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ミュウの世界
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王都『ガーデ・ドラン』は王城を中心に半円状に広がる街だ。
そこの端、貴族街にも属さない区画にオブリス邸はあった。庭だけはだだっ広く、小さな二階家は庶民の家とさほど変わりない。
そこにミュウ達は深夜に辿り着いた。夜明けにラックスベルを出立しそのまま山の木々を潜り抜け、崖を飛び越え走り通してきた。
「おっちゃーん!」
玄関にある獅子の形のノッカーを鳴らすと、ドタドタと忙しない音が聞こえてバンと扉が開いた。
「ミー坊、無事やったか」
「当たり前やろ」
ひひひと肩を竦めて笑うミュウをメイソン・オブリスはぎゅうと抱きしめる。ジェジェはその様子を見届けてから、ナッツ達を庭に建ててあるイヌゥ小屋へと連れていった。
オブリス邸の一階の応接間にて、はちみつ入りのホットミルクを飲みミュウは一息ついた。
そんなミュウの様子を見てメイソンはにこやかに笑う。その隣にはメイソンの奥さんのサーシャがこれまたにこにこと笑っていた。
「せやけどびっくりしたで、夕方いきなり頭領から『ミュウがそっちいくで』って手紙が来た時は」
「夕方かぁ、やっぱりポッポは早いなぁ」
「そら地を走るもんより空飛ぶもんの方が早いやろ」
ポッポはラックスベルとオブリス邸を行き来する、いわゆる伝書鳥だ。茶色と白の混じった大鳥で鷹に似ている。
せやなぁ、とミュウは小さなビスケットを口に放り込む。素朴な甘さのそれにほんのちょっぴり岩塩がふってあってとても美味しい。
「で?縁談のことで来たんか?」
「それしかあらへんやろ」
「やっぱりそうか、あんな…」
「あんた、もう遅いねんから先に休んだほうがええわ。なぁ?兄ちゃん」
あ、すっかり忘れてたけどここにはもう一人ジェジェもいたんだった。振り向くと応接間の戸口にはジェジェが仁王立ちで立っており、じろりとミュウを見下ろしていた。
「ミー坊、疲れをとる方が先や。はよ寝え」
「…はーい」
ミー坊おいで、とサーシャに手をとられ応接間を後にする。ジェジェの妹のサーシャ、大柄な所がジェジェにそっくりで背はミュウよりも高い。けれど菓子作りが上手で歌が上手くて、サーシャがメイソンに嫁ぐとなった時には大泣きしたものだ。
二階の客室はベッドとテーブルがあるだけで、急に来たにも関わらずベッドはふかふかでお日様の匂いがした。
「ミー坊、まだ夢を見る?」
「ん?あー、うん。たまに、たまにやで?」
「そう」
心配するように眉根を下げるサーシャに「歌って」とミュウはねだる。声もたてずに笑ったサーシャは小さな声で歌う、湖に古くから伝わる子守歌。ミュウは幼い子ではない、けれどそのしっとりとした調子に瞼が自然に落ちていく。
湖の底へと導かれるように深く落ちていく。
ほら見や 魚が跳ねた
お前の好きな金の魚
ほら見や 鳥が飛ぶ
お前の好きな青い鳥
ほら見や 葉が落ちる
お前の好きな緑の葉
ほら見や 花が咲く
お前の好きな赤い花
さあ おやすみ 可愛い子
その目に映るは真実
こぼれ落ちた言葉も
耳を擽る恋しい音も
鼻先掠める甘い匂いも
それはすべてほんとう
さあ おやすみ 愛しい子
カサリと乾いた紙の音、小さな手がページを捲っている。挿絵には揺らめく炎に向かう鎧の騎士が一人、今にも振り向きそうな横顔がほんの少しだけ見えた。
中表紙の騎士ではない、中表紙の騎士は軍服を纏い長い髪を肩のあたりでひとつに結わえていた。
──火のついた矢が雨あられとなってエディンデル軍に向かって放たれます。けれどその矢が届くことはありません。なぜなら蒼い炎の盾がそれらを飲み込んでいくからです。
『大尉、一度退きましょう。防げたとしても、このままでは進軍できません』
