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第3章
センパイの理想のひと(1)
しおりを挟む「……あたしのエミルドさんを返してよ!」
砂埃舞う灰色のホームに足をおろした瞬間、思わず心の声が漏れた。
時刻はお昼過ぎ。どんよりとした曇天の下、やって来たのはライド中央駅だ。
昨日はナナシの家に一泊させてもらい、レフドを出たのは今朝一番の列車だった。
いくらライドがかつて悪魔女ガルドの守護地だったからって、土地自体にはなにも罪がないことは分かっている。エミルドさんを還らぬひとにしたのは、あくまでも、悪魔女だ。その悪魔女も今やこの世にはいないんだから、ライド区自体にはなんの怨みもない。
だけど、やっぱり複雑だな。エミルドさんファンとしては、この地に来るっていうのは……。
「ここがライド区ってとこかぁ。おれ、はじめて来たー!」
明るい声を上げたのは、旅の同行者となったナナシだ。好奇心いっぱいの瞳が見つめる先には、駅舎がある。
木製の建具に土壁、というライド区ならではの外観だ。屋根やひさしには、墨色の粘土を緩いアーチを描いた四角い形に焼いた物が、規則的に並んでいる。確か教科書にも、これとよく似た建物がライドの伝統的な建築様式だと紹介されていた。レンガ調の建物で統一されたフロンドでは、このような建造物は見られない。同じ国内なのに、異国情緒を感じるなあ。
ライド区はミグハルド王国内でも治安が悪い地域のため、旅行者はあまりいない。ホームには、手ぶらで軽装のいかつい男性の姿が目立っている。
そんな事情もあり、実はあたしも男装中だ。スカウト旅に出る前に大臣から受けていた指示通り、まとめた長い髪をハンチング帽で隠し、白いシャツにグレーのパンツ、という至ってシンプルなスタイル。念には念を入れ、目立たないようにと身を縮めて改札を抜け、駅舎を出る。
「おい、ガキども。金くれよ」
出た途端、知らないスキンヘッドのお兄様があたしたちの前に立ちはだかり、ダイレクトすぎるセリフを吐いた。
……嘘でしょ、ちょっとピンチが早すぎない? いくら治安が悪いからって、駅出て一歩でカツアゲってあり?!
さらに彼の身体越しに見える景色もなかなかだ。
街には廃墟のような古めかしい三角屋根の建物が並び、そのどれもが灰色で薄暗い。路上にいる数人の男性が、壁にもたれたり座り込んだりしながら、駅から出てくるひとを品定めするように眺めている。
「えーっ、なんで金がほしいの? 財布落としたのか?」
ああ、ナナシ。あなたはなんて純粋なの?
お兄様を見上げる目が、雲ひとつない青空のように澄み切っている。見つめられたスキンヘッドのお兄様は、堪えきれずに吹き出した。
「ぐはーっはははっ! 実はそーなんだ。だから助けてくれよ」
「よし、じゃあおれがなんとかしてやる!」
ナナシは肩幅に足を開くと、右手の人差し指を立て、空中に半円を描く。
えっ……ナナシ、そのモーションはまさか。
「……おい。なにしてんだテメエ」
お兄様の問い掛けに、ナナシは真剣な顔付きではっきりと答えた。
「魔法だよ。魔法で、あんたの財布を出すんだ」
「なっ……なに?! おまえ、まさか魔法が使えるのか?!」
ナナシが「うん」と頷くやいなや、お兄様は「変な冗談言うんじゃねえ!」と叫んだ。そして、あっという間に走り去っていく。
「……あれ? なんで行っちゃったんだ?」
「さ……さあ……」
「あっ、わかった! 財布落とした場所思い出したんだな。よかったよかった! でも、今日も魔法できなかったなー。また明日やってみよっと」
ホントによかった、助かって。にしても、なんであのひとは急に……
……ああ、そっか。もしかしたら、ライド区民ならではの事情があるのかな……?
