クロノスの子供達

絃屋さん  

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勇敢なアレクと犬

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出発までの時間を利用して、マリッサは買い物に出かけていた。
子供に戻ったゴーフルにとっては、見慣れた景色がすべて異なる世界に見えた。
「アル、ちょっとだけ出かけてくるよ」
ゴーフルは、小さな足を幼児用のスニーカーに通した。
それは、マジックテープ式になっていたので、外すとベリベリと大きな音がしてゴーフルは恥ずかしくなる。
ヒモ靴だと、まだちっちゃな子は結べない上にひっかかって、転んでしまう危険があるからだ。
「あ、ちょっと待て!出かけるなら、これを背負っていきなさい」
アルフレッドは、小さなリュックサックをゴーフルの背中にかけた。
「すぐ、近くに行くのにリュック?」
「ああ、この赤ちゃんリュックにはGPSや君についての情報が取り付けてある。迷子になったり事故に巻き込まれたら大変だからな」
どうみても、幼児が背負って歩くような小さな鞄だった。
「中には何が入ってくるの?」
「今の君に必要なものだよ。これも用心に越したことはないからね」
アルフレッドはそれだけ言ってゴーフルを送り出した。
特に目的があった訳ではないが、慣れ親しんだ土地を離れる前に見ておきたいとゴーフルは思っていた。
近所に住んでいる中学生のアレクは、子供の頃からゴーフルによくなついており、今でも尊敬の眼差しを向けられる事が多かった。
過去に猛犬に怯えて泣いていた子供のアレクをたまたま通りかかったゴーフルが助けたのがきっかけだった。
もう会うことが無いとすれば、一目だけでも顔を見ておこうと考えたのだ。
しかし、ゴーフルの今の格好は到底頼りになる大人の服装ではない。
格好だけでなく、あどけないその姿を見てもアレクは、大人のゴーフルと同じ人物だとは気づかないだろう。
「こんな姿じゃ、分からないよな」
小さくなった事で、ゴーフルからは世界が広くなったように感じられた。
建物の大きさ、道路の広さだけでなく、通りすぎる人々も巨人のようだった。
そして、アレクの住む家に続く小さな道にはいつものように獰猛な犬が繋がれていた。
アレクが子供の頃から、全く姿を変えずそこに存在している。
名前をハーデスと名付けた、飼い主の趣味の悪さをその犬は色濃く反映している。
アレクがこの犬に襲われそうになった時、ゴーフルは一喝して追い払った。
大きな声と、堂々とした態度で臨めば、力関係でどちらが、上かということをハーデスに示す事ができる。
「まずいな、鎖が緩みきってる」
ハーデスの飼い主には、再三注意を促しているのだが、全く改善されていない。
いつも見るのとは違い、自分より何倍も大きいハーデスを見てゴーフルは恐怖を覚える。
ゆっくりと、気づかれないようにアレクの家に向かおうとする。
ハーデスの目には、怯えながら進むか弱い幼児がそこにいた。
「がぅ、ぐるるる」
威嚇から、激しい咆哮。
「ハーデス、座れ!」
ゴーフルにとっては、いつもの調子で発したはずの声は甲高く幼い声であった。
ハーデスは、さらに調子づき目の前の無力な獲物に向かっていく。
「がるる、ぐわん、わん、わん」
いきなりゴーフルに向かって飛びかかり、鎖がぴんと張りつめる。
急に飛びかかってきたものだから、ゴーフルは驚いて後ろに倒れこんでしまう。
熊の可愛いらしいイラストが丸見えだ。
「うわっ、やめろ」
「ぐわん、ぐぎゅるる」
よだれを滴ながら容赦なくゴーフルに向かっていくハーデスの姿は化け物のようだ。
尻もちをついたゴーフルは、あまりの恐怖で立上がれず、そのまま後ずさるしかない。
それを見たハーデスの嗜虐心は加速し、ますます猛る。
そして、その勢いのせいで首輪が引きちぎれ恐ろしい魔性の犬は自由を手にしてしまう。
「く、くるなぁ。わぁー」
顔には涙を浮かべ、鼻水を滴ながら、ただただ逃げようと足を動かす。
完全に、劣勢となったゴーフルの下半身はじょわーっと音を立てて決壊する。
恐怖のあまり失禁してしまったのだ。
威嚇から攻撃へ、ハーデスは態勢を変えながら距離をつめていく。
今にも喉元を食い破ろうかという瞬間。
「ハーデス!」
ドスの効いた大人の声。
いや、それは大人ではなく少年となったアレクの声だった。
ピンと耳を逆立てて、ハーデスは身体を硬直させた。
自由になったとはいえ、絶対服従を叩き込まれたハーデスにとってアレクに逆らう事はできない。
「ハーデス、消えろ!」
もう一度、アレクが怒鳴る。
すると、ハーデスは一目散に自身のすみかとしている小屋へ帰っていった。
「大丈夫か?君!」
アレクは、恐怖で顔をぐちゃぐちゃにさせたゴーフルに声をかけた。
「ぐす、ありがとう……」
なんとか声になったのは、その言葉だけだった。
昔、ゴーフルがアレクを助けた時もこのような状況であった。
ただし、その時とは全く立場が逆転してしまった。
今、アレクがゴーフルを見る目には、尊敬の念など微塵もない。
その目は、恐怖のあまりおもらしをしてしまった子供を嘲り哀れむ目であった。
「さぁ、もう泣くなよ。怖い犬は兄ちゃんがおっぱらったからさ」
「う、うん」
少し冷静になったゴーフルは気はずかしさからわざと、子供らしく振る舞っていた。
「俺、アレクって言うんだ。お名前は?」
「ゴ……アーシャだよお兄ちゃん」
「アーシャか、分かった。お兄ちゃんの家はすぐそこだから。とりあえずおいで」
ゴーフルは初めて自分の名前をゴーフルではなくアーシャと名乗った。
そうしなくてなならない状況であったとはいえ、あまりにも屈辱的な事だった。
「あ、でも」
「大丈夫。ちゃんと君のママにも連絡してあげるから」
ゴーフルが逡巡した理由をアレクは異なる理由に受け取った。
「うん、分かった」
ゴーフルは、諦めてアレクの家に向かう。

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