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第一章
大丈夫ではありません(2)
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「どうぞ、横になってください」
「え……ここで……」
「緊急ですので」
看護師さんはオレの身体に巻き付いたボディバッグを剥ぎ取り、半ば強引にオレを車内に押し込んだ。
抵抗する理由もなく、オレはそのまま布張りの後部座席に仰向きで身を沈める。
椅子の幅から肩がはみ出てしまい、運転席側に重心を置いて全身をやや傾けた。位置が安定したことで、若干の安心感を得る。目を閉じ、深く、ゆっくり呼吸を繰り返す。こうして休むのが一番楽な気がするのだ。
身長百七十四センチの成人男性であるオレが寝るにはちょっと狭いけれど、十分に助かった。病院の建物に戻るよりも、この車の方が歩く距離は短かったのは間違いない。
さすが看護師さんだなあ……あー、しんどい。早く、収まれ……
ぶつぶつと脳内で孤独なおしゃべりをしているうち、外からファスナーの開く音が聞こえた気がした。さらにノートをめくるような紙の擦れる音と、
「……なるほど」
看護師さんの声も聞こえたような……。
ぼうっと考えていると、車外に出ていたオレの脚の膝から下が不意に車内へと押し込められた。続いて、ドアが閉まる音と衝撃を体に受ける。
「……?!」
さすがに、オレも目を開いた。眼球だけを動かしてあたりを見回すと、いつの間にか運転席に看護師さんの姿がある。彼女は車のエンジンをかけると、こちらにふり返った。
「あなたは、大丈夫ではありません」
「……はぃ……?」
「あなたは、大丈夫ではありません」
「……は……」
横になったまま呆然となる。頭が真っ白、というのは、多分こういう状態を指すのだろう。
な、なにそれ……? 看護師さんの目から見て、今のオレってそんなにヤバイの……?!
「行きましょう」
看護師さんはそう言うと、正面に向き直って車を緩やかに発進させた。
行く、って、どこへ?
病院、は、ここだけど?
ぼんやりとする意識の片隅で、オレはぐるぐると考えを巡らせる。
もしかして、市民病院よりも医療機器が充実した都会の大病院へ行くのだろうか。
市民病院でもでかいのに、それよりもっとでかい病院に行かなければならないほどオレの容態はまずいのか? 個人的に、看護師さんが送っていかなきゃいけないほどに?
さっき診察してくれた神経内科医は、そんなことひと言も言わなかったよ? 検査結果に問題もないし、「様子を見ましょう」って言われただけで……
あぁ、でもそれは、診察中に症状がこんなに激しく出てなかったからか?
常にすっきりしない若干の気だるさが全身にあるくせに、しゃべったり歩いたりっていうことが見た目普通にできるもんだから、医者には伝わらなかったとか?
でもでも、ここまでの激しい症状がどのタイミングでいつ出るかなんて、オレ本人にもわかんないんだから、そこはしょうがなくないですか?
「あ……あの、オレ……」
消え入りそうな声で、恐る恐る尋ねてみる。
「……静粛に願います。お口を慎んで下さい。今わたしは、運転に集中すべきです」
「あの、でも……」
「静粛に願います!」
オレは黙り込んだ。看護師さんの迫力に負けた……からではない。
酔ったのだ。
横になったまま動く車に乗る、という状況が、オレの体質に合わなかったらしい。
体調不良に車酔いが加わり、いよいよオレの脳内はお祭り騒ぎだ。
だるい! しんどい! 気持ち悪い!吐きそう! 誰か助けて……!
