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第1章
23.冒険者の店
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狩猟を終えヤルミオンの森から王都アイラナに戻ったエイクは、まずは換金の為に、自らが属する冒険者の店へ向かった。
店の名は“イフリートの宴亭”といった。
ちなみに、エイクを心配したリーリアも同じ店に所属していた。
幼い頃からエイクの鍛錬に付き合っていた彼女は、それなりの戦士に成長しており、体力まで含めた総合的な能力では、戦士としてエイクよりも優秀と評価されていて、十分に冒険者としてやっていけた。
そして、リーリアは、エイクとともに仕事を請けることを強く主張した。
しかしエイクはこれを頑なに拒んだ。彼はリーリアにすら自分の技や能力を生かした戦い方を明かすつもりはなかったからだ「秘密の能力は強い武器になる。だから父にすら教えてはならない」それが“伝道師”の教えであり、彼自身もそう思っていた。
「俺が強くなる為には一人で戦うことが必要なんだ」そう言い切る彼に、リーリアも無理強いは出来なかった。
ただ、彼女は特定の冒険者パーティに参加せず、いずれかのパーティに臨時で参加する形で仕事を請けていた。
それが、いつでもエイクとパーティを組めるようにする為だろうということは、エイクも感じていた。
リーリアはまた、エイクと同居することも提案していた。しかし、治安に問題がある廃墟区域の家に住まわせる気にはなれず、エイクはこれも断った。
ファインド家から相応の給金を得ており、それなりに蓄えもあった彼女なら、まともな住居を得ることは難しくはない。自分に付き合わせて廃墟に住まわせる気にはなれなかった。
エイクは“イフリートの宴亭”に入ると、僅かに顔をしかめた。彼を指導する立場ということになっている冒険者パーティ“夜明けの翼”のメンバーがいたからだ。
“夜明けの翼”は、“双狼牙”あるいは“赤狼”の二つ名を持つ剣士テオドリックをリーダーとしたパーティで、メンバーは、テオドリックと同郷の重戦士ガルバ、斥候役のジャック、魔術師のカテリーナ・ドノウェ、そして、戦死したドワーフの神官戦士に代わって1年ほど前に加入した、ハーフエルフの精霊使いテティスの5人。
半年ほど前に成竜の討伐に成功し、今や王都でも有数の冒険者パーティとして名を売っていた。
ちなみにメンバーの中で唯一の女性である魔術師のカテリーナが、テオドリックと男女の仲であることは周知の事実だ。
この“夜明けの翼”の内、新入りのテティスを除くメンバーは、異様なほどエイクに対して攻撃的で、彼らが店内にいると、他のパーティも彼らに阿ろうとしてエイクに攻撃的な態度をとるのが常だった。
そのメンバーのうち、テオドリックとガルバ、カテリーナの3人が、カウンター近くのテーブルについており、他の2人も少し離れたテーブルにいた。
エイクはざっと店内を見渡し、リーリアがいないことを確認して安心した。
彼女はエイクをかばって“夜明けの翼”に食って掛かろうとしたことがあった。有力冒険者と敵対することで彼女の立場が悪くなることを危惧したエイクは、そのようなことは絶対にしないように彼女に強く注意しており、その後同じ事は起きていなかったが、“夜明けの翼”と彼女が居合わせると、どうしても不穏な空気が流れてしまうのだ。
エイクは改めてテオドリックの方に目を向けた。
テオドリックは、現在25歳、その若さで竜殺しをやってのけた彼は、王国でも有数の実力を持つ冒険者と目されていた。
赤髪を長めに伸ばし、肉食獣を思わせる精悍な容貌で、身長はエイクとほぼ同じ、引き締まった体躯もエイクと似通っていた。
赤を基調に彩色されたハードレザーアーマーを身に着けているが、それは討伐した成竜の鱗で補強されており、文字通りのドラゴンスケイルアーマーだ。
右腕に装備した腕輪には僅かながら身体能力を増強する魔法が、腰のベルトには守備力強化の魔法がかけられている。いずれも古代魔法帝国製の貴重なマジックアイテムである。
そして、ベルトには2本のミスリル銀製のブロードソードが吊るされていた。
両手で2本の剣を自在に操り攻撃する。それがその二つ名の由来にもなった彼の戦い方だった。
テオドリックは一見興味がないかのように、エイクの方に顔を向けることもなかった。
しかし、彼は店にいると、たいていエイクに嫌がらせをしてくる。
エイクは煩わしく思いつつも、奥にあるカウンターへ進み、換金の手続きを依頼した。
「全部で200Gです」
討伐証明部位と戦利品を受け取った店員の女性は、少し確認してぞんざいな態度でそう告げた。
