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余章
第11話:三日目の課題
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「最終課題よ。今日はこの子たちの相手をしなさい」
エレオノーラは、冷徹な視線を子供たちに向けた。
「無辜なる子供の瞳は、時に何よりも鋭い鏡になるわ。お前が本当にこの地を脅かす『毒』なのか、それともヨハンが信じるような『光』なのか……。彼らがあなたをどう受け入れるか、私に見せなさい」
これまでの二日間、僕は教養と実務の試験を乗り越えてきた。けれど、今回は正解があるわけじゃない。相手は心を持った子供たちだ。
僕は緊張で指先を震わせながら、子供たちの輪の中へ一歩踏み出した。
「……あ、ええと。こんにちは。僕はレリル。よろしくね」
子供たちは一斉に僕を見上げた。彼らは僕が「怖い貴族様」と一緒に現れたことに怯えているようだった。一人の少年が、僕の腕にある、ルクシオからもらった魔導具のブレスレットに目を留める。
「お兄ちゃん……それ、魔法の道具?」
「……うん。そうだよ。ちょっと、見てみる?」
僕は膝をつき、子供たちと目線の高さを合わせた。かつて塔の中で、一人きりで空を見上げていた頃の自分を思い出す。あの頃の僕は、誰かに、ただこうして同じ高さで笑いかけてほしかった。
僕は少しだけ、指先に魔力を込めた。かつては兵器として恐れられたこの力を、今はただ、彼らを喜ばせるためだけに。
空中に小さな、淡い光を放つ雪の結晶をいくつか作り出した。それは冬の厳しい雪ではなく、春の綿雪のように優しく、子供たちの鼻先や掌をかすめてふわりと躍る。
「わあ……きれい! 光ってる!」
「見て、お兄ちゃんの手、キラキラしてるよ!」
一人、また一人と、警戒していた子供たちが僕の周りに集まってきた。
「お兄ちゃん、これ冷たくないの?」 「うん、これはね、僕の『ありがとう』を形にした魔法なんだ。だから、ちっとも寒くないんだよ」
僕は一人ひとりの目を見て、小さな悩みにも耳を傾けた。 「算数が嫌いなの」とはにかむ女の子には、地面に枝で図解を描き、昨日の台帳整理で見せたような「数字を形にする遊び」を教えた。正解するたびに、彼女は僕の腕にしがみついて喜んだ。 「冬は暗くて嫌いだよ」と俯く少年には、掌に小さな、消えない光の球を作って握らせた。
「冬が暗いのはね、春に咲く花たちがゆっくり眠るための夜なんだよ。この光を持って、春を待ってみて。きっと、今までの冬よりずっと短く感じるから」
気づけば、僕は子供たちに囲まれて、泥だらけになりながら一緒に笑っていた。小さな手が僕の袖を掴み、背中に飛び乗られ、温かな子供たちの体温が僕の肌に伝わってくる。
塔の中にいた頃は、こんなふうに誰かに触れ、触れ返される日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「ありがとう、レリルお兄ちゃん! また遊んでくれる?」
「もちろんだよ。みんな また遊んでくれる?」
「約束だよ! 魔法、もっと見せてね!」
夕暮れ時。迎えに来た親たちに手を引かれ、何度も振り返りながら帰っていく子供たちを見送りながら、僕は背後に立つエレオノーラの気配を感じた。
「……子供を騙すのは簡単だと思っていたけれど」
エレオノーラの声は、昨日までのような氷の鋭さを持っていなかった。
「あの子たちの笑い声は、偽物ではなかったわね。お前を見る瞳の中に、恐怖も、そしてお前を道具として見る濁りもなかった。……レリル。どうやら私は、お前を過小評価していただけでなく、見誤っていたようです」
彼女はゆっくりと僕の隣に並び、沈みゆく夕日を見つめた。
「お前がここに来たことで、ヨハンの顔から悲壮感が消えた理由が、ようやく分かった気がするわ。お前はただの魔導士ではない。この地の荒んだ心を癒やす、北風の中の木漏れ日のような男なのね。……三日間の課題、見事だったわ」
