虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第2章

第54話:止まれぬ

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 最近の俺は、自分でも驚くほどに、領主としての理性と矜持を完全に見失いつつあった。

 三度目の凄絶な魔力提供を終えた直後、意識の混濁したレリルが見せた、あのあまりにも無垢で痛々しい涙。何かに怯え、奈落のような深い孤独に沈み込んでいるようなあの絶望的な瞳を見た瞬間、俺の胸は、まるで冷えた鉄格子の間に無理やり引き絞られたかのように激しく軋み、張り裂けそうになった。 

 かつて世界を震撼させたあの大魔法使いが、なぜ、今さらあんなにも幼い子供のように震え、声を上げて泣くのか。俺には、彼が夢の中で見ている地獄の正体は分からない。だが、二度とあんな瞳をさせたくない、この男を泣かせたくないという烈火のような思いだけが、鋭い痛みとなって俺の全存在を支配していた。

 気づけば俺は、ただ夕食を共に摂り、生存を確認するだけでは到底満足できなくなっていた。館に私室があるというのに、わざわざこの狭く、冷え冷えとした塔の客室に泊まり込むようになっている自分の有様に、自嘲の笑みが漏れる。

(……狂っている。領主としても、一人の男としても、俺はもう救いようがなく狂っているな)

 館に戻れば、吐き気を催すほどの山のような公務と、緊急の決裁を待つ書類が山積していることは分かっている。廊下ですれ違う使用人たちの不気味なほどに冷ややかな視線も、忠誠を誓っていたはずの討伐隊員たちの露骨な困惑も、肌を刺すような違和感として感じていないわけではない。 

 それでも、独りで塔に残されたレリルの、あの風が吹けば消え入りそうなほどに儚い背中を思い出すと、どうしても足が館に向かなかった。もし、俺がいない間に彼がまたあの恐ろしい悪夢に捕らわれたら、誰がその細い肩を抱き寄せ、光の当たる場所へ引き戻してやるというのか。

 深い夜、眠りにつく直前に、隣の部屋の扉越しに聞こえてくる微かな衣擦れの音や吐息。朝、扉を開ければ、寝癖をつけたままの無防備な顔で、俺の姿を見て驚きと安堵に瞳を揺らす姿。 

 それら一つ一つ、レリルの些細な反応のすべてが、俺の心の欠けていた空白を、狂おしいほどの情熱で埋めていく。

「レリル、少しでも心身に異変があれば、躊躇わずにすぐ言え。……俺がここにいる間は、何があっても、天地がひっくり返ろうとも貴殿を守ってやる」

 祈るような心地でそう告げ、俺が彼の銀糸のような髪を、そしてその小さな頭を撫でると、彼はだらしないほどにふにゃりと顔を綻ばせ、俺の手に甘えるようにうっとりと目を細める。 

 その毒のように甘い、無防備すぎる姿を網膜に焼き付けるたび、俺の胸の奥底に澱んでいた執着が、どろりとどす黒い熱を帯びて、制御不能なほどに膨らんでいくのを感じるのだ。

 これは、もう断じて単なる管理責任などではない。罪人への慈悲でも、高潔な憐れみでもない。 

 俺は、この「レリル」という男の過去も、現在も、そしてこれから訪れるはずの未来のすべてを、自分一人だけのものとして鎖で繋ぎ止めたい。そんな領主にあるまじき、醜く、救いようのない独占欲に突き動かされていた。

 俺の感情が、すでに引き返せない一線を越えて暴走していることは痛いほど分かっている。だが、彼が俺に向かって柔らかく微笑み、その細い指先で俺の衣を掴むたびに、俺はその破滅へと続く泥濘の道を、歓喜すら覚えながら、自ら進んで選んでしまうのだった。
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