リールデイル大尉はじっと眼前の砦を睨みつけ動きません。力強く地面に立ち、組んだ腕は丸太のようでした。
『…どうして奴らは我らがここに攻め入るとわかったんだ?おかしいと思わないか?』
部下のこめかみからたらりと汗が一筋流れ落ちます。
唾を飲み込むゴクリという音がどこからか聞こえてきました。
リールデイル大尉は組んでいた腕を解き左手を天に突き上げ、その手のひらをぐっと握ったその時、盾のように横に伸びていた蒼い炎が一気に集まり火柱がたちました。
遅れて見上げた部下はひぃと思わず後ずさりしました。
真っ赤に燃えた大岩が降ってくるのです。
その大岩をひたと見つめリールデイル大尉は今度は握った拳を開きました。
その動きに合わせるように蒼い炎が大岩を包みました。
それはまるで獣が大きな口で獲物を捕らえるかのように見えました。
蒼い炎の中で真っ赤な大岩はぐるぐると回り、バンと大きな音を立てて弾けました。
パラパラと落ちてくる小石はまるで雨のようでした。
高揚感が否応なしにミュウに流れこんでくる。ワクワクとドキドキと好奇心と期待感。
それはそうだろう、それはただの物語だ。紙に書かれた文字列、そこには血も肉もない。だから純粋に楽しめるのだ。
けれどミュウは違う、ミュウは知ってしまった。命無き物語の中で生きていることに。そこは血が流れ肉体があり呼吸している。
ページを捲る小さな手、あぁあれはやっぱり僕だと改めて確信する。かつての自分が読んだ物語の中にいる。
ワオーンと鳴く声で目が覚めた。昨日と同様に動悸と手足の痺れがある。慣れない場所でナッツが不安になっている。行ってやらなきゃ、そう思うのに動けない。
「なんで…」
舞い込んだ縁談は王子じゃなかった、リールデイル大尉だった。初手から違う、この物語の主人公は誰だったろう。
また夢を見なくちゃいけない、すでに破綻したこの物語で僕にできることを探さなければ。
※予約ミスしてました。毎日確認しないとダメですね、ほんとにすみません。本日分と合わせて2話投稿します。
そこの端、貴族街にも属さない区画にオブリス邸はあった。庭だけはだだっ広く、小さな二階家は庶民の家とさほど変わりない。
そこにミュウ達は深夜に辿り着いた。夜明けにラックスベルを出立しそのまま山の木々を潜り抜け、崖を飛び越え走り通してきた。
「おっちゃーん!」
玄関にある獅子の形のノッカーを鳴らすと、ドタドタと忙しない音が聞こえてバンと扉が開いた。
「ミー坊、無事やったか」
「当たり前やろ」
ひひひと肩を竦めて笑うミュウをメイソン・オブリスはぎゅうと抱きしめる。ジェジェはその様子を見届けてから、ナッツ達を庭に建ててあるイヌゥ小屋へと連れていった。
オブリス邸の一階の応接間にて、はちみつ入りのホットミルクを飲みミュウは一息ついた。
そんなミュウの様子を見てメイソンはにこやかに笑う。その隣にはメイソンの奥さんのサーシャがこれまたにこにこと笑っていた。
「せやけどびっくりしたで、夕方いきなり頭領から『ミュウがそっちいくで』って手紙が来た時は」
「夕方かぁ、やっぱりポッポは早いなぁ」
「そら地を走るもんより空飛ぶもんの方が早いやろ」
ポッポはラックスベルとオブリス邸を行き来する、いわゆる伝書鳥だ。茶色と白の混じった大鳥で鷹に似ている。
せやなぁ、とミュウは小さなビスケットを口に放り込む。素朴な甘さのそれにほんのちょっぴり岩塩がふってあってとても美味しい。
「で?縁談のことで来たんか?」
「それしかあらへんやろ」
「やっぱりそうか、あんな…」
「あんた、もう遅いねんから先に休んだほうがええわ。なぁ?兄ちゃん」
あ、すっかり忘れてたけどここにはもう一人ジェジェもいたんだった。振り向くと応接間の戸口にはジェジェが仁王立ちで立っており、じろりとミュウを見下ろしていた。
「ミー坊、疲れをとる方が先や。はよ寝え」
「…はーい」