その言葉は、凍てついた大地に春が訪れたような、確かな温もりを持っていた。僕は、込み上げてくる熱いものをこらえ、深く、深く頭を下げた。
その夜、屋敷の食堂には、昨日までとは打って変わった、どこか誇らしげな空気が流れていた。
「レリル、背筋。視線は常に水平に」
エレオノーラの声が飛ぶが、そこにはもう突き放すような冷たさはない。僕は初日に叩き込まれたマナーを一つずつ思い出しながら、慎重にカトラリーを動かした。
美しい白磁の皿に、丁寧に盛り付けられた料理。ヨハンが隣で「本当に、この数日で別人のようだな」と嬉しそうに微笑んでいる。
「ふん、私の指導を三日間耐え抜いたのですもの。これくらい出来なくては困るわ。……ヨハン、お前もいつまでも浮かれていないで、レリルのこの明晰な分析能力をどう領地に活かすか、真剣に考えなさい」
エレオノーラはワイングラスを傾け、満足げに僕たちの様子を眺めていた。三日間の厳しい特訓を経て、ようやく勝ち取った「食卓」という居場所。僕は、噛みしめる料理の味に、胸がいっぱいになっていた。
けれど、メインの料理が下げられ、デザートの果実が運ばれてきた頃。
エレオノーラはふっと表情を消し、手元のナプキンで静かに口元を拭った。
「……さて。合格のお祝いムードはここまでよ」
彼女の瞳に、貴族としての冷徹な「現実」が戻る。
「レリル。お前の能力も、その心根も、ストルムベルクの隣に立つに相応しいと認めましょう。……けれど、ヨハン。お前たち二人が共に歩むというなら、避けては通れない現実があるわ。……ストルムベルクの『血』は、ここで途絶えることになる」
和やかだった空気は一瞬で凍りつき、カチャリ、とヨハンのフォークが皿に当たる音が響いた。
「この地を守る『銀の狼』の血を絶やすことは、歴史への冒涜よ。跡継ぎの問題、そして周囲の貴族たちからの重圧。お前たちは、それをどう背負うつもりなの? 愛さえあれば血の繋がりなど不要だと、そう甘く考えているわけではないわよね」
ヨハンは僕の肩を抱き寄せたが、彼女のあまりに重い問いに対し、唇を噛み締めたまま、言葉を失っていた。
エレオノーラは、冷徹な視線を子供たちに向けた。
「無辜なる子供の瞳は、時に何よりも鋭い鏡になるわ。お前が本当にこの地を脅かす『毒』なのか、それともヨハンが信じるような『光』なのか……。彼らがあなたをどう受け入れるか、私に見せなさい」
これまでの二日間、僕は教養と実務の試験を乗り越えてきた。けれど、今回は正解があるわけじゃない。相手は心を持った子供たちだ。
僕は緊張で指先を震わせながら、子供たちの輪の中へ一歩踏み出した。
「……あ、ええと。こんにちは。僕はレリル。よろしくね」
子供たちは一斉に僕を見上げた。彼らは僕が「怖い貴族様」と一緒に現れたことに怯えているようだった。一人の少年が、僕の腕にある、ルクシオからもらった魔導具のブレスレットに目を留める。
「お兄ちゃん……それ、魔法の道具?」
「……うん。そうだよ。ちょっと、見てみる?」
僕は膝をつき、子供たちと目線の高さを合わせた。かつて塔の中で、一人きりで空を見上げていた頃の自分を思い出す。あの頃の僕は、誰かに、ただこうして同じ高さで笑いかけてほしかった。
僕は少しだけ、指先に魔力を込めた。かつては兵器として恐れられたこの力を、今はただ、彼らを喜ばせるためだけに。
空中に小さな、淡い光を放つ雪の結晶をいくつか作り出した。それは冬の厳しい雪ではなく、春の綿雪のように優しく、子供たちの鼻先や掌をかすめてふわりと躍る。
「わあ……きれい! 光ってる!」
「見て、お兄ちゃんの手、キラキラしてるよ!」
一人、また一人と、警戒していた子供たちが僕の周りに集まってきた。
「お兄ちゃん、これ冷たくないの?」 「うん、これはね、僕の『ありがとう』を形にした魔法なんだ。だから、ちっとも寒くないんだよ」
