【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり

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翻弄

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13年前───

私立S学園。
名家のα、それに侍従するβ、αと番になるべくΩが5:3:2の比率で通う名門校。
5割のαのうち1割はβ家庭からの変異型α。
代々αの血を受け継ぐ名家のαとは明確な距離がある。
いわゆる上位αと下位α。
ともすれば名家に代々仕える同じく名家のβにも馬鹿にされる立場なのが下位αである。

一穂と蒼太は揃ってこの名門校に入学した。
学校とは思えないくらい豪華で綺麗な学舎。
校門は重厚で常に警備員が立っている。

「一穂、俺もう帰りたくなってきた。どう考えたって場違いだよ」
「何言ってんだ、蒼太。曲がりなりにも俺たちはαなんだ。試験だって合格したからここにいるんだろ」
「そうだけど、俺は陸と一緒に県立に通いたかったよ」
「その陸に将来苦労させない為にここで学んでいい大学はいって大手に就職するんだろうが」

クラス割りを確認し、同じクラスなことにお互いホッとする。
各クラスでの入学式の事前説明を受け、終わったクラスから講堂前に集合する。
ざわざわする中、教師の整列の号令が大きく響く。

一穂の鼻にふと甘い匂いが入ってきた。
スンスンと嗅ぐとどこからか漂う匂い。
甘いホットミルクのような、そこに蜂蜜を溶かしこんだようなホッと落ち着く懐かしい匂い。
幼い頃、眠れぬ夜に母親が飲ませてくれたあの甘い匂い。
匂いを求めて一穂は列を離れて進む。

「一穂!どこ行くんだ!」

肩を掴む手が鬱陶しくて乱暴に払う。
匂いが濃くなっていく。
もう足が止まらない。
それだけを求めて進む。
辿り着いた先には浅い呼吸を繰り返し、ペタリと座り込む女生徒。
体中の血液が一気に氷点下まで下がり、一瞬で沸騰しぐるぐる駆け巡る。
脳天が痺れて、呼吸も荒くなる。
手を伸ばした刹那、顔をあげた女生徒は溢れそうな涙をグッと堪え一穂を睨みつけた。

「な、んで、そんな、顔、するの?」

一穂の戸惑いは、ズシンと腹にきた衝撃に消えた。
次いで頬に走る重い痛み。
口内に鉄の味が広がり、立っていられず座り込む。
ざわざわとした喧騒の中、怒号が響く。

「お前みたいな下位のαに俺の和葉かずはを奪われてたまるかよ!」

見上げるとを抱き上げた男がいるようだが、目が霞んでよく見えない。
瞬きひとつ、開けるともう男の背中は遠くにあった。
泣くな、と肩を強く抱かれる。

「俺、泣いてる?」
「あぁ」

蒼太は力強く一穂を立たせる。
教師に引き取られ、一穂は保健室へと連れて行かれた。
その後はもうめちゃくちゃだった。
αの威圧に気圧された者が多く混乱し、入学式は翌日に延期になった。


一穂は入学式には出席せず寮の自室で一人だった。
荷解きもできずにぼんやりとしていた、そんな時だった。
を奪った男に依頼された弁護士が訪れた。

ペラリと差し出された書面には決して安くはない金額の示談金が提示されていた。

今後三年間H県へは立ち入らない。
三年後のことは決まり次第連絡する。
男の事も女の事も全て忘れるように。

要約すれば以上のようなことが小難しく書いてあった。
後ろ盾も何もないβのサラリーマン家庭。
どうすることもできない。
一穂はそれにサインと拇印を押した。
手が震えなくて良かった、そう思った。
男の顔も声も女の顔も思い出せない。
ただ、『和葉』という言葉だけが心の奥底に刻まれた。
それが見えないように重しをして、高い壁を築く。
壁に阻まれてその重しはもう取り除くことはできない。



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