玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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空の章

陸、空の試練 勿忘草に願いを(前)

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陸、「空の試練 勿忘草に願いを」(前)


 空の青のように儚げで、黄色い中心が可憐な勿忘草――小さな勿忘草を繋ぎ合わせた歩揺かんざしは、セツカが歩くごとにしゃらりと鳴く。着物も簡素な黒い襦裙に金の帯だけ。
 儀礼以外では長い黒髪を結い上げることすら嫌ったセツカ。今も長い前髪ごと中央で分け、背後で編み込んで歩揺と涙の形をした耳墜ピアスのみ。一国の姫にしては「簡素すぎる」と物申す長老もいたが、ロンにとっては飾らずとも桜真珠よりもセツカは美しかった。白皙の美貌、黒硝子の瞳、柳眉は柔らかく、珊瑚の唇の持ち主だ。
 今のように黙って、たおやかに裳裾を引いて歩かれると、セツカ本人でないと解ってはいるが、胸が締め付けられる。後ろから抱きしめて、もうロンの腕の届かぬ場所へは行かぬよう留めておきたい衝動に駆られる。

「……ロン、顔が真っ青だぞ? 大丈夫なのか?」

 ロンの肩に居座っているテムが心配して、尋ねるが、ロンは「……少々な」と彼から滅多に漏れない弱音が小さく聞こえる。

「ご本人ではないと頭では解っていても、ここまで瓜二つの姫様に出てこられると堪える。……俺はいつになっても姫様にだけは弱いらしい」

 情けないとロンは自嘲の笑みを浮かべる。エイルも、とても叱咤激励できるような状態ではない。ロンとセツカがどれほど愛し、慈しみ合っていたかを知っているからこそ、言葉に迷う。
 セツカが歩みを止めたのは、くすんだ青銅の扉の前だった。扉はゆっくりと内側に重い音を立てて開く――眩い光の中に、セツカは駆けだした。

「姫様!!」

 ロンの声にも耳を貸さず、セツカは一面の花畑を駆けた。
 花畑の中央に立っているのは――ロンだった。

 ただし、眼帯がない。左眼も黒いまま、色とりどりの花を踏み分けて駆け寄るセツカを、もう一人のロンはこれ以上ないほどに破顔して抱き上げる。
 花畑の中で笑う二人は、在りし日の二人の姿だ。

「――やめろ、頼むからやめてくれ……姫様……――!!」

 テムを連れたロンは頭を抱えて、その場にうずくまった。右眼からはしとしとと涙が溢れる。

「……ロ、ロン……幻だ。真実のはずがない。義姉上は竜宮で眠っているんだから」

 エイルの言葉に、ロンは右手だけ濡れた両の手を見た。セツカが眠りについた日、ロンも同じく水晶玉の中に入れたら幸せだったのだろうか。考えても詮無いことが頭をよぎる。
 目の前の笑い合う二人は、きっとロンが思い描いていた理想なのだろう。
 眼帯もなく、ただセツカを護る剣になれたらと願ってやまなかった、理想の光景だ。
 ところが、花畑の二人を金茶の鎧を付けた男達が引き裂く。泣きながら恋人を乞うセツカと、地面にねじ伏せられたロン――声は聞こえないが、互いに滂沱と涙し、叫びにならない叫びで互いを呼び合っていた。
 セツカは歩揺を抜き取り、拘束されているロンに投げた。セツカはそのまま霧に飲まれ、ロンは花畑に転がる勿忘草の歩揺を拾い上げて、また涙する。

「……これは、和王と『勿忘草の君』が引き離されるところか……?」

 エイルの問いに答えたのはテムだった。テムも哀しい声で、昔を思い出して語り始める。

「うん。敵対する種族だけど、種族の垣根を越えて愛し合った二人。特に和王の王后様が、当然だけど……猛反対されてさ。和王がここに『勿忘草の牙』を納めることにすら大反対だった。だけど、和王は一度納めた『牙』を瀕死の床から、こっそりとすり替えるよう篤信の部下に命じて『勿忘草の牙』を奉納したんだ――和王の想いがあまりにも強すぎて、この霊廟そのものが和王の悲恋に染まりきってしまった――だから、お前みたいに誰かを強く愛している人には、特にとても哀しい幻影が見える」

 そういう仕組みに変容していくのを、ボクは止められなかったとテムはうつむいた。
 花畑では、解放されたロンが歩揺に縋りついて泣いている。
 ロンもエイルも胸が張り裂けそうに痛む。和王の哀しみはそれだけ強く、深い。

