薔薇の死神と神殺しの聖女

紺坂紫乃

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 ラーラ・ファントムという女神は羽根扇で口元を隠し、あからさまにあざけりを含んだ視線で、一段高くなっている玉座からリリィを見下していた。リリィのおよそ五倍はある巨体に、意匠を凝らせた装飾品で飾り立て、厚い化粧を施した女は女神というよりも、モンマルトルの夜に現れる、酒と煙草と香水の匂いが混じった女のようだった。

「ふん、お前のような小娘が“聖女”だと? 三文小説よりも面白くない冗談だ。だが、見目は悪くない。四肢を切り落とし、その愛らしい顔だけを残して首から下をタトゥーになぞらえて、白百合で飾り立てれば、わたくしのコレクションの中でも一、二を争う物となろうなあ」

 くつくつと笑う女につられるように周囲からも忍び笑いが聞こえてきた。

 ――ああ、なんと救いようのない……。

 (こんな連中に……アベルは……!)

リリィは怒りではらわたが煮えくり返っていたが、眼差しだけはどこまでも鋭くなっていった。

「言いたいことはそれだけ? 例え辞世の句を読みたいと言ったところで、お前なんかの望みは一片も叶えてやらないけれど」

 リリィの冷ややかな言葉に、場の空気が一変する。

「……言わせておけば、小娘が不遜ふそんであるぞ!! 死神の兄のようにただ苦しみもだえておればよいものを!」

「黙りなさい。――ラーラ・ファントム、“聖なる白百合”の名の下に、お前には永劫えいごうの苦しみと死の輪廻りんねを与えます」

 死刑宣告はどこまでも静かだった。しかし、それが次の瞬間の荘厳さを際立たせた。

「――三位一体トリニティ

 “聖女”は右手をかざすと金色の光の洪水が周囲を爆散させる。
 この光に当てられただけで、ラーラ・ファントムの取り巻きであった下位の者達はほとんどが砂となってしまった。

「……あ、ああ……そんな……!」

 まばゆい黄金の双翼。心の怒りを表しているかのような金と赤が入り混じった両の眼は、研磨を終えたばかりの刃よりも鋭利だ。

「馬鹿な……貴方様方のような失われたいにしえの最高神と天使が……なぜ人間の娘などに……」

「我らは断罪者。“神殺しの聖女”は如何なる神をも罪を犯せば、その身に返ることを理解させる存在だ。ゆえに“聖女”は人間の娘でなければならない。人ゆえに罪を解し、神をも戒めの鎖で縛り己の罪状を解させる――さあ、話は終わりだ。ラーラ・ファントム……“聖女”の願いを聞き入れ、そなたにふさわしい終焉しゅうえんを与えよう」

「ひっ!!」

 リリィが再び右手を翳すとラーラの額に黒い逆さ十字が刻まれた。それは罪を犯した証である。
 焼印のように熱を発する黒十字から、爆発するように百合の花が湧き出でる。茎は巨大なラーラの身体に幾重にも巻き付き、たちまちに彼女をはりつけにする緑の十字架となった。
 頭頂部に咲いた大きな白百合の芳香を嗅ぐと、ラーラはその身に違和感を覚えた。

「な、なんじゃ……!?」

 ラーラの皮膚の下を虫のようなものが這いずり回っているのだ。しかも棘があるのか、全身を内側から串刺しにされているように激烈な痛みに蝕まれる。

「やめろ!! お許しを!! 痛い! 痛い!」

 身を捩って十字架から逃れようと暴れるが、百合の茎はラーラの四肢をがっちりと捕らえて逃れる隙はない。美しかった顔も赤く膨れ上がり、まるで破裂寸前の風船のようだ。
 安易な死など与えはしない――言外にそれをつきつけられたラーラは彼女がさいなままれる様子を、侮蔑ぶべつを含んだ視線で見つめる少女に救いを求めた。

