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転生遊戯
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ミュウが目覚めた後、しばらくしてフィルが目を覚ました。繋がれたままの手を確認して大いに慌て、わざとじゃない、寝入ったら部屋を出ていこうと思っていた、と言い訳をしてから、すまないと謝った。
大の大人がオタオタし過ぎ、とミュウは許すほどのことでもないけど笑って許した。むしろお礼を言いたいくらいだが、それは口に出さずにおいた。
握られた手はじわじわとミュウを温め、手足の痺れがいつもより早く治まったような気がするからだ。
「次は何が名物?」
「ん?」
そうだなぁ、とフィルとする馬上での会話はなかなかに楽しい。フィルは物知りだ。あの鳥は?あの木は?向こう側はどうなってる?ミュウのあっちこっちに逸れる質問にきちんと答えてくれる。ナッツもスウェインを追い越したり、回りをくるくると走ったりと楽しそうだ。
どこに行ってもそこでは正しく営みが築かれており、もう物語のことなんてどうでもいいなぁなんて思ってしまう。
──わからないから面白いんよ
そうやねお母ちゃん、とミュウはこっそりと呟いた。
但し、謎の夢は続いていた。
石牢の中に繋がれた人、掠れた声は男だか女だかわからない。その人はミュウが夢を見ると『いるの?』と必ず聞く。『あなただあれ?』とも。ミュウは答えない、答えたくない。最初は自分の他に誰かいるのかと思いキョロキョロと辺りを見渡して見たがねずみはおろか蜘蛛すらいなかった。ミュウに気づいている、それを確信すればますます答えられるわけがない。
その人からはぷんとすえた臭いがする。わざと放って置かれているのか、置き去りにされたのか、それとも忘れられてしまっているのか。いずれにしても酷い話だと思う。
石牢の中はチョロチョロと水の音がするだけ、天窓からはいつだって月が覗いていた。石牢には鉄の扉がひとつあり、ミュウが押しても引いてもビクともしなかった。
ミュウが黙り込んでいるとその人もそれ以上は言葉を発しなかった。たまに鼻歌のようなものを口ずさみ、かと思えば肩を揺らしてクスクスと笑う。あの金色の瞳は髪に隠され見えない。
そんな夢を数日見た後、いよいよ明日は王都へ到着するという時、異変が起こった。
『来た』
なにが?とミュウは首を捻り、看守かな?と鉄の扉を見た。けれど扉が開く様子もなにかの気配を感じることもない。ただの戯言か?と扉から視線を外すとその人が立っていた。今の今までずっと手足を放り投げて座りこんでいたのに。
ひっとミュウの喉から小さく悲鳴が漏れた。ゆらゆらと体を揺らしながら一歩、また一歩と歩いている。
ペたり、ぺたり、ぺたり───
どういうわけか足枷が外れている。ミュウは後ずさった、けれど狭い石牢の中ではすぐに背中が冷たく濡れた石壁に触れてしまう。月光の中、その姿が徐々に明らかになっていく。
漆黒の乱れた髪、金色の瞳、真っ赤な唇は横に妙に大きかった、そして───半身は鱗で覆われていた。
『醜いでしょう?』
そう言うと真っ赤な唇からチロリと細長い舌が飛び出した。
そうだ、とも、そうでないとも言えない。ただただ恐ろしい。石壁に追い詰められ目の前にはこの世のものとは思えない人がいる。ミュウは声もなく震え、戦慄く爪先が壁を引っ掻いた。
その様をじっと見られている。瞳孔は縦に伸びて金色がギラギラと輝いている。目を合わせていられない。怖い、怖いとミュウは目を逸らし、愕然とした。
そこにはこれまでと変わらず枷を嵌められた人がいる。ガクリと項垂れた様子はなんら変わりない。では、今この目の前にいる人はなんなのだ。
──…あの人、死んだんか?
