能あるカノジョのかくしごと

三十三さとみ

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第五話 タカ子さん、どういうことですか?

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 トイレで冷静さを取り戻した僕がタカ子さんの部屋にもどると、タカ子さんは座卓を置いていた。その上には英語の教科書や参考書が積まれていく。

「あの……タカ子さん?」
「あら、おかえりなさい」
「ただいま。で、これは?」

 僕が座卓の上を指さすと、タカ子さんは三つ編みを背中に流しながら「英語の勉強をしようと思って」とさらりと答えた。

「英語?」
「ええ。いつも数学ばかりではおもしろくないでしょう? それに次の単元ではむずかしい英文法が入ってくるから、予習をしておきましょう」

 そういうとタカ子さんは座布団を二つ置き、片方に座った。となりの座布団をポンポンとたたきながら「ほら、座って」とうながす。僕は安心と少しだけ残念な気持ちを隠してそこに座った。

「一時間ぐらい勉強したらお昼にしましょう。そしたら今日は解散ね」
「はい」

 これじゃあデートと言うより勉強会だな、なんて思いながらも、タカ子さんに教わりながらの勉強は意外にもおもしろく、あっという間に一時間が経ってしまった。





「週末はゴールデンウイークね。どうする? 会う?」

 タカ子さんのマンションのエントランスで見送られながらそう聞かれた僕は、思わず「会いたい……です」と勢いよく答えてしまった。

「まあ、熱心でうれしいわ」

 勉強が目当てだと思われているのだろうか……そう思うと、僕は小さな反発心が起きた。

「勉強より、タカ子さんが目当てなんだけど?」

 タカ子さんはわずかに首を傾げた。

 本当に、僕のことが興味ないのだろうか?

「僕は、タカ子さんといられるならゴールデンウイーク毎日でも会いに来るけど」
「そう? うれしいわ」

 タカ子さんは淡々と答える。そんな態度を取られると、僕の方が恥ずかしいじゃないか。

「タカ子さんは? 僕と会うのは気が進まない?」
「あら、そんなことないけど」

 タカ子さんはくすっと笑う。

「鳶尾くん、まるで私のことが本当に好きみたいね」
「そうだけど」

 僕は真面目に答えた。タカ子さんの目を見て、もう一度言う。

「タカ子さんのこと、ずっと好きだったんだよ。知らなかった?」

 僕の言葉に、タカ子さんは目を大きく見開いた。

 二人の間に沈黙が流れた。

「……ごめん、忘れて。もう帰るね」

 僕はいたたまれなくなって走り出してしまった。振り返れない。振り返ったとき、もしタカ子さんが僕を見ていたらどうしよう。逆に、振り返ったらもうタカ子さんのすがたがなかったら、それはそれでたまらない。

 結局僕は家にもどるまでひた走った。





「ってことがあったんだよ」

 翌週の月曜日の昼休み。男子トイレの窓から外をみながらタクヤンと並んで話していた。

「だからってなんでトイレなんだよ」
「だって、聞かれたくないじゃん」

 タカ子さんに告白してしまったことを、タクヤンに早く相談したかった。なのに今朝に限ってタクヤンは寝坊して遅刻してきた。それから二人っきりになれるタイミングが今までなかったのだ。

「なんで今日に限って寝坊したんだよ」
「昨日、マンガの一気読みしたら徹夜した」
「なら徹夜したまま学校に来ればいいじゃん。僕はそうしたぞ」
「おー、えらいえらい」
「もっと心をこめて言ってくれ」

 タクヤンはあくびを噛み殺しながら相づちを打っていた。

「良いじゃん。これではっきりするだろ? 脈があればこのまま本物の彼氏になれて、脈ナシならはっきりと振られる。振られたら次の恋に生きろ、若人よ」
「どこのおっさんだ。そして親友ならウソでも応援してくれ」
「おう、応援してるぜ」
「心がこもってないんだって!」

 僕が嘆くように俯いていると、タクヤンはくすっと笑った。

「なんだよ、落ち込んでる親友がおもしろいか?」

 僕がすねるように言うと、タクヤンはさらに笑った。

「笑うな!」
「笑うよ」
「なんで!」

 タクヤンは首をすくめて答えた。

「だって、ちゃんと告白したわけじゃん? かっけぇよ。それに初めての告白だろ? 自信持てって」

 それがタクヤン流の励ましだと僕はようやく気付いた。

「……うん、期待してないけど、待ってみる」
「そうしろそうしろ」

 タクヤンは「じゃ、もう良いだろ?」とトイレを出ていこうとする。僕ももう良いか、と後を追うようにトイレを出た。

「……なあ、鳶尾。階段の方に能有さんっぽい人がいるんだけど」
「え?」

 トイレを出て教室とは反対側を向いているタクヤン。その視線を追うと、確かにタカ子さんの背中が見えた。僕ぐらいになると好きな人の後ろ姿で判別できるものだ。それにあんなに美しい三つ編みもこの学校でタカ子さんぐらいだ。