ミー坊おいで、とサーシャに手をとられ応接間を後にする。ジェジェの妹のサーシャ、大柄な所がジェジェにそっくりで背はミュウよりも高い。けれど菓子作りが上手で歌が上手くて、サーシャがメイソンに嫁ぐとなった時には大泣きしたものだ。
二階の客室はベッドとテーブルがあるだけで、急に来たにも関わらずベッドはふかふかでお日様の匂いがした。
「ミー坊、まだ夢を見る?」
「ん?あー、うん。たまに、たまにやで?」
「そう」
心配するように眉根を下げるサーシャに「歌って」とミュウはねだる。声もたてずに笑ったサーシャは小さな声で歌う、湖に古くから伝わる子守歌。ミュウは幼い子ではない、けれどそのしっとりとした調子に瞼が自然に落ちていく。
湖の底へと導かれるように深く落ちていく。
ほら見や 魚が跳ねた
お前の好きな金の魚
ほら見や 鳥が飛ぶ
お前の好きな青い鳥
ほら見や 葉が落ちる
お前の好きな緑の葉
ほら見や 花が咲く
お前の好きな赤い花
さあ おやすみ 可愛い子
その目に映るは真実
こぼれ落ちた言葉も
耳を擽る恋しい音も
鼻先掠める甘い匂いも
それはすべてほんとう
さあ おやすみ 愛しい子
カサリと乾いた紙の音、小さな手がページを捲っている。挿絵には揺らめく炎に向かう鎧の騎士が一人、今にも振り向きそうな横顔がほんの少しだけ見えた。
中表紙の騎士ではない、中表紙の騎士は軍服を纏い長い髪を肩のあたりでひとつに結わえていた。
──火のついた矢が雨あられとなってエディンデル軍に向かって放たれます。けれどその矢が届くことはありません。なぜなら蒼い炎の盾がそれらを飲み込んでいくからです。
『大尉、一度退きましょう。防げたとしても、このままでは進軍できません』
リールデイル大尉はじっと眼前の砦を睨みつけ動きません。力強く地面に立ち、組んだ腕は丸太のようでした。
『…どうして奴らは我らがここに攻め入るとわかったんだ?おかしいと思わないか?』
部下のこめかみからたらりと汗が一筋流れ落ちます。
唾を飲み込むゴクリという音がどこからか聞こえてきました。
リールデイル大尉は組んでいた腕を解き左手を天に突き上げ、その手のひらをぐっと握ったその時、盾のように横に伸びていた蒼い炎が一気に集まり火柱がたちました。
遅れて見上げた部下はひぃと思わず後ずさりしました。
真っ赤に燃えた大岩が降ってくるのです。
その大岩をひたと見つめリールデイル大尉は今度は握った拳を開きました。
その動きに合わせるように蒼い炎が大岩を包みました。
それはまるで獣が大きな口で獲物を捕らえるかのように見えました。
蒼い炎の中で真っ赤な大岩はぐるぐると回り、バンと大きな音を立てて弾けました。
パラパラと落ちてくる小石はまるで雨のようでした。
高揚感が否応なしにミュウに流れこんでくる。ワクワクとドキドキと好奇心と期待感。
それはそうだろう、それはただの物語だ。紙に書かれた文字列、そこには血も肉もない。だから純粋に楽しめるのだ。
けれどミュウは違う、ミュウは知ってしまった。命無き物語の中で生きていることに。そこは血が流れ肉体があり呼吸している。
ページを捲る小さな手、あぁあれはやっぱり僕だと改めて確信する。かつての自分が読んだ物語の中にいる。
ワオーンと鳴く声で目が覚めた。昨日と同様に動悸と手足の痺れがある。慣れない場所でナッツが不安になっている。行ってやらなきゃ、そう思うのに動けない。
「なんで…」
舞い込んだ縁談は王子じゃなかった、リールデイル大尉だった。初手から違う、この物語の主人公は誰だったろう。
また夢を見なくちゃいけない、すでに破綻したこの物語で僕にできることを探さなければ。
※予約ミスしてました。毎日確認しないとダメですね、ほんとにすみません。本日分と合わせて2話投稿します。
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