今回エイクが狩った妖魔は全部で12体、戦利品は売り物になりそうな武器4本と小ぶりな宝石1個、褒賞と買い取り価格をあわせれば、冒険者の手元に残る金は最低でも1,200Gを下ることはないはずだ。
報酬の3分の2を夜明けの翼に渡すと提案したのはエイクだが、それにしても200Gは少なすぎる。
しかしエイクは抗議の声を上げることはなかった。200Gあれば、次の狩りまでの最低限の生活費と、消耗品等の補充は出来る。彼はそれで十分だと思っていた。
報酬の増額交渉をする時間があるなら、その時間を鍛錬か知識を得ることに使いたかった。
そもそも、彼はこの店で自分の権利を主張すること自体が無駄だと考えていた。この店は、敵対者の息がかかっている。そう確信していたからだ。
だからエイクは、見習いから正式な冒険者になるための試験を受けようとも思っていなかった。
むしろ、自分が身につけた技を知られるのを嫌い、妖魔はすべて罠を使って狩ったと申告していた。そして、周りに人がいることに気付いた時には、実際に罠だけを用いて妖魔を狩っていた。
エイクが特に異議を申出ないことを確認した店員は、100G銀貨2枚を金庫から取り出した。しかし、エイクがそれを受け取ろうとする前に、あらぬ方へと放ってしまう。
そして澄ました顔で「手が滑りました」と口にした。
この店員はマーニャという名で、“イフリートの宴亭”の店主ガゼックの実の娘だった。
15歳になった1年前から店に立ち、父の手伝いをしていた。なかなか可愛らしい容姿で、仕事もそつなくこなしており、冒険者たちからは大変好評だった。
しかし、エイクに対する態度に限っては極めて悪く、特に店内に“夜明けの翼”のメンバーがいる時には、今のような露骨な嫌がらせを行っていた。
エイクは彼女を睨み付けたが、何も言わず床に落ちた銀貨を拾った。しかし2枚目を拾おうとしたところで、何者かがその銀貨を蹴り飛ばしてしまう。
カウンターの近くまでやって来ていた“夜明けの翼”の斥候ジャックだった。
「悪りいな。足がすべっちまったわ」
ジャックはにやにや笑いながらそう言った。
ジャックは中年に差し掛かった小柄で痩せ型の男で、10年ほど前にテオドリックとガルバの2人が冒険者になろうと故郷から出てきた頃に、指導してやると先輩風を吹かせてパーティに加わった男だった。
当時から腕の立つ斥候だったのは事実で、テオドリックとガルバがまだ弱い頃は彼らを搾取していたのだが、まもなく強さで追い抜かれてしまい、立場も逆転されて、今ではすっかりテオドリックの腰巾着になっていた。
ジャックに蹴られた銀貨は、テオドリックら三人のいるテーブルの近くまで滑って行っていた。
どれほど屈辱的な目にあっても、この金を手にしない訳にはいかない。
エイクはジャックを無視して、そのテーブルへ向かい銀貨を拾おうと身を屈めた。と、そのエイクの頭に液体がかけられる。カテリーナが手にしていたワインだった。
「あら、失礼。あまりに臭かったので思わず」
カテリーナはそう言い放った。
カテリーナは若干22歳にして上位の古語魔法にすら手が届こうかという実力の持ち主で、下級貴族出身だが4年ほど前に家を飛び出し“夜明けの翼”に加入したという人物だった。
それだけ聞くとお転婆令嬢といった経歴だが、その見た目は令嬢というよりは高級娼婦といった方がしっくり来るものだった。
濃い紫色の豊かな髪と男好きする美貌、身に着けるローブは古代魔法帝国製の魔法のローブを手直ししたもので、その魅惑的な体の線を強調していた。肌の露出は少ないが、なんともいえない色香があった。
ちなみに彼女が使う魔法の発動体は、右手人指し指にはめた指輪だった。それも古代魔法帝国時代に作られた、魔力強化の効果がある品物だ。
エイクは屈辱に歯をかみ締めながらも、無視して銀貨を拾い立ち去ろうとした。しかし続く言葉は無視できなかった。
「息子がそんな有様では、強いと言われていた父親が最期は魔物から逃げ惑った挙句に食べられてしまったというのも納得ね」
「訂正しろ。親父は逃げてなどいない」
エイクはカテリーナの方を振り向くと、そう言って詰め寄った。
しかし、すかさず間に入ったガルバがエイクの足を払う。エイクはその動きも目では捉えていたが、体はやはり思うように動かず、かわすことができなかった。
ガルバは仰向けに倒れたエイクの胸を踏みつけた。
ガルバの身長はエイクより幾分低かったが、ガッチリとした体形で体重は明らかにエイクを超えており、板金鎧を着込み、ラウンドシールドまで背負っていた。そのラウンドシールドも成竜の鱗で補強されている。
エイクは自分に掛けられる重量によってたちまち呼吸困難に陥った。
そのエイクに更に雑言が浴びせかけられる。
「お父様なんと呼ばれていたのだったかしら?借金王?踏み倒し王?
