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卯花さんの事情 後
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『松花院撫子』こと松下大和は全てが真逆の人間だった。
背も高く肉厚で、いっそ精悍な顔立ちで華やかさとは程遠い。
そう、あの日喫茶店で軽く触れた時もカチリと合った目線も同じ場所にあった。
自分は小柄で可愛らしいタイプが好きなのだ、これではない。
そう思いつつも目が離せない、なにかがおかしい。
失礼なことをした高木に優しく声をかけ、高木を慮りあまつさえこちらこそありがとうと感謝したオメガの男。
心から嬉しいと蕩けるような笑顔、裏も表もない素直な表情。
ぐいと引っ張られるような感覚を覚えて目眩さえしそうだ。
箸の持ち方、運び方、所作が洗練されていて美しい。
口から零れる言葉は愛らしく、体躯に見合わない物腰の柔らかさをもち、そしてやっぱり天真爛漫な笑顔に心を打たれた。
「編集長、私やっぱり撫子先生の担当クビですか?」
「え?」
「だって、編集長が連絡しますって」
「そんなこと言ったか?」
「言いましたよ」
どよんと沈んだ高木に、そのまま担当でと言い含めたが頭の中はそんなこと言っただろうかとそればかり考えていた。
カシャカシャとシャッター音が鳴る、カメラ目線で微笑む彼をいつも通り綺麗だと思う。
華奢で愛らしくてあの潤んだ瞳に見つめられると、あぁでも今は──
「敬ちゃん?」
「え?」
「最近、変じゃない?忙しいの?」
「いや、・・・」
こてんと首を傾げる仕草、上目遣いの大きな眼、サラリと零れる痛みのない髪。
「あぁ、忙しくて。だから、次の撮影には来られない」
「えぇー!そんなの寂しいよ」
「そんなことないだろ?」
「だって、敬一さんもいつもいつも忙しいって。敬ちゃんまでそんなこと言うの?」
私を二番にするの?と訴えかけるような眼差しに耐えられなくなって、逃げるようにその場を去った。
あの瞳に見つめられるのが好きだった、拗ねたようにぷくりと膨らむ頬が可愛いかった、けれど今は苦痛でしかない。
こんなのは間違っている、少し距離を置けば元通りになるはず、あの感覚を忘れられるはず。
「編集長、撮影スタジオ行ってきます」
「あぁ、ブツ撮りか」
「はい。梅園さんが撮影見学したいらしくて、ちょうどいいので撫子先生への話も聞いてきます」
そう思っていたのに、あははと屈託なく笑うのを見ている。
本当は来なくて良かった、良かったのにあの感覚の正体を掴みたくて足を運んでしまった。
がっしりした体躯を揺らして友人とぴたりとくっついている。
どちらかと言えばあっちの小柄な方が好みなのにそっちには微塵も興味が湧かない。
それより友人の距離感とはあんなものなんだろうか、と思った。
アルファは概ね体格がいい、健康で頑丈でそれは弱き者を守る為のものだ。
現に自分も特にスポーツをしていたわけでもないのに体躯はいいからきっと、とまた頭がふわふわと勝手なことを考えてしまう。
振り払うように頭を振って、コホンとひとつ咳払いをした。
「卯花編集長、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ご足労いただきまして」
「あの、僕なんかにこんなこと言われたくないと思いますけど」
「はい?」
「無理なさらないでください」
高木さんとは良い関係を築けてますので、と後に続いた大和の言葉は卯花の耳には届かなかった。
無理しないで、と言う言葉に自分のこれまでの人生を壊された気がしたから。
真四角の水色のハンカチにはぐるりと濃い青い糸でステッチが施されていて、隅には黄色の蝶が二匹舞っている。
顔を埋めるとほんの微かにラベンダーが香った気がした。
「最近、可愛いハンカチ持ってるね」
「・・・広海、どうして」
「次の号の表紙の打ち合わせ」
ぐるりと編集部を見渡して、忙しいの?と聞かれて声が詰まった。
「高木さんだっけ?さっき会ったんだけどその刺繍みたいなヘアゴム使ってたけど、二人ってなにかあるの?」
「は?高木と?何言ってんだ、馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、その手のハンカチになにかあるんだね?」
自分がどんな表情をしているのかわからない、ただ目の前の美しい顔が歪んだ気がした。
蠱惑的だと思った瞳が狡猾に見えて、麗しいと思っていた唇がにんまりと弧を描くのに背筋が震えた。
それから『松花院撫子』の刺繍作品は次々に売れ、雑誌掲載前には軒並み在庫切れになった。
刺繍作家として名を売るならば、またとないチャンスを棒に振るようなそれ。
体調でも悪いのか、とたまらず駆けつけた先で聞かされた事実。
通常では起こらなかったことが起こっているという。
あぁ、あの時あの表情の意味をもっと深く考えるべきだった。
──日常に彩りを添える手伝いが出来たらいいかなって。どれも一点物なので、それを身につけることで『特別』なんだって、自分に自信を持つきっかけになってくれれば嬉しいです。
発売された雑誌のインタビュー、顔は見えないのに弾む声がどこからともなく聞こえてきた気がした。
握りしめたハンカチはやっぱりしわくちゃになって、けれどこれは決意の現れ。
