は彼なりの苦悩はあるのだろうが、そんなことはおくびにも出さない。

 おもむろにアレキサンダーが凝視している魔導写真を取り上げて、天井に掲げて眩しそうに見遣るラリマール。

「可愛いね。早く会いたいなあ」

 まだ豆粒ほどしかない胎児の魔導写真を情熱的に見るラリマールには何が見えているのだろう。友人であるアレキサンダーの子供ということで素直に喜んでくれるのか、やけに熱心に魔導写真を見ているので微笑ましいやら不可思議やらである。

 アレキサンダーは今一度アビゲイルの下腹を大きな手で愛おしそうに優しく撫でてから、ほう、と一息ついた。

「……男の子だろうか。女の子だろうか。いや、どちらでもいい。元気に生まれてくれればそれで」
「あたしも。どっちでもきっとめちゃくちゃ可愛がっちゃう気がします。男の子だったら彼女ができたら嫉妬しちゃうかもしれないし」
「俺もだ。女の子だったら嫁にやれん」
「お互い親馬鹿確定ですねえ」

 そういえば下世話な話だが、作成過程で両親ともに気合が入っていれば男が、手を抜いていれば女が生まれるなどといった都市伝説があるけれども。

 気合入っていたかな? 一時の別れに泣きべそかきながら半ばやけくそ気味に抱き合っていたような気もするが。

 アビゲイル的には男でも女でもどちらでもいい。多分どっちも愛するアレキサンダーの子であればきっと可愛いし猫可愛がりする自分がいると確信しているから。
 アレキサンダーもどちらでもいいというけれど、やはり彼は西辺境の領主であるから、後継ぎが必要だ。だから男の子が生まれたほうがいいのかなとも思うが、ロズ・フォギアリア帝国の皇帝陛下は女性であるので、貴族の当主は男でなければいけないという風習は最近では古臭いものとなってきているから、その点は心は穏やかである。

「名前……そうだ、名前を決めないと」
「えっもうですか?」
「そうだ。早いうちに考えておけば、生まれる前から呼びかけることができるし、愛されて生まれてきたのだと伝えられる」
「……確かにそうかも。アレク様決めてくれます?」
「そうだな……どうするか……ああ俺はどうもこういうのは洒落たのを思いつかない。ピッピとかプップとかしか」
「……それお前が昔飼ってた犬の名前じゃないか。だったら僕も考えようか?」
「殿下、よろしいんですか?」
「うん、それなら……」

 まるで以前から考えていたかのように言い出そうとしたラリマールが口を開きかけた瞬間、部屋のドアがバタン、と開いてそちらを見遣ると、息せき切ってやってきたらしき父ローマンと苦笑する母ニーナがそこに居た。

「お、男なら『シルヴェスター』、女なら『クラリス』だ! ど、どうだろうアレキサンダー閣下、それにアビー!」
「お、お父様」
「旦那様ったら。ラリマール殿下、アレキサンダー閣下、ようこそいらっしゃいました。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」
「ああご夫妻。いつも通り突然訪問してごめんね。アレックスにとって一大事だったからさあ」
「も、申し訳ない。こちらこそ挨拶もせず。その、気が動転して。お、お邪魔しております、義父上、義母上」
「いいえ、いいんですのよ。お二人ならもう大歓迎ですわ」

 ニーナにとってはアレキサンダーはアビゲイルの婚約者で義理の息子、ラリマールはヴィクターを妖精の呪いを解いてくれた恩人ということで、この二人のことは多少のことは多めに見てくれている。もちろん、ラリマールとアレキサンダーがアビゲイルの部屋に直行して転移陣で現れたことは、侍女たちが知らせてくれたようだ。

 とりあえずは挨拶をしてから、おもむろに上記のことを話しだすローマン。
 父には母のほうから、アビゲイルが妊娠したことを話してくれたらしく、やや興奮気味に部屋に訪ねてきてくれたという。

 アレキサンダーはフォックス侯爵夫妻に向き直ってから、その大きな身体をがばりと土下座の形に蹲った。

「申し訳ない! 間もなく婚姻だというのに、順番が逆となってしまって……!」
「い、いやいやいや! 閣下、どうぞお立ち下され!」
「そうですわよ、アレキサンダー閣下。喜ばしいことじゃありませんの」

 婚約相手とはいえ嫁入り前の娘を妊娠させた男という立場であるから、アレキサンダーはアビゲイルの両親であるフォックス侯爵夫妻には叱責されても仕方ないと思っていたのに、意外にも二人は歓迎ムードであって拍子抜けする。
 アビゲイルはアレキサンダーのそばに座って彼の肩に手を置いて宥めやった。

