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転生遊戯
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ガチャンと大きな音をたててカップが落ちた。木苺の絵が描かれたそれが派手に割れている。
あー美味しい、という声をフィルは背中で聞いていた。ミュウに茶の入ったカップを渡し、次は菓子を口に入れてやろうと積み上げられた本の上に乗る盆に手を伸ばした時だった。
「ミュウ!」
立てた膝の上に乗っていた本は既に床に落ち、じわじわと茶の色に染まっていった。ぐらりと傾いた体をフィルが受け止める。
「…フィル、なんなんだ。ミューロイヒはどうした?」
「わからない…以前もこんなことがあった。多分…」
「見ているのか」
力なくフィルは頷いた。突然、なんの前触れもなく眠りこんでしまうミュウ。胸の中で静かに眠っている。それにイーハンは手を伸ばし、しかしフィルに跳ね除けられた。
「触るな!」
「しかし、なにか見ているんだろう?戦に関わることかもしれない」
「だとしても、触れないでくれ」
「フィル、その子がここにいるのはお前が連れて来たからだろう?その意味を…」
「っわかってる!夢見などいなかった、そう言えれば良かった…だけど…あの日、空を飛んでいたミュウを一目見た時から、私は自分の為に…」
イーハンが拒否して結婚の話が回ってきた時、それがイーハンを利用するためということはわかっていた。もちろん王命なのだから断る術もなく、けれど夢見などという眉唾物を信じることができなかった。そんなものに頼らずとも国を守れると思っていたし、誰かを道具のように扱うのもどうかと思っていた。勝手な話だ、どこにもミュウの気持ちがない。全てこちら側の事情だ。
「惚れたのか」
「守ればいい、と思っていた。私の傍にいればそれが叶うと。戦なんかには早々にケリをつけて、だけど…間違っていた」
「どういうことだ?」
「このまま夢を見続ければ…そう遠くないうちにミュウは、命を落とす…マージがそう、言っていた」
穏やかに死んだように眠るミュウ、それに縋り付くようにフィルは抱きしめた。
その時、ミュウは前世でいうところの映画館にいた。観客はミュウひとり、ポップコーンもなければジュースもない。ただひとりど真ん中の席で上映を待っていた。
「…またへんなとこ来てもうたな」
独り言と同時に開演のブザーが鳴る。するすると深紅の幕が左右に広がって現れた大きなスクリーンには豊かな緑が映しだされた。
──その頃、私は駆け出しの薬師だった。師匠について薬草の知識を学び、採集に精をだす毎日は辛い時もあったが概ね順風満帆だったといえる。
「ローガン、ミズリ医師の元で修行してこい」
薬草の採取を終え、地面に広げた藁で編んだ敷物に鎮痛薬となるイプロ草を並べていた。この薬草は乾燥させてすり鉢ですり潰して粉薬となる。湿気に弱く、黴させてはいけない。そんなこともあってこの先の天気ばかりに気を取られ、師匠の言葉を上手く聞き取れなかった。
「…へ?え、あ、あの師匠、私はなにか駄目でしたか?」
「違う違う」
師匠は顔の前で手を振りながらそう言って笑う、お前はよくやっているよ、と。
「ミズリ医師について患者をよく診るんだ。それはきっとお前の糧になる」
そう言われて私は薬草が豊富に採れる山の麓から、街場へと移ったのだった。私はその時十八歳だったが、ミズリ医師とは十しか歳が違わなかった。初対面の時はあまりの若さに彼もまた弟子の一人なのだと思ったくらいだ。
「ローガン、今は薬師も医者もやっていることは一緒だろう?患者を診て、薬を処方する。だけどね、僕はそれぞれがその道を極めた方が世のためになるんじゃないかと思うんだ。薬師は薬の道を、医者はもっともっと人の体について理解を深めるんだ」
「分業ってことですか?」
「そうだ。ローガン頑張ろう」
そう言って差し出されたミズリ医師の手は力強かった。
それから私はミズリ医師について薬学に一生懸命になった。そんな日々が続き、私が二十歳になろうかという頃のことだった。
「ローガン、今日の往診は君には少し刺激的かもしれない」
