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第一章
Story 1
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◇ ◇ ◇
「ごめん」
何度も心の中で叫んだ。
好きになる資格がない俺が君を愛してしまったことが、俺の一番の罪だ。
思い出すのは、楽しかったことばかり。
何気ない日常。
君が淹れてくれたコーヒーの香り、仕事終わりに並んで歩いた夜道。
咄嗟に身を投げ出した瞬間、君に謝れなかったことだけを悔いた。
どれも、ありふれたものだったのに。
こんなにも、こんなにも、愛おしい。
「凛音……」
願わくは、もう一度君に会いたい。
けれど、俺の時間はここで終わる。
―― 暗闇が、すべてを覆い尽くした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「藤堂君、今日から私のボディガードをしてくれるのが加藤君だ」
ほんのり肌寒さが残る四月の初旬、社長のスケジュールを確認しようと部屋に入った私の耳に入った言葉。
都内でも有数のビル群の中でも、ひときわ大きなこの佐伯ヒルズの二十六階、社長室。重厚な木製のデスクの向こう側で、この佐伯グループのトップの座に君臨する社長・佐伯修二が、椅子に深く腰掛け、余裕のある口調でそう紹介した。すると、社長の後ろにいた男性が一歩前に出た。
「よろしくお願いします」
低く落ち着いた声が響く。言葉は丁寧だが、にこりとも笑わない目の前の人は、いかにも“プロ”といった様子だった。鋭い眼差し、無駄のない動き、隙のない佇まいで、どこか影のある雰囲気が、その証なだろうか。
「秘書の藤堂凛音と申します。よろしくお願いいたします」
そんなことを思いつつ、私も表情を変えることなく、頭を下げた。
私としては、誰がいようが仕事が円滑に回る方がいいし、よく話したり、社交的な人のほうが苦手だ。だから、これぐらいプロフェッショナルで無表情な人のほうが、むしろ好ましい……。
そこまで思って、心の中でため息をついた。本当に、かわいくないにも程がある。
藤堂凛音。今年で二十六歳になった。佐伯グループの社長秘書を務めている。
佐伯グループは国内最大手の総合商社のひとつであり、エネルギー、機械産業、防衛技術の分野で圧倒的なシェアを誇る。特に、政府と密接に関わる防衛関連事業では独占的な契約を結び、多国籍企業とも積極的に取引を行っている。
そのため、業務の性質上、政財界との繋がりが強く、時には裁判やスキャンダルにも巻き込まれることが少なくない。
だから、「ボディーガードを雇った」と聞いても、さほど驚かなかった。
「加藤君、藤堂君はとても優秀な女性だ。何かあれば、彼女へ」
そう穏やかに言った社長に、私も微笑みを浮かべた。しかし、彼はちらりと私を見ただけだった。
愛想がないな……。ボディーガードって、みんなこんな感じなの?
あまり他人に興味がない私でも思うほどの、その不愛想ぶりに、私はかえって好感を持った。愛想がよく、必要以上に話す人ほど信用ならない。たとえば、この佐伯修二。
そこまで思って、雇い主に対してそんなことを考えてはいけないと、思考を止めた。
どんな人物であれ私はお金を稼ぎたい理由がある。
私の幸せな記憶はない。
私が三歳にもならない頃、母は祖父母の意向で父と離婚させられ、私を連れて再婚した。いわゆる政略結婚だった。今考えると、母の実家には多額の借金があり、それを返済するためのものだったのだろう。
大企業の二代目であった父は母を見初め、母に執着をしていたが、父を愛していた母は、やがて病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
初めこそ、父は母を亡くしたことにショックをうけていたようだったが、父はすぐに再婚をした。
社長とは名ばかりの女癖が悪く、仕事もできない父。祖父や兄弟のおかげで会社はなりたっているが、この家は終わっていると、物心ついたころには思い始めていた。
継母となった人はいつも、まったく血のつながりのない私を追い出したくて仕方がなかったようだが、継母にも世間体があったのだろう。
今となれば追い出されて、養護施設に行った方がよかった、そう思うほどだが、それは許されなかった。
”血のつながりもないのだから、働け!”