その情けないお父様も、子どもがこんな役立たずに育ったと知ったら、さすがに魔物のお腹の中で恥ずかしがっているでしょうね」
「だッ、黙れ、お、親父は……」
懸命に抗議しようとするエイクの顔に瓶から直接ワインが浴びせかけられた。
「ッ、ガッ、ゴホッ」
たまらず咳き込むエイクを見て、カテリーナは口元を手で隠しながら、堪えきれないというように笑った。
「ふふッ、本当に無様、ふふふ」
それにつられたように周りからも笑い声が上がった。
「ハハハハハハ」
ひときわ豪快に笑い声をあげたのは、40歳ほどに見える恰幅の良い赤ら顔の男、奥から出てきていた店主のガゼックだった。
彼の娘のマーニャも、口元を隠しながら声を立てて笑っていた。
エイクは怒りのあまり、目の前が真っ赤に染まっていくかのように感じた。
彼らの余りの行いに、何人かの冒険者はさすがに不快そうな様子を見せていた。
“夜明けの翼”のメンバーの1人であるテティスも、エルフの血を引く者らしい端正な顔を不快気に歪めている。パーティメンバー達の行いを非道なものと思っているのは明らかだった。しかし、新入りである自分の立場を慮ったのか、彼は何も口出ししなかった。
他の者達も、この店における最有力冒険者達の行いに、抗議することはなかった。
「おいおい、そのくらいにしておけよ」
そう声を掛けたのは、椅子に座ったままニヤついていたテオドリックだ。
「おい、訂正しろ、だったか?そうだな、確かにお前の親父が魔物から逃げたって話はなかったな」
その声を受けガルバは足をどけた。
「侘びだ。とっておけよ」
そう言ってテオドリックは100G銀貨を放り投げた。
複数のマジックアイテムすら保有する上級の冒険者にとっては、端金なのだろう。
エイクはその銀貨を拾って立ち上がった。
金はあって困る事はない。彼には自分のプライドなどよりも重要なものがあった。
「まあ、最期が魔物の餌ってのは、事実だがな」
テオドリックからそんな言葉が更に浴びせられた。
エイクは無視して足早に店を後にした、店からはそんな彼を嘲笑する声が聞こえた。
(全員殺してやる。女は犯して殺す)
猛烈な怒りに捉われたエイクの脳裏に、嘲笑した者全員を切り刻み、女達は無茶苦茶に犯してそのまま絞め殺す妄想が浮かんだ。しかし直ぐにそれを振り払う。
出来もしない妄想で自らを慰めるのは余りにも惨めだったし、それ以上に時間の無駄だった。
非力弱小の身で父の復仇という大望を抱く彼には、無駄にしていい時間など一瞬たりとも存在しない。
無意味な妄想に耽るくらいなら、今までの戦いを思い出してより効率的な戦い方を考察するべきだし、一刻も早く帰宅して剣を振るうべきだ。
街を足早に歩くもの、より早く足音を立てずに歩く為の訓練だ。
そして、オドの感知と制御の訓練は、意識さえあればいついかなる時でも行える。
そう考え、それを実行しながら足を進める。
だが、彼に宿ったどす黒い憎悪と、業火のごとき復讐への欲望は、心の奥底に隠されただけで、けして薄れてはいなかった。
むしろより濃く強く積み重ねられていた。
店の名は“イフリートの宴亭”といった。
ちなみに、エイクを心配したリーリアも同じ店に所属していた。
幼い頃からエイクの鍛錬に付き合っていた彼女は、それなりの戦士に成長しており、体力まで含めた総合的な能力では、戦士としてエイクよりも優秀と評価されていて、十分に冒険者としてやっていけた。
そして、リーリアは、エイクとともに仕事を請けることを強く主張した。
しかしエイクはこれを頑なに拒んだ。彼はリーリアにすら自分の技や能力を生かした戦い方を明かすつもりはなかったからだ「秘密の能力は強い武器になる。だから父にすら教えてはならない」それが“伝道師”の教えであり、彼自身もそう思っていた。
「俺が強くなる為には一人で戦うことが必要なんだ」そう言い切る彼に、リーリアも無理強いは出来なかった。
ただ、彼女は特定の冒険者パーティに参加せず、いずれかのパーティに臨時で参加する形で仕事を請けていた。