「どういうことですか?」
「今日行くのは貧民窟だ」
通常、医師にかかるのには金がかかる。だが、このミズリ医師はお呼びがかかればどこへでもいく。
「なあに、金なんてあるところから貰えばいいんだ。そんなことよりもね、僕は色んな症例が診たい。この世にはまだまだ未知の病気があるだろう。そんな時、どう対処すればいいのか、こんなにも意義のあることがあるか?」
ミズリ医師は研究心も旺盛で、その居室は帳面で溢れかえっていた。
ミズリ医師が言うにはどんな街にも大なり小なり貧民窟があり、各々の境界を犯さないように暮らしているらしい。私といえば山の麓の村育ち、どの家も似たり寄ったりの暮らしぶりで貧富の差を感じたのは街場へ出てからだった。それでも貧民窟へ足を踏み入れるのは初めてだ。
貧民窟には色が無い。どこもかしこも薄汚れた灰色で、そこかしこでカサカサとゴミが転がっている。地べたに座る人の目には生気はなく、干してある洗濯物は洗ってあるのだろうがなんだか汚く見えた。
「先生!」
粗末なあばら家の前で手を振るのは浅黒い肌をした男だった。こっちです!こっち!両手を筒にして叫ぶ男に、ミズリ医師は帽子を軽く持ち上げて合図をした。
男はゴミ収集を生業としているそうだ。街場へ行き商店を周りゴミを集め街の外へと捨てに行く。そうやってゴミ収集の際にミズリ医師と出会ったという。
「やぁやぁ、ウィッシュさん。こんにちは」
「先生、こんなゴミ溜めまですんません」
「いやいや、患者がいれば僕はどこへでも伺いますよ」
「でも、その…ほんとに?」
「あぁ、お代はいつでも結構」
すくい上げるような目つきにミズリ医師は、大丈夫だとその肩を叩いた。
がたつくドアを開けた先は家族で食事をする場所なんだろう。粗末な木のテーブルに椅子が三脚、竈の火は落ちていた。
「先生、娘はこっちです」
開かれたドアの向こう、小さなベッドに身を起こしてこちらを見ているのはあどけない少女だった。真っ黒な髪は肩で切り揃えられ、きょとんと丸められた瞳は純度の高い蜂蜜のような金色だった。
「ローザ、お医者さまだよ」
「お医者さま?」
これが私とローザの出会いだ。
あー美味しい、という声をフィルは背中で聞いていた。ミュウに茶の入ったカップを渡し、次は菓子を口に入れてやろうと積み上げられた本の上に乗る盆に手を伸ばした時だった。
「ミュウ!」
立てた膝の上に乗っていた本は既に床に落ち、じわじわと茶の色に染まっていった。ぐらりと傾いた体をフィルが受け止める。
「…フィル、なんなんだ。ミューロイヒはどうした?」
「わからない…以前もこんなことがあった。多分…」
「見ているのか」
力なくフィルは頷いた。突然、なんの前触れもなく眠りこんでしまうミュウ。胸の中で静かに眠っている。それにイーハンは手を伸ばし、しかしフィルに跳ね除けられた。
「触るな!」
「しかし、なにか見ているんだろう?戦に関わることかもしれない」
「だとしても、触れないでくれ」
「フィル、その子がここにいるのはお前が連れて来たからだろう?その意味を…」
「っわかってる!夢見などいなかった、そう言えれば良かった…だけど…あの日、空を飛んでいたミュウを一目見た時から、私は自分の為に…」
イーハンが拒否して結婚の話が回ってきた時、それがイーハンを利用するためということはわかっていた。もちろん王命なのだから断る術もなく、けれど夢見などという眉唾物を信じることができなかった。そんなものに頼らずとも国を守れると思っていたし、誰かを道具のように扱うのもどうかと思っていた。勝手な話だ、どこにもミュウの気持ちがない。全てこちら側の事情だ。
「惚れたのか」
「守ればいい、と思っていた。私の傍にいればそれが叶うと。戦なんかには早々にケリをつけて、だけど…間違っていた」
「どういうことだ?」
「このまま夢を見続ければ…そう遠くないうちにミュウは、命を落とす…マージがそう、言っていた」
穏やかに死んだように眠るミュウ、それに縋り付くようにフィルは抱きしめた。
その時、ミュウは前世でいうところの映画館にいた。観客はミュウひとり、ポップコーンもなければジュースもない。ただひとりど真ん中の席で上映を待っていた。