この地は長い間、守護者である悪魔女に苦しめられてきた。悪魔女は圧倒的魔力を武器に人々の自由を奪い、とっかえひっかえ区民を捕まえては、奴隷のように扱っていたらしい。
あたしは学校で習ったこの程度の情報しか知らないけれど、きっとライドの人々は、他のどの区の住人よりも過酷な現実を生き抜いてきたんじゃないかと思う。
だからあのお兄様の心にも、魔法に対する恐怖感が深く根付いているのかもしれない。
何はともあれ、危機は脱した。あたしはナナシと駅舎の太い柱の裏に隠れ、地図を開く。
「……うーん、どこか安全な場所ってないかなあ。安全で、真面目ないいひとがいそうな場所……区役所……は、かなり遠いし……そうだ、警察署!」
区民の味方である警察官なら、王子様候補になり得る好青年もいるんじゃない?!
地図によると、警察署は駅から数十メートルという近さだ。
あたしはお守りがわりに組み立て式ステッキを持ち、ナナシに魔法使いのとんがり帽を被せると、一気に街を駆け抜けた。
駅からライド第一警察署までの道中、あたしたちは誰からも絡まれなかった。エミルドさんグッズで魔法使いになりきりカツアゲ防止大作戦は、成功に終わったのだ。
でも、これは予想できなかったなあ。まさか、警察署がギャングに乗っ取られてるなんてね!
四人家族が優に暮らせそうな民家五軒分はある大きな警察署は、例によって木造で灰色だった。錆び付いた出入口のドアをくぐり、室内に入り……驚愕。ゴミが散乱した荒れ放題の部屋に、駅前で出会ったお兄様によく似た風貌の方々がたくさんいるではありませんか!
あるひとは机に足を投げ出しながらなにかを咀嚼し、またあるひとはヘッドフォンを装着して踊り狂い、さらにあるひとたちはテーブルを囲んでカードゲームに興じ……思い思いにお楽しみ中だ。その十数人の方々の視線がすべて、今あたしたちに注がれている。
こりゃーやばい。スカウトどころじゃない。
あたしはナナシの腕を掴んで踵を返そうとしたけれど、運悪く上半身タンクトップ一丁でマッチョなモヒカン男性が現れ、外への道がふさがってしまった。
「なんだテメエらは」
「ちょ……ちょっと間違えて入ってきてしまいまして……すいません、もう帰りますからっ」
「まあ、待てよ」
モヒカン男性は逃げようとするあたしの肩を右手で、そして左手でナナシの肩を掴んだ。
最悪だ。こんなことなら、魔法使いグッズを装備したままにすればよかった。警察のみなさんを怯えさせてはいけないと思って、署に入る前にバッグにしまったのが裏目に出た。
「可愛いお坊ちゃんたちだな。特に、こっちのお坊ちゃんは可愛いなあ。まるでさっきまでお嬢ちゃんだったみたいに可愛いぜ」
モヒカン男性の視線は、あたしを捕らえている。
バ、バレてるっ……!
魅力溢れるボディーを持たないあたしでも、肩から伝わる嫌な予感にはさすがに総毛立った。ギャラリーと化したまわりのギャングたちも、ニヤついてこちらを静観している。
どうしよう。ここから逃げるにはどうすれば……頭によぎったのは、駅前での出来事だ。うまくいくかわからないけど、いちかばちか、やるしかない。
あたしは思い切り声を張り上げた。エミルドさん、我に力を……!
「やめてください! あたしっ……あたしは、魔法使いです!」
モヒカン男性は目を見開き、顔を真っ青にしてあたしから離れた。ギャラリーもみんな顔をしかめ、ざわついている。
よし、今だ!
ナナシを引っ張って逃げようと、腕を伸ばす。しかしなぜかナナシに両肩を強く掴まれ、足が止まってしまった。
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