「……殺せ……殺してくれぇ……!」

「お前に玩具にされた者達の気持ちが理解できたか?」

 そう告げると少女は舞い散る黄金の羽根を一枚、手に取った。

「主神よりの命はお前の滅殺……これは主神の裁き」

 羽根は一本の矢となった。リリィはその矢をラーラの胸に突き立てる。

 これでこの責め苦が終わると信じていたラーラは、その矢を一縷いちるの希望と感じていた。だが、それは無情にも彼女にさらなる絶望を与えるものであった。
 矢が突き立てられた箇所から『ラーラ・ファントム』という女神の力が急速に失われていくのが解った。緑の十字架からは解放されたが、ラーラが身の内をはい回る痛みはまだ続いていた。さらに、彼女は爪の先まで手入れされていた両手を見たつもりだった。だが、己に四肢の感覚など無かった。身の丈も少女の膝あたりまで縮んでいる。視力だけが生きていたので、部屋にあったガラスに急いで顔を向ける。そしてそこに映った己の姿にラーラは愕然がくぜんとした。まるでごみ溜めから産まれたぼろクズのような生き物が、己を見つめている。

「…………!」

 声も失われたようだ。それどころか、口すらない。

「神格を奪った。これでお前は下位の者が使う使い魔よりも卑しい物体となった。だが、その身体の内からの痛みは終焉の日まで続く。――終焉の日は、神のみぞ知る、だ。さあ、お別れだ。元女神ラーラ・ファントム」

 少女の姿をした断罪者は、くるりと背を向けると光の帯を引きながらラーラを置き去りにして去って行った。
 ラーラは落ちた一片の羽根に飛びつき、部屋に散らばる砂となった下位の者達のようになれはしないものかと願ったが、ラーラが近づいたと同時にその羽根は淡雪のように消えてしまった。



「リリィ!!」

 ラーラの部屋から一歩出れば、ヴィンセントの声が聞こえた。普段の無表情が嘘のように少女を心配する表情だった。

「案ずるな。この娘は立派に初仕事を成し遂げた……労ってやれ」

「お前は……守護神か。ならば、ラーラ・ファントムは?」

「あの茶色い塊だ。神格を奪ってやった。碌に歩くことも、喋る事も叶わぬ。お前の使い魔に命じて下界のごみ溜めにでも置いてきてやるが良い。三百年もすれば、あれは自滅する。そういう呪いをかけたのでな」

「解った」

「それでは、この娘を返すぞ。――そろそろ心が限界だ。初仕事が父の仇討ちとはな……哀れな子だ」

 リリィのまなじりから一筋の露が流れた。すると「……ヴィンセント?」とどこか舌足らずな声でリリィが囁いた。

「ああ、よく頑張ったな……もう全部終わったぞ」

「そう……アベル、褒めてくれるかな……」

 また一粒涙を流すとリリィはがくりとヴィンセントに抱き付くように倒れ込む。

「気を失ったか。ハウンド、守護神のいう通り、ラーラを下界に捨ててきてくれ。ついでに万神庁に、ラーラの処分についても報告を」
「御意」

 使い魔は影の中からだくと答えると気配を消した。ヴィンセントは腕の中で眠る少女を包み込むように抱き上げ、自身も影の中に入ってパリのアパルトマンに向かった。



 アベルの葬儀は、グランパ、ジャンヌ、ヴィンセント、リリィに加えて行きつけのカフェだった『サン・ミッシェル』のアラン翁夫妻とリリィの友人であるユエが出席した。この時、初めて知らされたのだが、本条ほんじょうゆえはアラン翁の妹の孫に当たるらしく、人気のないペール・ラシェーズ墓地で彼女がアカペラで歌った鎮魂歌レクイエムはとてもその場に相応しく透き通るような歌声だった。きっとどんな上手い歌手も、彼女の歌声には通じまいとヴィンセントは思った。
 葬儀の間、リリィは泣かなかった。ユエがそれを妙に案じていて、葬儀が終わった後でヴィンセントは彼女に呼び止められたのだった。

