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ミュウの世界
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王都『ガーデ・ドラン』までは隣領ハーブンゲルクを抜け、三つの領地を通り抜ける街道を行くのが王道だ。ここラックスベルは王都から対角線で結ぶ端と端の位置関係にあり、ラックスベルからひたすらに南下した先に王都がある。ただその対角線上には切り立った山があり、険しいそれを超えて行く者はいない。馬だと三日ほど、湖を源にして各地へと流れる川をのんびりと船で行くなら四日、その山を大きく迂回する形で行く。
けれど、湖の民には抜け道がある。隠し森を抜けて国境沿いの山脈をイヌゥで駆け抜けるのだ。イヌゥは馬のように臆病ではないし、ぬかるみを嫌うこともなく、また暖かな毛皮は予期せぬ野宿する羽目になったとしても大層役にたつ。
そのイヌゥであるナッツの背に乗ってミュウはジェジェと共に王都へと旅立った。
木漏れ日の差す隠し森を銀の髪をたなびかせ颯爽と駆けて行くミュウは出がけのことを思い返していた。
「ミュウ、お父ちゃんのピッピやったらもっと早いで?」
「あかんて、ピッピはうちの戦力でもあんねんから。それにナッツが怒るわ」
なぁナッツ?とミュウは傍らで座るナッツの耳を擽る。クゥンとナッツは喉から甘えた声を出しながらミュウに擦り寄った。
「せやけど…やっぱりお父ちゃんも一緒に…」
「だーかーらー、それこそあかんやろって」
「そうやで?だからお母ちゃんがミュウと行くわ」
「あかん!ヴィヴィは俺とおらなあかん!」
「ほんならジェジェに任しとき。なぁ?」
「そうやで頭領、心配なんはわかるけど、このジェジェがミー坊にはついとるさかいな」
お父ちゃんとお母ちゃんはホンマに仲ええなぁ、とミュウは脳裏に浮かぶ二人を思いクスリと笑う。いつか僕にもそんな相手ができたらええな、と思う。
「ミー坊」
「なんや」
「…夢、見んかったか?」
振り返ったジェジェのその顔、困惑と緊張を孕んだその表情にミュウは一拍遅れて首を振った。
そうか、とあからさまに安心したようなジェジェにミュウは笑ってまた前を向く。
ナッツの艶々の象牙色の角、思えばこの角から始まった。
前世の記憶があったとて、今生きているのはここなのだからミュウは前世のことを口にはしていなかった。
けれど十歳になるかならないかのある日、ナッツの角を撫でながら言ってしまった。
「ナッツの角は象牙色で綺麗やなぁ」
淡い黄白色のそれ、「ぞうげってなんや」と父は聞いた。
しまった、とミュウは思った。この世界に象はいないのか、と。
イヌゥの角は基本的に乳白色でジェジェのミンティもそうだ。けれどナッツのそれは少し黄味がかっていて、ナッツの茶毛によく似合っていた。
「ゆ、ゆめで…」
「夢?」
「うん、夢に象って大きい動物が出てきてそれに牙があってその色に似とって…」
お父ちゃん青ざめとったなぁ、とミュウは記憶の中の父を思い浮かべた。前世の記憶は夢のせいにしよう、たまに夢に見るのだと。
子どもの言い訳、でまかせに空想、父ならきっと笑って流してくれるだろう、だからミュウは開き直った。前世の記憶を夢だと言ってその知識を披露し始めた。
ミュウは前世の記憶があることを誰にも告げることなく、前世の知識で見様見真似で作ったピザ窯やアイスクリーム等は夢で見たと曖昧に濁していた。元々あった水車を改良し洗濯機もどきを作ってみたり、朧気に書いたわかりにくい自転車の設計図は手先の器用な者がそれを作った。
そんなことが重なって、それが今ではミュウの固有能力ということになっている。
「ミュウ、その力は″夢見″だ。世界を見渡し見通すことのできる稀有な能力だ」
しばらく静観していた父が出した結論は夢見ということだった。実際に象は実在したという、数えきれないくらい遥か遠い遠い古代の動物。
