不香の花の行く道は

谷絵 ちぐり

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ユキとジュン

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十年以上も前のことだ、そう思う。
けれどずっと夢に見ていたは昨日のことのような出来事。
夏はとっくに過ぎ去ってひんやりとした秋風が髪を巻き上げていく。
なのに脇に背中に汗が浮いては流れ落ちて、喉が締めあげられたように詰まった。
振り返らなくてもわかる、耳に沈殿していた音はいとも容易く浮かびあがってくる。
このまま立ち去ればいい、店までは遠くない。
震えのくる足を一歩前に出すだけでいい、そう右足を上げて前に…─。

「可愛い子といたね」
「……は?」

一歩踏み出すその足が止まって、反射的に振り返る。
有名球団の野球キャップ、カーキのジャンバー、ずんぐりとした体型には肩からショルダーバッグを下げていた。

「養護施設の子だろう?」
「な、んで…」
「今日はあの優男は一緒じゃないのかい?」

帽子の影になって見えないが、見えていたらその目はきっとギラギラと輝いているんだろう。
睨みつけてやりたい、あの日のことを、ポテトのことを、観月のことを、だけど口から漏れるのは空気ばかり。

「君を見つけたのは偶然なんだ。半年くらい前かな、さっきの可愛い子をバスに乗せてたね」

遠くで蝉が鳴いている、違う、これは幻聴だ、蝉なんて鳴いてる筈がない。
あの頃の小さな子どもじゃない、なのに動けない。
もう大丈夫だと思っていたのに、伸びてくるカサカサの手のひらじっと見つめることしかできない。

「ユキちゃん、パフェを食べに行こうか」
「…ぃや…いやだ…」

「ユキちゃん!!ダメーーーッッ!!」

「…ジュンちゃん?」

目の前の男が突然どうと倒れた拍子に帽子が車道に転がっていった。

「てめぇ!このクソ野郎が!またユキちゃんを殺しに来たんだな!?ふざけんな、変態野郎!殺してやる…今ここで殺してやる…お前なんか二度とユキちゃんの前に出てこれないようにしてやる…っ」

目の前で起きていることに頭がついていかない。
どうしてここに純がいるのか、勝手にいなくなったのに、ずっと傍にいたのに、それを裏切ったのに。

小柄な純のどこにそんな力があるのか、男に馬乗りになって唾を飛ばしている。
体をくねらせ足をばたつかせ、純から逃げようとする男。
けれど純も負けてはいない、顔を真っ赤にして男の首を両手でギリギリと締め上げる。
それから逃れようと純の腕にかけた手、爪が食い込んでじわりと血が滲む。
頭の中でガンガン鳴いていた蝉の声が消えていく。
止めなきゃいけない、そう思うのに足が動いてくれない。

「何してんだ!!」

ドンと誰かの肩がぶつかって、足元がふらついた。
耳に音が入ってくる、小さく上がる悲鳴とざわめきに現実が戻ってきた。

「…ジュンちゃん、ジュンちゃん!ジュンちゃん!!」

純が見知らぬ人達に押さえつけられている。
遠くから聞こえるパトカーのサイレンがどんどん近づいてきて、純は拘束された。

──違うの、止めて、ジュンちゃんは悪くない

声は喧騒に飲まれて届かなかった。


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