「…またへんなとこ来てもうたな」
独り言と同時に開演のブザーが鳴る。するすると深紅の幕が左右に広がって現れた大きなスクリーンには豊かな緑が映しだされた。
──その頃、私は駆け出しの薬師だった。師匠について薬草の知識を学び、採集に精をだす毎日は辛い時もあったが概ね順風満帆だったといえる。
「ローガン、ミズリ医師の元で修行してこい」
薬草の採取を終え、地面に広げた藁で編んだ敷物に鎮痛薬となるイプロ草を並べていた。この薬草は乾燥させてすり鉢ですり潰して粉薬となる。湿気に弱く、黴させてはいけない。そんなこともあってこの先の天気ばかりに気を取られ、師匠の言葉を上手く聞き取れなかった。
「…へ?え、あ、あの師匠、私はなにか駄目でしたか?」
「違う違う」
師匠は顔の前で手を振りながらそう言って笑う、お前はよくやっているよ、と。
「ミズリ医師について患者をよく診るんだ。それはきっとお前の糧になる」
そう言われて私は薬草が豊富に採れる山の麓から、街場へと移ったのだった。私はその時十八歳だったが、ミズリ医師とは十しか歳が違わなかった。初対面の時はあまりの若さに彼もまた弟子の一人なのだと思ったくらいだ。
「ローガン、今は薬師も医者もやっていることは一緒だろう?患者を診て、薬を処方する。だけどね、僕はそれぞれがその道を極めた方が世のためになるんじゃないかと思うんだ。薬師は薬の道を、医者はもっともっと人の体について理解を深めるんだ」
「分業ってことですか?」
「そうだ。ローガン頑張ろう」
そう言って差し出されたミズリ医師の手は力強かった。
それから私はミズリ医師について薬学に一生懸命になった。そんな日々が続き、私が二十歳になろうかという頃のことだった。
「ローガン、今日の往診は君には少し刺激的かもしれない」
「どういうことですか?」
「今日行くのは貧民窟だ」
通常、医師にかかるのには金がかかる。だが、このミズリ医師はお呼びがかかればどこへでもいく。
「なあに、金なんてあるところから貰えばいいんだ。そんなことよりもね、僕は色んな症例が診たい。この世にはまだまだ未知の病気があるだろう。そんな時、どう対処すればいいのか、こんなにも意義のあることがあるか?」
ミズリ医師は研究心も旺盛で、その居室は帳面で溢れかえっていた。
ミズリ医師が言うにはどんな街にも大なり小なり貧民窟があり、各々の境界を犯さないように暮らしているらしい。私といえば山の麓の村育ち、どの家も似たり寄ったりの暮らしぶりで貧富の差を感じたのは街場へ出てからだった。それでも貧民窟へ足を踏み入れるのは初めてだ。
貧民窟には色が無い。どこもかしこも薄汚れた灰色で、そこかしこでカサカサとゴミが転がっている。地べたに座る人の目には生気はなく、干してある洗濯物は洗ってあるのだろうがなんだか汚く見えた。
「先生!」
粗末なあばら家の前で手を振るのは浅黒い肌をした男だった。こっちです!こっち!両手を筒にして叫ぶ男に、ミズリ医師は帽子を軽く持ち上げて合図をした。
男はゴミ収集を生業としているそうだ。街場へ行き商店を周りゴミを集め街の外へと捨てに行く。そうやってゴミ収集の際にミズリ医師と出会ったという。
「やぁやぁ、ウィッシュさん。こんにちは」
「先生、こんなゴミ溜めまですんません」
「いやいや、患者がいれば僕はどこへでも伺いますよ」
「でも、その…ほんとに?」
「あぁ、お代はいつでも結構」
すくい上げるような目つきにミズリ医師は、大丈夫だとその肩を叩いた。
がたつくドアを開けた先は家族で食事をする場所なんだろう。粗末な木のテーブルに椅子が三脚、竈の火は落ちていた。
「先生、娘はこっちです」
開かれたドアの向こう、小さなベッドに身を起こしてこちらを見ているのはあどけない少女だった。真っ黒な髪は肩で切り揃えられ、きょとんと丸められた瞳は純度の高い蜂蜜のような金色だった。
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「お医者さま?」
これが私とローザの出会いだ。
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