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第2章
第52話:共有される痛み
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昨日の夢の中で追体験した、あまりにも無機質で凄惨な「レリル」の記憶。その断片が、朝の柔らかな光の中でも消えることなく、僕の心に重く、冷たく横たわっていた。
愛されるために生まれたはずの幼子が、実の家族に金で売られ、人間としての尊厳を剥ぎ取られて、ただ効率よく敵を殲滅するための「兵器」として飼い慣らされる日々。
(……辛かった、なんて言葉じゃ、到底足りなかっただろうな)
僕は自分自身を抱きしめるようにして、ソファの上で小さく膝を抱えた。神様はかつて僕に言っていた。本物のレリルの魂は、自分を道具としてしか扱わなかったこの残酷な世界に復讐を誓い、その憎しみの炎で魂を摩耗させたからこそ、新しい世界へと連れて行かれたのだと。
あんなに傲慢で冷酷だと思っていた「レリル」が、実は誰よりも深い、底のない絶望の淵に立たされていたことを知るたびに、胸が抉られるように痛む。
これからも、月に一度の魔力提供が訪れるたびに、僕は彼の剥き出しの「痛み」を、まるで自分の傷のように知ることになるのだろうか。彼の孤独を知りたいと願う一方で、当時のレリルが感じた気が狂いそうなほどの恐怖や痛覚を、これ以上共有したくないと逃げ出したくなる――。そんな矛盾した思いに、僕の呼吸は浅く、苦しく塞がれていった。
「……レリル。何度か呼んでも返事がなかったが、大丈夫か?」
不意に、すぐ近くで低い声が響き、僕は弾かれたように顔を上げた。いつの間にか、ヨハンが部屋に入り、僕のすぐ側に立ち尽くしていた。
あの日、魔力搾取の苦悶の中で僕を抱きしめてくれて以来、彼は僕を「レリル」と呼ぶようになった。その呼び名が、今ではもう単なる記号ではなく、僕自身の魂を指し示す名前として深く心に馴染んでいることに気づき、指先が微かに震えた。
「ヨハン、様……」
見上げた視界が、不意に熱い膜で滲んだ。
ヨハンは驚いたように金色の目を見開くと、戸惑いながらも、おずおずと大きな手を伸ばし、僕の銀色の髪をそっと、包み込むように撫でた。
「……お願いだ、そんな顔で泣かないでくれ」
絞り出すようなその低い声に触れて、僕は自分が泣いていたことに、ようやく初めて気がついた。
僕の細い頭を覆うヨハンの掌は、数多の戦場を潜り抜けてきた男らしく驚くほど分厚くて、そして、泣きたくなるほどに温かかった。
その心地よさに抗えず、ふらふらと身を委ねていると、今自分はきっと、子供のように情けない顔をしているだろうな、と思う。けれど、不思議とこの人になら、どんなに醜く歪んだ姿を見せてもいい、すべてを委ねてもいいと思えたのだ。
「……ごめんなさい。少し、昔のことを……思い出してしまって……」
「…………そうか。辛いなら、無理に話さなくていい。俺が、ここにいるから」
ヨハンはそれ以上、僕の過去を暴こうとはせず、ただ僕の心が凪ぐまで、その温かな掌で僕の髪を撫で続け、側にいてくれた。
その日を境に、ヨハンの行動にはさらなる変化が現れた。
今までは夕食を共にした後に足早に館へと帰っていた彼が、時折、当然のような顔をして塔に泊まっていくようになったのだ。
一人で暗闇の中にいると、どうしてもレリルの凄惨な過去の光景が脳裏にフラッシュバックして、沈み込んでしまう。だから、同じ屋根の下、隣の部屋に「ヨハン」という強くて優しい存在がいてくれるという事実は、僕にとって何よりの救いであり、至上の安らぎだった。
けれど、安らぎを知れば知るほど、彼が領主の仕事のために館へと帰ってしまう日は、以前よりもずっと寂しく、心にぽっかりと穴が空いたように胸が締め付けられるようになっていった。
この穏やかな、夢のような日々が、いつまでも、いつまでも続いてほしい。