僕は一人ひとりの目を見て、小さな悩みにも耳を傾けた。 「算数が嫌いなの」とはにかむ女の子には、地面に枝で図解を描き、昨日の台帳整理で見せたような「数字を形にする遊び」を教えた。正解するたびに、彼女は僕の腕にしがみついて喜んだ。 「冬は暗くて嫌いだよ」と俯く少年には、掌に小さな、消えない光の球を作って握らせた。
「冬が暗いのはね、春に咲く花たちがゆっくり眠るための夜なんだよ。この光を持って、春を待ってみて。きっと、今までの冬よりずっと短く感じるから」
気づけば、僕は子供たちに囲まれて、泥だらけになりながら一緒に笑っていた。小さな手が僕の袖を掴み、背中に飛び乗られ、温かな子供たちの体温が僕の肌に伝わってくる。
塔の中にいた頃は、こんなふうに誰かに触れ、触れ返される日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「ありがとう、レリルお兄ちゃん! また遊んでくれる?」
「もちろんだよ。みんな また遊んでくれる?」
「約束だよ! 魔法、もっと見せてね!」
夕暮れ時。迎えに来た親たちに手を引かれ、何度も振り返りながら帰っていく子供たちを見送りながら、僕は背後に立つエレオノーラの気配を感じた。
「……子供を騙すのは簡単だと思っていたけれど」
エレオノーラの声は、昨日までのような氷の鋭さを持っていなかった。
「あの子たちの笑い声は、偽物ではなかったわね。お前を見る瞳の中に、恐怖も、そしてお前を道具として見る濁りもなかった。……レリル。どうやら私は、お前を過小評価していただけでなく、見誤っていたようです」
彼女はゆっくりと僕の隣に並び、沈みゆく夕日を見つめた。
「お前がここに来たことで、ヨハンの顔から悲壮感が消えた理由が、ようやく分かった気がするわ。お前はただの魔導士ではない。この地の荒んだ心を癒やす、北風の中の木漏れ日のような男なのね。……三日間の課題、見事だったわ」
その言葉は、凍てついた大地に春が訪れたような、確かな温もりを持っていた。僕は、込み上げてくる熱いものをこらえ、深く、深く頭を下げた。
その夜、屋敷の食堂には、昨日までとは打って変わった、どこか誇らしげな空気が流れていた。
「レリル、背筋。視線は常に水平に」
エレオノーラの声が飛ぶが、そこにはもう突き放すような冷たさはない。僕は初日に叩き込まれたマナーを一つずつ思い出しながら、慎重にカトラリーを動かした。
美しい白磁の皿に、丁寧に盛り付けられた料理。ヨハンが隣で「本当に、この数日で別人のようだな」と嬉しそうに微笑んでいる。
「ふん、私の指導を三日間耐え抜いたのですもの。これくらい出来なくては困るわ。……ヨハン、お前もいつまでも浮かれていないで、レリルのこの明晰な分析能力をどう領地に活かすか、真剣に考えなさい」
エレオノーラはワイングラスを傾け、満足げに僕たちの様子を眺めていた。三日間の厳しい特訓を経て、ようやく勝ち取った「食卓」という居場所。僕は、噛みしめる料理の味に、胸がいっぱいになっていた。
けれど、メインの料理が下げられ、デザートの果実が運ばれてきた頃。
エレオノーラはふっと表情を消し、手元のナプキンで静かに口元を拭った。
「……さて。合格のお祝いムードはここまでよ」
彼女の瞳に、貴族としての冷徹な「現実」が戻る。
「レリル。お前の能力も、その心根も、ストルムベルクの隣に立つに相応しいと認めましょう。……けれど、ヨハン。お前たち二人が共に歩むというなら、避けては通れない現実があるわ。……ストルムベルクの『血』は、ここで途絶えることになる」
和やかだった空気は一瞬で凍りつき、カチャリ、とヨハンのフォークが皿に当たる音が響いた。
「この地を守る『銀の狼』の血を絶やすことは、歴史への冒涜よ。跡継ぎの問題、そして周囲の貴族たちからの重圧。お前たちは、それをどう背負うつもりなの? 愛さえあれば血の繋がりなど不要だと、そう甘く考えているわけではないわよね」
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