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第1章:黄金の契約、深紅の契約
第2話:溶かす体温
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公爵家の次男として生まれたカイルにとって、人生はあらかじめ決められた退屈な双六のようなものだった。
兄が家督を継ぎ、自分は邪魔にならないよう、政治的な意図を含んだ婚姻で継承権を放棄する。あの日、多くの候補者の中からリアムを選んだのも、深い理由があったわけではない。ただ、他の子供たちの瞳に宿る野心や、親に言わされたような社交辞令に辟易し、「一番無害そうで、震えているこの子でいい」と投げやりに決めただけだった。
「……また、泣いているのか」
婚約が決まって数ヶ月。公爵邸の図書室の隅で、小さなリアムが必死に涙を堪えながら分厚い教本と格闘しているのを見つけ、カイルは冷ややかに声をかけた。
リアムは身分の低い子爵家から来た自分を少しでも高めようと、毎日深夜まで勉強し、慣れない作法を学んでいた。
「カ、カイル様……。すみません、難しくて、情けなくて……」
「無理をするな。どうせ形式上の婚約だ。お前が賢くなろうがなるまいが、俺たちの運命は変わらない」
カイルは十歳にして、どこか冷めた、大人びた瞳をしていた。自分たちはただの駒だ。そう言い聞かせていれば、傷つかずに済む。
だが、リアムはカイルの冷たい言葉を、予想外の形で受け止めた。
「……違います。カイル様は、僕を選んでくれた。あんなにたくさん素敵な人がいたのに、僕に手を差し伸べてくれた」
リアムは赤くなった目で、真っ直ぐにカイルを見つめた。その瞳は、カイルがこれまで社交界で見てきたどんな宝石よりも、澄んだ尊敬と憧憬の色を宿していた。
「だから、僕は貴方に相応しい人間になりたいんです。いつか、貴方が本当に辛いときに、隣で支えられるように。……カイル様、貴方は、一人じゃありません」
小さな、けれど熱を帯びた手が、カイルの服の袖をぎゅっと掴む。
カイルは息を呑んだ。自分を「公爵家の次男」という記号ではなく、一人の人間として、これほどまでに真っ直ぐに、眩しそうに見つめる存在に出会ったのは初めてだった。
その日から、カイルの中で何かが変わり始めた。
義務だと思っていたリアムとの時間が、いつしか一日のうちで最も待ち遠しいものになった。リアムが新しい知識を覚えて目を輝かせるたびに、カイルの胸の奥に溜まっていた冷たい泥が、少しずつ溶け出していく。
「リアム、これを見てくれ。庭で一番綺麗に咲いていた薔薇だ」
「わあ……! ありがとうございます、カイル様!」
花一輪で、この世の全てを手に入れたかのように喜ぶリアム。その純粋さに触れるたび、カイルは自分が「ただの駒」ではなく、リアムにとっての「英雄」になれるのだと気づかされた。
「……ああ、そうか。俺は、こいつを守るために強くなればいいんだ」
諦めに満ちていた少年の心に、初めて「執着」という名の灯がともった。
あの日、直感で選んだはずの臆病な少年は、いつの間にかカイルにとって、命を懸けても守り抜きたい唯一無二の光になっていた。
兄が家督を継ぎ、自分は邪魔にならないよう、政治的な意図を含んだ婚姻で継承権を放棄する。あの日、多くの候補者の中からリアムを選んだのも、深い理由があったわけではない。ただ、他の子供たちの瞳に宿る野心や、親に言わされたような社交辞令に辟易し、「一番無害そうで、震えているこの子でいい」と投げやりに決めただけだった。
「……また、泣いているのか」
婚約が決まって数ヶ月。公爵邸の図書室の隅で、小さなリアムが必死に涙を堪えながら分厚い教本と格闘しているのを見つけ、カイルは冷ややかに声をかけた。
リアムは身分の低い子爵家から来た自分を少しでも高めようと、毎日深夜まで勉強し、慣れない作法を学んでいた。
「カ、カイル様……。すみません、難しくて、情けなくて……」
「無理をするな。どうせ形式上の婚約だ。お前が賢くなろうがなるまいが、俺たちの運命は変わらない」
カイルは十歳にして、どこか冷めた、大人びた瞳をしていた。自分たちはただの駒だ。そう言い聞かせていれば、傷つかずに済む。
だが、リアムはカイルの冷たい言葉を、予想外の形で受け止めた。
「……違います。カイル様は、僕を選んでくれた。あんなにたくさん素敵な人がいたのに、僕に手を差し伸べてくれた」
リアムは赤くなった目で、真っ直ぐにカイルを見つめた。その瞳は、カイルがこれまで社交界で見てきたどんな宝石よりも、澄んだ尊敬と憧憬の色を宿していた。
「だから、僕は貴方に相応しい人間になりたいんです。いつか、貴方が本当に辛いときに、隣で支えられるように。……カイル様、貴方は、一人じゃありません」
小さな、けれど熱を帯びた手が、カイルの服の袖をぎゅっと掴む。
カイルは息を呑んだ。自分を「公爵家の次男」という記号ではなく、一人の人間として、これほどまでに真っ直ぐに、眩しそうに見つめる存在に出会ったのは初めてだった。
その日から、カイルの中で何かが変わり始めた。
義務だと思っていたリアムとの時間が、いつしか一日のうちで最も待ち遠しいものになった。リアムが新しい知識を覚えて目を輝かせるたびに、カイルの胸の奥に溜まっていた冷たい泥が、少しずつ溶け出していく。
「リアム、これを見てくれ。庭で一番綺麗に咲いていた薔薇だ」
「わあ……! ありがとうございます、カイル様!」
花一輪で、この世の全てを手に入れたかのように喜ぶリアム。その純粋さに触れるたび、カイルは自分が「ただの駒」ではなく、リアムにとっての「英雄」になれるのだと気づかされた。
「……ああ、そうか。俺は、こいつを守るために強くなればいいんだ」
諦めに満ちていた少年の心に、初めて「執着」という名の灯がともった。
あの日、直感で選んだはずの臆病な少年は、いつの間にかカイルにとって、命を懸けても守り抜きたい唯一無二の光になっていた。
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