それが、いつでもエイクとパーティを組めるようにする為だろうということは、エイクも感じていた。
リーリアはまた、エイクと同居することも提案していた。しかし、治安に問題がある廃墟区域の家に住まわせる気にはなれず、エイクはこれも断った。
ファインド家から相応の給金を得ており、それなりに蓄えもあった彼女なら、まともな住居を得ることは難しくはない。自分に付き合わせて廃墟に住まわせる気にはなれなかった。
エイクは“イフリートの宴亭”に入ると、僅かに顔をしかめた。彼を指導する立場ということになっている冒険者パーティ“夜明けの翼”のメンバーがいたからだ。
“夜明けの翼”は、“双狼牙”あるいは“赤狼”の二つ名を持つ剣士テオドリックをリーダーとしたパーティで、メンバーは、テオドリックと同郷の重戦士ガルバ、斥候役のジャック、魔術師のカテリーナ・ドノウェ、そして、戦死したドワーフの神官戦士に代わって1年ほど前に加入した、ハーフエルフの精霊使いテティスの5人。
半年ほど前に成竜の討伐に成功し、今や王都でも有数の冒険者パーティとして名を売っていた。
ちなみにメンバーの中で唯一の女性である魔術師のカテリーナが、テオドリックと男女の仲であることは周知の事実だ。
この“夜明けの翼”の内、新入りのテティスを除くメンバーは、異様なほどエイクに対して攻撃的で、彼らが店内にいると、他のパーティも彼らに阿ろうとしてエイクに攻撃的な態度をとるのが常だった。
そのメンバーのうち、テオドリックとガルバ、カテリーナの3人が、カウンター近くのテーブルについており、他の2人も少し離れたテーブルにいた。
エイクはざっと店内を見渡し、リーリアがいないことを確認して安心した。
彼女はエイクをかばって“夜明けの翼”に食って掛かろうとしたことがあった。有力冒険者と敵対することで彼女の立場が悪くなることを危惧したエイクは、そのようなことは絶対にしないように彼女に強く注意しており、その後同じ事は起きていなかったが、“夜明けの翼”と彼女が居合わせると、どうしても不穏な空気が流れてしまうのだ。
エイクは改めてテオドリックの方に目を向けた。
テオドリックは、現在25歳、その若さで竜殺しをやってのけた彼は、王国でも有数の実力を持つ冒険者と目されていた。
赤髪を長めに伸ばし、肉食獣を思わせる精悍な容貌で、身長はエイクとほぼ同じ、引き締まった体躯もエイクと似通っていた。
赤を基調に彩色されたハードレザーアーマーを身に着けているが、それは討伐した成竜の鱗で補強されており、文字通りのドラゴンスケイルアーマーだ。
右腕に装備した腕輪には僅かながら身体能力を増強する魔法が、腰のベルトには守備力強化の魔法がかけられている。いずれも古代魔法帝国製の貴重なマジックアイテムである。
そして、ベルトには2本のミスリル銀製のブロードソードが吊るされていた。
両手で2本の剣を自在に操り攻撃する。それがその二つ名の由来にもなった彼の戦い方だった。
テオドリックは一見興味がないかのように、エイクの方に顔を向けることもなかった。
しかし、彼は店にいると、たいていエイクに嫌がらせをしてくる。
エイクは煩わしく思いつつも、奥にあるカウンターへ進み、換金の手続きを依頼した。
「全部で200Gです」
討伐証明部位と戦利品を受け取った店員の女性は、少し確認してぞんざいな態度でそう告げた。
今回エイクが狩った妖魔は全部で12体、戦利品は売り物になりそうな武器4本と小ぶりな宝石1個、褒賞と買い取り価格をあわせれば、冒険者の手元に残る金は最低でも1,200Gを下ることはないはずだ。
報酬の3分の2を夜明けの翼に渡すと提案したのはエイクだが、それにしても200Gは少なすぎる。
しかしエイクは抗議の声を上げることはなかった。200Gあれば、次の狩りまでの最低限の生活費と、消耗品等の補充は出来る。彼はそれで十分だと思っていた。
報酬の増額交渉をする時間があるなら、その時間を鍛錬か知識を得ることに使いたかった。
そもそも、彼はこの店で自分の権利を主張すること自体が無駄だと考えていた。この店は、敵対者の息がかかっている。そう確信していたからだ。