どれくらい走ったのだろう。オレにとっては永遠のような時が流れ、ようやく車が止まった。
エンジンが切れ、運転席からドアの開く音がする。車体が一瞬沈み、バタン、とドアが鳴った。多少の間を置いて、今度はオレの足元のドアが開かれる。付近に樹木でもあるのだろうか。新緑の青い匂いが流れ込んできた。
「……風音寺さん、到着しました。体調はいかがですか」
看護師さんの問いかけに、オレは口では答えられなかった。答えるまでもないだろう。ごらんの通り、寝たまま動けない。というか今は動きたくはない。車酔いが思いのほか響いている。
「弓枝木? なんでここにいんだよ、おまえ今日休みだろーが」
遠くから近づいてきたのは、耳慣れない男の声だった。
誰か来たらしい。目を開けて起き上がれば確認できるけれど、今のオレには困難だ。
「はい。わたしは本日、休みです」
今度は、看護師さんの声だ。答えた、ということは、やはり看護師さんの知り合いらしい。ふたりの会話はさらに続き、オレの耳を通過していく。
「なのにどーしたんだ、って聞いてんだよ。忘れ物でも……ん? おい、誰だそいつ」
「我々が探していた人間に該当する可能性を秘めた人間です」
「あ? 何だ、その回りくどい言い方……つーかこいつ、ぐったりしてねえか?」
「体調不良だそうです」
「はぁ?! んっだよ、それ! めんどくせえなぁ、厄介な状態で連れてきやがって……ったく、仕方ねえ、とりあえず中で休ませてやるか。俺、優しいだろ?」
はい、と看護師さんが無機質に答える。会話が途切れたと思ったら、車が弾んだ。
大きな手にふいに腕を引っ張られ、身体を起こされる。そのまま車外に引き出されたと思ったら、次の瞬間、わが身が宙に浮いた。
仰向けで、身体がくの字に曲がっている。加えて、見知らぬ男性の顔が、すぐそこに現れた。今のオレの鈍い認識能力をもってしても、パッと見で彼が自分よりおそらくずっと年上だろうと判断できる。どうやらオレは、このおじさまにお姫様抱っこをされているらしい。その証拠に、背中と足に温もりを感じている。
同時に、オレははじめて現在地の景色を目にしていた。
正面に見える範囲だけで言えば、ごく間近に数本の樹と高い塀があるだけだ。どうにか首を横に動かしてみたら、予想していたものとは違う建物が見えた。
病院というより、民家? 民家というより……
「なんだ、男の割に軽いやつだな。ちゃんと×××ついてんのか?」
男性器の名称を堂々と口にするおじさまに、「ついてます!」とも反論できない自分が悲しい。成り行きに身を任せるしかなく、彼の歩みに伴ってオレの目に映る景色も流れていった。
「え……ここで……」
「緊急ですので」
看護師さんはオレの身体に巻き付いたボディバッグを剥ぎ取り、半ば強引にオレを車内に押し込んだ。
抵抗する理由もなく、オレはそのまま布張りの後部座席に仰向きで身を沈める。
椅子の幅から肩がはみ出てしまい、運転席側に重心を置いて全身をやや傾けた。位置が安定したことで、若干の安心感を得る。目を閉じ、深く、ゆっくり呼吸を繰り返す。こうして休むのが一番楽な気がするのだ。
身長百七十四センチの成人男性であるオレが寝るにはちょっと狭いけれど、十分に助かった。病院の建物に戻るよりも、この車の方が歩く距離は短かったのは間違いない。
さすが看護師さんだなあ……あー、しんどい。早く、収まれ……
ぶつぶつと脳内で孤独なおしゃべりをしているうち、外からファスナーの開く音が聞こえた気がした。さらにノートをめくるような紙の擦れる音と、
「……なるほど」
看護師さんの声も聞こえたような……。
ぼうっと考えていると、車外に出ていたオレの脚の膝から下が不意に車内へと押し込められた。続いて、ドアが閉まる音と衝撃を体に受ける。
「……?!」
さすがに、オレも目を開いた。眼球だけを動かしてあたりを見回すと、いつの間にか運転席に看護師さんの姿がある。彼女は車のエンジンをかけると、こちらにふり返った。
「あなたは、大丈夫ではありません」
「……はぃ……?」
「あなたは、大丈夫ではありません」
「……は……」
横になったまま呆然となる。頭が真っ白、というのは、多分こういう状態を指すのだろう。
な、なにそれ……? 看護師さんの目から見て、今のオレってそんなにヤバイの……?!
「行きましょう」
看護師さんはそう言うと、正面に向き直って車を緩やかに発進させた。
行く、って、どこへ?
病院、は、ここだけど?