「一緒にいるのって、三年生か?」
「あ、ホントだ。部活の先輩かな?」
「そうかもな。ほら、午後の授業はじまるからもどるぞ」
「う、うん……」

 僕は後ろ髪を引かれる思いでろうかを歩いて行った。

 でも、なんだろう。すごく気になっていた。

 ただの連絡とか話なら、わざわざ二人っきりになる必要、あるのだろうか?





 僕の悪い予感は当たっていたらしい。

 帰りのホームルーム前の喧騒に混じって、七志が僕とタクヤンのもとに「なあなあ、知ってる?」と話しかけてきた。

「なにを?」

 タクヤンがめんどくさそうに答えると、七志が「となりのクラスの委員長。えっと、能有さん? 告白されたんだって!」と早口でまくし立てた。僕は息が止まり、手に持っていたペンケースがすべって床に落ちた。

「となりのクラスじゃそのうわさで持ち切り。なんでも三年生の部活の先輩? みたいでさ。ずっと片思いだったんだって。部活の引退前に告白だって。っかー、いいねえ、青春ってかんじ!」

 黒板の前から「おい、七志! ホームルームはじめられんから座れ!」と怒声がひびいた。「やべ」と七志は自分の席にもどっていく。

「おい、大丈夫か?」

 タクヤンが落ちたペンケースを拾って僕に渡してくれた。僕は「平気」となんとか答える。

「おいおい、平気そうには見えないぞ」
「…………」

 僕は口元を引きつらせながら笑って見せた。

 そこからホームルームでどんな話題があったのか、なにも思い出せない。

 気づけば立って「さようなら」と号令がかかっていた。僕はストンと席について、ぼんやりと宙をみていた。息がうまくできなかった。

「おい、鳶尾。帰るぞ」
「あ、ああ……」

 僕はタクヤンにうながされて立ち上がると、カバンを持って歩き出した。右足、左足。意識して動かさないと歩けない。

 僕の頭の中では七志の言葉が反芻していた。

 片思い。告白。青春。

 三年生の先輩という人の影と僕の影が頭の中でリンクする。

 僕だって去年からずっとタカ子さんが好きだった。一世一代の告白もした。タカ子さんと一緒にいた時間は、まさに青春だった。

 なのに、なぜか今となってはすべてが妄想だったんじゃないかって思えてきた。

 タカ子さんと一緒にいたかったばかりに、タカ子さんと一緒に過ごした時間を捏造したんじゃないかって。夢のような時間は文字通り〈夢〉だったんじゃないかって……。

 僕はタクヤンと並んで校門を出て歩いていた。タクヤンはなにか話しかけていたけれど、すべてが僕の右耳から左耳へとスルーしていく。

「……びおくん」

 あれ? 今、鳶尾くんって呼ばれた? ああ、もしかして幻聴まで聞こえるようになっちゃったのか? 僕ってやつは。

「鳶尾くん! 待って!」
「おい、鳶尾!」

 タクヤンに肩をつかまれて強引に振り返させられた。するとすぐ後ろには駆けてきたのか少し息を切らしているタカ子さんがそこにはいた。

「タカ子さん……?」
「あの、ちょっと話がしたいんだけど、大丈夫かしら?」

 僕は戸惑いながらタクヤンをみた。すると「なら、俺は先に帰るから」と言ってタクヤンはさっさと行ってしまった。おいて行かれた僕は、タカ子さんの方を向いた。

「えっと、話?」
「ええ。落ち着いて話がしたいわ。市役所の前の公園にいかない?」
「いいよ」

 タカ子さんは僕を追い抜いて公園へ向かって歩き出した。そのすぐあとを僕は追いかける。

(何の話だろう)

 僕は胸を押さえた。

(覚悟決めなきゃな。振られるかもしれない)

 タカ子さんは公園の端の木陰にあるベンチに座ると、となりをポンポンとたたいた。ついこの間も、タカ子さんの家で座布団をポンポンとたたいていたのを思い出して、たった数日前の記憶なのに胸がしめつけられるような痛みを感じた。