そしたらこの人は、幽霊?真実この世の人ではない?そう思うとなんだか急に憐れに思えた。さっきまであんなに怖がっていたくせに。こんな冷たく暗い場所で最期を迎えてしまうなんて、そんなのはあんまりだ。ミュウの胸がズキリと痛み、視線を戻したがその先には誰もいなかった。
今しがたまで確かにいたのに。見渡して見てもどこにもいない。
「…夢?」
思わず口を出た言葉にふっと笑う。夢の中でゆめなんて、そんなことあるわけがない。そんなことを思いながらミュウは足を踏み出した。壁にもたれ掛かりピクリとも動かないその人の元へと。
ミュウは怖々と投げ出された手の指先にちょんと触れてみた。動かない、そのまま手を乱れた髪に向ける。ごわついた髪、所々でねっとりと固まりができている。そのまま前髪を払って、顔を上げてうわっとミュウは飛び退いた。
ぽっかりと目が開いている。金色の瞳は虚空を見つめ瞬きもしない。その目をミュウはそっと閉じた。長い睫毛、ツンと高い鼻、顔は全体的に薄汚れ、額には傷があった。そして何より目を引くのが鱗だ。首から顎、そして頬にかけて侵食するようにそれはあった。
月明かりに仄かに光っている、指先を滑らせるとすべすべと手触りが良かった。黒だと思ったそれはよく見ると深く濃い青、深海を思わせる冷静な青は素晴らしく美しかった。
「…きれー」
撫でるように触ると音もなく一枚剥がれた、あわわとミュウが落ちたそれを拾いあげるとふふふと微かな笑い声が聞こえた。てっきり一人きりだと思ったミュウはドキドキと跳ねる心臓を抱えて辺りを見ても石壁に囲まれているだけだ。
──上か?
見上げた格子のはまった明り取りの窓、あっとミュウの口が開いた。浮いている、見下ろす瞳は金色、鱗がキラキラと光っている。
『あげる』
そう言うとくしゃりと顔を歪めて消えた。
ふっと蝋燭の火が消えるように、投げた小石が湖に沈むように。
大の大人がオタオタし過ぎ、とミュウは許すほどのことでもないけど笑って許した。むしろお礼を言いたいくらいだが、それは口に出さずにおいた。
握られた手はじわじわとミュウを温め、手足の痺れがいつもより早く治まったような気がするからだ。
「次は何が名物?」
「ん?」
そうだなぁ、とフィルとする馬上での会話はなかなかに楽しい。フィルは物知りだ。あの鳥は?あの木は?向こう側はどうなってる?ミュウのあっちこっちに逸れる質問にきちんと答えてくれる。ナッツもスウェインを追い越したり、回りをくるくると走ったりと楽しそうだ。
どこに行ってもそこでは正しく営みが築かれており、もう物語のことなんてどうでもいいなぁなんて思ってしまう。
──わからないから面白いんよ
そうやねお母ちゃん、とミュウはこっそりと呟いた。
但し、謎の夢は続いていた。
石牢の中に繋がれた人、掠れた声は男だか女だかわからない。その人はミュウが夢を見ると『いるの?』と必ず聞く。『あなただあれ?』とも。ミュウは答えない、答えたくない。最初は自分の他に誰かいるのかと思いキョロキョロと辺りを見渡して見たがねずみはおろか蜘蛛すらいなかった。ミュウに気づいている、それを確信すればますます答えられるわけがない。
その人からはぷんとすえた臭いがする。わざと放って置かれているのか、置き去りにされたのか、それとも忘れられてしまっているのか。いずれにしても酷い話だと思う。
石牢の中はチョロチョロと水の音がするだけ、天窓からはいつだって月が覗いていた。石牢には鉄の扉がひとつあり、ミュウが押しても引いてもビクともしなかった。