「アレク様、大丈夫です。なんせあたしはお父様とお母様が結婚後半年で生まれたもので」
「えっ、み、未熟児……にもほどが……え?」
「ア、アビー!」
「ちょ、ちょっとやめなさいアビー!」
「あははははっ、なんだそういうこと! 逆算なんてはしたないぞアビゲイルちゃんたら~」
「やだ~つい」
「え、逆算……? あ……! そ、そうか、そういう……」
「な、生暖かい目で見ないでくだされ閣下!」
「も、もう! アビーが余計なことを言うからよ!」
「だって、お父様とお母様の娘ですもの~」

 顔を真っ赤にしてアビゲイルを叱りつけるフォックス侯爵夫妻に、娘のアビゲイルはニヤニヤと反省の様子もない。よく見るとアレキサンダーまで赤面している。
 要するにフォックス侯爵夫妻にも身に覚えのあることなので、この件に何とも言えないのである。

 アビゲイルがアレキサンダーに寄り添って床に膝をついていることにはっと我に返ったアレキサンダーは「冷たい床で身体が冷えたらどうするんだ」と慌てて彼女を立ち上がらせて再び椅子に座らせ、上着を脱いで膝にかけてやる。真冬じゃないから床もそんなに冷たいわけじゃないしラグだって敷いてあるのに、アレキサンダーは妊婦であるアビゲイルに対してやや過保護になってしまったようだ。

「それよりもお父様。さっき子供のお名前のこと言ってらしたでしょ」
「あ、ああ。いや、でももし閣下とアビーが一緒につけたいと思う名前があるなら……」

 ちらちらとこちらを伺うように見ながら残念そうに言うのがなんともあざとい。父はどうしても名付け親になりたいようだ。

「うふふ。さっきアビーのお腹に赤ちゃんができたのよっておしえたらお父様ったらね、『うおー!』って大騒ぎしたあと、慌てて書斎の本棚から名付けの本を持ってきて読みながら部屋をうろうろして……それはそれはウキウキしていたのよ」
「ニ、ニーナ!」

 母がさもおかしそうに言うと、父は若干禿げあがった頭頂部まで真っ赤になりながら母に抗議している。
 朝帰りして恨めしそうにしていた父が、孫ができたらできたで結構喜んでいるのが分かってアビゲイルも嬉しくなる。名前まで早速考えてくれたなんて嬉しすぎる。
 母など妊娠発覚の瞬間から喜んでくれたし、自分自身もドクターストップさえなければヴィクターのあとにもう一人くらい産みたかったくらい子供好きなので、これで孫が生まれたら、祖父母揃って相当甘やかしそうなじぃじとばぁばになるだろうなあと、少々辟易する。

「……どうします? アレク様。もちろんアレク様の付けたい名前があるなら父に遠慮しなくても……」
「いや、俺はそこまで何も考えていなかった。義父上が下さったような素晴らしい名なら、俺も異存はない」
「お父様、アレク様がいいよって」
「そ、そうか! いやあ、ありがとう閣下!」
「いいえ、素晴らしい名をありがとうございます」
「何だっけ? 男の子はシルヴェスターで、女の子は」
「『クラリス』だ! 光り輝く者という意味がある! それとロズ・フォギアリア帝国の歴代の聖女様の一人の名でもあるから、きっとその恩恵にあずかれると思ってな」

 父が力説する。ちなみに男性名のシルヴェスターはロズ・フォギアリア帝国建国時の帝都名の由来となった勇者レクサールの息子の名である。父となるアレキサンダーの名の響きで最後を伸ばす発音の名を考えたらそれに行きついたそうだ。

「ちょっとすごすぎる名前じゃないですか? あたしたちの子に」
「俺は気に入った。良かったな、お祖父様に素晴らしい名を頂いたじゃないか、お前」

 そうお腹の子に呼び掛けて、再びアビゲイルのお腹を撫でてくれるアレキサンダーが無邪気に微笑むので、アビゲイルは、彼がいいならいいかと納得する。
 さりげなく「お祖父様」と呼ばれた父ローマンがなんか早くも孫フィーバーで悶えているけど。

 どちらも恐れ多いしやや大仰な名ではあるけれど、響きはどちらも素敵なので、アビゲイルもアレキサンダーも気に入った。
 まだサクランボより小さい豆粒大くらいのアビゲイルのお腹の子の名について談話する両親とアビゲイル、そしてアレキサンダーを横目に、魔導写真をひらひらさせて、その動く様子を愛おしそうに眺めやるラリマールがいた。

「早く会いたいな。元気に生まれておいでぇ、ねえ『クーちゃん』」

 その呟きは、誰にも聞こえることがなかった。
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