ぼんやりとする意識の片隅で、オレはぐるぐると考えを巡らせる。
もしかして、市民病院よりも医療機器が充実した都会の大病院へ行くのだろうか。
市民病院でもでかいのに、それよりもっとでかい病院に行かなければならないほどオレの容態はまずいのか? 個人的に、看護師さんが送っていかなきゃいけないほどに?
さっき診察してくれた神経内科医は、そんなことひと言も言わなかったよ? 検査結果に問題もないし、「様子を見ましょう」って言われただけで……
あぁ、でもそれは、診察中に症状がこんなに激しく出てなかったからか?
常にすっきりしない若干の気だるさが全身にあるくせに、しゃべったり歩いたりっていうことが見た目普通にできるもんだから、医者には伝わらなかったとか?
でもでも、ここまでの激しい症状がどのタイミングでいつ出るかなんて、オレ本人にもわかんないんだから、そこはしょうがなくないですか?
「あ……あの、オレ……」
消え入りそうな声で、恐る恐る尋ねてみる。
「……静粛に願います。お口を慎んで下さい。今わたしは、運転に集中すべきです」
「あの、でも……」
「静粛に願います!」
オレは黙り込んだ。看護師さんの迫力に負けた……からではない。
酔ったのだ。
横になったまま動く車に乗る、という状況が、オレの体質に合わなかったらしい。
体調不良に車酔いが加わり、いよいよオレの脳内はお祭り騒ぎだ。
だるい! しんどい! 気持ち悪い!吐きそう! 誰か助けて……!
どれくらい走ったのだろう。オレにとっては永遠のような時が流れ、ようやく車が止まった。
エンジンが切れ、運転席からドアの開く音がする。車体が一瞬沈み、バタン、とドアが鳴った。多少の間を置いて、今度はオレの足元のドアが開かれる。付近に樹木でもあるのだろうか。新緑の青い匂いが流れ込んできた。
「……風音寺さん、到着しました。体調はいかがですか」
看護師さんの問いかけに、オレは口では答えられなかった。答えるまでもないだろう。ごらんの通り、寝たまま動けない。というか今は動きたくはない。車酔いが思いのほか響いている。
「弓枝木? なんでここにいんだよ、おまえ今日休みだろーが」
遠くから近づいてきたのは、耳慣れない男の声だった。
誰か来たらしい。目を開けて起き上がれば確認できるけれど、今のオレには困難だ。
「はい。わたしは本日、休みです」
今度は、看護師さんの声だ。答えた、ということは、やはり看護師さんの知り合いらしい。ふたりの会話はさらに続き、オレの耳を通過していく。
「なのにどーしたんだ、って聞いてんだよ。忘れ物でも……ん? おい、誰だそいつ」
「我々が探していた人間に該当する可能性を秘めた人間です」
「あ? 何だ、その回りくどい言い方……つーかこいつ、ぐったりしてねえか?」
「体調不良だそうです」
「はぁ?! んっだよ、それ! めんどくせえなぁ、厄介な状態で連れてきやがって……ったく、仕方ねえ、とりあえず中で休ませてやるか。俺、優しいだろ?」
はい、と看護師さんが無機質に答える。会話が途切れたと思ったら、車が弾んだ。
大きな手にふいに腕を引っ張られ、身体を起こされる。そのまま車外に引き出されたと思ったら、次の瞬間、わが身が宙に浮いた。
仰向けで、身体がくの字に曲がっている。加えて、見知らぬ男性の顔が、すぐそこに現れた。今のオレの鈍い認識能力をもってしても、パッと見で彼が自分よりおそらくずっと年上だろうと判断できる。どうやらオレは、このおじさまにお姫様抱っこをされているらしい。その証拠に、背中と足に温もりを感じている。
同時に、オレははじめて現在地の景色を目にしていた。
正面に見える範囲だけで言えば、ごく間近に数本の樹と高い塀があるだけだ。どうにか首を横に動かしてみたら、予想していたものとは違う建物が見えた。
病院というより、民家? 民家というより……
「なんだ、男の割に軽いやつだな。ちゃんと×××ついてんのか?」
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