「空の王と地上の女、なぜ二人は出逢ったのだ? これほど強く惹かれ合うような地位の女性だったの
か?」

 テムは逡巡する。すっかりと尻尾を垂らして、申し訳なさそうに答えた。

「『勿忘草の君』は、地平龍王の妃だったんだ……」

「――な、王の側室と敵の王が通じ合ったのか……!?」

「最初は、地平龍王も側室を使って、天空の情報を引き出す目的だった。そう命じて『勿忘草の君』を空に滞在させたんだ。和平を前提にって皆を言いくるめて。でも、その内に――」

「お二人の密通が明らかにされた、か……」

「うん。側室は地上に戻されてから、ひどい拷問の末に処刑された。和王には隠されたけど、きっとあの王なら知ってしまったんじゃないかなとボクは思う……」

 泣いたのは当の二人だけではなかったはずだ。特にリナリアの祖母にあたる王后も、長年連れ添った夫の裏切りに泣き暮らしたのは容易に想像ができた。
 誰も傷つかない恋の道行きならば、どれほど幸せだったか。それとも障害が大きすぎたからこそ、和王と王妃は盲目になってしまったのか――幻影を眺めながら、答えを知る者はここには居なかった。
 やがて歩揺を握っていたロンの姿も空気に溶けるように消えた。二人と一匹が花畑の中央に向かうと一本の歩揺が落ちていた。ロンはそれを拾い上げると丁寧に布で包んで、袱紗に仕舞った。
「持ち歩くのか?」とエイルが問えば、「いや」と口ごもる。

「久遠城の後は地上に行くのだ。もしも『勿忘草の君』の墓所があるのなら、供えようと思ってな」

 この男は、どこまで人がいいのだろうとエイルは、まだ物憂げなロンに舌打ちが禁じられなかった。しかし、こういう男だからこそ『あの』セツカも惹かれたのだとは嫌でも解る。
 ロンとセツカに育てられたようなエイルにとって、理想の夫婦像はまさしくこの二人だ。己も二人のように互いを想い合える相手を探している。
 愛し、愛してくれる人と巡り合えたら、その一人を生涯愛しぬこうとエイルは一人で強く誓いを立てた。

 歩揺が落ちていた場所に、ふと目をやるとエイルは刀の鋳型いがたのような形をした穴を発見した。

「ロン。お前の短刀を出せ!!」

「ああ、これか?」

 刀身が水色の透ける鉱物になってしまった短刀を確認して、エイルは穴の上の草花を素手で取り払った。

「ほら、ここ!! 確かその刀が鍵だって言ってたよな。じゃあ、これが鍵穴じゃないか?」

「ふむ、大きさも形もよく似ている。刺してみよう」

 型に合わせて刀を突き立てると、鍵穴を中心にて半径二間ほどの地面が下降始めた。

「なるほど。霊廟の最奥は地下なのか。……ところで、エリン、お前の武器はどこに行ったのだろうな……」

「テムが居た部屋に入った頃にはもういなかった、と思う。義姉上の姿をしているんだ。どこで眠っているかを見つけるのは、お前の方が得意だろう」

 どんどんと下層に下がっていく円盤の上で、ロンは昔を思い出す。セツカがよく隠れていた場所――まだ付き人をしていた幼少の頃、彼女はかくれんぼの天才だった。

「姫様がよく人目を盗んで寝ていたのは……屋根の上、尖塔の中ほどにある出張った部分、巨大な貝殻の中や卓の下に布団を敷いていたこともあったな」

「つまり?」

「人目を絶対に避けられる場所がお好きだったゆえ、霊廟にいる確率が高い」

 二人と一匹が乗った円盤が停止したら、蝋燭の火が揺れる薄暗い通路が現れた。通路の先には扉があるらしい。

「テム、あれが霊廟か?」

「そうだよ。歴代の王の『牙』が安置してある」

 テムの言葉を信じ、円盤から刀を抜くと二人は薄気味悪い道を行く。二、三人で並んで通れる幅はあるが、エイルはロンの数歩後ろを行く。
 突き当りの扉には、花畑と同じ鍵穴があった。ロンが短刀を鍵穴にはめ込むと、重厚な扉はゆっくりと勝手に開いた。久遠城の謁見の間に繋がる扉に彫られていたのと同じ紋様がこの扉にも彫られている。王家ゆかりの場所で間違いはない。

「あ」

「やはりか……」

 扉が開ききる前に、エイルは壁一面に所狭しと奉納されている『牙』の部屋で、浮遊しながら小さなセツカはくうくうと幸せそうに眠っている。

続...
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