(もう、あの日がもどってくることはないから)

 僕はゆっくりととなりに腰かけた。

「もしかして、もうウワサが届いているのではないかと思って」
「ウワサ?」
「私が部長に……三年生に告白されたというウワサ」
「昼休みの?」
「やっぱり知っていたのね」

 タカ子さんは顔色一つ変えずにうなずいた。

「まず、そのウワサは事実よ。昼休み、呼び出されて告白されたわ」

 僕は「そう」とうなずいたつもりだったけれど、口から息が漏れるだけで声にならなかった。

「正直、おどろいたわ。先輩はたしかにいつも親切だったけれど、そんなふうに思っていたとは思わなかったから」
「そ、そうなんだね」

 今度は声がでた。でも自分ののどから声が出ているように思えなかったし、まるで他人の声が耳に入ってくるような違和感があった。

「それで、タカ子さんは?」
「……はじめてのことで戸惑ったの。こういうとき、すぐに答えるべきか、あるいは時間をおいてから答えるべきなのかわからなくて」

 僕はうなずいた。僕だって先週の土曜日に勢いに任せるように告白してしまった。そして答えを聞く前に逃げ出してしまったのだ。そう考えると、僕は弱虫だと思えて恥ずかしくなった。

「……ねえ、タカ子さん」
「なあに?」
「僕は……僕はね、タカ子さんに幸せになってもらいたいんだ」
「…………?」

 僕はタカ子さんの目を見た。メガネの奥で光る黒い宝石のような目をみつめて、僕はつづけた。

「もし、その先輩が好きなら、僕は応援します。でも、もし好きじゃなかったら、付き合わないでほしいっ!」
「……鳶尾くん」
「わかってる。僕は偽物の恋人だ。ウソの彼氏だ。でも、それでも僕は、タカ子さんのこと絶対に幸せにするよ。一緒にいる時間を全部、楽しい思い出に変えて見せる。十年後に思い出したとき、僕といた時間は楽しかったって思えるように、一緒にいてよかったって思ってもらえるように、どんなことでもするし、タカ子さんを大事にするよ」

 ひと息で訴える僕を、タカ子さんもじっと見つめた。タカ子さんの瞳が揺らぐのがみえる。

「鳶尾くん……」
「……はい」

 タカ子さんは思いっきり息を吸ってから「きゅん」とつぶやいた。

「……え?」
「今の鳶尾くんの言葉、すごかった。ドキッとしたわ。もしかしてこれが、ときめくということなのかしら?」
「……あ、あの、タカ子さん?」

 想像していなかったタカ子さんの反応に戸惑っていると、タカ子さんは「安心して、鳶尾くん」とほほ笑んだ。

「先輩の告白は、すでに断っているから、心配はいらないわ」
「そ、そうなの?」

 タカ子さんがあっさりと答えるものだから、僕も思わず拍子抜けしてしまった。

「それから、鳶尾くん。土曜日の別れ際のことなんだけど」
「は、はい!」

 ついに告白の返事が!

 先輩を断ったという今、僕の期待値は百を越えていた。

「……とてもよかったわ」
「…………。……え?」
「あんな不意打ちの告白は、卑怯よ。あのときもドキッとしてしまったわ。ぜひ今度のマンガのシーンに入れさせてもらいますからね」
「……えっと?」

 タカ子さん、どういうことですか?

「やはり私の目に狂いはなかったわ。鳶尾くんならきっと理想の彼氏としてサプライズを仕組んでくると思っていたけれど、こんなに早く行動されるとは思ってなかったわ」
「えっと?」

 僕の頭は混乱している。タカ子さんの笑顔に流されそうだけど、ここははっきりさせないといけないと思った。

「あの、確認だけど先輩の告白は断ったんだよね?」
「ええ。だって鳶尾くんとの時間が減るのがイヤだったもの」

 だから、その言い方が僕を調子に乗せるのだということにそろそろ気づいてほしい。

「それに、今はカレシなんていらないもの」
「はい?」

 いま、なんと言いましたか……?

「それじゃあ、僕は?」

 タカ子さんにすがるように尋ねると、タカ子さんはキョトンとした。そしてあっけらかんと答える。

「だから、契約カレシでしょう? これからもよろしくさん」

 タカ子さんはそう言うと「じゃあ、今日は図書館に行く予定なので、さよならさんかく、また会う日まで」と不可思議なあいさつを残して帰って行ってしまった。

「……え、えー」

 まるで風船から空気が抜けるように僕はベンチにゆっくりと倒れこんだ。



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