だからエイクは、見習いから正式な冒険者になるための試験を受けようとも思っていなかった。
むしろ、自分が身につけた技を知られるのを嫌い、妖魔はすべて罠を使って狩ったと申告していた。そして、周りに人がいることに気付いた時には、実際に罠だけを用いて妖魔を狩っていた。
エイクが特に異議を申出ないことを確認した店員は、100G銀貨2枚を金庫から取り出した。しかし、エイクがそれを受け取ろうとする前に、あらぬ方へと放ってしまう。
そして澄ました顔で「手が滑りました」と口にした。
この店員はマーニャという名で、“イフリートの宴亭”の店主ガゼックの実の娘だった。
15歳になった1年前から店に立ち、父の手伝いをしていた。なかなか可愛らしい容姿で、仕事もそつなくこなしており、冒険者たちからは大変好評だった。
しかし、エイクに対する態度に限っては極めて悪く、特に店内に“夜明けの翼”のメンバーがいる時には、今のような露骨な嫌がらせを行っていた。
エイクは彼女を睨み付けたが、何も言わず床に落ちた銀貨を拾った。しかし2枚目を拾おうとしたところで、何者かがその銀貨を蹴り飛ばしてしまう。
カウンターの近くまでやって来ていた“夜明けの翼”の斥候ジャックだった。
「悪りいな。足がすべっちまったわ」
ジャックはにやにや笑いながらそう言った。
ジャックは中年に差し掛かった小柄で痩せ型の男で、10年ほど前にテオドリックとガルバの2人が冒険者になろうと故郷から出てきた頃に、指導してやると先輩風を吹かせてパーティに加わった男だった。
当時から腕の立つ斥候だったのは事実で、テオドリックとガルバがまだ弱い頃は彼らを搾取していたのだが、まもなく強さで追い抜かれてしまい、立場も逆転されて、今ではすっかりテオドリックの腰巾着になっていた。
ジャックに蹴られた銀貨は、テオドリックら三人のいるテーブルの近くまで滑って行っていた。
どれほど屈辱的な目にあっても、この金を手にしない訳にはいかない。
エイクはジャックを無視して、そのテーブルへ向かい銀貨を拾おうと身を屈めた。と、そのエイクの頭に液体がかけられる。カテリーナが手にしていたワインだった。
「あら、失礼。あまりに臭かったので思わず」
カテリーナはそう言い放った。
カテリーナは若干22歳にして上位の古語魔法にすら手が届こうかという実力の持ち主で、下級貴族出身だが4年ほど前に家を飛び出し“夜明けの翼”に加入したという人物だった。
それだけ聞くとお転婆令嬢といった経歴だが、その見た目は令嬢というよりは高級娼婦といった方がしっくり来るものだった。
濃い紫色の豊かな髪と男好きする美貌、身に着けるローブは古代魔法帝国製の魔法のローブを手直ししたもので、その魅惑的な体の線を強調していた。肌の露出は少ないが、なんともいえない色香があった。
ちなみに彼女が使う魔法の発動体は、右手人指し指にはめた指輪だった。それも古代魔法帝国時代に作られた、魔力強化の効果がある品物だ。
エイクは屈辱に歯をかみ締めながらも、無視して銀貨を拾い立ち去ろうとした。しかし続く言葉は無視できなかった。
「息子がそんな有様では、強いと言われていた父親が最期は魔物から逃げ惑った挙句に食べられてしまったというのも納得ね」
「訂正しろ。親父は逃げてなどいない」
エイクはカテリーナの方を振り向くと、そう言って詰め寄った。
しかし、すかさず間に入ったガルバがエイクの足を払う。エイクはその動きも目では捉えていたが、体はやはり思うように動かず、かわすことができなかった。
ガルバは仰向けに倒れたエイクの胸を踏みつけた。
ガルバの身長はエイクより幾分低かったが、ガッチリとした体形で体重は明らかにエイクを超えており、板金鎧を着込み、ラウンドシールドまで背負っていた。そのラウンドシールドも成竜の鱗で補強されている。
エイクは自分に掛けられる重量によってたちまち呼吸困難に陥った。
そのエイクに更に雑言が浴びせかけられる。
「お父様なんと呼ばれていたのだったかしら?借金王?踏み倒し王?