とんでもない能力だ、そう言われて頷くしかなかった。夢なんて嘘でした、なんて今更言えない。
ミュウからすれば過去視なのだが、父母からすればそれは世界を見渡す力だと思われている為にミュウの能力は秘匿されているのである。
その夢が嘘であるうちはまだ良かった、ミュウは昨夜とうとう夢を見た。目覚めた時に忘れてしまうような、自分に羽が生えて空を飛ぶようなそんな夢らしい夢ではない。
空の青を映す透明な湖に放り込まれどぶどぶと沈んでいく。美しく透明なそれはどんどんと暗くなっていき、沈んだその先にぴかりと光る輝きに向かって引っ張られた。
目を開けたその先は何の変哲もない一室、だけどひどく懐かしい。
窓がひとつ開け放たれていて群青のカーテンが風に揺れていた。その窓を今のミュウより小さな手が閉めた。窓の外は家がぎゅうぎゅうに建ち並び、時折チリンチリンと自転車のベルの音が聞こえた。
ミュウの目の前には一冊の本があり、小さな手がその表紙を撫でていた。深緑のつるりとした手触りの表紙『エディンデル物語』とタイトルがありその回りは蔦で囲まれている。開いたその先にも表紙と同じ中表紙があり、そこには一人の騎士が描かれていた。
ミュウはドキドキと高鳴る鼓動を抑えることができない、ぱらりと捲られたページには世界の成り立ちが書かれ物語が始まっている。ミュウの意識など関係なく小さな手の持ち主はその文章を目で追っていく。
特別な力、湖の深窓の姫、秘密の結婚式、そして…エディンデル国。挿絵には細かいレースのベールで覆われた姫の立ち姿が繊細なタッチで描かれていた。腹のところで添えられた指先がベールから覗いている。左手の小指が僅かに傷ついているように見える。ただの印刷のミスであってほしいとミュウは思った。
なぜならミュウにも小指に傷がある、ナッツに乗る練習中にその背中から落ちたのだ。落ちたその先に運悪く尖った石があり手を傷つけた、とりわけ小指への傷は深くその跡はまだ薄らと残っている。
まさか、という思いがミュウの全身を駆け巡る。
目覚めた時は動悸と目眩、そして手足の痺れがしばらく治まらなかった。信じられない、信じたくない。
だけど自分はこの先きっと何度もこの夢を見る、そんな予感に自然と涙が出た。
誰にも言えない、両親にもジェジェにも、もちろんナッツにも言えない。
けれど、湖の民には抜け道がある。隠し森を抜けて国境沿いの山脈をイヌゥで駆け抜けるのだ。イヌゥは馬のように臆病ではないし、ぬかるみを嫌うこともなく、また暖かな毛皮は予期せぬ野宿する羽目になったとしても大層役にたつ。
そのイヌゥであるナッツの背に乗ってミュウはジェジェと共に王都へと旅立った。
木漏れ日の差す隠し森を銀の髪をたなびかせ颯爽と駆けて行くミュウは出がけのことを思い返していた。
「ミュウ、お父ちゃんのピッピやったらもっと早いで?」
「あかんて、ピッピはうちの戦力でもあんねんから。それにナッツが怒るわ」
なぁナッツ?とミュウは傍らで座るナッツの耳を擽る。クゥンとナッツは喉から甘えた声を出しながらミュウに擦り寄った。
「せやけど…やっぱりお父ちゃんも一緒に…」
「だーかーらー、それこそあかんやろって」
「そうやで?だからお母ちゃんがミュウと行くわ」
「あかん!ヴィヴィは俺とおらなあかん!」
「ほんならジェジェに任しとき。なぁ?」
「そうやで頭領、心配なんはわかるけど、このジェジェがミー坊にはついとるさかいな」
お父ちゃんとお母ちゃんはホンマに仲ええなぁ、とミュウは脳裏に浮かぶ二人を思いクスリと笑う。いつか僕にもそんな相手ができたらええな、と思う。
「ミー坊」
「なんや」
「…夢、見んかったか?」
振り返ったジェジェのその顔、困惑と緊張を孕んだその表情にミュウは一拍遅れて首を振った。
そうか、とあからさまに安心したようなジェジェにミュウは笑ってまた前を向く。
ナッツの艶々の象牙色の角、思えばこの角から始まった。
前世の記憶があったとて、今生きているのはここなのだからミュウは前世のことを口にはしていなかった。