その言葉通り、家の中では家事を押し付けられ、目立たないように生きるのが精いっぱいだった。
早く大人になって、この家を出たい。それだけを考えて、生きてきた。
だからこそ、体裁のためにとりあえず入れられた大学を出て、就職して、ようやく掴んだこの秘書の座は、私にとって「自由への第一歩」だった。
最初はただの雑務からだったが、この秘書課に異動になって三ヵ月。今までに比べて忙しくなったが、そのほうがありがたかった。余計なことを考えずにすむからだ。
私生活と呼べるものはほとんどないが、それで構わない。家に帰らない理由ができてありがたいだけだ。
恋愛も、結婚も、今の私には遠いもの。
大切なのは、仕事を全うし、生き抜くこと。
だから、目の前のボディガードがどんな男であろうと、関係ない。
ただ、職務を全うしてくれればいい。
そんなことを思いつつ、「戻ります」そう言って社長室を出て秘書室へと戻った。
「ごめん」
何度も心の中で叫んだ。
好きになる資格がない俺が君を愛してしまったことが、俺の一番の罪だ。
思い出すのは、楽しかったことばかり。
何気ない日常。
君が淹れてくれたコーヒーの香り、仕事終わりに並んで歩いた夜道。
咄嗟に身を投げ出した瞬間、君に謝れなかったことだけを悔いた。
どれも、ありふれたものだったのに。
こんなにも、こんなにも、愛おしい。
「凛音……」
願わくは、もう一度君に会いたい。
けれど、俺の時間はここで終わる。
―― 暗闇が、すべてを覆い尽くした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「藤堂君、今日から私のボディガードをしてくれるのが加藤君だ」
ほんのり肌寒さが残る四月の初旬、社長のスケジュールを確認しようと部屋に入った私の耳に入った言葉。
都内でも有数のビル群の中でも、ひときわ大きなこの佐伯ヒルズの二十六階、社長室。重厚な木製のデスクの向こう側で、この佐伯グループのトップの座に君臨する社長・佐伯修二が、椅子に深く腰掛け、余裕のある口調でそう紹介した。すると、社長の後ろにいた男性が一歩前に出た。
「よろしくお願いします」
低く落ち着いた声が響く。言葉は丁寧だが、にこりとも笑わない目の前の人は、いかにも“プロ”といった様子だった。鋭い眼差し、無駄のない動き、隙のない佇まいで、どこか影のある雰囲気が、その証なだろうか。
「秘書の藤堂凛音と申します。よろしくお願いいたします」
そんなことを思いつつ、私も表情を変えることなく、頭を下げた。
私としては、誰がいようが仕事が円滑に回る方がいいし、よく話したり、社交的な人のほうが苦手だ。だから、これぐらいプロフェッショナルで無表情な人のほうが、むしろ好ましい……。
そこまで思って、心の中でため息をついた。本当に、かわいくないにも程がある。
藤堂凛音。今年で二十六歳になった。佐伯グループの社長秘書を務めている。
佐伯グループは国内最大手の総合商社のひとつであり、エネルギー、機械産業、防衛技術の分野で圧倒的なシェアを誇る。特に、政府と密接に関わる防衛関連事業では独占的な契約を結び、多国籍企業とも積極的に取引を行っている。
そのため、業務の性質上、政財界との繋がりが強く、時には裁判やスキャンダルにも巻き込まれることが少なくない。
だから、「ボディーガードを雇った」と聞いても、さほど驚かなかった。
「加藤君、藤堂君はとても優秀な女性だ。何かあれば、彼女へ」
そう穏やかに言った社長に、私も微笑みを浮かべた。しかし、彼はちらりと私を見ただけだった。
愛想がないな……。ボディーガードって、みんなこんな感じなの?
あまり他人に興味がない私でも思うほどの、その不愛想ぶりに、私はかえって好感を持った。愛想がよく、必要以上に話す人ほど信用ならない。たとえば、この佐伯修二。
そこまで思って、雇い主に対してそんなことを考えてはいけないと、思考を止めた。
どんな人物であれ私はお金を稼ぎたい理由がある。
私の幸せな記憶はない。
私が三歳にもならない頃、母は祖父母の意向で父と離婚させられ、私を連れて再婚した。いわゆる政略結婚だった。今考えると、母の実家には多額の借金があり、それを返済するためのものだったのだろう。
大企業の二代目であった父は母を見初め、母に執着をしていたが、父を愛していた母は、やがて病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
初めこそ、父は母を亡くしたことにショックをうけていたようだったが、父はすぐに再婚をした。
社長とは名ばかりの女癖が悪く、仕事もできない父。祖父や兄弟のおかげで会社はなりたっているが、この家は終わっていると、物心ついたころには思い始めていた。
継母となった人はいつも、まったく血のつながりのない私を追い出したくて仕方がなかったようだが、継母にも世間体があったのだろう。
今となれば追い出されて、養護施設に行った方がよかった、そう思うほどだが、それは許されなかった。
”血のつながりもないのだから、働け!”
その言葉通り、家の中では家事を押し付けられ、目立たないように生きるのが精いっぱいだった。
早く大人になって、この家を出たい。それだけを考えて、生きてきた。
だからこそ、体裁のためにとりあえず入れられた大学を出て、就職して、ようやく掴んだこの秘書の座は、私にとって「自由への第一歩」だった。
最初はただの雑務からだったが、この秘書課に異動になって三ヵ月。今までに比べて忙しくなったが、そのほうがありがたかった。余計なことを考えずにすむからだ。
私生活と呼べるものはほとんどないが、それで構わない。家に帰らない理由ができてありがたいだけだ。
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大切なのは、仕事を全うし、生き抜くこと。
だから、目の前のボディガードがどんな男であろうと、関係ない。
ただ、職務を全うしてくれればいい。
そんなことを思いつつ、「戻ります」そう言って社長室を出て秘書室へと戻った。
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