窓から見える夜の静寂の中で、ヨハンの温もりの残滓を背中に感じながら、僕はただ、叶わぬ願いを抱いて静かに祈るしかなかった。
愛されるために生まれたはずの幼子が、実の家族に金で売られ、人間としての尊厳を剥ぎ取られて、ただ効率よく敵を殲滅するための「兵器」として飼い慣らされる日々。
(……辛かった、なんて言葉じゃ、到底足りなかっただろうな)
僕は自分自身を抱きしめるようにして、ソファの上で小さく膝を抱えた。神様はかつて僕に言っていた。本物のレリルの魂は、自分を道具としてしか扱わなかったこの残酷な世界に復讐を誓い、その憎しみの炎で魂を摩耗させたからこそ、新しい世界へと連れて行かれたのだと。
あんなに傲慢で冷酷だと思っていた「レリル」が、実は誰よりも深い、底のない絶望の淵に立たされていたことを知るたびに、胸が抉られるように痛む。
これからも、月に一度の魔力提供が訪れるたびに、僕は彼の剥き出しの「痛み」を、まるで自分の傷のように知ることになるのだろうか。彼の孤独を知りたいと願う一方で、当時のレリルが感じた気が狂いそうなほどの恐怖や痛覚を、これ以上共有したくないと逃げ出したくなる――。そんな矛盾した思いに、僕の呼吸は浅く、苦しく塞がれていった。
「……レリル。何度か呼んでも返事がなかったが、大丈夫か?」
不意に、すぐ近くで低い声が響き、僕は弾かれたように顔を上げた。いつの間にか、ヨハンが部屋に入り、僕のすぐ側に立ち尽くしていた。
あの日、魔力搾取の苦悶の中で僕を抱きしめてくれて以来、彼は僕を「レリル」と呼ぶようになった。その呼び名が、今ではもう単なる記号ではなく、僕自身の魂を指し示す名前として深く心に馴染んでいることに気づき、指先が微かに震えた。
「ヨハン、様……」
見上げた視界が、不意に熱い膜で滲んだ。
ヨハンは驚いたように金色の目を見開くと、戸惑いながらも、おずおずと大きな手を伸ばし、僕の銀色の髪をそっと、包み込むように撫でた。
「……お願いだ、そんな顔で泣かないでくれ」
絞り出すようなその低い声に触れて、僕は自分が泣いていたことに、ようやく初めて気がついた。
僕の細い頭を覆うヨハンの掌は、数多の戦場を潜り抜けてきた男らしく驚くほど分厚くて、そして、泣きたくなるほどに温かかった。
その心地よさに抗えず、ふらふらと身を委ねていると、今自分はきっと、子供のように情けない顔をしているだろうな、と思う。けれど、不思議とこの人になら、どんなに醜く歪んだ姿を見せてもいい、すべてを委ねてもいいと思えたのだ。
「……ごめんなさい。少し、昔のことを……思い出してしまって……」
「…………そうか。辛いなら、無理に話さなくていい。俺が、ここにいるから」
ヨハンはそれ以上、僕の過去を暴こうとはせず、ただ僕の心が凪ぐまで、その温かな掌で僕の髪を撫で続け、側にいてくれた。
その日を境に、ヨハンの行動にはさらなる変化が現れた。
今までは夕食を共にした後に足早に館へと帰っていた彼が、時折、当然のような顔をして塔に泊まっていくようになったのだ。
一人で暗闇の中にいると、どうしてもレリルの凄惨な過去の光景が脳裏にフラッシュバックして、沈み込んでしまう。だから、同じ屋根の下、隣の部屋に「ヨハン」という強くて優しい存在がいてくれるという事実は、僕にとって何よりの救いであり、至上の安らぎだった。
けれど、安らぎを知れば知るほど、彼が領主の仕事のために館へと帰ってしまう日は、以前よりもずっと寂しく、心にぽっかりと穴が空いたように胸が締め付けられるようになっていった。
この穏やかな、夢のような日々が、いつまでも、いつまでも続いてほしい。
窓から見える夜の静寂の中で、ヨハンの温もりの残滓を背中に感じながら、僕はただ、叶わぬ願いを抱いて静かに祈るしかなかった。
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