虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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余章

第3話:聖女の祈り

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 ヨハンと一緒に馬車に揺られ、浄化の儀式が行われる森の入り口へと向かう。ガタゴトと響く車輪の音を聞きながら、僕は少し緊張していた。隣に座るヨハンは、僕の強張った指先に気づいたのか、そっと大きな手を重ねてくれる。武骨だけれど温かなその体温に、少しだけ肩の力が抜けた。

 現地に到着すると、そこには王都から派遣された聖女セレスティアが、神官たちを従えて既に到着していた。

「お久しぶりです、辺境伯。……そして、レリルさん。今回の魔物大量討伐によりストルムベルク領に発生した淀みの浄化をするため、派遣されてきました聖女セレスティアです」

 セレスティアは教会の教えに倣い、凛とした、それでいて春の陽光のような丁寧な挨拶を僕たちに向けた。ヨハンもまた、一領主としての威厳ある態度で、一寸の隙もない礼を返す。

「ストルムベルク領の淀みの浄化、これほどまでに早く対応してくれるとは思っていなかった。王都の働きかけに感謝する」

 公式なやり取りが済むと、セレスティアの表情がふっと和らいだ。彼女の瑠璃色の瞳が、真っ直ぐに僕へと向けられる。

「……レリルさん、来てくださりありがとうございます。浄化が終わった後、少しお時間をいただきたいのですが、よろしいですか?」

「わかりました。浄化、よろしくお願いします」

「ええ、お任せください」

 そう言うと、セレスティアは黒ずんだ空気が漂う森の方へ向き直った。その場に静かにひざまずき、胸の前で手を組み、祈りを捧げ始める。

 次の瞬間、どんよりと澱んでいた大地が黄金色に輝き出し、数多の光の粒が天へと昇っていった。冷え冷えとしていた空気までが温かく塗り替えられ、光が収まったあとには、芽吹いたばかりの若草のような清らかな色を取り戻した大地が広がっていた。

「すごい……これが聖女様の力なんですね。吸い込まれそうなくらい、きれいです」

 素直な感嘆を漏らす僕に、セレスティアは少し寂しげな、けれど柔らかな笑みを浮かべた。

「いえいえ、レリルさんの使う魔法と比べたらつつましいものですよ。あの夜の輝きを、私は一生忘れないでしょう」

「そうなんですか。僕、レリルが魔物を討伐しているときの記憶はなくて……。彼の魔法を、あまり見たことがないんです」

 僕が正直に打ち明けると、セレスティアは一瞬だけ痛みをこらえるように表情を曇らせた。

「そう、だったのですね。……今回、レリルさんに改めて謝罪をしようと思って、来ていただけないか打診したのです。二人きりで、話を聞いていただけますか」

 周囲の衛兵たちの目もあったのだろう。ヨハンが静かに、けれど有無を言わせぬ頼もしさで助け舟を出してくれた。

「こんなところで立ち話もなんだ。屋敷でゆっくり話すといい。セレスティア殿、こちらへ」

 僕たちは一度屋敷へと戻り、暖炉に火の入った落ち着いた客間で向き合うことになった。

 セレスティアは、用意された茶器を前に何かを迷うような素振りを見せていたが、やがて何かを振り切るように決心して話し始めた。

「あの日、魔物の討伐に急いでいたため、満足に謝罪もできませんでした。……今、私の前にいる貴方は本物のレリルさんではない。だからこれは、私の罪悪感を消すためのただの欺瞞かもしれません。それでも、私は……聖女としてではなく一人の人間として、ちゃんとけじめをつけたいのです」

 彼女はまっすぐに僕の目を見て、後悔の念を絞り出すように語る。

「あの断罪が起きる前、私はレリルさんと話したことがありました。あのとき、私は彼の傲慢な態度と、挑発的な魂の色に惑わされてしまった。けれど……今考えたら、彼には他の悪人のような『邪悪な気』は微塵もなかった。きっとそれすらもうまく隠しているのだろうと決めつけ、私は自身の目で見ようとしなかった。その傲慢な盲目に気づかせてくれたのは、他ならぬ貴方でした」

 セレスティアの声が少し震える。

「貴方がいなければ、私たちはあのまま、彼という人間を歪んだ形でしか記憶に残さなかった。謝ろうにも、彼はもうこの世界にはいない。……どう詫びたらいいのかも、今はまだわかりません。けれど、何もしないまま平然と過ごすのは違うと思うのです。……こちらを受け取っていただけますか?」

 彼女の手から差し出されたのは、銀の台座に大粒の魔石が嵌め込まれた、緻密な細工の称号バッジだった。

「これは国、そして教会から認められた『英雄』に授けられる称号です」

「え! でも、僕はそこまでのことは……。実際に魔物を倒したのは本物のレリルなのに、何もしていない僕が受け取るのは、彼に申し訳ないです」

 驚いて断ろうとする僕の手を、彼女は遮るように、祈るような力強さで言葉を重ねた。

「貴方が私たちの過ちを正し、勇気を持って声を上げてくれたからこそ、魔物の危機は去り、本物の悪を見つけ出すきっかけとなったのです。……それに、何より。私たちが一度泥を塗ってしまった『魔導士レリル』の名誉を、どうか取り戻させてほしいのです」

 ――本物のレリルのため。

 そう言われてしまえば、今の僕に拒む理由はどこにもなかった。

「……わかりました。彼の誇りのためというなら。ありがたく頂戴させていただきます」

 僕がバッジを掌に受け取ると、セレスティアは重荷を下ろしたように、心底ほっとした顔を見せた。

「名誉ある称号ですから、本当は王都で大々的に授与式を行いたかったのですが……。貴方はそれを望まないだろうと、レオナルド様と結論に至りまして。私がこの地へ赴き、渡すという運びになりました。本当はレオナルド様も飛んで来たいと言っていたのですが、王太子が動くとどうしても目立ってしまいますから。彼の真っ直ぐな気持ちも、一緒に受け取っていただけると嬉しいです」

 レオナルドの名前を出す彼女の表情は、とても穏やかだった。あの日、謁見室で初めて意見が食い違い、殺伐としていた二人が、今も協力し合い、案じてくれている。その優しい事実に、僕の心もじんわりと温かくなった。

「お気遣い、本当にありがとうございます。王太子様からのお気持ちも、確かに受け取らせていただきます。僕はもう王都に行くようなことはないと思いますが……お二人とも、どうかお元気で」

「ええ、ありがとうございます。もし何か困ったことがあれば、いつでも気軽にご連絡ください。聖女の名の元に、できる限りの力になると誓いましょう」

「そんな、そこまでしていただかなくても……。いえ、ありがとうございます」

 きっとここで気持ちを受け取らないのは、彼女たちを罪悪感の檻に閉じ込めてしまう行為になるだろう。以前に交わした執事長との会話を思い出し、僕は素直にその申し出を受け入れることにした。

 セレスティアは最後にもう一度、僕に向けて深く頭を下げた。

「こちらこそ、私たちの勝手な気持ちを受け入れてくれてありがとうございました。それでは、失礼いたしますね」

 彼女を乗せた白い馬車が、ゆっくりと王都の方角へ走り去っていく。ヨハンと一緒にその背中を見送りながら、僕は胸元にあるバッジをそっと撫でた。

 本物のレリルがこの世界で確かに最強の魔導士として生きていたという証。

 この冷たくて重みのある輝きを、僕はヨハンがいるこの領地で、生涯大切に守っていこうと心に誓った。
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