その情けないお父様も、子どもがこんな役立たずに育ったと知ったら、さすがに魔物のお腹の中で恥ずかしがっているでしょうね」
「だッ、黙れ、お、親父は……」
懸命に抗議しようとするエイクの顔に瓶から直接ワインが浴びせかけられた。
「ッ、ガッ、ゴホッ」
たまらず咳き込むエイクを見て、カテリーナは口元を手で隠しながら、堪えきれないというように笑った。
「ふふッ、本当に無様、ふふふ」
それにつられたように周りからも笑い声が上がった。
「ハハハハハハ」
ひときわ豪快に笑い声をあげたのは、40歳ほどに見える恰幅の良い赤ら顔の男、奥から出てきていた店主のガゼックだった。
彼の娘のマーニャも、口元を隠しながら声を立てて笑っていた。
エイクは怒りのあまり、目の前が真っ赤に染まっていくかのように感じた。
彼らの余りの行いに、何人かの冒険者はさすがに不快そうな様子を見せていた。
“夜明けの翼”のメンバーの1人であるテティスも、エルフの血を引く者らしい端正な顔を不快気に歪めている。パーティメンバー達の行いを非道なものと思っているのは明らかだった。しかし、新入りである自分の立場を慮ったのか、彼は何も口出ししなかった。
他の者達も、この店における最有力冒険者達の行いに、抗議することはなかった。
「おいおい、そのくらいにしておけよ」
そう声を掛けたのは、椅子に座ったままニヤついていたテオドリックだ。
「おい、訂正しろ、だったか?そうだな、確かにお前の親父が魔物から逃げたって話はなかったな」
その声を受けガルバは足をどけた。
「侘びだ。とっておけよ」
そう言ってテオドリックは100G銀貨を放り投げた。
複数のマジックアイテムすら保有する上級の冒険者にとっては、端金なのだろう。
エイクはその銀貨を拾って立ち上がった。
金はあって困る事はない。彼には自分のプライドなどよりも重要なものがあった。
「まあ、最期が魔物の餌ってのは、事実だがな」
テオドリックからそんな言葉が更に浴びせられた。
エイクは無視して足早に店を後にした、店からはそんな彼を嘲笑する声が聞こえた。
(全員殺してやる。女は犯して殺す)
猛烈な怒りに捉われたエイクの脳裏に、嘲笑した者全員を切り刻み、女達は無茶苦茶に犯してそのまま絞め殺す妄想が浮かんだ。しかし直ぐにそれを振り払う。
出来もしない妄想で自らを慰めるのは余りにも惨めだったし、それ以上に時間の無駄だった。
非力弱小の身で父の復仇という大望を抱く彼には、無駄にしていい時間など一瞬たりとも存在しない。
無意味な妄想に耽るくらいなら、今までの戦いを思い出してより効率的な戦い方を考察するべきだし、一刻も早く帰宅して剣を振るうべきだ。
街を足早に歩くもの、より早く足音を立てずに歩く為の訓練だ。
そして、オドの感知と制御の訓練は、意識さえあればいついかなる時でも行える。
そう考え、それを実行しながら足を進める。
だが、彼に宿ったどす黒い憎悪と、業火のごとき復讐への欲望は、心の奥底に隠されただけで、けして薄れてはいなかった。
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