「リリィから伺っています。貴方のお兄様だそうですね。グランパ――私のおじいちゃんも親しくしてくれた好青年だったと言っていました。……これはリリィには話してあるのですが、私は来週イギリスに行きます。だからリリィをお願いしますね……私が頼むのは、おかしいのかもしれないけれど」

 年齢の割には毅然きぜんとしていると感じた。リリィとは三つしか離れていないはずだったが、本条月という少女は、出逢った時から不安定なリリィとは正反対に心の幹がしっかりとしている、そんな印象をヴィンセントは彼女から受けた。

「いや、間違ってなんかいない。時折メールでもしてやってくれると、リリィは喜ぶ」
「ありがとうございます。そのつもりです」

「あと……」

「なんでしょう?」

「兄貴の為に歌ってくれた。感謝する。お前の歌は素晴らしかった」

 思ったままを口にすると、月は少し哀しい笑いを浮かべた。

「私と弟も……事故で両親を亡くしたんです。だから、リリィの気持ちは解るつもり」

「そうか……悪かったな」

「いいえ。貴方、お兄様とは正反対の笑わない人だと思っていたから、ちょっと意外。どうか、ずっとリリィの傍にいてあげて」

「約束する」

 ヴィンセントの答えを受けとると、月は珍しい青と緑のオッドアイを細めて、墓場を後にした。



 アベルがいなくなったと実感が湧くと、神界も、グランパの部屋も、とても静かになった。リリィはますます勉学に打ち込むようになり、グランパは精神的なショックからか、死の香りを強くするようになった。ジャンヌだけは、いつも通り振る舞っていたが、彼女もふとした瞬間に抜け殻のようになる。神格者としての力は弱かったのに、その存在感の強さは失って初めて気づかされる。
 またリリィは“聖女”の仕事も積極的にこなすようになっていた。幸いだったのは、三位一体となると主導権が守護神と天使にあったことだ。一度、リリィが権を執行しようとした時に、まるで罪を犯した神は皆ラーラ・ファントムであるかのような眼をするものだから、強制的に守護神が止めに入った。
それからというもの“聖女”の仕事には必ずヴィンセントが同行するようになり、おかげでヴィンセントの身体にまで百合の香りがするようになってしまった。

「なんとかならんものかのぉ……見ている方が辛いわい」

 よく寝込むようになってしまったグランパは、ベッドの上に居ても常にリリィの心配ばかりを口にする。だが、これに対する答えをヴィンセントもジャンヌも持ち合わせていなかった。
 救いの手は思わぬところから与えられた。四月に入ったばかりの頃に届いた、本条月からの一通のメールだった。既に彼女がイギリスに行って二年近くが経とうとしていたが、珍しくリリィがスマートフォンを見せて「日本に行きたい!!」と頬を赤らめていたからだ。

「ああ、今の日本はカンオウカイの季節じゃな」

「カンオウカイ?」

「以前、秋に紅葉を見たじゃろう? あれと同じように今度は桜を愛でるんじゃよ。観桜会、と書く。――行きたいのか?」

「行きたい!! あのね、この春からユエは日本に移ったんだって。それで向こうでできた友達の家に大きな桜の樹があって、写真を送ってくれたの。それがとても綺麗で、日本の学校は桜並木の中で入学式をやるんだって! だから行きたい……駄目?」

「いいや。儂も久しく見ておらんから観たくなった。明日にでも発てるようにできるかの、ジャンヌ?」

「良いわ。直行便をすぐに調べるから待っていなさい」

「ありがとう、グランパ、ジャンヌ、大好き! じゃあユエに返信してくる!」

 この二年、表情の欠落がひどかったとは思えないほどに、リリィは嬉しそうだった。

「大好き、か。あんな表情はいつ以来じゃろうな……ヴィンセント、お前も同行してやれ」

「俺もかよ」

「一人でも多い方があの子は喜ぶだろうよ。じじいの最期の土産にさせてくれ」

「……解った」

 グランパは死期を悟っている。せめてこの旅行の間だけでも、リリィが笑うのならばとヴィンセントは思いを馳せる。


続...
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