虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第6章

第156話:鴉の帰還

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 不意に現れた漆黒の影――鴉は、床に一通の書簡を落とした。俺がヨハンに与えた安全保障の控えだ。

『……ふん。相変わらず、部分的な正論で全体を見失うのが得意な男だな。王太子』

「……鴉か。随分と帰りが遅かったな」

 俺は眉をひそめ、不遜な鳥を見下ろした。この怪異は、俺が幼少期から築き上げてきた「王太子としての聖域」を土足で踏み荒らすような口を利く。

『ストルムベルクへ立ち寄り、アイルという騎士に書類を預けてきた。ついでにルクシオの研究所も覗いてきたところだ。……ヨハン、お前の主君はまだ、たった一箇所の綻びが服全体の崩壊を招くことに気づいていないようだぞ』

 鴉の言葉に、俺は苛立ちを通り越し、ある種の冷徹な決意を固めた。 

 この「神の使い」を名乗る怪異も、そして地下に潜むレリルも、俺の「計算」を狂わせるノイズでしかない。俺がこれまで神に導かれるように選び取ってきた「正解」の積み重ねが、たかだか一羽の鳥や一人の罪人に否定されてたまるものか。

(俺の目は、決して曇っていない。もし曇っているのだとしたら、それは世界そのものが狂っているということだ)

 俺は傍らの近衛兵に冷酷な命を下した。

「近衛! 直ちに魔導士長ルクシオの研究所を包囲し、そこに潜伏しているレリルの身柄を拘束、ここへ引き立ててこい。抵抗すれば、殺しても構わん」

「殿下! それではまた彼を罪人扱いにするというのですか!」

 ヨハンが悲鳴のような声を上げる。俺は椅子から立ち上がり、彼を冷徹な視線で射抜いた。

「黙れ、ヨハン。これは『再調査』の一環だ。奴を俺の目の前に引きずり出し、俺の正義を以て直接問い詰める」

 俺の「正義」は、疑わしきを排除することでこの国の平和を維持してきた。もしレリルが、ヨハンの言うような「変節」を遂げているのなら、その魂を俺の冷徹な天秤にかけてやろう。

「もし奴が、俺の想定通りの打算的な悪であれば、その場でこの物語の幕を引く。……それこそが、最も合理的な決着だ」

 俺の揺るぎない確信に対し、鴉は黄金の瞳を細め、不気味な笑みを浮かべたように見えた。

『……いいだろう。なら、さっさと連れてこい。お前の言う「計算」の枠に収まらない魂が、どんなものか見せてやるよ。その時、お前の積み上げた正義が砂上の楼閣でなかったことを祈るんだな』

 鴉の冷ややかな挑発が、静まり返った室内に重く沈殿する。 

 俺は無言で近衛兵たちを顎で促した。鎧の擦れる不穏な音が夜の回廊へと消えていく。

 完璧だった俺の世界に、これまでにない巨大な不確定要素が今、正面から現れようとしていた。
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