自分の人生を取り戻すために力強く握った決意の拳だ。
※卯花さんは31歳
背も高く肉厚で、いっそ精悍な顔立ちで華やかさとは程遠い。
そう、あの日喫茶店で軽く触れた時もカチリと合った目線も同じ場所にあった。
自分は小柄で可愛らしいタイプが好きなのだ、これではない。
そう思いつつも目が離せない、なにかがおかしい。
失礼なことをした高木に優しく声をかけ、高木を慮りあまつさえこちらこそありがとうと感謝したオメガの男。
心から嬉しいと蕩けるような笑顔、裏も表もない素直な表情。
ぐいと引っ張られるような感覚を覚えて目眩さえしそうだ。
箸の持ち方、運び方、所作が洗練されていて美しい。
口から零れる言葉は愛らしく、体躯に見合わない物腰の柔らかさをもち、そしてやっぱり天真爛漫な笑顔に心を打たれた。
「編集長、私やっぱり撫子先生の担当クビですか?」
「え?」
「だって、編集長が連絡しますって」
「そんなこと言ったか?」
「言いましたよ」
どよんと沈んだ高木に、そのまま担当でと言い含めたが頭の中はそんなこと言っただろうかとそればかり考えていた。
カシャカシャとシャッター音が鳴る、カメラ目線で微笑む彼をいつも通り綺麗だと思う。
華奢で愛らしくてあの潤んだ瞳に見つめられると、あぁでも今は──
「敬ちゃん?」
「え?」
「最近、変じゃない?忙しいの?」
「いや、・・・」
こてんと首を傾げる仕草、上目遣いの大きな眼、サラリと零れる痛みのない髪。
「あぁ、忙しくて。だから、次の撮影には来られない」
「えぇー!そんなの寂しいよ」
「そんなことないだろ?」
「だって、敬一さんもいつもいつも忙しいって。敬ちゃんまでそんなこと言うの?」
私を二番にするの?と訴えかけるような眼差しに耐えられなくなって、逃げるようにその場を去った。
あの瞳に見つめられるのが好きだった、拗ねたようにぷくりと膨らむ頬が可愛いかった、けれど今は苦痛でしかない。
こんなのは間違っている、少し距離を置けば元通りになるはず、あの感覚を忘れられるはず。
「編集長、撮影スタジオ行ってきます」
「あぁ、ブツ撮りか」
「はい。梅園さんが撮影見学したいらしくて、ちょうどいいので撫子先生への話も聞いてきます」
そう思っていたのに、あははと屈託なく笑うのを見ている。
本当は来なくて良かった、良かったのにあの感覚の正体を掴みたくて足を運んでしまった。
がっしりした体躯を揺らして友人とぴたりとくっついている。
どちらかと言えばあっちの小柄な方が好みなのにそっちには微塵も興味が湧かない。
それより友人の距離感とはあんなものなんだろうか、と思った。
アルファは概ね体格がいい、健康で頑丈でそれは弱き者を守る為のものだ。
現に自分も特にスポーツをしていたわけでもないのに体躯はいいからきっと、とまた頭がふわふわと勝手なことを考えてしまう。
振り払うように頭を振って、コホンとひとつ咳払いをした。
「卯花編集長、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ご足労いただきまして」
「あの、僕なんかにこんなこと言われたくないと思いますけど」
「はい?」
「無理なさらないでください」
高木さんとは良い関係を築けてますので、と後に続いた大和の言葉は卯花の耳には届かなかった。
無理しないで、と言う言葉に自分のこれまでの人生を壊された気がしたから。
真四角の水色のハンカチにはぐるりと濃い青い糸でステッチが施されていて、隅には黄色の蝶が二匹舞っている。
顔を埋めるとほんの微かにラベンダーが香った気がした。
「最近、可愛いハンカチ持ってるね」
「・・・広海、どうして」
「次の号の表紙の打ち合わせ」
ぐるりと編集部を見渡して、忙しいの?と聞かれて声が詰まった。
「高木さんだっけ?さっき会ったんだけどその刺繍みたいなヘアゴム使ってたけど、二人ってなにかあるの?」
「は?高木と?何言ってんだ、馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、その手のハンカチになにかあるんだね?」
自分がどんな表情をしているのかわからない、ただ目の前の美しい顔が歪んだ気がした。
蠱惑的だと思った瞳が狡猾に見えて、麗しいと思っていた唇がにんまりと弧を描くのに背筋が震えた。
それから『松花院撫子』の刺繍作品は次々に売れ、雑誌掲載前には軒並み在庫切れになった。
刺繍作家として名を売るならば、またとないチャンスを棒に振るようなそれ。
体調でも悪いのか、とたまらず駆けつけた先で聞かされた事実。
通常では起こらなかったことが起こっているという。
あぁ、あの時あの表情の意味をもっと深く考えるべきだった。
──日常に彩りを添える手伝いが出来たらいいかなって。どれも一点物なので、それを身につけることで『特別』なんだって、自分に自信を持つきっかけになってくれれば嬉しいです。
発売された雑誌のインタビュー、顔は見えないのに弾む声がどこからともなく聞こえてきた気がした。
握りしめたハンカチはやっぱりしわくちゃになって、けれどこれは決意の現れ。
自分の人生を取り戻すために力強く握った決意の拳だ。
※卯花さんは31歳
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