ミュウが黙り込んでいるとその人もそれ以上は言葉を発しなかった。たまに鼻歌のようなものを口ずさみ、かと思えば肩を揺らしてクスクスと笑う。あの金色の瞳は髪に隠され見えない。
そんな夢を数日見た後、いよいよ明日は王都へ到着するという時、異変が起こった。
『来た』
なにが?とミュウは首を捻り、看守かな?と鉄の扉を見た。けれど扉が開く様子もなにかの気配を感じることもない。ただの戯言か?と扉から視線を外すとその人が立っていた。今の今までずっと手足を放り投げて座りこんでいたのに。
ひっとミュウの喉から小さく悲鳴が漏れた。ゆらゆらと体を揺らしながら一歩、また一歩と歩いている。
ペたり、ぺたり、ぺたり───
どういうわけか足枷が外れている。ミュウは後ずさった、けれど狭い石牢の中ではすぐに背中が冷たく濡れた石壁に触れてしまう。月光の中、その姿が徐々に明らかになっていく。
漆黒の乱れた髪、金色の瞳、真っ赤な唇は横に妙に大きかった、そして───半身は鱗で覆われていた。
『醜いでしょう?』
そう言うと真っ赤な唇からチロリと細長い舌が飛び出した。
そうだ、とも、そうでないとも言えない。ただただ恐ろしい。石壁に追い詰められ目の前にはこの世のものとは思えない人がいる。ミュウは声もなく震え、戦慄く爪先が壁を引っ掻いた。
その様をじっと見られている。瞳孔は縦に伸びて金色がギラギラと輝いている。目を合わせていられない。怖い、怖いとミュウは目を逸らし、愕然とした。
そこにはこれまでと変わらず枷を嵌められた人がいる。ガクリと項垂れた様子はなんら変わりない。では、今この目の前にいる人はなんなのだ。
──…あの人、死んだんか?
そしたらこの人は、幽霊?真実この世の人ではない?そう思うとなんだか急に憐れに思えた。さっきまであんなに怖がっていたくせに。こんな冷たく暗い場所で最期を迎えてしまうなんて、そんなのはあんまりだ。ミュウの胸がズキリと痛み、視線を戻したがその先には誰もいなかった。
今しがたまで確かにいたのに。見渡して見てもどこにもいない。
「…夢?」
思わず口を出た言葉にふっと笑う。夢の中でゆめなんて、そんなことあるわけがない。そんなことを思いながらミュウは足を踏み出した。壁にもたれ掛かりピクリとも動かないその人の元へと。
ミュウは怖々と投げ出された手の指先にちょんと触れてみた。動かない、そのまま手を乱れた髪に向ける。ごわついた髪、所々でねっとりと固まりができている。そのまま前髪を払って、顔を上げてうわっとミュウは飛び退いた。
ぽっかりと目が開いている。金色の瞳は虚空を見つめ瞬きもしない。その目をミュウはそっと閉じた。長い睫毛、ツンと高い鼻、顔は全体的に薄汚れ、額には傷があった。そして何より目を引くのが鱗だ。首から顎、そして頬にかけて侵食するようにそれはあった。
月明かりに仄かに光っている、指先を滑らせるとすべすべと手触りが良かった。黒だと思ったそれはよく見ると深く濃い青、深海を思わせる冷静な青は素晴らしく美しかった。
「…きれー」
撫でるように触ると音もなく一枚剥がれた、あわわとミュウが落ちたそれを拾いあげるとふふふと微かな笑い声が聞こえた。てっきり一人きりだと思ったミュウはドキドキと跳ねる心臓を抱えて辺りを見ても石壁に囲まれているだけだ。
──上か?
見上げた格子のはまった明り取りの窓、あっとミュウの口が開いた。浮いている、見下ろす瞳は金色、鱗がキラキラと光っている。
『あげる』
そう言うとくしゃりと顔を歪めて消えた。
ふっと蝋燭の火が消えるように、投げた小石が湖に沈むように。
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