けれど十歳になるかならないかのある日、ナッツの角を撫でながら言ってしまった。
「ナッツの角は象牙色で綺麗やなぁ」
淡い黄白色のそれ、「ぞうげってなんや」と父は聞いた。
しまった、とミュウは思った。この世界に象はいないのか、と。
イヌゥの角は基本的に乳白色でジェジェのミンティもそうだ。けれどナッツのそれは少し黄味がかっていて、ナッツの茶毛によく似合っていた。
「ゆ、ゆめで…」
「夢?」
「うん、夢に象って大きい動物が出てきてそれに牙があってその色に似とって…」
お父ちゃん青ざめとったなぁ、とミュウは記憶の中の父を思い浮かべた。前世の記憶は夢のせいにしよう、たまに夢に見るのだと。
子どもの言い訳、でまかせに空想、父ならきっと笑って流してくれるだろう、だからミュウは開き直った。前世の記憶を夢だと言ってその知識を披露し始めた。
ミュウは前世の記憶があることを誰にも告げることなく、前世の知識で見様見真似で作ったピザ窯やアイスクリーム等は夢で見たと曖昧に濁していた。元々あった水車を改良し洗濯機もどきを作ってみたり、朧気に書いたわかりにくい自転車の設計図は手先の器用な者がそれを作った。
そんなことが重なって、それが今ではミュウの固有能力ということになっている。
「ミュウ、その力は″夢見″だ。世界を見渡し見通すことのできる稀有な能力だ」
しばらく静観していた父が出した結論は夢見ということだった。実際に象は実在したという、数えきれないくらい遥か遠い遠い古代の動物。
とんでもない能力だ、そう言われて頷くしかなかった。夢なんて嘘でした、なんて今更言えない。
ミュウからすれば過去視なのだが、父母からすればそれは世界を見渡す力だと思われている為にミュウの能力は秘匿されているのである。
その夢が嘘であるうちはまだ良かった、ミュウは昨夜とうとう夢を見た。目覚めた時に忘れてしまうような、自分に羽が生えて空を飛ぶようなそんな夢らしい夢ではない。
空の青を映す透明な湖に放り込まれどぶどぶと沈んでいく。美しく透明なそれはどんどんと暗くなっていき、沈んだその先にぴかりと光る輝きに向かって引っ張られた。
目を開けたその先は何の変哲もない一室、だけどひどく懐かしい。
窓がひとつ開け放たれていて群青のカーテンが風に揺れていた。その窓を今のミュウより小さな手が閉めた。窓の外は家がぎゅうぎゅうに建ち並び、時折チリンチリンと自転車のベルの音が聞こえた。
ミュウの目の前には一冊の本があり、小さな手がその表紙を撫でていた。深緑のつるりとした手触りの表紙『エディンデル物語』とタイトルがありその回りは蔦で囲まれている。開いたその先にも表紙と同じ中表紙があり、そこには一人の騎士が描かれていた。
ミュウはドキドキと高鳴る鼓動を抑えることができない、ぱらりと捲られたページには世界の成り立ちが書かれ物語が始まっている。ミュウの意識など関係なく小さな手の持ち主はその文章を目で追っていく。
特別な力、湖の深窓の姫、秘密の結婚式、そして…エディンデル国。挿絵には細かいレースのベールで覆われた姫の立ち姿が繊細なタッチで描かれていた。腹のところで添えられた指先がベールから覗いている。左手の小指が僅かに傷ついているように見える。ただの印刷のミスであってほしいとミュウは思った。
なぜならミュウにも小指に傷がある、ナッツに乗る練習中にその背中から落ちたのだ。落ちたその先に運悪く尖った石があり手を傷つけた、とりわけ小指への傷は深くその跡はまだ薄らと残っている。
まさか、という思いがミュウの全身を駆け巡る。
目覚めた時は動悸と目眩、そして手足の痺れがしばらく治まらなかった。信じられない、信じたくない。
だけど自分はこの先きっと何度もこの夢を見る、そんな予感に自然と涙が出た。
誰にも言えない、両親にもジェジェにも、もちろんナッツにも言えない。
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